第十四章 ファランド来襲

 クリスが秘書の勉強と業務に奮闘しているとき、司令補のビューはボケっとしているわけではなかった。彼もまた、クリスが出来ない仕事を代行しなければならないこともあり、忙しい業務に追われていた。

 ビューはチームの情報を取りまとめ、それを短時間でクリスに報告し指示を受けて部下たちに命令する立場にいた。

「主席くぅん。その後、司令ちゃんの調子、どうなのよ?」

 この男との会話は、毎回脱力から始まるな。

 ビューはそう思った。

 エイビス・ファランド次席司令補。

 曲者揃いの連邦特別司法官の中でも、指折りの存在だ。使いこなせる上司というのも限られる。その中で、グレイシア・クリスフォードという司令は、この難物を使いこなしている数少ない人物の一人だった。

「司令は順調に『秘書』をやっているようだよ。だが、思うように彼女と連絡が取れない現状というのは苦しいところもあるな。そちらはどうだ?」

 ビューは、ファランドのユニットの状況を確認した。

「な~んか、はっきりしないのよねぇ。特許に関しては、私も専門外だし。科学分析部や知的財産管理技能士なんかも巻き込んでるんだけど、専門的なことが多いでしょ? 私の頭じゃ、理解できない部分も多いのよ~」

