第10話 君が通り抜けた後で


「へえ、ここが真咲君の学校か。綺麗な校舎じゃない」


 人気のない正面玄関前で、杏沙は物珍しげに視線を動かしながら言った。


「そうでもないよ。……七森、君はここで待っててくれないか。すぐ済むから」


 僕がそう言って中に入ろうとすると、杏沙は不思議そうに「どうして?一緒に行くよ」と言った。


「知ってる生徒もいないのに、人の学校なんか見てもしょうがないだろ」


「いいじゃない。映画のヒロイン候補に会いに行くんでしょ?真咲君が好きな子ってどんな子なのか興味あるじゃない。なんでそう、つんけんしてんの?」


 僕は来るんじゃなかったと内心、げんなりした。妹の舞彩もそうだが、どうして女って奴は男が集中しようとしている時に限って邪魔して来るんだろう?


「じゃあ好きにしろよ」


「うん、そうさせてもらう」


 幽霊になってから初めての『登校』にいささか緊張しつつ、僕は土曜日の校舎へと入っていった。まずは片瀬が所属している演劇部だ。たしか土曜日も練習しているはず、そう思った僕はまっすぐ体育館に向かった。


 空中に浮かんだまま入り口から中に入ると、予想通り演劇部の部員がジャージ姿で読み合わせをしているのが見えた。


 僕は姿が見えないのをいいことにステージぎりぎりまで近づくと、片瀬の姿を探した。


「ねえ、どの子?」


 気がつくとすぐ後ろに杏沙が浮かんでいた。僕がぶっきらぼうに「ちょっと黙ってて」と釘を刺すと「何、恥ずかしがってんの。いいじゃない教えてくれたって」と言った。


 僕がだんまりを決め込んでいると突然、舞台の袖から一人の少女が「待って!」と台詞を叫びながら飛びだして来るのが見えた。片瀬だ。


「あの子かあ。……さすが監督、映像映えしそうな可愛らしさね」


 僕は杏沙の冷やかしを無視し、ステージの上に上がった。見えないとわかっていても、周囲の視線が気になるのは避けられなかった。


「どうしたの、『通り抜け』ないの?」


 芝居に取り組んでいる片瀬を前に、僕の気持ちは徐々に後ろ向きになっていった。


 やはり女子の心の中に土足で踏みこむというのは、たとえ一瞬であってもマナー違反ではないだろうか。誰だって見られたくないものはある。見ないように気をつけるといっても、一瞬の間に飛び込んで来るものをこちらで選ぶことはできない。


 僕は片瀬に背を向けると、ステージを降りた。


「だめだ、やっぱり僕にはできないよ」


 僕が気後れしたことを告げると、驚いたことに杏沙は「じゃ、私が入ってみるね」と言い出し、僕が止める間もなくステージの上に上がっていった。


「おい、待てよ……」


 僕がそう言いかけた瞬間、杏沙は台詞を口にしている片瀬の身体にすっと入り込み、次の瞬間にはもう背中から反対側に抜け出していた。


「片瀬……?」


 杏沙が身体を通り抜けた瞬間、片瀬は訝しむように眉を寄せ、台詞を止めた。おそらく説明しがたい違和感を感じとったのに違いない。


 どことなくうつろな顔で戻ってきた杏沙に僕は「乱暴だぜ」と、文句を言った。


「あ……うん、ごめん。そうだったかも」


「謝るくらいならやらなきゃいいのに。……で、何が見えたんだい?」


「別に大したものは見えなかったわ。学校の映像とか家族とか。それだけよ」


「ふうん……まあ、一瞬だったらそんな物かな」


 杏沙のぶっきらぼうな態度に引っかかるものを覚えつつ、僕は頷いた。


「もう一人、中を覗きたい奴がいるけど、いいかな」


 僕が出口の方を向いてそう尋ねると、杏沙は「構わないわ」と元の調子で言った。

 

 ――この調子じゃ、木之内の中を『通り抜け』ても、大したものは見えないんだろうな。


 僕は体育館を出ると、木ノ内たちのバンドがいつも練習している講堂へと向かった。

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