第6話 壁抜け少女と謎の侵略者


 幽霊式のウォーキングは思いのほか、スムーズだった。


 足を前後に動かすイメージを頭の中で思い描くだけで、地上十センチくらいの高さに浮いたままどんどん進んでゆくのだ。


 足の裏が地面に触れないのは少々、物足りないけれど、慣れてみると普通の散歩と変わりない。目的の喫茶店に着く頃には、最初は気になった人目もすっかり気にならなくなっていた。


 僕は営業中の札が下がったドアをそのまま通り抜けると、カウンターの前で動きを止めた。僕がドアを開けずに入ってきても、マスターはまるで気づく様子がなかった。


 僕はわくわくしながら以前、美少女が座っていた窓際の席へと向かった。だが、期待に反して席に少女の姿はなく、僕は誰にも聞こえないため息をつくと、少女がいた席に「座る真似」をした。

 

 ――喫茶店に行けば会えるなんて、ちょっと単純すぎたかな。


 僕はどこにも触れない身体を持て余しながら、窓の外を見た。考えてみると外を歩くのだって、律儀に道路を歩かなくてもいいのだ。よその家に飛び込んで近道をしたところで、どうせ見咎められることもない。


 でも、と僕は思った。そうやって勝手にあちこち入り込んだりしたら、元の身体に戻れた時にきっと恥ずかしい思いをするだろう。幽霊も悪くないが、僕はやっぱり生きている身体がいい。そんなことを思っていると、ふと僕の目が表の交差点に釘付けになった。


 ベビーカーを押している若いお母さんの傍らを、赤ん坊の顔を覗きこむようにしながら一人の少女が歩いていた。お母さんは普通に道路の上を歩いていたが、少女は――


 歩道から十センチくらいのところをすべるように移動していた。……そう、あの美少女だった。

 

 ――この店に来るつもりだろうか?仮に来たとして、彼女には僕が見えるだろうか?


 僕がどきどきしながら近づいてくる少女を目で追っていると、やがて少女の脚が空中でぴたりと止まった。お母さんとベビーカーは初めから少女などいないかのようにそのまま窓の外を通り過ぎ、少女は入り口の手前で浮いたままこちらを見ていた。


 どうしよう。入ってきたら、なんて声をかけようか。僕がどぎまぎしていると、少女は入り口に向かわずそのまま通りをこちらに向かって進み始めた。さっきのお母さん同様、通り過ぎてしまうのかなとがっかりした、その時だった。


 窓のすぐ外まで来た少女が立ち止まり、いきなりこちらを向くと、そのまま窓と壁を突き抜けて僕のいる席にやってきたのだった。


「あ……」


 少女は腰から下がテーブルに埋まった状態で僕の方を向くと「そこ、私の席」と言った。


「僕が……見えるの?」


 僕が間の抜けた問いを投げかけると、少女は無言で頷き「とにかくどいて」と言った。


 仕方なく僕が向かい側に行くと、少女はあたかも普通の客のようにテーブルについた。


「ええと……その、君も『幽霊』なのかい?」


 僕は澄ました顔の少女に続けて問いを放った。これ以上、勿体をつけられるのはいやだ。


「まあ幽霊みたいなものね。……その様子だとあなた、自分がどんな状態なのかまだわかっていないのね?……これはチャンスかもしれないわ」


 少女は一方的に意味不明の言葉を連ねると、初めて口元に笑みらしきものを浮かべた。


「何がチャンスなのかわからないけど、目が覚めたらこうなってたんだ。僕は真咲新吾。中学二年だ」


「真咲君、か。私は 七森杏沙ななもりあずさ。あなたと同じ中学生よ」


 少女は僕に向かって自己紹介をすると、ふたたび謎めいた笑みを浮かべた。


「それで、君はいつからこういう状況なの?」


 僕が尋ねると、杏沙はなぜか勿体をつけるように鼻を鳴らした。


「いつから……か。そうね、あなたの言う『幽霊』になって一月、身体を乗っ取られてからは三か月って所かな」


「身体を乗っ取られた?どういうことだい」


「言葉通りよ。侵略者に身体を乗っ取られて、意識だけがこうして幽霊みたいに街の中をさまよってるの」


「侵略者?侵略者って何だい。……それにどうして君は色んなことを知っているんだ?」


「一度に答えるのは無理。まずは……そうね、私が色んなことを知っているのは、まだ身体があった時に父の助手をしていたから。そして侵略者とは……正直、私もよく知らないわ」


「でも侵略者ってことは、どこかよそから来たわけだろ?いったいどこから来たんだい」


「それもわからない。確かなことは奴らがこの街を、そしてゆくゆくはこの国、この星を乗っ取ろうとしているってことだけ。私たちは奴らを『アップデーター』と呼んでいるわ」


「『アップデーター』?」


「そう。人間をアップデートして、違う何かに作り変えようとしている、未知の存在よ」


「違う何かに……」


 杏沙の話は子供が聞いても信じないような、荒唐無稽なSF風のおとぎ話だった。


 ……だが、僕の身に起こったことは紛れもない事実であり、『アップデーター』の話を真顔で僕にしている杏沙もまた、僕と同じ『幽霊』なのだ。


「どこか別の場所で話しましょう。ここは何だか落ち着かないわ」


 杏沙はそう言うと、立ちあがって当たり前のように壁を通り抜けた。僕も続いて壁を抜け、気がつくと杏沙と共に歩道の上に浮いていた。


「どこに行くんだい?どうせ誰にも見えないんだ。どこに行ったって同じだぜ」


「いい場所があるの。新人でしょ?黙ってついてくればいいのよ」


 杏沙は幽霊のくせに僕に先輩風を吹かすと、軽やかな足取りで歩道の上を進み始めた。

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