第二十七章 捜査官が消えた
仕事を定時に終わらせ、ジョージは帰路についた。
向かう先はアリスンが入院している病院。
車を停め、病室に向かう。
するとその部屋の扉には「面会拒否」の札が掛かっていた。
自分がこの部屋を離れる時、終業後に再び来ることは伝えてあった。なのに、面会拒否?
おかしいと思い、ナースセンターに寄って話を聞いてみる。
すると……。
「しばらく一人になりたいからと言われて、面会拒否の札を下げましたが……」
嫌な予感がした。
アリスン!
看護師にも同席してもらい、部屋の扉を開けた。
そこには……。
誰もいなかった。
整えられたベッドときれいに畳まれた病衣服があるだけだった。
「そんな!」
看護師にも手伝ってもらい、トイレや休憩室など隅から隅まで探した。だが見つからなかった。
病院側の管理ミスかと思ったのだが、それは違った。
アリスンはちゃんと会計で、今回の入院費等の支払いは済ませていて、自主退院の手続きも取っていたのだ。たまたま確認を取った看護師は、その情報が入った時休憩室に居てうまく引継ぎされていなかったとのこと。つまり、病院側に落ち度はない。アリスンは自主的に姿を消したことになる。
「どうして……」
そう思ったときに、彼女の言葉が浮かんできた。
――私は、醜い。汚い。
そう言った。なぜそんなことを言ったのだろう。理由が思い浮かばなかった。
とにかく彼女を探す方が先だ。
ジョージはアリスンの通信機に連絡した。
だが、出ない。
彼女は秘書という立場上、通信にはいつも出られるようにしていた。
それだけではない。
通信機からは「現在使われておりません」のアナウンスが流れるのだ。
おかしい。絶対おかしい。
ひとまず、彼女が向かうのはマンションだと考え、車に乗り込むとアリスンが居るであろうと思われるマンションへと向かった。
クリスは自分が卑怯だということは十分承知していた。
「アリスン」という存在を、この地からどのように消すか。そのことも悩んでいたのは事実だ。
だが、これでよかったのかもしれないと、そう思う。
切欠がなければずるずると関係を続けていたのかもしれない。
もっと最悪な状況になっていたことも考えられるのだ。
むしろ自分が倒れただけで済んだのは良かもしれないと、そう思った。
今、クリスはファランドのユニットの指揮所に居た。
このチームの仕事はグッズモンドでの新薬開発戦争の解明だった。
その件の結末がもうそこに見えている。
この一件からは手を引き、ビューのユニットに合流させるべきだと、クリスはそう考えていた。
ファランドの表情が険しい。
そうさせているのは自分だとも自覚していたが、敢えて触れることはしなかった。
いつもは陽気で口数が多くおネエ言葉の司令補が、今日はおとなしい。
そう感じているユニットメンバーは多いはずだが、クリスが居ることもあり、目立って騒ぎ立てるものもいなかった。
「特許庁の関係者のリストは出たか?」
クリスはユニットメンバーに声をかける。
「いま情報をこじ開けています」
情報担当官の声だった。
「頼むぞ」
その言葉に、ユニットメンバー総出で情報を集めた。
「おそらく贈収賄が絡んでいる。出納・収支報告やバックグラウンドの調査も忘れずに頼む」
「了解」
クリスが引っ張り、ファランドが叩き上げたユニットは順調に捜査を進めていた。
ビューのユニットも負けずに仕事に励んでいた。が……。
捜査員たちは極寒の地にいるような寒さを感じていた。
冷気の元は、自分たちの司令補である。
いったい何があった?
