第十一章 おネエさんと一緒
「あら、やっだ~。早く仕上げてね」
こんなセリフから仕事が始まる部署があった。
これが女性の声なら、誰も気にしないだろう。
「スピードというのも仕事では大事よ」
この声は男性だ。
……太いダミ声。
こんな声が朝の始業と同時に聞こえる部署というのも、連邦特別司法省には存在する。
――チームスリー、グレイシア・クリスフォード旗下。
エイビス・ファランド司令補である。
なよなよとした感じはない。それどころかムキムキ筋肉の男性フェロモンを持つ『男』なのだ。
立場的には連邦特別司法省特別司法官次席司令補。
長くなったが、結論を言えば、チームスリーのナンバー3にあたる。
連邦特別司法省の特別司法官は能力主義。
言い換えれば、能力があれば、多少の個性は問題視されない。
確かに、ファランド司令補は有能である。
それはクリスも認めていた。
だからこそ、自分の元で存分に力を発揮してもらいたいと考えており、この地位に彼を押し上げた。
だが、彼の部下はどうであろうか?
……脱力から仕事が始まるのは、ファランド司令補のユニットの特徴と言ってよい。
この男、いざ会議や法廷に立つとなれば、ちゃんとした? というか普通の男性の言葉になる。
いや、普通の男性の言葉というのはおかしい。
普通の丁寧語。男女共通の丁寧語になるのだ。
クリスに対しても、仕事時は丁寧語だ。
間違っても「おネエ」言葉は出てこない。
ということは、公の場や仕事以外での対応では、素の自分の言葉「おネエ」言葉が出るらしい。
エイビス・ファランドは、八人兄弟の末っ子として生まれた。
生まれてからすぐに父は事故により死別。
父母の両親はすでに死去しており、親戚と呼べるような親戚は居ない。身内と呼べるものは、この家族だけだった。
ファランドはシングルマザーの母の元で育った。
問題は、他の七人が「姉妹」だったということ、家族には見本となるべき男性が一人もおらず、幼少時、ファランドは見かけも可愛らしい女の子と言っても過言ではなかったため、実に「女の子らしい」育ち方をした、というのが原因かもしれない。
もちろん、これは性的な虐待などではない。
彼の姉たちが、本当に可愛らしい「姉」として、フリフリのレースやリボンの中で育ち、「弟」のエイビスもなんら疑問を持たず、このフリフリレースだらけの環境で育ったということだけだ。本当に何の疑問も持たず。姉たちに似て末っ子は「可愛いもの」が大好きだった。
そして自宅の場所も悪かった。
山奥にある一軒家。
通学が難しく、衛星通信による授業を受けて学習単位を取得していた。
つまり、年上の男性や同じ年頃の男性と接することが「全く」なかったのだ。
性の問題にも実に淡白で、姉たちとは性別が違うということにも気にしなかった。いや、気づかずに成長したと言っても良いかもしれない。
そんな環境で育った。
そうして、通信教育で単位を取りまくり二学年スキップし、山から降りた時、はじめて自分はほかの「男性」とは違うということに気が付いたのだ。
エイビス・ファランドは、連邦三大難関校の連邦大学に進学した。
連邦大学は難関校だけあって、いろんな地方から学生がやってくる。
秀才ぞろいということで、癖の強い人間が多い。
自分もその「癖の強い人間」の一人に入ってしまっていることに、ファランドは嫌でも気が付いた。
そこで、はじめは、他の男子学生たちのように、自分も男性らしく振舞おうとした。
男子学生を男の見本としてとらえていたのである。
だが、どうやってもファランドは男性になり切れない。
見た目は男――元々山育ち。足腰は強く、筋肉もついていた。
あとは言葉と態度を見直せば……。
男らしさが身につけば、そこいらの男子学生たちと同じになるはずだ。と本人も思った。
だが、生まれてきてからの性格や行動、仕草や言葉をそうそう簡単に直せるわけもない。
他の学生ははじめ、面白がって遠くから見ているだけだった。
ファランドは入学して一か月は男らしくない自分に悩んだ。
だが、ファランドもまた、気が長い方ではないし、めそめそ引っ込むタイプではない。
