第七章 一枚のはがき
クリスが再調査を命じてからさらに二週間が経過したが、経過が芳しくない。
サンザシアン星系第五惑星レイヴァン、クレイフィル市における最下層人口減少の要因についてはまだ不明であるし、ナノエックスフリーダム社とメディブレックス社の特許戦争はまだ火花を散らしており、ベリアーヌ特別特区の出入金の流れもまだ結果が出ていなかった。
逆に簡単な調査で結果が出ないとなると、怪しいものである。
「さて、どうしたものかな?」
自分が気になった三件ともが、どうも深みに嵌まったようである。
ビューに言った言葉「嵐が来る」が本当になりそうだ。
さて、どれに重点を置くか。
これが重要だった。
ベリアーヌ特別特区の出入金の流れを洗え、と言った建前この件を優先するのか?
だが、本来は税務庁の管轄だ。
勝手に手を出した場合、摩擦もあり得る。
立場上、こちらの捜査権が上位になるので、表立っては文句を言わないだろうが、それが今後の双方の在り方に悪影響を及ぼしては困る。
コツコツと人差し指で机をたたきながら、クリスは考えに耽っていた。
ちょうどその時……
「司令、よろしいでしょうか」
ビューがやってきた。
「入れ」
入室の許可をする。
入ってきたビューは、クリスに近づくと、一枚のはがきを手渡した。
「総務課の子が困っていましてね、預かってきました。貴女宛てのはがきでしょうか?」
差し出された宛名を見る。
「何だ、これは……」
そう言ってしまうのもわかる。
住所氏名がちゃんと記載されていない。
クリスはあっけにとられた。
「住所の記載なし。記載項目は『G・F・S・A・A・J・A・G Dr. G.C』のみか」
見た人は、何だこりゃ? と思ってしまう内容である。
実際に配達人はかなり困ったのであろう。
いろいろな土地の消印が押されている。
いや、ラミネート加工されたはがきであるから、消印を押したというよりも消印を刻印したと言った方がいいかもしれない。
ということは、その刻印の数だけ転送されているということだ。
「G・F・S・A・A・J・A・G Dr. G.Cか……」
遠い目をした。
自分は確かに、ここの所属だったことがある。半年だけだが。
でもそこで「Dr.」と名乗ったことはなかったはずだ。(法務部在職中に論文で博士号を授与されているが滅多にDr.とは名乗らない。面倒だからだ)
いや、一回だけあったかもしれない。確かあれは……。
考え込んでしまう。
「司令?」
ビューが訝し気な顔で見つめてくる。
「ああ、私宛のものだろう。宇宙航空局から転送されてきたのかな?」
銀河連邦宇宙航空局法務部(Galactic Federal Space and Aviation Administration,
Judge Advocate General's Corps)を略せば、確かに「G・F・S・A・A・J・A・G」になる。
「しかし、これで相手に届けようと思うとは、何たる無謀な……」
くるりと裏に回した。
表面には差出人の記入がなかったからだ。
通信面には、一本の桜の木と見上げる人たちの写真、メッセージ、署名と二枚の花びらがラミネートされていた。
署名欄には、イニシャルの記載のみ。
『B・M』
このイニシャルの者は一人しか思いつかない。
バリー・マンソン。
クリスと共に、連邦司法省主催の医療・科学倫理の研修会に参加した科学者である。
意見が対立し、派手なディスカッション? も行った仲間だ。
だが、メッセージカードを贈りあうような仲ではない。
むしろ険悪? いや同類嫌悪? とにかく「仲が良い」とは決して言えない関係だ。
このはがきは、突然思いついたのかもしれないが、それでもおかしいと言わざるを得ない。
お互い、最初名刺交換をして会話していたが、研修が終わるころには研修会が崩壊したほどの激論を交わし「ふん!」とそっぽを向いて会場を後にしたのだから。
メッセージを見てみる。
――Hello, look people!
――Spring tool of paradise, up screen!
