「え、美幸が課題忘れるとか、まじか。今日雪降るんかな」

「三月ならまだ降ってもおかしくないよさっちん」

 昨日、帰ってからひとしきり泣いていたら見事に今年最後の課題の存在を忘れた。

 たまに、幸のことを考えると、涙が出ることがある。なんとも言えないね、難しくてわかんない。わかんないことばっかりで、自分馬鹿だなぁとか、幸の手を触ってみたいな、とか、そんな自分が嫌だな、とか色々な気持ちを凝縮して、涙にして流してる。たまにそうしないと、幸の顔見るのも辛くなっちゃうんだ。

 と、いうわけで今日は居残りが確定した。生物は講義の進みがゆっくりな気がしていたら、案の定三月になってから課題の嵐がやってきた。勘弁してほしい。

「んまーさっちん、そういうわけだから、先帰ってていいよん」

「えー美幸いないとつまらないよー」

「自立しなさい自立を」

 待たせるのも悪いのでそう言って幸を送り出し、一息ついた。プリントをざっと見る。この程度ならすぐ終わりそう。

 いつもみんなといる教室に一人。

 シャーペンが紙を挟んで机にぶつかる音だけが、西日のきつい教室の中に生を与えてる感じ。一人でいる教室ってほとんど経験無いけど、不思議な感覚がするものなんだな。

 プリントは二十分程度で終わった。

 鞄から紅茶の入ったマグを取り出し、水分補給。あとは教務室にいる生物教師にプリントを提出すれば、本当に終わりだ。

 そこで、教室の戸が開けられた。少し驚きながら戸の開いた後方を見やると、七森さんが立っていた。

「あ、森崎さん。珍しい」

「七森さん?」

「あーうん、転校の手続きの説明? みたいなのを聞いててさ」

「そっかそっか、お疲れ様、だね」

 七森さんは何気なく私の正面の席に腰かけた。

「ん? 七森さん、時間大丈夫なの?」

「うん。森崎さんが良かったら、少しお話しない?」

「いいよん!」

 私は身を乗り出して七森さんの提案に乗った。七森さんとはもう少しでお別れだけど、仲良くなりたいなと思わせるものを感じていた。

「森崎さんと伊吹さんってずっと友達だったの?」

「うーん、中二の時同じクラスになってさ、名前がどっちも『幸』が入ってるねって話から仲良くなったんだー」

「そうなんだ! それで同じ高校にも行って、ってすごいなぁ、本当に相性がいいんだろうね」

「そうなのかなぁ」

 相性がいい、という七森さんの言葉に、私は首を傾げた。友達として相性はいいかもわからないけど、でも私は幸を純粋に友人として見ていない部分があったから、とてもそうとは思えなかった。

 難しい顔をする私を見て、七森さんは指先を見つめるように俯いた。

「私は、二人が羨ましいんだー。なんか、心の根っこのところから繋がってる気がしてさ。私は、そういう風には、なれないから」

 七森さんがあまりにも悲しそうな顔をするから、自分の中の些細な疑問など引っ込んでしまった。

「そんなこと言わないでよ。七森さんは優しいし、愛想いいし、転校先でもいい友達見つけられるって」

「ううん、違うの」

 首を横に振る。そして、私の目を見る。

「これは、森崎さんだけに言うんだけどね」

「うん?」

 泣きそうな顔。

「私、女の子を好きになっちゃう、女の子なんだ」

「…………」

 頭の後ろをトンカチで叩かれたような、衝撃が走った。

「だから、友達作ってもね。好きになっちゃダメってブレーキ掛けるから、心の底から友達と友達でいられないの」

「……なんで」

「森崎さんと仲良くなりたいけど、声、かけられなかったんだ。好きに、なっちゃってたから」

 頭が真っ白になってしまって、上手に言葉が出てこない。なんとか、言葉を絞り出したい。

 目の前で勇気を出して告白してくれている七森さんに、言葉を。彼女になら多分、言っていいのだろう。私の今までのヨコシマな気持ち。幸を、そういう目で見てしまう自分への罪悪感。彼女なら、わかってくれるのだろう。でもこんなこと、誰にも言ったこと無くて、何から言葉にしたらいいのかわからない。

 私はしどろもどろになりながら、七森さんの目を見て、消えては浮かんでくる思いをつまみあげながら、ゆっくり言葉を組み立てていった。

「こんな形で、私たちが喋ることになっちゃったのは、私はちょっと、いや、かなり悲しい……私、七森さんと、仲良くなりたいって思ってた」

 七森さんが鼻をすする音が聞こえる。

「ちょっと違う出会い方をしてれば、私たちは、最高のパートナーに、なれてたかもしれない……なんでなんだろ。うまくいかないね……」

 深呼吸をする。

「私、幸が好きなんだ。うん、その……本当に好きなの。幸は多分私のことそういう風に見てない。叶わない恋なんだ。でも、どうしようもなく、幸が好きなの。だから、ごめん」

 七森さんは涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、机の上で震えている私の手を握ってくれた。私はその温かさに意味もわからず目頭が熱くなってきた。

 七森さんは辛いだろうに、笑顔を作った。

「こんな近くにいたんだね。分かり合える、人が」

「七森さん……」

「今までありがとう、森崎さん」

 七森さんは立ち上がり、涙を袖で拭いながら、私の席を離れた。

「来週の土曜日、学園前駅、朝九時三十二分に、ここを出るんだ」

「見送り、行かせて」

 私たちの関係はよくわからないけど、七森さんに感謝の気持ちを伝えたいのは確固とした気持ちとしてあった。七森さんはもうスッキリした笑顔だ。

「伊吹さんと、最後に顔見せてね」

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