第十八章 気分転換

 クリスはマンションで悶々と考えているのが嫌で、各ユニットに指示を与えると、昼近くに外出した。

 このマンションの傍には緑地公園がある。

 気晴らしを兼ねてそこでランチをしようと思い、移動販売車でサンドイッチを買って散策に出た。

 これを知ったらまたビューの雷が落ちるかもしれない。

 ――貴女はご自分の立場をお忘れですか

 と。

 だが、ここは連邦首都星ではないし、自分は今、グレイシア・クリスフォードではない。

 アリスン・フォードラスなのだ。

 危険度はかなり低いだろうという判断もあった。

 テクテクと歩いて空いているベンチに座ると、ふーっと息を吐いた。そして深呼吸する。

 緑の中にいるのは、久しぶりだなぁ。

 そんなことを感じてしまう。

 それほど疲れていたのか? 

 内心自分に問いかけながら、自然の空気を吸い込んだ。

 良い天気だ。雲一つない晴天。

 こんな日に散策できたのは、ホントに運が良い。

 仕事をしているビュー達には悪いと思うが、自分には気分転換が必要だったのだと言い訳して、サンドイッチと一緒に買ったコーヒーを飲んだ。

 久しぶりのコーヒーだ。苦みが今の自分にはちょうどいい。

 コーヒーを飲みながら公園で遊ぶ子供たちを見ていると、自分の足元にボールがコロコロ転がってきた。

 それがこつんと足にあたって止まった。

 サッカーボールのように固くはない。

 小さな子供向けの柔らかくて弾む、そして両手で持つのにちょうどいい大きさのゴムボールだ。

 コーヒーを空いているベンチに置いて、クリスは両手でボールを持ち上げた。

 そこに小さな子供が駆け足でやってくる。

 三歳くらいだろうか?

 クリスはその子供と目を合わせるために、ベンチから降りてしゃがんだ。

 その子供は、青いきれいな目をしていた。

「それ、ぼゆのぼーゆ」

 つたないながらも言葉を綴るのを見て自然と笑顔が出た。

「はい、どうぞ」

 そう言って手渡しした。

 子供は両手でボールを掴む。

 体の半分はボールに隠れてしまいそうだ。

 そう思いながら見ていると、子供はその体勢でお辞儀した。

 そして……。

「あーんと」

 舌足らずな言葉で礼を言ってくる。しつけがきちんとされているようだ。

 さらに笑顔がこぼれる。

 ……可愛いなあ。

 そんなことを思っているとき、足音が聞こえてきた。保護者だろう。

「すいません」

 声がかけられた。

 クリスはしゃがんだまま、その声の方向に顔を上げた。

 そこにあった顔は……。

「社長?」

 見知った顔がそこにあった。


「社長にお子様がおられたとは知りませんでした」

 クリスの言葉に、ファーガソンは渋い顔をする。

「ここでは社長と呼ぶな、目立つ」

 確かにそうだと思った。だが、どう呼べばよいのだろう。

 社長は社長だ。それ以外呼びようがない。

 どうしたらいい?

 ……。

 ファーガソンはクリスが困惑していることに気が付いた。

 そしてこう言った。

 ファーストネームで呼んでくれ、と。

 その言葉に、クリスはさらに困惑する。

 ファーストネームで呼び合うような間柄ではない。

 なのに、なぜ?

