第四章 難癖付けて駄々こねているバカがいる

「司令、イザルト主任分析官とケイン主任分析官をお連れしました」

「入れ」

 ビューが、先日言っていた分析官を連れてきたようだ。

「イザルトです」

「ケインです」

 クリスに二人が挨拶をした。

 名前をお互いに聞いたことはあっても直接会ったのは初めてだった。

「やあ、二人とも。私のわがままに付き合ってもらってすまないな」

 そう言って握手の手を差し伸べた。

 フランクな態度に二人は驚く。

「そう固くならないでくれ。このチームは、規律はあるが畏まらないことがモットーなんだ。コミュニケーションがうまく取れないと仕事に支障が出るし。アットホームな環境を目指していてね。固さもほどほどに。チームリーダーが、この私だしね」

 そう言ってにっこりと笑った。

 その笑顔? にほだされて(騙されてとも言う)二人はほっと息をついて差し示されたソファに腰を下ろした。

「お互い協力して取り組めただろうか?」

 二人に笑顔を向けて問う。

 この笑顔が曲者なんだとビューは知っていたが、顔には出さず、クリスの脇に控えた。

「で、どうだった?」

 早速、話が直球に進んだ。

「それに関してですが」

 イザルトとケインの言葉が重なった。

「私は聖徳太子ではないのでな、二人の専門的解釈を同時に聞いて理解することはできない。片方ずつから始めてくれ」

 クリスがそう言った。すると

「では、私から」

 また二人の言葉が重なる。お互いむっとして顔を見合わせている。

 これには、クリスも、同席しているビューも苦笑せざるを得ない。

 睨みあっている二人を前に、ビューは二人の関係を思い出していた。

 イザルトとケインは同じ年。

 同じ惑星出身で三大難関校の連邦大学第三群学部卒業。

 その後大学院で博士号取得後、リクルートされて連邦特別司法省科学分析部採用。

 入省も同時期。論文の数もほぼ同数。

 科学分析部の若手のホープと目されている二人である。

 これはライバル視するはずだ。

 俺が先だ、いや俺だと小声でやりあっている二人を見て、クリスは助け舟を出した。

「どうだ、平和的に順番を決められそうか?」

 その言葉に

「無理です」

 これまた、二人同時の回答だった。

 その言葉にクリスは目を丸くし、次の瞬間、爆笑した。

「お前たち、随分仲がいいんだな。取る行動が全く一緒ではないか」

 クリスは笑い転げている。

 箸も転べばなんとやらの年は過ぎているはずであったが、笑いが止まらないらしい。

 イザルトとケインは互いを見やった後、ふん! と顔を背けた。

 言葉を発すると、下手をすればまたハモるかもしれない。

 仲良くなんてありません!

 背けた顔を正面に戻し、お互い目でクリスに訴える。

 クリスはそれを見て、さらに笑った。

 互いに行動に出れば、それが裏目に出る。

 それを悟った二人は、クリスが笑い終わるまで、沈黙に徹することにした。

 そんなところまで一緒とは、ビューにも笑いが起こりそうだった。

 クリスが一通り笑い転げた後、面白そうな顔をして、二人に言った。

「では、平和的に順番を決めようではないか」

 そう言って、胸ポケットからコインを出した。

 ピンと上へ高く弾き、左手の甲でキャッチして素早く右手を被せてコインを隠した。

「さて、君たちはどちらを選ぶ? 表か? 裏か?」

イザルトとケインはお互い顔を見合わせてこう言った。

「表です」

 また一緒になった。

 むっとしてまたにらみ合っている二人に、今度はビューが助け舟を出した。

「どちらが表を選ぶか、じゃんけんで決めたらいい。これなら文句がないだろう?」

 その言葉に、二人はにらみ合いながら、原始的な戦いを行うことになった。

 ……結局九回の勝負の末、軍配はイザルトに上がった。

 コインが表す表示は……裏。

 二人の予想は外れ、ここでの軍配はケインになった。

「では、報告を始めてもらうことにしようか」

 そうして、分析の報告会が始まったのである。


 クリスは、ケインの説明を元に、問題を確認していた。

 時にはするりとイザルトが説明をバトンタッチし……。

 この者たち、自分の専門分野になると連携がスムーズになるようである。

「で?」

 クリスの発した言葉はこうだった。

 つまり、彼らは専門用語を当たり前のように使って話をしていたので、いくら頭が良く柔軟な思考や吸収力を持つクリスやビューであっても、理解するには少々難儀した。

 ……。

 特別司法官に直接接することの少ないイザルトとケインは、この「で?」の指す意味が分からなかった。

「今の話は専門家たちにはよくわかる話だったかもしれないが、私とビューは法律の専門家であって、科学は基本しか知らない素人だ。だから、はっきり簡潔に言ってくれ。結論は何だ?」

 分析官たちは自分たちの研究室で行う論述をそのまま司令に話していたことに気づいていなかった。慌てて簡単に、かつ結論を先に述べることに切り替えた。

「結論から言いますと、ナノエックスフリーダム社の方が、申請が十八分早かった。これにつきます」

 ケインがすっぱりサクッと言った。

「なるほど。人類がまだ地球上に根を下ろしていた頃の『電話機』の特許の件と一緒ということか? それがなぜ裁判沙汰になっているんだ?」

 結論が見えているならば、裁判を起こしても結果がある限り動くことはない。支出が増えるばかりだ。

「ナノエックスフリーダム社がαχ酵素、メディブレックス社がメデックス-00X酵素と名付けている酵素を精製する前段階に必要になるE-ファラメントβ-センディックスXラージファクターに関しての特許申請はメディブレックス社の方が早かったという件があるからです」