きれいな、流れるような筆記体で記入されている。が、文章はこれで終わっている。
おかしいと思わざるを得ない。
彼は、連邦標準語が得意だった。
自分と標準語で喧嘩問答していても、きれいな言葉を話していた印象があるからだ。
とすると、本来は、こう語られていたはずである。
――Hello, look at this people.
――Spring is a paradise of tools, up on the screen.
この文章はおかしい。
あれから月日がたったことを加味しても、文章はそう変わらないはずだ。彼の場合は。
じっとはがきを見つめたまま動かないクリスに、ビューは不思議になって声をかけた。
「司令、何か不明な点でも?」
「ああ……」
生返事を返して、さらにはがきを見つめていた。
これは、何だ?
何を言いたいんだ?
伝えたい言葉は、別にある?
それは、何だ?
それは……。
まさか……。
まさか……。
「これは、ステガノグラフィー……?」
その言葉にぎょっとしたのはビューだった。
「拝見してもよろしいでしょうか?」
ビューの言葉に、無言ではがきを差し出したクリス。
文面を目で追うビューにクリスは問うた。
「複雑じゃない。極めて簡単な暗号(アナグラム)だよ」
そう言うと、メッセージを白紙に書き出し、その頭文字を繋げた。
H、L、P、S、T、O、P、U、S……
「多分、言いたいことはこうだ」
記入したメモを、ビューに見せる。
――Help! (助けてくれ!)
――Stop us! (我々を止めてくれ!)
「このメッセージが正しく、本当だとすると、彼は危険かもしれない」
クリスの言葉に、ビューが驚いた。
「わざわざこんな文章を、暗号で、しかもはがきという公共の目に触れる状態で送らなければならないとは。そんな状況だとすると、宛先もわざと不明瞭にしたのだろう。ということは、通常の遣り取りができない極めて危険な立場にあるということだろうな」
そういうと、クリスは机の引き出しを開け、ごそごそと探り出した。
「確かこの辺に、名刺の束を寄せていた気がするが……」
クリスは、大統領SPや法務士官をしていたせいで、色々なつながりがあり、大量の名刺が手元にあった。
「どれどれ……、バリー・マンソン、バリー・マンソンっと」
名刺を手繰ってゆくと、その名刺が姿を現した。
その名刺に書かれていたのは……。
「あいつ、メディブレックス社の研究員だったのか……」
医療関係の研究者とは覚えていたが、所属先までは記憶していなかったのである。
「ケイティに繋いでくれ」
ケイティはクリス直属のテクニカル分析官である。
「はい、ケイティです」
ケイティが通信に出た。
「調べてほしいことがある」
クリスが言葉を続けた。
「二年前、メディブレックス社の研究員だった『バリー・マンソン』の現在の情報を集めてほしい」
「わかりました、少々お待ちください」
ケイティは独自に構築した情報ネットワークで情報を集めていく。
少しの沈黙の後、ケイティはこう言った。
「バリー・マンソンは、現在存在しません」
「存在しない?」
クリスは疑問を投げかけた。
「記録を見る限りでは、八ヶ月前に死亡したことになっています」
二人は顔を見合わせた。
「死亡?」
「はい、交通事故で」
――こういうことだった。
自家用自動運転車両に乗車。
宇宙港に向かう途中のハイウェイで、追い越しをかけてきた大型車両が横転。
第五類危険物を搭載していた車両だったため、火花を誘引剤として可燃物に引火。
大爆発を引き起こす。
消防隊が駆け付け、消火作業を行った。
が、爆発により、車両と人共々部品の状態プラス炎焼の影響で身元確認が難航。
かろうじて採取出来た歯の小さい欠片からDNAを採取。
これより個人を特定。
バリー・マンソンと確認されたとのこと。
「もう少し掘り下げて確認しましょうか?」
ケイティの問いかけだったが、
「いや、今回はとりあえずここまででいい」
そう言ってケイティとのやり取りを一旦終わらせた。