 その点は、クリスもビューも初心者だった。はっきり言えば、専門外。回れ右をして去りたい分野なのだ。

 ファランド達のユニットの担当は、今起こっているメディブレックス社とナノエックスフリーダム社の特許係争の究明だ。回れ右はできなかった。

「科学的なところは抜きにしても、特許申請に至った経緯っていうものが知りたいじゃない? ここよりそっちの方が情報集めやすいと思うのよねぇ」

 確かにそうだろう。

 近づきすぎれば火傷どころではなく大火事になる可能性はあるが、現地での情報収集に切り替えた方が、ファランド達はより動けるようになるだろう。ビューはそう判断した。

「レイヴァンに来るとしたら、何人で捜査に当たるんだ?」

 ファランドに問いかけた。

「あまり人数をかけても目立ってしまうわよねぇ。取り敢えずメディブレックス社とナノエックスフリーダム社、それぞれ五人ずつ配置して、情報総括として数名置きたいわ」

 それを聞いて、ビューは、ふーっと溜息を吐いた。

「分かった。司令にはお前たちがこちらに来ることを前提にして捜査していると伝えよう。こっちに来る出張の用意、忘れるなよ」

 そう言って通信を切った。

 あいつらも来るのか……頭が重いな。

 直近の課題は、住居の問題だった。


 住居の問題……。

 これは頭が痛い。

 通常なら、支局の用意したホテルを利用するのだが、今回は支局を使うことが出来ない。

 だから、この人数で捜査対応にあたっているのだ。

 一応、ウィークリーマンションを数室借りて今は生活している。

 だが……。

 当初の予定とは変わり、クリスが別マンションに移動してしまった。

 これにより、今借りているマンションにいる必要はない。彼女の補佐をするには少々難儀な……言い換えてみれば、ご近所さんではなくなってしまったからだ。

 ビューが引き連れてきたユニットの仕事は、クリスの補佐である。

 彼らの移動も考えねばならない。

 ウィークリーマンションを借りていたのが幸いした。この後契約を更新しなくても良いのである。

 ファランドのユニットが借りる部屋も用意する必要があるだろう。

 さて、どうするか。

 現在のクリスの住居の状況を思い出し、ビューに妙案が浮かび上がった。


 部屋が決まった翌日、クリスは午前中に住居を移し、部屋をボンドに譲った。

 そして午後は通常の「秘書」としての仕事が終わったあと、マンションに帰り、荷解きの作業に移った。

 家具家電付きって、ほんとに助かる。

 クリスはそう思った。

 この部屋を改めて見て、住居者を呼び戻そうとしていたのがわかる。

 家具も家電も壁紙も新品なのだ。

 そうしても呼び込むことが出来なかった住人。

 家賃を下げてまでも借り手が欲しかった管理会社。

 クリスはその借り手第一号になった。

 クローゼットに衣服をしまってゆく。

 ほとんどがビジネスカジュアルのスーツで、私服は少なかった。

 カバンに靴に、化粧品。

 一応クリスも女性であるので、その辺の荷物は多かった。

 ガッツリメイクは大嫌い。

 ナチュラルメイクなので、普通の女性よりはメイク用品は少ないかもしれない。

 ……なんか、ホントに簡単に、引っ越し作業が終わってしまったなぁ。

 身の回り品のほかは本だけ。

 それも、本棚にあるのは、ほとんどが法令集。

 そこについ最近加わった「秘書検定」の本。

 とりあえず紅茶をいれることにして、キッチンに移動してゆく。

 備え付きの自動ドリンクメイカーではなく、手で入れることとし、ケトルに水を注ぐと電磁機にかけた。

 ゆっくりと慣れた手順で淹れていく。

 ――落ち着く

 そう感じてしまうということは、まだ、仕事に対しての緊張感が抜けていないからだろう。

 カップに紅茶を注ぐと、ソファーに移動。椅子には腰かけずにラグに直接座り込んだ。

 ソーサーをテーブルに置くと、そっとカップを持ち上げて、紅茶を飲んだ。

 お茶を口に含んだ一瞬、スッと頭の中から考えなければならないことが消え、無になる、楽になる時間ができる。その時間が好きだった。

 ソーサーにカップを置き、ソファーに寄りかかってゆったりした時間を過ごしていると、通信が入った音がした。

 ……ビューからの報告の通信だった。

 通信文を目で追う。

 各司令補達が調査する案件の進捗状況だった。

 

 1. クレイフィルの人口動態調査

 2. ウイグラス星系の経済調査

 3. グッズモンドでの新薬開発戦争の解明


 自分たちが今調査しているはがきの件を除けば、この三件の捜査が同時進行している。

 報告を見る限りでは、ある程度の部分まで情報を集められていても、壁にぶつかってその先の情報の入手に難航しているようだ。

 三件とも、現地での捜査希望が出されている。

 ――どうすべきか。

 本来であれば、クリスが大まかな捜査の方向性を決めて、司令補に現場を任せる。

 でも、今自分も現場にいる立場だ。

 ――司令の立場をこなしながら、現在の仕事も両立させないと、ビューに現場から外される。

 少し的外れなこと? を考えながら、どうすべきか頭の中でまとめてゆく。

 少々時間をおいて、クリスは結論を出した。

 ――三件とも、現地調査を許可する。

 そして、すでに分かっていることとは思うが、ビューに注意点を与えて、返信を終わらせた。


 しばらくは、平穏な日々が続いた。

 クリスは社長のサポートをしながら「秘書検定」への準備のため、その勉強にいそしみ、そして「司令」という立場もこなした。

 普通なら、疲労や処理能力が追い付かず、いっぱいいっぱいでどうにもならない状況かもしれない。

 でも、クリスはダウンしなかった。というよりも、めげなかった。むしろ元からあった負けず嫌いに火がついて、俄然やる気になっていた。

 勉強をしていて面白いと思ったのは、秘書検定の関連の内容ではなくではなく「Pidgin:ピジン」だ。

 同じ「言葉」でも、現地では違う意味になる。

 つまり、連邦標準語で話していても、「連邦首都星」と「サンザシアン星系第五惑星レイヴァンのグッズモンド」では、「内容が異なる場合がある」ということだ。

 言葉の変容というものが面白い。

 今のところ、仕事上で問題はなく(仕事関係ではむしろ連邦側に合わせる必要がある)、生活の面においても大きな齟齬はない。十分生活できるレベルだ。

 だが、秘書検定には面接がある。面接がない「級」もあるのだが、そのレベルでは社長秘書としては低いと言われ、面接のある上位級の取得を命ぜられてしまった。この「面接」時に「ピジン」が出てきたら厄介だとクリスは考えていて、辞書を読むようになってしまった。空き時間にも読むようになっていた。秘書統括のリーグルにも不思議な顔をされた。