そう思うものの、問いただせるような強者は居ない。
唯々、冷風に耐えていたのである。
そんな時、ビューに通信が入った。
「何だ」
ビューが通信に出ると、映像ではなく文章が送られてきていた。
このマンションの管理人を任せている捜査官が連絡してきたものだった。
それに素早く目を通した。
内容はというと……。
ファーガソン氏が管理室に訪れているという。
クリスの部屋を訪れても返答がない、部屋の内部を確認させてほしいとのこと。
管理人としては個人のプライベートに当たると拒否。
もし個人が倒れていたらどうするんだ、家賃は自分の会社が払っていると相手は主張。
押し問答の末、会社に連絡を取ると言って、窓口に待たせている。
音声を聞き取られると困るため、文章にして用件を送付したとのこと。
文章にして送信してきたのは正解だと思う。よく気が回ったものだ。
ビューとしては、クリスは部屋におらず、しばらく戻らないこと、いや、もう戻る気がないことはわかっていた。大雑把にまとめていた荷物を部屋から運び出すよう指示をしていたのは彼女本人だ。細々とした部屋に置いていたものは、片っ端から箱に放り込んでいたと聞く。もう、彼女をにおわせるものは存在しないのであろう。
そこで、クリスの部屋に入ることを許可したのであった。
ジョージは管理人のマスターキーを使って、管理人立会いのもとアリスンの部屋に入った。
なんだ、これは……。
ジョージは息を飲まざるを得ない。
個人の物というものがすべて撤去されているのである。
まるでショールームの様。
個人のいた形跡が跡形もなく消えていた。
ジョージは体の芯が冷えるようだった。
なぜ、こんなに片付いているんだ?
彼女は少なくとも昼まで自分の前にいたはずなのに、これでは、まるで……。
別れを予期していたようではないか。
自分が気持ちを告げて一週間。
その間ずっと用意をしていたというのか?
いや、そんな暇はなかったはずだ。
彼女は自分と仕事をした後、自分の部屋でルークの相手をして夜遅くにこの部屋に戻っていた。とても荷造りして引っ越しする暇なんてなかったはずだ。
だが、この現実がそれを裏切る。
いったい、なぜ……。
ダイニングルームから部屋へと移る。
やはり私物は何もない。
備え付けの家具ばかり残されていた。
いったい、どうして……。
仮に引っ越しだったとしても、転居は会社への報告義務があるはずだ。ここの家賃は会社が支払っているのだから。契約も個人名ではなく会社名義にしていれば、もっと状況を早くつかめていたかもしれないと悔やんだが、後の祭りだ。
なぜ、彼女が居ない?
どこへ行ったんだ?
なぜ、なぜ……。
疑問が湧いては消え、消えては湧き上がる。
ジョージは彼女のことがわからなくなってきていた。
マンションの管理人に礼を言うと、ジョージは自分の部屋へと戻っていた。
ソファにどさりと座ると体のすべてを投げ出した。
部屋を何気なく見渡した。
すると、いろんな場面が頭の中をよぎる。
多くがルークと彼女がいるシーンだ。
母親とはどういうものか、体全体でルークに示していた彼女。
まだ母親が必要な年頃のルークに、躾をしながら、それでも甘えさせていた彼女。
自分の前だけで見せた、穏やかな表情で語る彼女。
この部屋は思い出がありすぎる。
その思い出の中から、必死に彼女の交友関係等を思い出そうとするが、該当するものがないことに唖然とする。
自分は彼女のことを何も知っていなかったのではないか。
その中で唯一知る存在が、アリスンの部屋の斜め向かいの部屋に住む男だった。
今日、意味ありげな忠告を送ってきた、あの男――。
ジョージにとって、手掛かりはあの男だけだった。
「ダメもとで当たってみるか……」
ジョージはふらりと部屋を出て、その男の部屋へと向かった。
マンションの部屋のチャイムが鳴る。