言葉使いや態度を直すことに神経を使って泥沼に落ちてゆくよりも、その神経を学問に向けて邁進することを選んだ。
結論――無駄な努力はしないということ。
立場上、丁寧語を使用しなければならないときは気を付けるが、その他の場合は素で行こうと決めたのだ。
そうと決まれば、開き直りは早い。
姉たちが見立てた服をきれいに着こなし(フリルなどないシンプルなシャツとボトムだったが)心は乙女、外見は筋肉男というキャラになった。姉たちの教育のたまものか、センスもよかった。これは非常にウケた。あまりにも堂々としているため、かえってすがすがしく、好感度が持てた。
ファランドは、自分はこれで行こうと思った。
これが、エイビス・ファランドだと。
……それが今まで続いているのである。
「この報告、もうちょっと突っ込んだものが欲しいわねぇ」
部下にファイルを返す。部下ももう慣れたもので、軽く頭を下げファイルを受け取る。
「ビュー主席君は、クリス司令ちゃんにくっついて行ったんでしょう? 司令ちゃん、どんな服装をしているのかしら? 彼女、きれいで可愛いのに、自覚無し。これにはまいっちゃうわよねぇ。どんな服着ても『可愛い』は間違いないでしょうけど。さぁ、私たちも早く情報仕入れてレイヴァン、行っちゃいましょうよ~。」
……黙。ひたすら黙。
これが部下たちの鉄則だった。
ファランド達のユニットは、新薬開発の一件の調査であった。ある程度情報がまとまれば、彼らも情報固めとして現地「サンザシアン星系第五惑星レイヴァン」に赴かねばならない可能性が非常に高い。
ファランドもまた現場向きの男で、クリスと同じく、書類とにらめっこはあまり好きでない。この状態から抜け出したいと思っていた。
そこへ、ビュー主席司令補からの暗号通信による一報。
「――クリスフォード司令はナノエックスフリーダム社に潜入することになった」
はぁ??
寝耳に水とは、まさにこのことだった。
その少し前――
クリスとビューの間には、またもや嵐が吹き荒れていた。
「で? 結局? ナノエックスフリーダム社社長の秘書をすることになった、と? そういうことでよろしいでしょうか?」
ビューの背後からびゅうびゅうと冷気が吹き荒れている。
それを画面越しに見て、クリスは正直助かったと思った。
相対して冷気を感じるのは御免被りたい。絶対に嫌だ!
自分が上司だということを忘れ、クリスは兄? の怒りの冷気を画面越しに耐えていた。
「そういうことになるかな」
ひきつきながら、ビューはクリスの報告を受ける。
通信には、前回指定した連邦政府機関が使用する暗号通信C2-D4回線を利用している。
盗聴の危険が極めて少ない暗号回線だった。利用できる者は限られている。
「また、身元調査等が行われることでしょうね。前回同様、いや、さらに深く探られることでしょうね。会社の心臓部に入るわけですから」
一段とビューの口調がキツくなる。口調もとげとげしい。
仕方あるまい。前回の身元調査の対応をしたのが、ビューの部下達だ。
「すまない」
クリスは素直に謝ることにした。
それに対してのビューの対応は……。
「はぁ……」
の溜息だった。
わかっている、わかっているのだ。
今回の件は、上司に非はない。避けられない出来事だったということは。
だが、これで、弁護士事務所を隠れ蓑にした捜査はできなくなった。
どうすべきか。
これには上司であるクリスの考えを聞かなければ対応ができない。動けないのである。
「で、どう対応しましょうか」
ビューがクリスに問いかけてきた。
「今回の件では、既存の組織は使えない」
その言葉に、ビューは無言で頷いた。
地元の組織を信用しないわけではないが、どのような経緯でバリー・マンソンがはがきを出すに至ったかわからない限り、誰もむやみに信用できない状況だった。
「新しく送り込んだ人材を使わなければならないが、その人物の信用問題という大きなものがある」
ここでクリスは一旦息を吐いた。
「レファード州法曹会の法執行機関に潜入出来て、かつ信用できる人物が欲しいな。適任者は居ないか?」
