第5話 僕を殺した僕と、殺された僕
「なんだ、イラスト描いてんじゃなかったのか」
リビングのテーブルでプリンを食べながら舞彩を迎えたのは、兄の理だった。
「新ちゃん、いないみたい。変ね、お昼の時はいたのに」
舞彩はそう言うと、ソファーの上で携帯をいじり始めた。僕がリビングの中を移動しても、二人は気配すら感じていないようだった。
――仮に僕が幽霊だとして、僕は一体、どこで死んでるんだ?
見たところ二人に兄弟の死を嘆いているふしはない。ということは僕は誰も知らないところで事故か何かに遭っていて、魂だけが家に帰ってきたのだろうか。
早く身体を探しに行かなくちゃ、そんな思いに浮足立った、その時だった。
「あ、新ちゃんの声だ」
突然、舞彩がそう言って携帯の画面から顔を上げた。まさか。僕は声を発していないし、発したところで聞こえないのは検証済みだ。
「なんだい、外にいたんじゃないか」
「変だなあ」
兄と妹のやり取りに僕が透明な首をかしげていると、やがてドアが開く音と上がり框に荷物を置く音とが聞こえた。
「ああ、疲れた。まさか買い物中の母さんに出くわすとは……つくづく不覚だったな」
「そのくらい運ぶのが普通でしょ。……冷蔵庫にプリンの残りがあるから、食べていいよ」
玄関から漏れ聞こえてくる会話を聞いた僕は、心臓が止まりそうになった。母さんと喋っているのは……僕だ!
「あ、やばいな。これ新の奴だったか」
兄の理がプリンを食べる手を止め、ばつの悪そうな表情を作った。
「後でアイスかなんか買ってあげれば?新ちゃんの機嫌なんて簡単に治っちゃうって」
勝手なことを言いやがって、そう思いつつ、僕は幽霊であるにもかかわらずそそくさとソファーの後ろに身を潜めた。
「ああ、つかれた……あっ、兄貴、そのプリン……畜生やられたあ」
「悪い悪い、明日アイス買ってやるから、勘弁な」
ソファーの陰から様子をうかがった僕は、信じがたい光景に目をみはった。
テーブルの脇に情けない顔でへたり込んでいるのは、まぎれもなく『僕』だった。
「ちえっ、今日はついてないな。風景でも撮りに行こうと思ったら曇ってくるし、プリンはいつの間にかなくなっちまうし。……ゲームでもして憂さを晴らすかな」
「あ、新ちゃん。できたら二時間くらい、パソコン借りたいんだけど」
「え、今?」
舞彩の一言で完全にノックアウトされた『僕』は、ふらふらと僕の近くまでやって来ると、ソファーに身を沈めた。
僕はすぐ傍にいる『僕』の存在をソファー越しに感じながら、この『僕』はいったい誰なのだろうと訝った。
ソファーの向こうにいる『僕』が本物の僕の身体なら、どうして中身だけが幽霊のように離れているのだろう。ここにいる幽霊の僕と、あの身体を動かしている『僕』が同じ僕だとはどうにも信じられない。
だとすれば、今帰ってきた僕は『偽物』の僕ということになる。本物の僕はどこかで死んでいて、魂だけがここにいると考えた方がしっくりくるのだ。
――ということは、あいつが僕を殺した?
僕は呑気にくつろいでいるソファーの向こうの『僕』に、戦慄を覚えた。あいつが僕を殺し、整形手術か何かで僕に成りすましているとしたら、いったいなんのために?
幽霊の僕は、殺された無念を晴らそうとして家に戻ってきたのか?わからないことだらけだった。
――だめだ、いったん外に出て考えを整理しなくちゃ。
ぼくはそっとソファーの陰から出ると、そのまま壁に向かって進んでいった。
ベッドを離れてからここまで、僕は一度もドアを開けていない。もしかしたら。
ぶつかるのではないか、と淡い期待をしつつ壁に突進した僕は、ふと気づくと母が丹精している小さな庭の中にいた。
やはり駄目か。結局僕は人と物とも触れ合えないまま、幽霊として生きて行かざるをえないのだ。しかも自殺しようにも、そもそも僕はすでにこの世にいない。
絶望で一杯になった僕の頭に、その時ふと突拍子もない考えがよぎった。
――あの喫茶店で見かけた女の子。あの子も幽霊なんだとしたら幽霊同志、話すくらいはできるんじゃないか?
現金なことにこのアイディアを思いついた途端、萎えかけた僕の気持ちは急に元気を取り戻し始めた。美少女とお友達になれるなら、幽霊って奴もそう悪くないかもしれない。
僕はそう呟くとやっと慣れ始めた『幽霊歩き』で塀を突き抜け、一直線に喫茶店のある方角を目指し始めた。
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