ビューにはその相手がわかっていた。
クリスはこの土地で交友関係をほとんど築いていない。
元々はマンソン氏の情報を集めるためのこの地への上陸だった。
それが変な方向に流れて、ファーガソン氏の会社に行きついたといったところだ。
彼女の知り合いといえば、会社関係の者だけだろう。
それも表面的な関係にとどめていた。
例外はファーガソン親子だ。この二人だけだった。
深く関わりすぎたのだ。だから情が生まれる。
これが悪いとは言わない。
場合によっては良い方向に転がることもある。
だが、ジョージとクリスの関係は、非常に微妙な関係で、難しかった。
ファーガソンから見たら、クリスの交友関係で唯一の突破口となりえるのは、自分だけである。
だが、今日事態が急展開することがわかっていたなら、忠告などしなかった。
めぐりあわせが悪かったとしか言えない。
鳴り続けるインターフォンに、ビューはため息を吐いた。
「司令補、いつまで鳴るんでしょうかね?」
捜査官の一人が言った。
自分以外に彼との接点が見当たらない彼としては、ここは引かないだろう。
「まるで、子供の様じゃないか」
笑う自分がいる。だが彼の行動は、それは真剣さの表れでもあった。
「君たちは、このまま捜査を続行してくれ。私は玄関の方の相手をしよう」
そう言ってビューは指揮所を後にした。
「そんなにインターフォンを鳴らさなくても聞こえています」
玄関を開けてビューが出た。
「彼女はどこだ?」
ジョージは直球で質問した。
「彼女?」
そらとぼけて、誰のことかと聞いた。
苛立ちながらもジョージは言う。
「アリスン・フォードラスのことだ」
「ああ、彼女……」
ビューはそんなに重要じゃないという態度を取った。
「知りませんよ」
「嘘を吐くな」
「知りませんよ、アリスン・フォードラスがどこに居るかなんて」
アリスン・フォードラスは消えた。もう居ない。居るとしたら「グレイシア・クリスフォード」の奥底だ。だが、もう顔を出すことはないだろう。だから、この答えは正しい。
「仮に、私が知っていたとして、その場所を聞いて、どうします?」
その質問に虚を突かれた。
どうするのか。
どう、するのか……。
姿を消したことに対して怒るのか、詰るのか、無事でよかったと抱きしめるのか……。
ジョージにはわからなかった。
「私は貴方に『覚悟』はあるのかと聞いた。その『覚悟』は本物ですか? 上辺だけのものですか?」
「どういう意味だ」
自分の想いを否定された感じがして、ジョージに怒りが湧く。
「少なくとも、彼女は判断したわけでしょう。貴方には自分を抱え込めないと。だから身をひいた」
ジョージには「アリスン」の背景がわからない。だからビューの言う「抱え込む」の意味が捕えづらかった。
「貴方さえしっかりしていれば、『覚悟』を持っていれば今回のことは防げたはず。なぜ彼女の手を離したのですか? 手を離したから彼女は消えたのでしょう?」
ジョージは手を離したつもりはなかった。だが、それは言い訳に過ぎない。
「アリスン」は自分の前から消えた。自分の意思で。
自分の腕の中からすり抜けて消えてしまった。
「仮に居場所を知っていたとしても、彼女が言わないことを私は言えない。お引き取りください」
そう言ってビューは部屋の中に入って行った。
残されたジョージは、ただ立ち尽くすしかなかった……。
「あーたん、あーたんは?」
公園で遊んで帰ってきたルークは一番にそう聞いた。
ジョージが居る=あーちゃんが居る、の図式が出来ているのだろう。
ベビーシッターからルークを引き取り、ルークと二人の時間になった。
「あーちゃんはね、居ないんだよ」
ジョージは端的に言った。
「あーたん、おうち? むかえにいこー」
両親に続いて、アリスンの消失、この子は耐えられるだろうか?