これは、クリスがサンザシアン星系第五惑星レイヴァンに来る前から持ち上がっていた問題だ。適任者が居たら、クリスはここに居なかったかもしれない。今度のことはクリスがパラリーガルとして入り込むことで、なかば無理やりに事を進めてきたが、その場所からクリスは異動するため、改めて協議する必要が出てきた。
クリスは若く、学生と言っても通るような年齢であり、それでいて特級資格を持つ連邦法のエキスパートだ。捜査に関していろいろな訓練も受けている。こんな人材、そうそう転がってはいない。
実際、グッズモンドにある法科大学院に入学予定で勉強しながらパラリーガルをやっているというのが「アリスン・フォードラス」の設定だった。
適任者が限りなくいないという問題には深く触れずにいたツケが、ここで噴き出したと言えよう。
「新人という立場を利用して、勉強している素振りで情報を取り込める人物が適任なんだ。諜報部なら、そのような訓練を積んでいるだろうが、ここでは動かせない」
潜入捜査ができる、法の知識を持った人材が必要だった。
「レファード州法に詳しい者は居ないか?」
そんな問いに対し
「そのような小さな区切りでは、グッズモンド支部所属の捜査官か、レイヴァン支局の捜査官となるでしょう」
という回答になってしまった。
やはり、連邦中央官庁から捜査官を派遣するとなれば、法執行機関への見習いか事務官が妥当なのだろう。下手にある程度地位を持たせてしまうと、動きづらくなるし目立ってしまう。
裁判所事務官や検察事務官として潜入するとなると、これもまた問題で、公に雇用記録として残り、情報開示時にも記録が残る。警察官でも同様だろう。情報操作で痕跡を消したとしても、確実かとなると、難しいと言える。その点、弁護士事務所の事務担当レベルなら目立ちにくいと考えていたのだが、どうすべきであろうか。
「二十代で法学部出身、いや出身に限らない。法学を学んだもの。人当たりが良くて、パートナーの居ない独身。事務職員として勤務するにあたり適任者は居ないか? 法律事務所に送り込む。サンザシアン星系出身だとなおよろしい」
クリスが決断を下した。再度人材を送り込むことを。
「若手法律関連職員を潜入させること、了解しました。ですが、なぜ『パートナーの居ない独身』という限定がつくのですか?」
ビューの素朴な疑問だった。
「なに、安全処置だよ。結婚して家庭があったりパートナーが居たりすると、その話になった時、対応に困るだろう? 勢いで惚気て家族の情報を……なんてことになりかねない。経験が少ない若手となればなおさらな。その点、独身はやりやすいだろう。それだけのことさ」
クリスは自分のことを棚に上げて、そう言った。
「分かりやすい条件ですね。サンザシアン星系出身だと話も合わせやすいということですね。わかりました。調べてみましょう」
「次は、R3-K3回線を使用して、『KEINA』アドレスに暗号通信で連絡メッセージを送ってくれ」
そう言って通信を切った。
「KEINA」は、複数ある潜入捜査時に利用される連絡通信用アドレスの一つだ。
今回時間を指定しての双方向通信にしなかったのは理由がある。
秘書としてすぐにでも着任してほしいという先方の依頼と、今の法律事務所で処理している仕事が重なり、終業時間の見込みがつかなかったからだ。
過労死だけは、避けたいなぁ。
そう考えていることを部下たちは知らなかったが、その部下達も同じようなことを考えていることをクリスもまた知らなかった。
「司令ちゃんが、秘書、ねぇ?」
暗号回線から送られてきた通信を受信して、エイビス・ファランドは面白そうに笑った。
「笑い事じゃない!」
そう言うのは、画面越しに対面しているビューだ。
そんな彼を見て、ファランドはこう言った。
「お兄ちゃんも、大変ねぇ」
「お兄ちゃん言うな!」
ファランドと同室にいる部下達も苦笑した。
「でも、司令ちゃんのような子を探すっていうの、大変よ。わかってて? あんな子、貴重なんだから。貴重っていうよりも、稀少? かしら?」
「わかってる」
ビューが頭を抱えているのは、その難問があるからだ。
一体あの人の代わりが出来る若手なんて居るのか?