 疑問を浮かべたままファーガソンを見ると、彼は子供の方に視線を向けていた。

 ……そういうことか。

 納得した。

 子供の前でよそよそしい態度はとってくれるなと言いたいらしい。

「ジョージさん」

 クリスはそう呼んだ。

ファーガソンは自然と笑みを浮かべた。

「あの子は僕の子供じゃない。兄の子供だ。甥っ子だよ」

「そうでしたか」

 小さな子供がボールを投げては走って取りに行く姿を目で追う。

 この公園は見晴らしが良い。不審人物が居ても見つけやすい。

 地面は芝生に覆われていて、転んでも軽い擦り傷程度で済みそうだ。

 こんな環境であったので、子供を自由に遊ばせることができた。

「おいたん、おいたん」

 叔父さんといいたいらしい。

「おともらち?」

 お友達と言いたいようだ。

 さて、どう答えよう。

 迷っていると、ファーガソンが先に答えを言った。

「そうだよ、お友達」

 ……そうか、お友達路線で行くのか。

 素早く頭の中で計算して、子供の目線になるようしゃがむと挨拶した。

「こんにちは。叔父さんのお友達の『アリスン』です」

 にっこり笑って見せると、子供は、一生懸命名前を呼ぼうとした。

「あい、あい、あい……」

 呼びにくいらしい。

「あーちゃんでいいよ」

「あーたん!」

 納得できる呼び名に行き着いて、大喜びだ。

「貴方のお名前は?」

 自分の名前を教えていなかったことに気付いたらしい。

 教えていいの? という顔をしてファーガソンを見上げた。

 ファーガソンはそんな甥の姿に、頷いて見せた。

「ぼゆの、なまーは、るーく」

「ルーク、いい名前ね」

 そう言うとクリスは手を差し出した。

「ルークもお友達になってくれる?」

 うん! と大きく頷いて、クリスの手を握った。

 手を握ったまま手をぶんぶんと振り回し、キャッキャと楽しそうに声を上げる。

「すまない」

 ジョージが頭の上から声をかけてきた。

「いえ、良いんですよ」

 しゃがんでルークと目を合わせながらジョージに向かって言った。

「お子さんをジョージさんに預けて、お兄様ご夫婦はお出かけですか?」

 何気なくクリスは聞いた。この後壮絶に後悔することとなる。

「いや、兄夫婦は半年前に亡くなって、僕がルークを引き取ったんだ」

「……すみません。何も存じ上げなくて……」

 気まずい空気が流れる。

 ……。

 そんな空気を小さなルークが吹き飛ばした。

「ねえねえ、あーたん。ぼゆとあとぼー」

 手を引っ張って、遊びに行こうと促す。

 それに逆らわず、クリスは立ち上がった。

「行きましょう?」

 クリスがジョージを促した。

 ジョージもそれに逆らわず、三人でボールの取り合いゲームをはじめた。


 少し遊んだ後、すでにお昼のサンドイッチを用意していたクリスをまねて、公園でお昼を食べたいとルークが言い出し、結局三人でピクニックすることになった。

 急遽予定変更となったため、シートは持ってきていない。

 このため、地面に座るのではなく、ベンチに座って食事することになった。

 ルークを挟んで三人横に並んで座った。

「おととでられるのって、おいしーね」

 これを翻訳すれば、お外で食べるのって、美味しいね、になる。

 ピクニックは初めてのルークだ。きょろきょろしながら、サンドイッチを頬張っている。

「ルーク? そんなにいっぺんにお口に入れないで。ごっくん出来ないでしょう?」

 クリスは注意の言葉をかけながらも、口の端にサンドイッチのマヨネーズをつけながら食べる子供の姿に笑みが浮かんでしまう。

 一生懸命噛んで、ようやく飲み込める大きさにすると、ごくりとサンドイッチを飲み込んだ。

「ほら、ジュース飲んで」

 サンドイッチと一緒に買ったオレンジジュースを差し出すとストローを使ってごくごくと飲む。

「こら、ちゃんとお礼を言わなきゃダメだろう?」

 そうジョージに諭され

「あーたん、あーんと」

 慌てて言われた言葉に、どういたしましての意味を込めて頭を優しくなでた。


 三人のいる緑地公園を、穏やかな風が流れる。

 ぽかぽか陽気に穏やかな風、食事の後となれば……眠くなるのが人間の常である。

「あーたん、ぼゆ、おねむ……」

 と呟くように言うと、ルークはこてんと寝てしまった。

 それもクリスの膝を枕にして。

 子供の予期しない突然の行動って……面白い。

 そう思ってクスクス笑ってしまう。

 この笑顔は年相応の、自然に出た笑顔だった。

 そんな彼女に、ジョージは不覚にも見とれてしまった。

「驚いたな」

 ルークが寝ているので、小声での会話だ。

「そんな顔が出来たのか」

 身のふたもない言い方だが、クリスにはさっぱりわからない。自覚がないからだ。

「お互い、仕事の話しかしてこなかったな」

「そうですね」

 仕事以外、共通の話題がなかったことも要因だろう。

 ジョージにはルークが居たし、クリスには本業があった。そして資格試験もあった。

 他のことに気を回す暇がなかったというのが本音だ。

 クリスに膝枕をさせたままでは申し訳ないとジョージは自分の方に引き寄せようとしたが、眠っているのを起こしてはかわいそうとクリスが言い、結局クリスの膝を借りることとなった。

