第4話 現実

「はい、終わり」

 その声は聴くのは五回目だった。五教科目の英語の小テストはモナカさんの手元に引き寄せられわたしは名残惜しくもなかったので、手元からの別れに涙も出ない。

 テストは経過ではなく結果がすべてだ。ということでそれぞれのダイジェストは省くことにする。

説明するほどわたしは悩みも苦悩もせずホイホイと空所を埋めていった。その行動はわたしにとっての良いことの兆候か、はたまた考えなしに解いたことの表れかはモナカさんに採点してもらっているのでもうすぐ全貌を表すだろう。

 西側窓に見えていたオレンジ色の空はいつの間にか何もかもを飲み込む闇に変わっていた。まだ一月。外は冬なのだ。モナカさんはこんな遅くに家に帰って大丈夫なのだろうか。なんたって同い年の女の子なのだから、変質者とかにあったらそれこそ大事件。

 でもその心配をさらに深める前にモナカさんの「終わった」という言葉で思考ストップ。それは果たして、わたしの点数がオワッタということなのかな。だとしたらモナカさんにはこれから苦労をかけることになるので最初に詫びを入れておこう。

 よろしくお願いします。

 詫びじゃなかった。しょうがない。

「できたの?」

「とりあえず、こっちに来てくれる?」

「オッケー」

 わたしは回転もできるコロコロ椅子から降りて座布団なしの床に座る。ちべたいよーと、足が訴えたりはしない。なぜならカーペットがあるから。でもくすぐったい。暖かさとくすぐったさを運ぶカーペットはわたしが点数に絶望しても優しく包み込んでくれることだろう。

「じゃあ、まず国語からね。」

「ほい。」

 先ほどは残り五分で二問を残し、片方は慣用句の問題。『目から( )が落ちる』のかっこに(玉)が落ちると書いた。理由は驚いたときに目が飛び出るネコのアニメをこの前見たから。あのアニメのネズミかしこすぎると評価しておいた。

 もう片方は『筆者の考えを書きなさい』と書いていて短い文章題とにらめっこしつつ、脳に糖分が足りなくなったので『甘いものが食べたい』と書いておいた。このおふざけはマイナスになるかなー。

 やばい点なのは覚悟の上で返される答案を見る。モナカさんの眼が少し怖く感じるのは気のせいかな。苦笑いしているのが分かるよ。うん。

「あれ、六点?」

「十五点中ね。」

「やった!」

 素直にうれしいぞ。十五点中六点ってことは半分に近い数字を取ったってことだ。わたしの言葉に困惑している様子のモナカさんが視界に入ってきたのでこちらも同じく困惑顔で返してみる。

「なんでやった?」

「だっていつもより高いくらいだと思うから。」

 なんとなく自覚はあるさ。こんなんで喜んでいたら馬鹿だなって自覚は。でもさ、いつも国語は百点中三十点取れるかどうかなのだ。わたしにはこれくらいの点でも素直にうれしくなるのだが、モナカさんにとっては普通ではないのかもしれない。

「次、数学返すよ。」

「数学は自信ないな。」

「ん。はいこれ。」

「ほーい。」

 やはり数学は十五点中二点。半分以上は埋めているのにな。あちゃー、しくじったな。ここは代入するんだった。うんうん。テスト用紙は読み上げても理解出来ないのでこれで勘弁してほしい。

「じゃ、次理科ね。」

「はい。」

 おや十五点中五点。なかなかだな。まあまあと言うべきか。虫の体のつくりは『頭』『胴体』『お腹』ではないのが悔しい。ありんこは私より『胸』ないんだな。まず性別の判別不可能。

 その後社会も英語もなかなかの点だったので(わたし基準)説明は割愛する。

 ではモナカせんせーの講評を聞いてみようか。わたしは若干渋いものをかんだような顔をしているモナカさんの目を見て待機する。

「……ん?」

「どうでしたか? せんせー」

「えっとね。だいぶヤバいと、思われます。」

「どのくらいでしょうか?」

「このままいくと特進学級には程遠いレベル。」

「そんな~」へたへたとちゃぶ台の半分、わたしの陣地に倒れこむ。そういえばモナカさんには特進学級に上がりたいと言っていたかな。多分あれだ。母経由で伝えられていたんだろう。そのための家庭教師だったからね。

 ちゃぶ台のひんやり感を頬で感じつつ、わたしは勉強と自分自身の物思いに耽ってみる。

 わたしはいつから勉強に熱を燃やさなくなったのだろうか。冬の寒さに弊害されたわけではない。小学生の頃のわたしはテスト百点を何度も持って帰っていた気がする。その度に母からもらった百円を握りしめ近くの駄菓子屋に走ったものだ。特にあのピンク色の餅みたいなやつがお気に入りだった。味は甘酸っぱいサクランボ。すっと抜けていく感じの味わいはその頃の記憶に似ている気がした。今ではよく思いだせないことも多々。

 中学に上がってからはそれなりの順位を保って、高校に上がるまでの下積みとして頑張ってきたのだ。中学はただただ忙しかったと思う。肉体的にはそこまでなかったが思春期特有の気だるさや世の中への反抗のせめぎあいが精神面を削っていったのだ。

 そして高校に至るわけで楽は覚えると続くのだ。

 長い長い下り坂を自転車で下るような、流れるプールに浮き輪で浮かんでいるような、追い風に背中を押されるような、そういう流れには抗えず結果大衆の片割れとして身をひそめる。そうすれば自分は社会の一部にいるような気になって成績や人間関係うんぬんを忘れられる。

 でもそれには代償もあって、いつか返さなければいけない利子へと変貌する。みんなの流れに流されるのではなく、本流を押して進むか新たな道を切り開いた者にのみ未来は約束される。自然の摂理であり、社会の最低条件。その上限にすら届かない者は置いて行かれる。だから人間は抗うのだ。

 そしてわたしも。

 閑話休題。

 冷たく冷えたちゃぶ台に回転させた脳を休ませてもらい、わたしは再起動する。顔を上げると数センチのところにぼやけた輪郭のモナカせんせーがいた。伏せの態勢のせいで目の焦点がずれたようだ。瞬きを数回して、基準値に戻す。そう、目の前のモナカせんせーこそが本流で、わたしはいわば追いかけるまだ大河の一滴なのだ。これからモナカせんせーから少しずつ水を分けてもらい、その重さを動力とし、わたしも大河へと生まれ変わる。そのためにするべきことは一つだ。

「真中せんせー。」

「はい?」

「これからよろしくね。」

 それがわたしの、いや正確には二人三脚の私たちのスタート地点に立った瞬間だった。

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