第十七章 状況確認
難癖付けて駄々こねているバカがいる……と科学分析部に言ったことがあったが、さらにバカをやっている可能性があるとは……頭が痛くなるな。
マンションの自室に戻り、ソファーに座って脱力していると、インターフォンを押す音が聞こえてきた。
ピンポン、ピンポン、ピンポン、ピンポン、ピンポン……。
うるさい!
そう叫びたいのをどうにか抑えた。
相手は誰だかわかっている。
こんなことをするのは……ファランドだ!
「ファランド! やかましい」
クリスはそう言いながら部屋のドアを開けた。
「主席ちゃんから話を聞いて……」
そうマンションの玄関口で話し始めたものだから……。
「入れ!」
そう言ってファランドの襟元を掴んでマンションの部屋に招き入れた。
ファランドをソファーに放り込むと、クリスはキッチンに行き、冷蔵庫から瓶ビールを出した。栓抜きで栓を抜くと、二本のうち片方をファランドの前に置いた。
「飲め」
そう言うと、クリスは瓶に直接口をつけあおり始めた。
「わぁぁぁぁ! 司令ちゃん!」
ファランドはあたふたしている。こんなクリスは初めて見たのだ。
クリスとしては「飲まずにやってられるか!」の心境だったのである。
夕食を取らずにビュー達の仕事部屋に行って戻ってきたのだから、空きっ腹にアルコールを入れた状態なのだ。これはヤバい。
「そんなにぐびぐび飲んだらアルコールが可哀そうよ。なんかつまみ作るわね」
心は乙女のファランドはキッチンに行くと冷蔵庫をのぞき込み、食材からつまみを作り出した。
……本来であればファランドは客のハズなのだが……。
ここは突っ込んではいけない。
テーブルに並んだのは……。
ウインナーのボイルとザワークラフト。
魚の香草焼き。
カリカリベーコンとボイル海老のシーザーサラダ。
ホクホクジャガイモの肉じゃがにきんぴらごぼう。
よくこの短時間で作れたものだと感心しながら、クリスはビールを空けていた。
「ほら、ちゃんとおなかに食事も入れなきゃ。悪酔いするわよ」
そう言ってまめまめしく皿に料理を取り分ける。
それを口に入れてまた行儀悪く瓶に口をつけてグイっとあおる。
「司令ちゃん、本当に大変なことは自分にため込んじゃうから……。そんな飲み方したら体に悪いわ。でも、そんなときもあるのよね。いいわ。私でよければ付き合うから」
クリスは何も言わずに酒をあおり続けた。
その横で、ファランドも酒を飲む。
この男にしては、会話がなく、穏やかな時間を過ごしたと言ってよいだろう。
――嵐の前の静けさ
そのことに気づいていたがあえて触れず、酒を体に流し込んだ。
翌日、普通の者なら確実に二日酔いになっているだろう酒量を飲んだクリスは、すっきり起きた。
テーブルはきれいに片付いていて、ファランドが食器等を洗ったものと思われた。
すまないことをしたなぁ。
一応反省をして、クリスはブレックファーストティを入れる。
紅茶を飲みながら、今日すべきことは何かと考える。
普通の会社の秘書ならば、土曜日の今日は休み。だが、司令のクリスには休みがなかった。
この日は、ファランドのユニットの仕事部屋に顔を出した。
「調子はどうだ?」
クリスに直接話しかけられることに慣れていない捜査官たちはあたふたしている。
「ちょっと、何やってるのよ~。おはようございます、くらい言えないのぉ?」
ファランドが助け舟を出して、やっと「おはよう……ございます……」の言葉が聞こえてきた。
「ああ、おはよう」
クリスがにっこりと笑った。
その笑顔に騙される者大多数。
その数に含まれなかったファランドはため息を吐いた。
「司令ちゃんてば、罪よねぇ」
クリスにはその意味が分からない。あちこちに疑問符を飛ばしていた。
「まぁ、そんなところが司令ちゃんらしいんだろうけどね」
報告のための資料を持って、クリスにソファーを勧めた。
クリスが座る。
その正面にファランドが座った。
「今現在、分かっていることを報告します」
態度が司令補のそれに代わり、捜査状況の説明を始めた。
ファランドの説明は滔々と続いた。
クリスは特許の専門家ではない。
ファランドもしかりだ。
その彼が勉強し理解して捜査の報告をしている。
そのため、専門用語は少なくわかりやすかった。
「ここまででご質問はありますでしょうか」
「いや、分かりやすかった」
経緯についてはよくわかった。
だが、理解すれば新たな疑問が出てくるのも必定だ。
「E-ファラメントβ-センディックスXラージファクターと、F-F-G-Mファクター、これを発見するに至った根拠は何だ?」
素朴な疑問だった。
このファクターがないと酵素の精製が出来ないと言うならば、そのファクターを作るに至った根拠が知りたいところだった。
「それにつきましては……」
ファランドが持っていた資料の中にはなかったらしい。
話を耳にしていた部下が資料をファランドに手渡した。
「どちらとも同じ論文を根拠にしています」
「その論文は誰が書いた?」
その質問で、ファランドがはっとする。
「バリー・マンソン博士です」
なるほどな……。
クリスは考え込んだ。
