夢世界への応援コメント
はじめまして。
幻想の里、怪奇の里へのご参加ありがとうございます。
怖くて、切ない残酷さが印象的でした。
いかにも掌篇らしく、鋭い充実感があります。
複層的な視点の衝突が幻想的でした。
と同時に、何か未解決な、割り切れないものも感じます。
たとえば、「生まれた時に死んだ。写真も一枚もない。叔父に命じられた父が、全部燃やしてしまったからだ。」というのは「私」の夢の中での出来事に過ぎないはずなのに、母親にとっての事実でもあるかのような扱いをされるため、互いの夢からは独立した客観的な第三の世界の存在が意識されて幾分目障りな気がします。
また、母親側の世界から「私」の悪夢を見降ろしている語り方になっていますが、見降ろし感のない方が、より幻想性が生きるのではないかと思いました。
作者からの返信
お読み頂きありがとうございます。
ご意見を頂いた件につきまして、下のバタフライ様宛ての返信文にて、背景説明をしております。
お時間がありましたら、ご覧下さいませ。
夢世界への応援コメント
反出生主義の本棚の企画から来ました。
内容はなかなかにホラーでしたが、都市伝説にありそうなぞくりとする怖さでいいですね。
唯一残念なのはどのあたりに反出生主義があるのか読み取りにくかったことでしょうか?
生まれてこない方がよかった、もしくは生まなかった方がよかったという暗喩としての小説なのでしょうか?
作者からの返信
お読み頂きありがとうございます。
生まれてこない方がよかったという暗喩です。
私個人の考えとして、人間はこの世に生まれない方が幸せだと考えています。
この母子は、互いを愛してはいますが、向いている愛の方向がずれており、特に母親がそれに気づいていない状態です。
生まれてしまったがゆえに、人特有の理性と感性が織りなす幻想の袋小路に入り込み、愛しているのに永遠に分かり合えない存在になり果てた二人の悲しみを描きました。
夢世界への応援コメント
初めまして、まずは企画参加ありがとうございます。
さて、まずはテーマについてですが、テーマは「悪夢の定義の再考」との事でした。
SSに関しては私自身、分からない事が多い為、とやかく言えた立場では無いのですが、この1000文字足らずでここまで世界観を膨らませれるのかと驚きの余りです。
テーマについても、悪夢とは何なのか。その定義をまた、再考するとして果たして何を伝えたいのか。そこを重視させて頂きました。
さて、人の潜在意識というものは、異様な物まで捉えてしまいがちです。
この作品には、語り手 子供 母親 の3人が登場します(父親のシーンもありますが、登場はしていないので作中人物のみに絞っての話です)
語り手は子供の夢を操る事が出来、そして子供はそれを望んでいる様子がうかがえます。
この時、違和感に感じたのが 語り手が また という表現を使っていると言う事。
つまるところ、この夢を再考している節が見えます。
そして、子供はまたそれを望む。悪夢だとしても、尚止める事が出来ないのはきっと、最悪な悪夢だとしても何かのキッカケを機に変えられるのではないのでしょうか?
というのも薄れゆく意識の中、子供は、自分の顔を見てと望んでいます。
このことから、見た事による結果が違うとも推察出来ます。
ただ、これはあくまで一つの観点からの話です。
というのも、これ語り手が母親だった場合、中身がガラリと変わってしまうのです。
母親だった場合、まず登場人物は2名となり、そして最後のセリフの意図にも母親が言った事による違和感が生じます。
コレ以上は長くなってしまう為、書きませんが。
果たして、どっちが本当の悪夢なのでしょうか?
私はそう感じました。良い作品、ありがとうございます。
以上です。企画参加ありがとうございます。
作者からの返信
バタフライ様
丁寧にお読み頂き恐縮です。
ご質問について、以下の通り回答致します。
まず、この語り手は母親です。
語り手の母親は本当の神ではないので、子供の夢を操ることは出来ません。ですが、この世に残して来た子供に未練があるので、我が子の頭上で寝転がり、頬杖をついて常にその言動を観察しています。
子供も自分に未練があることを、彼女は確信しています。「あら、また、これにするの?これがいいのね。」という言葉は、また予想通り私に会う夢を選んだ、この子も私に未練があるのだ、という無邪気な喜びを表現しています。
子供が眠る時、頭上の彼女も一緒に眠ります。語られている夢は二人が紡いでいるものです。
子供はこの夢を見るのが苦痛ですが、自分の絶望している顔を母が直視することで優しい母に戻ってくれると信じています。だからこの夢は辛いけれども何度でも見たい夢です。現に最初のうちは、優しい母と出会えますし、自分の行動次第で夢の結末を変えられると子供は信じています。
私の顔を見てというのは、人間の目で顔を見て、人間らしい母性を取り戻して、という意味です。
ただこの母親は子供の思惑を察した上で、それを承知の上で同じことを繰り返しているので、子供の願いは絶対に叶いません。
彼女は彼女なりの母性を持っているのですが、それはとても利己的なものです。
それはもはや人間の母性ですらありませんが、彼女はそれを子供を愛するがゆえのただの激情の発露だと思っていて、それが分からない子供のことをまだまだ青い私の「かわいい坊や」だと考えています。つまり彼女は子供恋しさで既に狂ってしまっているのです。
テーマである悪夢の定義の再考をするにあたり、悪夢を悪夢と感じさせるものは果たして何かということから考えました。
夢には一般的な悪夢の要素を意識的に入れていますが、この夢の当事者達はこの夢を悪夢だとは思っていません。(子供は意識的に思わないようにしています。)
でも客観的に見た側からすると、これは悪夢以外の何物でもありません。
このパラドックスに面白さを見出して頂ければと思いました。
自分で自分の作品の解説をするのは苦手ですが、作品に込めた意図は上記の通りです。
これからも文章力を磨いていきたいと思います。
夢世界への応援コメント
『WEB小説じゃない小説…』企画に参加いただきありがとうございます。
猟奇的なのにちゃんと夢のようにふわふわした感覚を味わえる不思議な作品でした。
夢世界への応援コメント
ぼっちが主人公の作品が読みたい企画からたかぴーです!
読むのが遅くなり申し訳ないです。
さて、一気に読ませていただきましたが、子を愛する親のすさまじさ(もはや狂気ともとれる)が心に刺さりました。
そして、そんな狂気に染まった親に、夢の中で何回も会いに行く子の孤独感も感じました。
ホラーチックながら、非常に味のある作品で、とても面白かったです!
最後になりますが、ぼっちが主人公の作品が読みたい企画への参加ありがとうございます。他の同企画参加作品もぜひお読みいただければ幸いです。