 理由を話すと納得もされ、現地に住まう者よりも違った努力が必要なんだな、頑張れよと有り難くない激励を受け、今日に至る。

「ふ~ん」

 ぺらぺらとページをめくりながら、読んでいく。

 この付近ではそれほど大きく言葉が変容したことはないようだな。

 そう思いながら、読みふけっていた。

 それが少し深かったらしい。

 社長の呼びかけに気づかなかった。

「フォードラス」

 やっと耳に届き、クリスは慌てて返事した。

「はい、申し訳ありません」

 社長席に早足で近寄る。

「随分熱心に勉強しているな。何の本だ?」

 自分の声に反応しなかったのは今日が初めてだった。ファーガソンはクリスの読んでいる本に興味を持った。

「グッズモンドのピジン語に関して書かれた辞書です」

「ピジン語?」

 社長のファーガソンも自覚はなかったようだ。自分たちの話している言葉の中にピジン言語が含まれていることを。

「それは迂闊だったな」

 ファーガソンは自分の行動を顧みて言った。

 今まで、連邦関係の人間と話したときに「ピジン」は含まれていなかっただろうか?

 サンザシアン星系は地球系人類が主として開拓した星系だ。

 言葉も、それに準じている。

 今、連邦政府の公用語として、地球言語はその中でも「標準語」として認定されている。

 自分が使っていた言葉を「標準語」として認識していた。

 それを、クリスは「違う」と言って見せたのだ。

「その本は、私にも必要なようだ」

「社長の分を用意しましょうか?」

 クリスが問いかけた。

「かなり語彙に違いがあるのか?」

 逆にファーガソンが問いかけてくる。

「いえ、読んだ範囲での内容になりますが、大きな差は無いようです。ニュアンス的にも大きな違いはないかと……」

「では、君が気になった言葉があったら教えてほしい」

「かしこまりました」

 そうしてその日は、主にピジン語についての内容で、時が過ぎて行った。


 そしてその夜――

 クリスが借りているマンションのインターフォンが鳴った。

 マンションの入り口のインターフォンではない。

 部屋のすぐ外のドアフォンだ。

 この部屋を知っている者?

 それは誰だ?

 慎重にインターフォンの画面越しに覗くと、そこには見知った顔があった。

「こんにちは~! じゃなくて、こんばんは~! ご近所に引っ越してきましたので、ご挨拶に来ました~」

 そこには笑顔のファランドと、ため息顔のビューが居た。

 ニコニコ顔のファランドが、差し入れで~す! と野菜と果物を入れた袋を持っていた。

 ああ、この筋肉男と、袋からはみ出ているネギとジャガイモのミスマッチは一体どうしたらよいのだろうか。見た目はイケメンの部類に入る男だろうに。

 頭をうならせながら、クリスはマンションのドアを開けた。


「近所に越してきたとは、どういうことだ?」

 クリスが問う。

 だが、ここには上司の話の腰を折ることが出来る男が居た。

「それは後から話すとして、ごはん、食べません? 司令ちゃんも、キッチンを見る限りまだ食事していないんでしょう?」

 久しぶりに聞く「司令ちゃん」にぷっと噴き出す。

「ああ、夕食はまだだ」

「じゃあ、ポトフ、作りましょう。いいベーコンが手に入ったんです。煮込んでいる間に話もできるし。よし、そうしましょう!」

 そう言って腕まくりをし、キッチンに入ってゆく。

 この男、心は乙女を名乗るだけあって、料理の腕も確かなのだ。

「司令ちゃん、冷蔵庫借りるわね」

 それは「開けますよ」の意味だった。

「まー。今日は白身魚の刺身の予定だったんですか? あら値段が……。セール狙ったんですね。庶民的というかなんというか……。でも外食せず出前も頼んでいないのはさすがよねぇ。ああいうのって高カロリーだし、食事のバランス悪いし……。そうねぇ、せっかくだからこの刺身貰っちゃいますよ。サラダになる野菜もたくさん入っているし……玉ねぎスライスして……カルパッチョ作ります」