あの人にはいろんな逸話があるのだ。
アカデミー時代に大学教授を遣り込めて入院させたという話など、etc……。
それを全部否定できないところにいるのが彼女だ。
「司令ちゃん、自分の代わりができる完全な代替要員をよこせって言ったわけじゃないんでしょう? 正確にはなんて言ったの?」
「二十代で法学部出身、いや出身に限らない。法学を学んだもの。人当たりが良くて、パートナーの居ない独身。事務職員として勤務するにあたり適任者は居ないか? 法律事務所に送り込む。サンザシアン星系出身だとなおよろしい」
聞いたまま、そのままの回答を、伝言のように言った。
記憶力もすごくないと、弁護士なんて、特別司法官なんてやってられない。
ビュー直下の部下には、この条件を満たすものは居なかった。
クリス直属のケイティにも相談して、情報を洗ってもらったのだ。
だが、はっきり言えば、サンザシアン星系は連邦中央政府から離れていて僻地だ。なかなか該当者が見つからない。
うーんっと、と考えて、ファランドが言った。
「法学を学んだものって、範囲、広いわよねぇ。大学に行ったら、たいてい法学概論は必修でしょうし。やっぱり、法学部出身かしらぁ。サンザシアン星系の大学出身の人がそもそも連邦中央官庁で働こうと思うのかしら? あれ? あら? そうとも限らない? ちょっと待ってて、確認するから」
「?」
ビューが通信画面を注視する中、ファランドは画面から消えて行った。
そして少しの間をおいて、ファランドが通信画面に帰ってきた……筋肉が隆々とした片腕でガシッと男を捕まえ引きずって。
「ねぇねぇ、紹介するわ。この子、もしかしたら適任かもしれない。出身は連邦首都星なんだけど、お母さん側の祖母がサンザシアン星系の第六惑星ブライトンなんですって。ハイスクール卒業後に特別司法省の事務官採用になっているんだけど、キャリアアップ支援システム使って通信制カレッジで法学取っているの。まだ受講生なんだけど。捜査官選別プログラム該当者にもなっていて、司法省内の特別講習受講中だし、候補にならないかしら? 事務職としての経験はバッチリ。書類のまとめ方はうまいわ。私が保証する。人当たりもいいし、私の『おネエ』にも動じなかった人物よ」
心は乙女、外見は筋肉男ににっこり笑われ、この子と呼ばれた男性職員は引きつり笑顔を返すしかなかった。
「よく細かいこと、聞いていたな」
そう言葉を返すビューに
「古来から『飲みゅにケーション』というやつがあるじゃない。その時に聞いたのよ。確か」
その言葉を聞いた、引きずられてきた男が、感激をあらわにする。
「覚えていてくださったんですか! 一度だけ、それも、数分程度の会話だったのに」
「あらぁ、薄情な男と思われていたのかしらぁ。ちゃーんと覚えていますよ」
隣にいる男の頭をポンポンとたたき、画面にいる男に言った。
「職歴と勤務評定、そっちに送るから、検討してみてちょうだい」
そう言って、ファランドは今度こそ本当に画面をブチっと切った。
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