第八章 不可思議な現象

 科学分析部にはがきが渡って三日たった。

 科学分析部はラミネートを剥がし、丁寧に分析を進めていた。

 それで分かったことが何点かあった。

 

 その一 メッセージが記入された頃合いについて

 インクから万年筆使用と判明。

 ラミネートされていたことを考慮に入れてのインクの経光分析から、約半年前に記入されたものと推測されるとのこと。

 住所(宛先)も同じ万年筆を使用しているとのこと。

 なぜわかるのかというと、インクにもペンにもそれぞれ特徴というものがあり、いうなれば、弾薬を使う銃の線条痕と同じだということ。銃の線条痕は、言ってみれば人間の指紋と同じ。このことから、このような結論になった。


 その二 指紋について

 これについては、いろんなことが分かった。

 はがきの通信面に、透明な特殊インクを使用してわざとつけられたと判明した指紋は八種類。

 この特殊なインクはラミネート加工時の熱に反応せず、また変色しないもの、ラミネート加工してもでこぼこした感触が出ないものが選ばれていた。

 八種類すべてが右手親指の指紋。

 花びらに重ならないように付けられていた。

 指紋データベースに照合をかければ、一致するものが出てくるかもしれない。

 ただし、膨大な数との照合が必要になる。


 その三 花びらについて

 桜の木を背景に添付されていたことから、桜と推測していたが、それが裏付けられた。

 遺伝子解析をして桜の中でも「ソメイヨシノ」とわかり、さらに土着したことで遺伝子変異が起こっており、生息場所が「サンザシアン星系第五惑星レイヴァン」とまで分かった。

 が、その先のどの「地方」までかは特定に至っていない。

 遺伝子地図がそこまで解析されていないためだ。


 その四 背景の画像について

 一本の桜の木。

 それが中央にドンとある。

 それを見上げる七人の白衣の大人。

 顔は写っていない。

 場所を特定できるものは写っておらず、今もなお難航している。

 が、わかっていることもある。

 この場所は、光の屈折率等を計算に入れると、温室もしくはガラス張りの部屋だということだ。

 そこの中心にぽつんと木が立っている……こんな状況らしい。

 白い画面の中に桜の木があり、それを取り囲んで人が居る。という感じだ。


「なんだかなぁ……」

 手元に戻ってきたはがきを手に、クリスがため息を吐いた。

 一応証拠品扱いである。

 透明な証拠品袋に入れられていた。

 情報をもとにすると、記入されたのは約半年前。投函されたころと思われる。

 筆跡については、クリスは一部以外知りようがなかった。

 クリスが分かっていたのは、研修会の始めに交換していた名刺を研修会の終了と同時にぶんどられ、その裏に書かれたメッセージ。

「Fucking kid(くそいまいましい子供=クソガキ)」

 という殴り書きのみである。

 クリスも負けずに、自分の差し出した名刺に「you're as stubborn as a mule.(あなたは、ラバと同じくらい頑固です=超頑固じじい)」と記入したものだ。

 この後、二人とも「ふん!」とそっぽを向き、会場を後にした。

 どっちもどっち、というところだろう。

 この名刺の殴り書きの文字は筆跡見本に出来るような文字ではなかった(当然だろう)。

 そこで、バリー・マンソンが執筆した論文を複数取り寄せ、その末尾に記入されている本人直筆の署名と今回の筆跡とを比べて鑑定したのである。

 すると……。

 極めて本人のものに近いとの結果が出た。

 そして、このことから、指紋の一つはバリー・マンソンとの仮定でデータベースに照合をかけた。

 照合には時間がかかった。

 遺伝子データベースは今では主流で充実しているが、指紋は古いとされ保管している場合があまりないからだ。

 政府・司法機関に登録されている人間は指紋登録が義務付けられているが、他の機関はほとんどが任意だ。

 犯罪者は指紋で個人が特定されないよう、指紋を削っている場合や薬品で指先を溶かしている場合がある。

 これも指紋を補助的要因として扱うことになった一因だった。

 バリー・マンソンは同じ研究所で長続きはしない。

 経歴は研究者というところは一貫しているが、点々といたるところの研究所を渡り歩いていた。性格からしてそりが合わなかったのだろう。

 研究者としては恐らく一流の部類に入るとクリスは思っている。論文の内容や、論文数でそれがわかる。独創的な考えから物事を見る傾向があるが、医療倫理観は基本的に自分と一緒。だが、個人として付き合っていくには難がある曲者。そう評価していた。

 さて、科学分析部は、その人物の経歴を追うので一苦労。

 短期間でぷつぷつと切れている職歴を探し、さらにその情報を集約してゆく。

 職員登録の際の情報を求めて、情報の海を潜る。

 指紋が見つかっても、左手だったり、右手の人差し指だったり……。

 なかなか右手親指の指紋は見つからない。

 クリスは、科学分析部から苦労しているとの話を聞いたとき、正直「なんで唾液を付けなかったんだ!」と愚痴りそうになった。唾液ならDNA照合ができ、すぐに情報照合が出来るからだ。