「司令、どうしましょうか?」
ビューの確認だった。
「ここを見てくれ」
そう言ってはがきのある部分を指さした。
「これは……」
一番古い消印は六か月前だった。
八ヶ月前に死亡しているなら、六か月前に郵便を出すことができない。
郵便を出す二か月前に死亡していることになるからだ。
郵便事故でないならば、別人が、あるいは幽霊? が投函したことになる。
「さて。純粋な疑問だ。この『バリー・マンソン』は本物か? 否か?」
ビューには答えられない。
面白そうにはがきを暫く見て、クリスが言った。
「そうだな……これは気になるな。私事にあたるかもしれないが、このはがきを徹底的に調べてくれないか?」
「……畏まりました」
こうして、このはがきは科学分析部の手に渡ることになった。
科学分析部では、一枚のはがきを注視する複数の目があった。
「分析って言ったって、何をどうすればいいんだ?」
求められている情報がわからなければ分析しようがないといった表情だ。
他の目も途方に暮れている。
「表面は指紋だらけだろうしな」
多くの場所と人を経由して、このはがきは届けられている。指紋は手袋をはめていない状態で処理された場合は普通付いているだろう。今回はあちこちに転送されているため、それこそ多数ついているのである。
「今回はラミネートを剥がした状態で色々調べなきゃならないんだろうな」
「色々ってどんな?」
「だから色々だよ。文字は万年筆で書かれているようだからインクの種類とか、劣化逆算していつ書かれたのか……とか。くっついてる花びらは色がきれいだからコーティングされた状態でラミネートされたんだろう。そのコーティングの種類とか?」
ぶつぶつとイザルト主任分析官が言った。
「クリスフォード司令からの要望となると、それこそ何から何まで『全部』の情報が欲しいというところだろうな。どんな推測も立てられるように」
そこにケイン主任分析官が声を挟んだ。
「さてみんな、気合入れて調べようか」
「おう!」
どこかへ討ち入りしそうな、そんな声だった。
「天敵に助けを求めなければならない心境って、どんなものだろうな?」
くるりと椅子を回し、窓から外を眺めていたクリスが、そっと呟いた。
「司令?」
司令席の横にある司令補席で資料をまとめていたビューが、その呟きを耳に捕えていた。
じっと見つめるビューの視線に気が付いたのか、クリスは椅子を回し、正面に向きを直した。
「私とマンソンは『天敵』なんだよ。天敵というと大げさかもしれないな。『喧嘩仲間』と言った方がしっくりくるか」
そう言って、クリスは微笑んだ。
「天敵」「喧嘩仲間」とは物騒だが、クリスにとっては楽しいことらしいとビューは判断した。
「私とあいつの最終的な倫理観、価値観は一緒なんだ。だが、そこに至る道程について意見が分かれていてな。派手な喧嘩になったんだ」
楽し気に思い出したように言う。
「実際あれほどディスカッションというかディベートが楽しいと思ったことはなかったよ。私は連邦法務官としての立場から、あいつは医療研究者としての立場から意見が真っ向対立して……。こっちの言うことにムキになって反論してくるから、こちらも熱が入った」
クスクスと笑う。
「あの、よろしいでしょうか?」
「何だ?」
クリスがビューの問いに不思議そうに逆に問いかける。
「マンソン氏は、貴女と対等にやりあったのですか?」
「ああ、そうだが?」
間をおかない返答に、ビューは内心、マンソンに感心した。
……あの頃、すでに司令は宇宙航空局の法務官として、何人もの法務官を論戦で撃破していたはず。マンソン氏は強者だ!
「生きていたら、ぜひ会ってみたいです。そのマンソン氏に」
「なんだ、興味を持ったのか?」
「はい」
その返事を聞くと、クリスはまたくるりと椅子を回し、窓の外を見上げた。
「私もまた『喧嘩』をしてみたいものだな」
夕焼けに近い空を見ながら、クリスはそう呟いたのであった。
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