第五章 沈む船から逃げることネズミの如し
今日もクリスは、部下たちから上がってきた報告書を読んでいた。
個人個人着目点が違うようで、それに対する考えや感想を読むのが面白い。
隠れた一面も窺えて、楽しいのである。
それに対して簡単なコメントを記入しているとき、主席司令補のビューがやってきた。
「司令、今お時間よろしいでしょうか?」
「構わない、入ってくれ」
ビューは、クリスの前に立つと、こう言ってきた。
「どうも妙なことになってきたようです」
それは、前にクリスが「気になる」と言っていたウイグラス星系の件であった。
ビューは忘れずに調査を指示していたらしい。
その報告に今来たようだ。
「ウイグラス星系は、第二惑星カルボーンを中心とした大規模な経済ネットワークを構築し起用しているようです」
――つまりこういうことだ。
元々、ウイグラス星系は地球系移民の植民地星系という色合いが濃い。
そこから脱却するために、政府はある強硬策に出た。
大会社から中小個人経営の店まで、資本金の一割を商業税として強制徴収し、公的経済機構を立ち上げることにした。
これには、想像に難く、設立時かなりの反発があったと聞く。
それはそうであろう。
一割という金額は、決して安くない。
経営難の企業はさらに経営が圧迫した。
だが、この立ち上げられた機構は、この税金対策による倒産を防ぐための経営対策をし、また、政府も経済政策を行った。さらに、大規模な資金を元手にこの経済機構は自らエネルギー関係を中心に開発事業を進めていった。
ウイグラス星系は、地下資源が豊富にあり、また、未解明な物質も多々あった。これに機構は目を付けたのである。
まず、最下層民には職を与える。これで最低限の生活は保障され、低所得者の仲間入りとなる。
そして、低所得者へは資格取得を推奨し、資格を有することで個人の履歴に箔がつき、賃金が上昇する。そしてそれが個人消費として景気に反映される。
専門技術者は増えた研究資金を元に研究を重ね、実績を出し、それを見た富裕層はさらに投資をした。余剰金は税金徴収した企業・個人経営者へ分配される。企業側は、結果的に強制徴収した以上の金額を回収することができ、行政側も最下層人口の低所得者大量移行という極端な現象に繋げることになった。
いわゆるウィンウィンの関係となっていた。
「いいこと尽くめじゃないか? だがそうそううまい話が転がっているわけではない。そうだろう?」
「まったくその通りです」
その話には続きがあった。
ウイグラス星系は、第二惑星カルボーンを中心に高度経済成長を見せていたが、連邦特別司法省の経済分析部の分析では、その成長も鈍くなってきているように見えるというのである。ビューの弁では、微々たるもので、司令のクリスの指示がなければそのまま見逃していたかもしれないほどの動きとのこと。だが、経済分析部は運悪く転び、その転び方が悪ければ、一気に転落する可能性も無きにしも非ずと今は見ているようだ。
「第六惑星の地下から、氷層が確認できたとのこと。今、機構は、それを液体状態にしてさらに気化させ、酸素の層を地表に作り出そうとしているようです」
これを聞いて、クリスの目つきが変わった。
「なるほど。居住化を目指しているということか」
「はい」
ビューが簡潔に答えた。
「大気中に酸素があれば、少なくとも人間は理論上酸素ボンベ無しで呼吸できるわけだ」
「はい。しかし問題もあります」
「元々ある惑星大気の問題か?」
「はい」
第六惑星の惑星大気は、窒素と二酸化炭素が大部分を占めている。この二酸化炭素の割合が低ければ、植物の光合成を利用して地球と同様に酸素供給も可能であろう。光合成可能な植物が生育出来るならば、という条件が付く。が、他にも問題がある。
――気温である。
第二惑星カルボーンは地球と類似した惑星であったため、酸素があり、また、気温も「ヒト」が生活することにも支障はなかった。
だが、第六惑星は恒星から遠い。ということは恒星の熱量の影響が少なくなり、気温が低くなる。
気温という面を見れば、人が生活するに適さない環境と言えよう。
そして「重力」の問題もある。
この第六惑星は資料を見る限り、重力が低い。
ということは、仮に酸素を作り出せたとしても、その酸素を繋ぎとめる力がないということだ。つまり、宇宙に酸素が散逸すると考えられるのである。
「氷層」というものがなければ、ほかの惑星同様、資源活用惑星という役割でいたものを、この「氷層」が、人に「居住」という夢を見させてしまった。
そしてその夢を何とか実現させたいという研究者も居たのである。
植民地星系であったが故の、大きな魅力的な夢である。
「その固執が命取り、という言葉を知らないのか?」
宇宙航空局出身のクリスは、惑星開発の歴史を知っている。
宇宙航空局は、未開発地域の星系や惑星開発も担っているので、その歴史と大まかな方法は知っていた。……その難しさも、わかっていた。
そして、その歴史が教えたのだ。
実現の可否を見極めろ、と。
一歩下がって物事を客観的に見たとき、その可否が見えてくる。
惑星開発に携わったことのないクリスであっても、一般的な考えを元にして「無理」と判断してしまうところだが、その無理を「可能」として、夢を実現するとして研究してしまうのが科学者の性(さが)なのかもしれない。
「投資家たちに動きが見え始めているのではないのか?」
クリスが質問し、ビューが答えた。
「目の利くものは、投資先を徐々に他星系に動かし始めているとの情報が入っているようです」
「なるほど、な」
――沈む船から逃げることネズミの如し、とはこのようなことを言うのか。
ウイグラス星系はまだ沈んでもいないし、見た目沈みかけているようにも見えない。専門家でも気にしない程度の微々たる変化。
――今後は政府の舵取りの問題か。
クリスにはそう見えた。
「で? 『妙なこと』と言っていたな?」
「はい」
報告の始めの方で、確かにビューは「妙なことになってきている」と言った。
それは一体何か?