「こんな風に時間を過ごすのは久しぶりな気がします」

 木々を渡る風の音を聞いて、クリスが言った。

「僕もこんな時間を過ごすのは久々だ」

 ゆっくりと時が過ぎる。

 二人の間を心地よい沈黙が流れ、思い出したように会話をしては、また沈黙する。

 その状態が自然に思えて、のんびりと、ぽつぽつと話しながら時を過ごした。

 お互い知らない部分を発見しては驚き、知的部分を刺激しては元のさやに納まってゆく。

 そうこうしているうちに、夕方近くになってしまった。

 さすがにこの時間になってくれば風が冷たくなってくる。

 可哀そうに思ったが、クリスはルークを起こした。

「ルーク、風邪をひくよ」

 そう声をかけた。

「? マム?」

 その言葉に二人はハッとした。

 まだこの子供は三歳だ。親が必要な年齢。

 間近から女性の声がしたら、母親と思って当然だ。

 それなのに……。

 この子はそれを見せていなかったことに気づく。

 ルークなりに何か感じていたのだろう。

 小さな子供の強がりを見ているようで、いじらしかった。

「ごめんね。マムじゃないの。あーちゃんだよ。覚えてる?」

 寝ぼけ眼(まなこ)をごしごしこすっているルークに優しく問いかけた。

「……あーたん」

 覚えていてくれたらしい。そう呼んでくれた。

 にっこり笑って見せると、ルークはいきなり抱き着いてきた。

「ルーク?」

 クリスはルークを抱きしめ返した。

「マム、マム……」

 今度は泣き出してしまう。

 ジョージはルークを抱き寄せようとするが、クリスがそれを抑え、ルークをただ抱きしめ続けた。

 まだ子供だ。幼子と言ってよい。好きなだけ泣かせてあげよう。

 クリスはじっと自分に抱き着いてくるルークを抱きしめ、ときより頭をなでていった。

 ジョージはそんな二人を見ていた。大事な何かを見つめるように。

 しばらくすると、今度は泣きつかれてルークは眠ってしまった。

 自分の胸に顔をうずめて眠るルークに優しく微笑むと、ジョージに軽く頷いて立ち上がった。

 クリスにしっかりとしがみついている状態のままルークを抱き上げて、ジョージの車に運ぶ。

 後部座席にあるジュニアシートに乗せようとするが、クリスの洋服をしっかりつかんで離さない。

「すまない」

 そう断ってから、ジョージはクリスの服を掴んでいるルークの指を一本一本剥がしていった。

 すべての指を剥がすと、ルークの体を受け取り、ジュニアシートに乗せた。

 ちゃんと固定して、自分は運転席に移る。

「今日は思いがけない時間を貰ったよ、ありがとう」

 ジョージはそうクリスに礼を言った。

「こちらこそ、ありがとうございます。ルークにもよろしく。また遊びましょうって」

「ああ」

 そう言ってこの日は二人別れた。


 マンションに帰ったクリスを待ち受けていたのは、怖~い顔をした自分の副官だった。

「随分と長い、気分転換だったようで……」

 ビューから冷気を感じているのは自分だけではないようだ。

 他の捜査官たちは、遠くから自分たちを見ている。

 これは、説教コースかな……。

 そう思ったとき、その雰囲気をぶち壊してくれた男が居た。

 ファランドである。

「あら、やっだ~。お兄ちゃんたら。妹が青春してたからって不機嫌にならなくていいでしょ!」

 その台詞に、クリスは絶句。

 お兄ちゃんって、誰?

 妹って?

 青春って何?

 クリスがパクパクしていると、さらに追い打ちをかけてくる。

「お兄ちゃんたら、妹が子連れの男とデートしているの目撃しちゃって、もー、うざいのなんのって。早く妹離れしてほしいわ~」

 デ、デート?

 何でそうなる?

 偶然会っただけなのに?

 え? あれって、他人が見たらデートなの?

 うそ?

 ……。

「ちがーう!」

 クリスの絶叫に、部屋に居た捜査官がみんな笑い出した。


 ファランドの言葉に毒気を抜かれた面々は、力なく会話を始めた。

「司令、これからのことでご相談があります」

「……ああ」

 どこか憔悴したように会話をする。

 これもみんな、ファランドのせいだ。

 言葉に力がない。

「これからどうするおつもりですか?」

 ビューの問いだ。

 チームの方向性を問う、重要な問いかけだった。

「チームスリーとしては、今後サンザシアン星系の案件に絞って捜査する。捜査官をフェイントかけてグッズモンドとクレイフィルに集結させろ」

 この場合のフェイントとは、目的地に直接集合をかけず、一旦各地に散らばせてから集合をかけろとの意味だ。別々の土地から入国させろと言っているのだ。

「ウイグラス星系の件からは手を引くのですか?」

 そのビューの問いはもっともなものだ。

 ウイグラス星系での今までの捜査をフイにするのかという問いかけでもある。

 クリスはその件について笑って答えた。

「ウイグラス星系の案件はユニット単位では対応できないだろう。エストンでさえあの状態だ。だから、我々はサンザシアン星系に集中する」

 クリスはそう言い切った。

 では、ウイグラス星系はどうするのか。

 サンザシアン星系の案件が終わってから着手するのか。

 どうするつもりなのか。

「ウイグラス星系から『連邦特別司法省』は撤退することはない」

 特別司法省という「組織」は撤退しないという言い回し……。

 ユニット単位では手に余るとの判断……。

 ということは……。

「つまり、他のチームに委ねると?」

 その言葉にクリスは不敵に笑った。

「暇な人がいるだろう? その人に出張ってもらうことにするさ」

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