この論文があったから、ファーガソンはこれからを見込んでマンソンにリクルートをかけた。そして未発表の論文を手にした。
この論文があったから、メディブレックス社は強気に出た。所属している研究員が提出した論文であったから。だが……。
クリスの頭の中で疑問が湧き、考え込んでしまった。
「司令?」
ファランドは問いかける。
だが、返答はない。
しばらくこのままにしておいた方がよさそうだ。
ファランドはそう判断し、クリスが疑問を投げかけるまで待った。
「ファランド司令補」
「はっ」
短く返答を返す。
「バリー・マンソン博士がこの根拠となる論文をどのように書いたのか。いつ仮説を立て実験し、どのように論文として提出したのか。その提出日と一般に公開された日と詳しく調べてくれ。また、公開前に知ることができた人物もだ。何かありそうだ」
「了解しました」
こちらの捜査の方向性は見えた。
あと、二つのユニットの捜査状況の確認が必要だった。
クリスは自分の部屋にビューを呼んだ。
自分たちとは別の場所で捜査している他ユニットの確認をするためだ。
ナンバー2であるビューにも同席してもらった方が良いとクリスは判断した。
クリスは腕時計を見た。
同じ惑星にある都市「クレイフィル」にいる司令補と連絡を取りたかったが、時差がある。そのため時計を見たのだ。
「クラバート司令補なら、もう起床している時間のはずです。大丈夫でしょう」
ビューのその言葉に、クリスは頷くと、クラバートの元に暗号通信を入れた。
「おはようございます、司令」
クラバートはすでに身支度を整えていたようで、すっきりした姿を見せた。クリスの元にいる五人の司令補の中で、女性は彼女一人だった。
「休みの日に朝早くからすまん」
クリスは土曜の朝に通信を入れたことを詫びる。
「構いません。司令は週末の方が、都合がよろしいのでしょう?」
その台詞に苦笑した。その言葉に含まれている内容に思い当たったからだ。
「そういじめないでほしいな。これでも努力はしているんだよ」
その言葉に、クラバートはにっこり笑った。
「司令にまた一つ、資格が加わるそうですね」
それについても苦笑い。
「さて、増えるかどうかはまだわからないよ。筆記試験は通ったが、面接試験というものもあるらしいから」
「本番に強い司令ですもの、大丈夫でしょう?」
クラバートはにこにこ笑う。上品なお姉さんと言った感じだ。
「さて、本題に入ってもいいかな?」
「畏まりました」
こうして上品なお姉さんは、するりと仕事の出来る司令補に変わった。
「クレイフィルに入る前に、隣の都市テダムに寄りました。実際の最下層人口を調べてみたいと思ったのです」
クリスは無言で頷いた。話の続きを促したのだ。
「この星系は元々植民地星系ということもあって、最下層人口が多いことを覚悟して入域しました。テダムは確かに、その傾向がありました。中心市街から離れるとすぐに浮浪者たちが生活する区域に入ります。麻薬の売人や売春婦も多く見かけました」
送られてきたデータを見る。
地図が添付されており、地域別に色分けされている。
確かに低所得者層、それよりも最下層人口が多いことがわかる。
これは都市の腐敗と連動しており、この人口を減らすことが出来れば治安が良くなると言われている。
「この都市の状況を確認して、他の都市のデータを集めたうえで『クレイフィル』に入りました。正直に、はっきり申し上げます。この都市は『異常』です」
クラバートは言い切った。
「この都市だけ、異常に『最下層人口』が少ない、いえ、どんどん『減っている』。その理由がわかりません。最下層の人たちは、他人に関心がありません。関わろうとしませんから、誰がいつ居なくなったのか、居なくなった理由を確認したくてもできないのです」
その言葉にクリスは考え込んだ。
自分たちはどう動くべきか。
「あまりにも情報がありません」
画面の向こうでクラバートが言う。
「危険は承知で、三名、潜入させました」
「クラバート!」
その判断はまだ早いと言いたかった。
だが、あまりにも情報が少なすぎた。クラバートの気持ちもよくわかっていた。
「安全確認は大丈夫か?」
「一日に二度、定期的に確認をしています」
「……わかった。君の意思を尊重する。だが、部下の安全が最優先だ。わかるな?」
「はい、心得ております」
「それでよし。では引き続き捜査に当たってくれ」
「かしこまりました」
クラバートとの通信はこれで終わった。
「司令」
ビューが声をかけてくる。
「クレイフィルは危険では?」
その心配はもっともだ。ホームレス達が減ってゆけば、捜査官たちがその「減る」原因に突き当たることになる。捜査官たちで対処できる案件なのか。疑問は残る。だが……。
「クラバートを信頼して任せてみよう」
それが、クリスの現段階での結論だった。
その頃、ウイグラス星系で捜査に当たっていたグラン・エストン司令補は頭が混乱しかかっていた。
金の流れを追う=ホワイトカラー犯罪=書類の山
これなのである。
元々、仮捜査の段階からこのような状況になることはわかっていた、わかっていたが……。
これは多すぎる!