「第二惑星にあるベリアーヌ特別特区をご存じですか?」
「ああ、タックスヘイブンだろう?」
星系の首都星である第二惑星カルボーンには、他星系からの投資を目的としたベリアーヌ特別特区がある。ここを経由すれば、税金をほとんどかけずに投資できる。ただし、ウイグラス星系の者は利用できない。外部からの資金調達を目的とした特区なのだ。
「そこの金の動きが少し妙なのです」
ビューは説明を始めた。
ある投資家や企業等からベリアーヌ特別特区にある会社に投資が入る。
その投資を利用してウイグラス星系の各企業や団体に金が回る――これが通常の取引だ。
だが、ベリアーヌ特別特区に入った一部の金の動きが見えず消えている……。
ビューはそう言うのである。
「税務庁からの税金逃れ……とかではないよな? そもそもタックスヘイブンだし。消えている金額はどのくらいなんだ?」
「はっきりとはわかっていません。全体としてみれば、確かに数字の相違があるのです。が……」
「一件一件に対しては微々たるもので見分けがつかない、ということか……」
「……はい」
自分の意を汲み取ってくれた上司にそのまま返事をすると、ビューはその場に留まり、クリスの指示を待った。
クリスは、ふーっと重い息をつくと、人差し指を机の上でコツコツとたたき、思考の海に沈んでいった。
コツコツ……
音だけが部屋に響き渡る。
コツコツ……
まだ結論は出ないらしい。
コツコツ……
暫く、沈黙の場が続いた。
コツコツ……。
机に向けていたクリスの視線が、ビューの方へ向いた。
結論が出た、ということらしい。
視線が鋭かった。
「ビュー司令補」
「はっ」
身が引き締まる声音だった。
「ベリアーヌ特別特区の出入金の流れを徹底的に洗え。とりあえず期間は一年分としよう。分析部の手が足りなければ経済査察部を動かしてもいい。ウイグラス星系の支部は動かすな。可能性としては低いが相手に気取られる可能性があるからな。査察部は我々からの要請で動くことに抵抗があるかもしれない。必要なら書類を作成しよう。査察部にはそう伝えてくれ」
それは本気度を示す言葉だった。
「金額の度合いによっては、税務庁への通告ではなく我々が動く」
「司令!」
彼女の頭の中で、どのようなシナリオが流れているのか。
ビューには掴むことができなかった。
が、彼女は何も説明することなく命令を繰り返した。
「徹底的に調べろ。いいな」
「……了解しました」
そう言って、ビューは司令室を後にした。
人が動くときというのは、必ず理由がある。無意識化であっても必ずだ。
クリスはそれを悪の三要素だと思っている。
それは……「思想・情報・金」である。
――思想
こういえば大げさかもしれない。宗教的な観点や人の価値観、もっと個人的に言えば感情などがこれに当てはまる。
――情報
人は自分に有利な情報に流される。そして相手に対しては有利な情報も不利な情報も流す。それに右往左往され、踊らされる。噂話もこれに該当する。
――金
これは言わずもながらであろう。金は個人のステータスの象徴の一部であると思っている者も多い。生活するには金がかかり、金のことになると目の色を変える者も居る。金は人の本性を現すものだと思えるのだ。
金は三要素の中でも、一番汚い。
クリスはそう思う。
それも裕福であればあるほど汚くなるのだ。
そう思うとひとりでにため息が出てきた。
この手の仕事は嫌いだ。もっともクリスが知る限り、好きだと公言している司令はいない。金が絡むとなると「深海魚」が絡む可能性がある。ほかの案件よりも確率は高くなる。気が重くなって仕方がない。「深海魚」が絡むと進退の影響にも関わってくる。部下たちを巻き込みたくなかった。
――そういえば、この価値観で派手に喧嘩したことがあったな。
クリスは思い出していた。
あれは連邦法務省が行ったセミナーだった。
自分は特別司法省出向前で、宇宙航空局の法務士官として参加したはずだ。
確か同じく参加していた研究関係の科学者と医療倫理で意見がぶつかって……。
喧々囂々の話のやり取りのうち話が逸れて行って、基本的人権は何かでまたぶつかった。
あちらは平等な教育。教育基盤さえしっかりできていれば望みたい学問を選択し、仕事に生かせると主張して……。
私はその前に、食いもんだ! 食料と居住の確保だ! 医療の提供だ! と言ったんだ。
今思えば、鶏が先か、卵が先かで喧嘩になったんだ。
あまりのすさまじさにセミナーはガタガタに崩壊したんだったな……と思い出し、苦笑いをしていた。あれも思えばいい思い出になったと思う。
あの時やりあった、頑固で融通が利かなくて、でもどこかほっとさせるような不思議な科学者は今どこにいるのだろうか?
広大に広がる宇宙を行き来できる現在、彼女には知ろうと思えば調べる術があったが、その力を行使してまで調べる気はなかった。
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