第32話 クリームパスタ

 朝目覚めると、そこにターニャはいなかった。

 俺は寝ぼけ眼のままでボーッと窓から外を眺めていると、ドタバタ騒がしい音が聞こえてくる。


 バーンと扉が開かれ、中に入って来たのはケイトだった。


「アレン」

「ど、どうした?」


 少し焦っている様子に俺は驚き、一瞬で眠気が飛ぶ。

 ケイトが焦るなんて中々ないというのに、何があったんだ?


「良かった……無事みたいだな」

「え?」


 ケイトは俺に駆け寄り、ギュッと抱きしめる。

 力強さに苦しみを覚えるが、それ以上に幸せだった。

 あいもからわず柔らかい……


「ターニャにさらわれたと聞いてね……何事も無いようで良かったよ」

「さらわれたって、大袈裟な」

「あいつのことだから、お前をはく製にでもして部屋に飾っているんじゃないかと思ってな」

「君はターニャのことをなんだと思ってるんだよ? 普通の女の子だと思うよ?」


 普通は言い過ぎた。

 ちょっと暴走するけど、思考回路は普通寄りのはず。

 俺をはく製にして眺めるとか、そんな変態じみた趣味は無い……はず。

 少し背中がブルブルするが、無いはずだ。


「あいつからは危険な香りがする。尋常じゃない何か……恐怖を感じるよ」

「だからターニャをなんだと思ってるんだよっ」

「……異常者?」

「否定はできない! まぁ悪い子じゃないから、仲良くやってくれよ」

「それは……無理な相談だな」

「なんで?」

「犬と猿が仲良くできると思うか?」

「なんでそんなに争う気まんまんなの? 友好関係を築く気はゼロですか」

「なんだろうな……あいつとだけじゃなくて、他の誰とも仲良くなれる気が全くしないんだが」

「ケイトはもう少しコミュニケーション能力を高める努力をしよう」


 ケイトは「ごめんだね」と言わんばかりに鼻をならして笑う。

 

「アレン~おはよう! って、ここで何してんの!」

「何って……人命救助?」

「だ、誰が危険に晒されてるの!?」

「アレン」


 ターニャは手に持っていたものをテーブルに置き、ドドドッと俺の下まで走って来る。


「どうしたの、アレン!?」

「い、いや、別に何も無いけど……」

「だって、ケイトが人命救助だって……」

「お前という危険から助けに来たんだよ」

「……は、はぁっ!? 意味わかんないしっ!」


 ケイトの言葉の意味を理解したターニャは俺を取り上げ、プンプンしながらテーブル席につく。


「私とアレンは今から朝食だから、出てってよっ」

「お前が出て行けばいいじゃないか」

「な・ん・で・自分の部屋を出ていかなきゃならないのよっ! 出て行くのはあんたよ」

「……ふん」


 ケイトは腕を組みながら、ターニャの向かいの席にドンと座る。

 ターニャは一瞬彼女を睨むが、無視するように俺に笑顔を向けた。


「アレン~。アレンが好きなクリームパスタ。腕によりをかけて作ってきたよっ」

「おおっ! それは嬉しい!」

「はっ?」


 ケイトはターニャをギロッと睨む。

 だがターニャは「ふっふーん」と勝ち誇った顔で胸を張るばかりだ。


「ま、幼馴染だし? アレンの好きな物はちゃーんと把握できてるわよ。それに私は料理が得意だしね」

「うんうん。ターニャは料理が上手いもんな」

「…………」


 ケイトは黙ったまま、ズカズカと部屋を出て行ってしまった。

 ターニャはそのケイトの背中にべーっと舌を出す。


 俺をテーブルに置くと、ターニャはくるくるとフォークでパスタを集め、上品にスプーンに乗せる。


「あーん」

「あーん」


 目の前に突き出されたパスタから漂ういい香り。

 俺はそれをパクリと口にする。


 美味!

 美味過ぎるっ!

 

 濃厚なクリームと、絶妙な茹で加減のパスタ。

 こんなの美味しくないわけがない!


 その後も甲斐甲斐しく、パスタを口に運んでくれるターニャ。 

 幸せなのは俺の方のはずなのだが、彼女も幸せそうな顔をしていた。


「ね、美味しかった?」

「美味しかった! 最高だったよ」

「やった! じゃあ、クリームパスタ、毎日作っちゃおうかなっ」

「それは嬉しいなー。クリームパスタなら毎日でも食べれるよ」

「そう? ふーん……ふふふっ」


 だからなんでそんなに幸せそうな顔してんだよ。

 俺は口周りについたクリームを肉球で拭き取りながら、ターニャのそんな顔を見ていた。

 

 その時だった。


 また扉がバーンと開かれ、ケイトが何かを片手に部屋へと入ってきた。


 ジロリとケイトを見るターニャ。


「何しに来たのよ?」

「別に? アレンと朝食をしに来ただけだよ」

「残念でしたっ。アレンはもう食べ終わったわよ」

「ふーん……ねえアレン。私もクリームパスタを作ってきたのだけれど、どう?」

「食べるっ!」


 ターニャはムッとしてケイトに視線を送っていたが、ケイトはそれを無視するようにテーブル席に着く。


 と言うか、クリームパスタならいくらでも食べれるから、俺としては嬉しい限りなのである。


 俺はじゅるりと唾液を啜りながらケイトのクリームパスタに視線を落とす。


「……何それ?」


 ターニャが青い顔でケイトのクリームパスタを見ている。

 俺も目が点になり、思ったことを口にした。


「……イカ墨パスタ?」

「何がイカが排出する粘液で作ったパスタだ。違う。これはクリームパスタだよ」

「……いや、違うでしょ」

「違わないよ。ほら、あーん」


 フォークに絡めた真っ黒なパスタを俺の目の前に差し出すケイト。

 いや、見た目は独特だが、味には問題ないのかも知れない。

 一応クリームパスタを謳っているんだ。マズくはないだろう。


 そう考えた俺はそれを勢いよく口に含む。


 そして――


 勢いよくバターンとその場で気絶してしまった。


「……どうしたアレン?」

「アレン? アレンっ!?」


 彼女たちの心配する声が遠くに聞こえてくる。

 俺は眠りから覚めたばかりだったというのに、意図せずして二度目の眠りにつくこととなった。

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