「あーちゃんは、お出かけして居ないんだ」
ジョージはそう説明した。
「おでかけ?」
「そうお出かけ」
「いつくるー?」
「わからない、わからないんだよ」
「えー、どーして?」
キョトンとした顔でそう言うルークを、ジョージはただ抱きしめることしかできなかった。
結局、悶々としたものを抱えて、ジョージはろくに眠ることもできず朝を迎えた。
普通通りにマンションに足を運んだベビーシッターにルークを預ける。
今日は朝からぐずり気味だった。
事情を話し、今日からしばらくは大変かもしれないことを承知してもらった。
車を運転し、会社へと向かう。
警備員が居る入り口を通過した時、ほんの少しの期待を乗せて、今日アリスンが出社したか質問した。
答えは否。
ため息を吐いて、自分専用の駐車スペースに車を停めた。
階段を使って三階の社長室に向かうと、その部屋の前でリーグルが待っていた。
「社長、今、お時間よろしいでしょうか?」
了承の意を伝えると、ジョージの後についてリーグルも入室してきた。
「これが今朝、私の机の上にありました」
そう言って差し出したのは一通の白い封筒。
中を開けてみると、一枚の紙が入っていた。
内容を確認すると――アリスンの辞表だった。
文章的には差しさわりの無い内容で、署名だけが自筆だった。
それを読むと、封筒ごと握りしめていた。
「社長、どういうことですか?」
リーグルは事情が呑み込めない。
そこで、半ば助言を乞うような形でジョージはリーグルに説明をしていた。
「わかりました……。社長、失踪届は出されましたか?」
「いや、部屋の状態を見たら、覚悟の上での失踪と片付けられるだろう。捜査はされないはずだ」
「申請だけでもしていた方がよろしいのではないでしょうか?」
その助言を受け、ジョージは申請だけはしておこうと手続きに移ろうとした。
だが……。
「どういうことだ?」
会社のデータベースから彼女の情報がごっそり抜けていた。
また、申請しようとしても、警察や市役所等の公的機関のデータベースにも彼女の情報がなかった。
手書きで残していた彼女の個人番号を照会しても該当なしと表示されてしまうのだ。
不動産会社にも照会をかけてみた。すると契約そのものの記録がないという。
それどころか、会社が支払っていたはずの家賃も収支報告と照らし合わせてみたが、支払いはされておらず、会社の出納記録でも支出されていないと表示される。給与に関しても同様だ。
これにはリーグルも絶句するしかない。
自分たちの記憶の中に彼女はいるのに、データベース上には彼女の存在が全くない。
架空の人間とされてしまうのだ。
「ここまで情報操作されているとは……」
これでは「失踪」としても登録できない。
「いったい彼女は何者だったのでしょうか?」
そんな疑問ばかり口についてしまう。
彼女の存在は、会社の不利益にはつながっていない。
どういうことだろうか。
アリスン・フォードラス
彼女は姿を消しただけではなく、データ上からも忽然といなくなった――。
ネットワーク上から「アリスン・フォードラス」という存在をすべて消して、クリスはさらに表情が無くなった。「自分」という「個」を消したのだ。
そうしなければ、おそらく「司令」という立場を保持できなかったのであろうことはわかっていたが……。側近たちには苦い思いが込み上げる。
まだ若い彼女にはそれは酷なことなのではないだろうか?
特に側近中の側近であるビューはその思いが強い。
以前、妻が言っていた。
……強がって見せてしまうのは、弱さをさらけ出すことができないから。
……弱さをさらけ出すことができるということ、それは、支えてくれる人が、ただ黙って傍にいてくれる人が、ありのままの自分を受け止めてくれる人が居たからよ。
……いつか、彼女にもそんな人が現れるわ。
その芽を自分たちは握りつぶしてしまったのではないか?
それが的を得ているような気がしてならない。
彼女は、的確な指示をどんどん与えていく。
それが悲しかった。
「司令、クレイフィルから通信が入っています」
「繋いでくれ」
指示を出す。
通信画面に現れたのは、クラバート司令補だった。
「お疲れ様です、司令」
そう挨拶した。
「君が直接連絡をよこすとは……。悪い報告か?」
クリスが切り込んだ。
「はい、おっしゃる通りです」
クリスは無言で続きを促した。
その表情を見て、クラバートは冷や汗をかいている自分に気が付いた。
気圧されている――
だが、報告しなくてはならない。
ごくりとのどが鳴ったのを自覚した。そして告げる。
「潜入捜査官が二人、相次いで姿を消しました」
恐れていた事態がやってきたことを、悟るしかなかった。
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