書類の山というのも変かもしれない。情報はデジタル化され、手元のボードに表示されているのだから。この場合、情報の山に埋もれているというのが正しい表現だろう。
頭の処理が追い付いて行かない。
泣き言を言いたかった。でも、司令自ら捜査で動いている以上、泣き言は言えなかった。
そんな時……。
「エストン、状況はどうだ?」
司令であるクリスから通信が入った。
「司令……」
半泣き状態である。
「情報の突き合わせに苦労しまくっています」
動く金の量が半端ではない。投資家たちには魅力的な場所なのだ。
特にタックスヘイヴンがあるベリアーヌ特別特区は金の出入りが激しい。
タックスヘイヴンとは言っても、まったく税金がかからないというわけではない。税率が極端に低いというだけだ。それを有効活用しているのが投資家だ。その投資家が落とす金も追わなければならない。
エストンは、自分には荷が重すぎると感じていた。
「司令、正直に申し上げます。私の手には余ります」
与えられた仕事ができないと正直に言った。これは勇気が入ったことだろう。司令補まで上り詰めた男である。今までいろいろな経験をしてきている。苦い経験もしかりだ。下手をすれば降格もありうる。その上での上申だった。
でもクリスはそんなエストンを叱りはしなかった。
大きな情報としてひとくくりに見ると、確かに数値に違いがある。だが、普通に見たら気にしない程度の誤差だ。それを金額に換算した人間が今までほとんど居なかっただけで……。居たとしても見過ごされてきたのだろう。個々の案件として換算すれば、誤差として処理される範囲の、追徴課税するほどの金額ではないということだ。税務庁も動かない、放置している規模ということだ。それを調べろと言ったクリスが無茶だったと言われても仕方ないのだ。
さて、どうするか。
クリスは考え込んでしまった。
その様子を彼女の斜め後ろの位置から見守るビュー。
クリスと相対する通信画面にいるエストン。
しばらく沈黙が続いた。
そして……。
「エストン」
クリスが画面上の男に声をかけた。
「細かいところの捜査は後回しにして、大まかな情報を集約して、そうだな……三日後には報告できるようにまとめてくれ」
「み、三日後ですか?」
これも半泣き状態である。
「今日の午後と言われなかっただけマシだと思ってくれ。エストン君」
「そ、そんなぁ~」
「では通信を切るぞ」
そう言って、クリスは本当に通信をブチっと切ってしまった。
「司令、よろしいのですか?」
ビューが聞いてきた。
「何がだ?」
「エストンの件です。相当難題にあたっているようですが」
「そのようだな」
クリスはすましたままだ。
「どうなさるおつもりですか?」
「それは考えている」
ビューにはまだ、クリスの考えが掴めないでいた。
「今言えることは、エストンをウイグラス星系から撤退させ、クラバートの補佐に回らせるということだ」
その言葉にビューが息を飲んだ。
「では、エストンを降格させるのですか?」
その問いには
「いや?」
の答えだけ返った。
「降格はさせないさ。何か失態を犯したわけではないからな。クラバートとエストンを組ませて良い方向に化学反応を起こさせようということだ」
「悪い方向に化学反応したらどうします?」
「うちの主席司令補は心配性だなぁ、大丈夫だって」
クリスの頭の中では一つのプランが出来上がっていた。
それをビューに告げるにはまだ早いだろうな。
そんなことを考えていた。
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