 やっとバリー・マンソンの指紋(それも右親指)を情報の海から見つけ出した時には、分析部から歓声が聞こえたことは、この際致し方ないのかもしれない。

 バリー・マンソンは若かりし頃の一時期、政府系の教育機関での研究員だったようだ(たった三日間という記録だった)。

 非常勤職員という立場であったため、はじめの大掛かりな検索の網にはかからなかった。

 クリス自身、よくマンソンが非常勤職員という立場で妥協したなという思いはあるが、たった三日の在籍では、これも仕方なかったのであろう。

 初日に「初めまして」、翌日「この仕事はなんだかなぁ」、三日目「お世話になりました」という状況であったと推測できることが悲しいものだ。

 この時の記録が残っていたのが幸いして、照合をかけることができた。

 本当に幸いだった。

 非常勤職員の情報管理期間は短いため、もう少しで情報は抹消されるところであったのだから。

 予想通り一つの指紋が、一致――。

 バリー・マンソンの指紋として確認された。

 結果――本人が生きていると仮定せざるを得ない。

 約六か月前に書かれた文字と指紋。クリスの「Dr.」という立場を持つことを知る人物。

 ――バリー・マンソン。

 だが、八か月前に事故死したという動かない事実があるのだ。

 クリスは考え込んでしまった。

 はがきには誰のものか不明な指紋も七個ある。

 推測の域を出ないが、はがきを書いた時点にバリー・マンソンと一緒にいたと思われる者たちだ。

 そこで、クリスは指示を出した。

「時間がかかってもいい。ほかの指紋七個を指紋照合にかけろ。サンザシアン星系第五惑星レイヴァンを中心に行え」

 それを聞いた部下たちは、引きつり内心冷や汗をかいた。

 サンザシアン星系第五惑星レイヴァンにはいったい何人の人口が居ると思っているのか。

 そもそも指紋は見つかるのか?

 バリー・マンソン一人を照合するのに、こんなに時間がかかったというのに。

 照合できる指紋が無い可能性もある。

 もう少し具体的に、検索域の指示をしてくれないと困る。

 ランダムに検索をかけても、正直、わら山で針を探すようなものだ。

 無茶です! と言いたいところにさらに言葉がかかった。

「直接、自治体や捜査機関に捜査依頼するようなバカな真似はするなよ。あくまでも極秘に動け」

 これは、マンソンが送ったと思われるメッセージから推測した状況を加味しての指示だった。だが、細かいことはまだ部下達には知らせる段階ではないと踏んで、こんな言い方になった。

 頭にクエスチョンマークを飛ばしている部下たちに、さらに激励? ともいえる言葉が追い打ちをかけた。

「サンザシアン星系第五惑星レイヴァンで見つからなければ、星域全体、それでもダメなら連邦全体を調べることになるから、心して掛かれ」

 ……ひぇぇぇぇ。

 こうしてクリスの部下たちは、仕事の渦に巻き込まれていった。


「見事に『鬼』な指令でしたね」

 苦笑してビューが言った。

「まぁ、その自覚はあるがな。だが、情報が少なすぎる。これでは動きようがないからな」

 そう言って、クリスは椅子に深く腰掛け、背もたれに凭れた。

「バリー・マンソンという男は自尊心が高い。まぁ、実力があるからそれも致し方ないというところでもあるが。そんな男が、研修会で派手にやりあった小娘に、解読が間違っていないと仮定すれば、助けを求めていることになる。プライドが高い男は難儀だよ。恐らく自分一人だったなら、こんな助けは求めない。ばっさりやられるのを待つだろう。だがそれをしなかった。というなら、考えられるのは一つ。ほかに一緒の奴がいるということだろう。そしてそれは他の指紋を持つ人物。今マンソンは自力で対処することができない……ということだろうな」

 机の上に体を乗り出し、顔の前で手を組んで、考え込みながら言った。

「もし助けられたとしても、対応に難癖付けてくるかもしれないからな。というよりも、確実に難癖付けられる。覚悟しておいてくれよ」

 その言葉を聞いて、ビューは、

 ……貴方と対等に遣り合うひとだ、さりもあらん。

 そう思って苦笑するしかなかった。


 一枚のはがきが一体何意味するのか――

 クリスには今判断材料が無かった。

 が、嫌な予感がこのはがきが手もとに届いてからずっと続いている。

「一体、何が気になるっていうんだ? クリス?」

 自分に問いかけるが、まだ、答えは出なかった。

 できるだけのことをやってみよう。

 クリスは受態的ではなく、主体的に動いてみようかと思った。

「ケイティ、居るか?」

 クリスは自分の情報分析官に連絡した。

 ケイティは対応が早く、正確だとクリスは評価していた。

「は~い。お仕事ちょ~だい~」

 軽くて陽気な声が返ってくる。上司に対しての返答でこれはないが、同僚としてならありえる。クリスは軽口を黙認していた。

「調べてくれないか? バリー・マンソンが死亡したとされる事故について。情報全部洗ってくれ。ただし、他の機関には悟られないようにな」

「了解です」

「言っておくが……」

「正面突破はするな。法は犯すな。でしょう? すれすれのところで頑張ってみま~す」

 やはり、クリスの部下だった。こんな回答が返ってくる。

 これにはクリスも思わず苦笑した。

 こんな部下たちだからこそ、仕事もやりやすい。

 ありがたいことだと思った。


 さて、バリー・マンソンの事故の裏にはいったい何があるのか。

 何が隠されているのか。

 その答えが、クリスには必要だった。

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