漢字のなんで?
君がえんぴつでノートに文字を書いている。
わたしはその横でパソコンに文字を打つ。
君がえんぴつを置いて、聞いてくる。
「ねぇねぇなんで?」
「今日はなにが聞きたいの?」
君は握ったえんぴつでノートに連なった文字を差し示してこう聞く。
「どうしてかんじはむずかしいの?」
わたしは乗り出して君のノートを覗き込む。何度も何度も書き連ねた字はだんだんとそのバランスを崩していることに無頓着のようだった。
「漢字は難しい?」
「うん!むずかしいし、おもしろくない!」
わたしは昔を思い出し、君に頷き返す。
「そうだね、難しいよね」
「むずかしいし、つまんない!なんでかんじなんてあるの?」
わたしは君の目を覗く。
君は怒られるとでも思ったのか、少し肩を縮こませた。
わたしは天井の照明に答えを求めるように視線を向けた。
すると君もつられて視線を上げたので、わたしはそんな君の疑問にこたえる。
「漢字はね、むかしから届いたタイムカプセルなんだよ」
「タイムカプセル?」
君はわたしの言葉を繰り返す。タイムカプセルという言葉ははじめて聞いたのかな。そうかもしれない。
「タイムカプセルというのはね、大切なものを未来に送るためのいれもののことだよ」
「たいせつなもの?」
「そうだよ。君にもあるだろう?それを残すためのものだよ」
「かんじがいれもの?かんじは、文字だよ?」
君は語調を強めて聞き返す。
「そうだね、漢字は文字。いれものじゃない。でもね、そこにはなくても君のなかに、その大切なものが入っているんだ。それは発見だよ」
「発見?」
「そう、漢字は発見を伝えるためのタイムカプセルなんだよ」
君はえんぴつでノートに線を引きながら考えている。
わたしは席を移動し、君の隣に座ると君の筆箱からえんぴつを借りる。
君が怒るとこわいからわたしは自身の持つ紙切れをたぐり寄せ、そこに「大」という字を書いた。
「これはなんていう字?」
君はその紙切れを見ると、こちらに顔を向けて自信満々に
「おおきい!」
と、答えてみせた。まるで世界を変える発見でもしたみたいに。
「そうだね。これは大きいという意味の漢字だね」
得意顔な君にわたしはもう一つ質問を投げかける。
「じゃあ、大きいってどういうこと?」
君は不安そうな不思議そうな顔を見せてから、その情景を思い浮かべるように真正面の壁や机を見つめる。わたしは質問が悪かったと反省し、大きいものを思い浮かべて、と言った。
「えっと、バスに、学校!それと、カブトムシ!それととなりのジョン」
君は君の思う大きなものをあげてくれた。まだ小さな君には成犬のゴールデンレトリバーも大きく感じるのだな。わたしはひとりそう感慨にふけっていた。
「そう、バスも学校も、それにお隣のジョンも大きいね」
「うん!おおきい!」
君はその声でいかに大きいかを表したいみたいに部屋に響くおおきな声で反応した。
「そんな『大きい』という気持ちはどうやってここまで繋がったんだろうね?」
わたしは君に問いかける。それがたとえ理解できないことだとしても。
案の定、君はぽけっとした表情を浮かべる。だからわたしはゆっくり続ける。君がわかるように。
「もし大きいものを『小さい』と言って。小さいものを『大きい』と言ったら、今みたいにはならなかったんだよ。どうかな?」
わたしは目の前の紙に大きな円と小さな円を描き、それぞれに吹き出しで小さいと大きいと書いて見せた。
それを見た君は目を疑ったように紙を凝視すると、こちらに向かって吠えた。
「おかしい。変だよ!!こっちが大きいだし、こっちは小さいだよ。間違ってるよ!」
「そうだね、これはおかしいよね。君もぼくもこれが大きくてこっちが小さいって思うね。これはぼくたちが生まれるよりもずっと前から変わっていないんだよ。だから、ぼくたちはバスや学校を見て大きいって言えるんだ」
わたしは書いた文字に斜線を引き、それぞれ大きいと小さいに訂正するとその下に長い長い線を引いた。その二本の線は途中で一本にまとまると最後、一点に止まった。
「これが言葉の始まりだよ。ここで生まれた言葉やその意味が今も使われ続けているんだ」
わたしがこの話を想像した時にはその当たり前に隠れた神秘に鳥肌の一つも立ったものだが、君には早すぎたようだ。
「これが昔の人が生んだ宝物。そしてこれを伝えるために出来た入れ物が漢字なんだよ」
そろそろ集中が切れそうな君の顔を見てわたしは本題へと入ることにした。
「この話はちょっと難しかったかな。じゃあ、最後に漢字を見るのが面白くなるコツを教えてあげよう」
「な~に?コツって」
「漢字はね、昔の人が目に見えるものをそのまま形にしたものも多いんだ。だから、ぼくたちも漢字を目に見えるなにかに変えちゃうのはどうかな?」
そう言ってわたしは、目の前の紙に新たに大きいという字と小さいという字を並べて書いた。ただし、大きく見えやすいように。
それを見て君はなにかが始まると感じたのか、身を乗り出してその二文字に注目した。
わたしはそれからちょっとした遊びを披露する。
「この大きいという字を目で見ても大きいと分かるようにしてみるよ。まずこの横棒の下、左右にはらう二本の線を囲むような曲線を描くよ。これは・・・お山だ。緑がいっぱいのきれいな山だね。そしてこれが山なら、この横棒は真っ白な雲だ。もく・・もく・・と線を描いて、と。どう?大きな山が見えるでしょ?」
わたしは手を広げてそのイラストのようなものを披露してみせる。
それに対して君は
「でも、このいちばん上のは?なにになるの?」
と鋭い指摘をしてくれた。
わたしはそれにこたえるように、するするとえんぴつを走らせ雲の真上に大きな円を描き、そこに眠っている時のような表情を描き足した。そして最後にその横に長さの微妙にことなる細長いお山を描いた。君にはこの絵の意味する大きさというのは理解できないかもしれない。それでもいいだろう。
「なにこれ。おかおみたい・・・」
「そうだよ、これはねお釈迦さまという神さまだよ」
「かみさま?かみさまはこんなに大きいの?」
「そうだね、きっとこんなお山なんかよりももっともっと大きいと思うよ」
「へぇ~」
単調な君の反応に反して君の視線はわたしの描いた絵を離れようとしない。わたしは君が興味を持ってくれたものと信じて、小さいという感じにも手を加える。
「それと比べると、ぼくたち人間は小さいね。ほら、真ん中の棒が木だとしたらこの横の点は寄りかかった人みたいだ。昔の人たちはこうやって漢字を作ったのかもしれないね」
わたしが言い終わるかどうかというタイミングで君はほかには!?とせがんできた。わたしはそんな君に残念な表情を見せ、
「ここからは君自身で想像してごらん。そうしたら漢字に秘められた発見を感じとれるかもしれないからね」
と言って握っていたえんぴつを君の前に置いた。
君がそれを握ってノートのページをめくり始めたのを確認してから、わたしは元居た席につき、止まっていた作業の続きをはじめた。
最後に言い聞かせるように一言加えておく。
「想像のし過ぎで宿題を忘れちゃあダメだぞ?」
君はもうノートに漢字を書きはじめていたが、その字が前よりきれいにまとまっているのを見てわたしは、それ以上口をはさむことはしなかった。
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