「……勝手にしてくれ」

 クリスは半ば投げやりに言った。テンションの高いファランドについていけなかったのだ。

「で、状況はどうだ?」

 直接会って情報交換できるこの機会はありがたい。有効活用しなければならなかった。

「そうですね、では、まずこの件から……」

 ビューの報告が始まった。

 鼻歌交じりで料理をする次席司令補。

 それを横に真剣な表情をして報告する主席司令補。

 その報告を真面目に聞く司令。

 不思議な空間が出来上がっていた。


 キッチンでの作業が終わったのか、手を拭きながらファランドがクリスとビューの元へやってきた。

「あとはゆっくり煮込むだけなんで、来ちゃいました。ここにある食器も見せてもらいましたが……。ダメですよ、食器はもっと多くそろえなきゃ」

 ファランドがクリスに対して言った。

 ここに居るのは自分だけだから、一人用の食器しか用意していなかった。

 お茶道具はさすがに五客セットのものを用意していたが。

 それはダメなのだろうか? クリスは疑問に思った。

「ダメか?」

「ダメです。もしお客様が来られたらどうする気なんですか? 最低でも同じ系統の食器を二組ずつ揃えなきゃ。それも数を増やした方が良いです。料理に合わせて食器を変えた方がおいしく見えるでしょう? 気持ちをリフレッシュしなきゃ! 司令ちゃんは乙女なんですから」

 その台詞を聞いて、クリスが噴き出した。

「乙女? 私が?」

 自分には似合っていない言葉だと思う。

 だが……。

「まぁったく、自覚がないんだからぁ。司令ちゃんは、乙女の年頃なの。というか、女性はいつでも乙女じゃなくちゃねぇ。そこのところ、自覚してほしいわ」

 筋肉ムキムキ男の「おネエ」言葉での力説には、脱力を覚える。

「分かった、食器を揃えればいいんだな?」

「取り敢えずは」

 そう言ってファランドはうんうんと頷いている。

「私たちが、突撃夕ご飯! に来ても、食器がなければ、持参しなくちゃならないんだもの。困っちゃうわ」

 その言葉を聞いて思い出した。

「そうだ、近所に越してきたと言っていたな。どういうことだ?」

 クリスは目の前にいる男二人に問いかける。

「それに関しては、そのままの言葉の意です」

「含んだことはありませんょ」

 二人が立て続けに言う。

「つまり?」

 クリスは要領を得なかった。

「つまりぃ」

「つまり、このマンションの空き部屋に引っ越してきました」

 ……。

 何ですと?

 ちょっと待て、この二人が隣人?

「何だってぇ?」

 滅多に聞けないクリスの悲鳴を聞いて、男二人は笑い声をあげた。


 その続きの会話は、食事をしながらになった。

 ファランド特製の「ポトフ」。

 家庭に代々受け継がれている味とのこと。彼の姉たちも受け継いでいるのだが、エイビスの作ったものは最高と、姉たちに言われているらしい。

 実家に帰った際は、姉たちにポトフをねだられるのだという。

 さて、そのお味は……。

「美味しい」

 クリスがジャガイモを口に運んで言った。

 ホクホクしていて、溶ける直前と言った感じが何とも言えない。

 ジャガイモのほかにも、玉ねぎ、にんじん、キャベツ、厚切りベーコンが入っている。

 ベーコンがこれまた美味。ファランドが「いいベーコンが手に入った」というわけだ。

 市販されているベーコンよりも味がしっかりしていて、煮込んで柔らかくなったと思いきや歯ごたえも残っており食べ応えがある。

 入手先を聞くと「秘密です」と答えたのも何となく頷ける。

 コンソメ等の調味料は使わず、ベーコンから出たうまみと野菜から出たうまみだけで味を出し、それが調和している。

「これなら、いくらでも食べられる」

 その言葉を聞いてファランドがにっこり笑った。

「そう言っていただけると、もう最高!」

 その横で、ビューも感心したようにスプーンを動かしている。

「確かにうまい。レシピを聞いてもいいか?」

 そう言ったのは、愛妻家のビューで、今度自宅で作る気かも知れない。

 カルパッチョに関しても同様。

 ソースが魚のうまみの邪魔をせず、でもしっかりと存在感を出して、サラダをまとめていた。

「お前、司令補やめても食っていけるな」

 ビューの率直な意見だった。

「やっだー。褒められるとうれしいけれど、司令補やめる気はありませんからね。そこのところ、お忘れなく」

「わかっているよ」

そのほかにも、食卓には、ワインにチーズ、バゲット、オリーブオイルが並んでいた。

「あ、このバゲット、オリーブに合う」

 ファランドは、近郊の美味しい店を探そうと、興味を持って食事している。

 彼は基本外食はしない。手作りが主だ。

 さすがにパンまでは手が回らないだろうから、ここはクリスのおすすめのパン屋を利用したいと思った。

「ああ、それはここから一番近い地下鉄の駅前にあるパン屋さん。ここから行くなら土曜日の朝がおすすめ。焼きあがるのは七時半過ぎ。その時間帯逃すと混んで購入できないだろう」

「了解です」

 ファランドは早速自分の頭の中のメモに書き込んだ。

 心は乙女のファランドは、クリスからお得情報を引き出すと、それも追加して頭のメモに書き込んだ。クリスとファランド。見た目は全く違うが、人並み以上の収入を得ているにも関わらず、庶民感覚が抜けていなかった。

 食事が終わり、ティータイムに入った。

 ここではビューが自慢の腕を披露する。

 クリスが日常使うキッチンだ。気分に合わせて紅茶をいれるため、紅茶の種類は豊富だった。

「ヌワラエリヤにしてみました。今日の食事の後なら、こちらの方が向いているかと思いまして……」

 食器を下げた後、テーブルの上にはティーセットが並ぶ。

「あら、その名前のお茶、初めて聞くわ。……爽やかで、それでいてちゃんと紅茶! って感じがするのねぇ」

 クリスもカップを口に運ぶ。

 確かに美味しい。爽やかだ。

 一通りお茶を楽しんだ後、クリスが切り出した。

「さて『ご近所さん』になった経緯を聞こうか」

 クリスがテーブルに肘を付いて顔の前で手を組んだ。

 一言で雰囲気の変わった状況に、大の男の二人は、ごくりと息を飲んだ。


「その件に関しましては、はじめに私から説明いたします」

 ビューがこう切り出した。

 主席司令補と次席司令補。

 順番からしたら、主席の方がはじめに説明すべきであろうとの判断だった。

「聞こうか」

 テーブルの向こうで手を組んだクリスが静かにゆっくりと目を細めた。

 まるで獲物を前にした女豹のよう。

 餌側となった男性陣は、体が硬くなった。

 その状態で説明を始めるビュー。

 後ほどファランドの前で「声が裏返りそうになった」とつぶやき、ファランドに慰められると言った一場面があるのだが、それは今横に置いておこう。

 さて、ビューの説明はというと……。


 1. クリスが異動(転職)になった。

 2. 元々の自分たちの仕事は司令の補佐。それが満足にできない状態になった。

 3. 法律事務所に新たに潜入したボンドの補佐をしながら別の場所にいる司令との情報のやり取りができない。

 4. ゆえに、司令の近くにあらたに拠点を置く必要性が出てきた。

 5. ユニットに属する小さなチームとはいえ、人数が居る。その移動は注目を集めてしまう可能性がある。

 6. よって、それが目立たないようカモフラージュの必要性があった。

 7. 司令が転居先に選んだのは、元のオーナーの件から、安全性の高い物件であった。

 8. また、この物件には、司令以外の居住者が居ない。

 9. この物件は通路が建物の内部にあり、外部から部屋の人の行き来を覗き見することができない。

 10.この物件すべてを捜査官とすれば、情報の機密性も保たれ、また安全でもある。

 11.今は居ないが、ここには管理人部屋もある。その部屋にも安全管理担当の捜査官を配置する予定である。

 12.この建物は三階建て。一、二階を居住スペースとし、三階を捜査関係の拠点とする。

 13.幸い司令の部屋は三階の奥である。捜査関係の部屋を手前にすれば、司令のプライベートは保たれる。

 

 ここまで説明があって、クリスは素朴な疑問をあげた。

「このマンション全体を捜査官で埋めるということはわかった、だが、埋まるのか?」

 そこにビューの言葉を引き継いで、ファランドが説明を始めた。

「部屋は埋まります」

 説明はこうだった。


 14.ファランドのユニットも連邦首都星での捜査に行き詰まって、現地での捜査の必要性が出てきた。

 15.この件についてビュー主席司令補に相談した。

 16.ビュー司令補側もその件については納得して、お互い協力体制を築くことで了承した。

 17.双方、難件は捜査官の居住環境にあった。

 18.司令の住むマンションの空き部屋を住居とし、捜査拠点とすれば、連絡がしやすく、情報を集約できる。


 ここまで聞いて、クリスはため息を吐いた。

「聞く限りでは良いことずくめじゃないか」

「そうですね」

 ビューが合槌を打つ。

「そこで、ご相談というよりも、事後承諾、事後報告になってしまいますが……」

 大変言いにくそうにビューが言葉を繋ぐ。

「なんだ?」

「個々に賃貸契約するのが面倒になりまして……。セキュリティ関係にも手を入れたいこともありましたので、このマンション物件そのものを買い取りました」

 クリスは二度目の失態。

 「絶句」という行動を起こした。


「ちょっと待て、物件を買い取っただと?」

「はい」

 ビューは簡潔に答えた。

 こいつ、なんつー事を。

 自分のことは棚に上げ、クリスはそう思った。

 随分大胆なことをしたなぁ。

 そこまでやらせるほど、追い詰めていたのか、私は。

 変なところで反省している。

「まさか、君の名前で物件購入したわけじゃないだろう?」

「この物件は、かなり破格になっていましたが、それでも購入できるほど私には資産がないもので……。『シンドロフィン不動産』に動いてもらいました」

 ――あちゃー、ここまでやらせてしまったか。

 これを聞いて、頭を抱えたクリスだった。


 シンドロフィン不動産――

 連邦特別司法省が持つダミー会社の一つ。

 巨額な資金が必要な際は、不動産という隠れ蓑が役立つ。

 大きな資金が動いても不動産なら不信に思われないためだ。

 この不動産会社は特別司法省直轄部隊の指揮下に置かれている。

 よって、この不動産会社の存在は特別司法省の支部、支局には明かされていない。

 今回の捜査では、支部、支局を動かせないため、この不動産会社を使ったということだ。

「それで、幾らだった?」

 その問いには沈黙という回答が来た。

「幾らだったんだ?」

 再度の問いに、ビューが動いた。沈黙のままで。

 カバンから書類を複数出すと、テーブルの上に並べて、その上に万年筆を置いた。

「署名を、お願いいたします」

 その書類を見て、クリスは沈黙した後ため息。

 興味深そうに、遠くからそっと覗いたファランドは、金額を見て顔色を変えていた。

 桁が多い。非常に多い。

 普段見慣れない桁数だ。

 クリスも眉を寄せている。

 だが、そこはクリスだった。

 一息入れた後、万年筆を手に取って、サインを入れたのだ。

「し、司令?」

 驚いてファランドが声を上げる。

 先ほどまでの悩ましい表情を一変して、すっきりした表情でこう言った。

「もう契約してしまったんだろう? ならば、利用すべきではないか」

 これはいわゆる「開き直り」というものではないだろうか。

 ファランドはそう思った。

 確かに「開き直り」だとクリスも思う。

 だが、クリスに言わせれば「やっちゃったんだからしょうがない」である。

 一枚目のシンドロフィン不動産利用に関する申請書と、二枚目の不動産額の了承サイン。三枚目のサンセット資金利用の申請書だった。

 ――サンセット資金

 各チームが捜査時、内容を問わず自由に使える活動資金があるが、その上限を超えるような場合、この資金が導入される。

 が、この資金を使用した場合、多くが査問会の対象になるのは避けられないことだった。

 サンセット資金に手を付けるということは、予算オーバーの活動をしているということになるのだ。

 ……査問会行き、決定か……

 クリスはマンションの天井を見て、ため息を吐いた。

「この書類により、このマンションは今から特別司法省の管轄下に入る。いつから入居させる予定だ?」

「早ければ明日から、順次移動を始めます」

「わかった」

 クリスの言葉に、ビューとファランドは今日の仕事は終了というように席を立った。

 それを玄関まで見送り、送り出すと、部屋のソファーにどっさりと腰を掛けて疲れたように言った。

「今回の捜査は、難問だらけだな」


だが、さらなる難問が待ち構えていることは、誰も知らなかった。

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