 ふーんと、クリスは相槌を打った。よく噛まずに物質名をすらすら言えたものだと内心で感心していたのだが。

「そのE-ファラメント何とやらは、メディブレックス社の特許認定は下りているのか?」

 クリスの中では、もうすでに物質名が「E-ファラメント何とやら」になっている。

「まだ審査の段階のようです。ナノエックスフリーダム社も同様の申請をしているらしく、かなり細かく調べているようですね。ちなみに、ナノエックスフリーダム社はF-F-G-Mファクターと名付けて申請しているようです」

 ――これは長引くな。

 それがクリスの直感だった。

 特許は審査から認定が下りるまで、専門家の調べが多く入る。

 正直、法律家としては特許の裁判はやりたくないというのが本心だった。苦手意識があったせいかもしれないが。

 そして本音としては、裁判なんかやらずにさっさと臨床試験までもっていき、一般市場に薬を出せ! である。

「では、我らが誇る連邦特別司法省科学分析部の評価を聞こうではないか」

 ソファに悠々と腰かけ、足を組みなおしながらクリスが言った。

 先ほどまでの朗らかな愛嬌のある動作と違い、その堂々とした態度に飲まれ、人知れずごくりと唾を飲み込んだ二人は、どちらが言うのかと肘を突きあい、最終的に根負けしたイザルトが口を開いた。

 この時、二人の頭から完全に自分よりも年下の女性に相対しているということが抜けていた。

「この二件、アプローチの方法が微妙に異なります。E-ファラメントβ-センディックスXラージファクター、F-F-G-Mファクターの精製方法も同一であると言い切るには問題があると我々は見ています。異なる部分があるのは事実ですし、研究者の目から見ればナノエックスフリーダム社の方に斬新さがあります。また、精製に関してもシンプルで時間短縮が狙え、製造段階に入ったら、こちらの方がより大量生産ができます」

 イザルトはここで一旦言葉を切り、深く呼吸した後、再び語りだした。

「E-ファラメントβ-センディックスXラージファクター、F-F-G-Mファクターの精製方法が同一とみなされるかどうかが、この特許裁判のカギになります。ナノエックスフリーダム社としては、この裁判は痛いかもしれませんね。費用を治験に回したいというのが現状でしょうから。決着がつかないまま治験になれば、老舗大手メーカーのメディブレックス社の方が予算的な面等で有利でしょう」

 長々と説明を聞いていたクリスは、腕を組み、小首を傾げながら問うてきた。

 まるで小さな子供のように。

「つまりこの一件は、先にゴールしたものに難癖付けて駄々こねているバカがいる……といった解釈でよいのか?」

 あまりにも大雑把すぎる解釈に、イザルトとケインは絶句し、ビューはたまらず噴き出した。

「し、司令……。それでは貴女の我が儘に付き合って、今まで努力した科学分析部があまりにも可哀そうですよ」

 イザルトとケインは、まだ言葉を取り戻せないでいた。

「仕方ないだろう。私は法律の専門家であって、また航宙士でもあるから、宇宙物理学等は学んでいるが、化学(ばけがく)は専門外なんだ。……で、どうだ。この解釈であっているか?」

 分析官二人は、悶々としたものを抱えながら、自分たち科学分析部の解釈を交えて素人が大らかに、非常に大らかに判断をすれば、このような回答になると気がついた。

 酷く脱力を感じながら、イザルトとケインは揃ってがっくりと肩を落とし、これまた二人でそろって返答をした。

「……その通りです」


 肩を落としながら司令室を出た分析官二人を見送ったビューは、二人の提出した報告書を手に、再び司令室に入った。

「貴女の好奇心は収まりましたか?」

 そうクリスに問いかける。

 クリスは、さぁどうかね? と読み取れない笑みを浮かべた。

 そして座ったまま前かがみになって両足に肘を付き手を組んでこう言った。

「この特許戦争、まだ何かあるぞ。恐らくな」

 小さな声だった。

 だが、ビューの耳に届くには十分な大きさでもあった。

「司令?」

 クリスは組んでいた手を外し、上体を起こしていた。そして目を閉じたまま天井を向き、何か考えているような、何も考えていないような、不思議な空気を作り出していた。

 しばらく無言の時間が続いた。

 ビューは声をかけることができず、分析官二人が置いていった報告書を司令官の机の卓上に置くと、静かに礼をして司令室から出て行った。


 アーマード・ビューは司令室を後にしたのち、自分の執務室に戻ってきていた。

 先ほどの、上司のクリスの言った言葉が耳から離れないのである。

 ――何かある。

 彼女は確かにそう言った。

 だが、それは何だ?

 ビューには今一つ掴み取れないでいた。

 自分は順風満帆でここまで来たと思っている。

 すでに結婚して、一児の父であり、仕事が厳しいため妻には苦労を掛けているが、それを上回る愛情を注いでいると思っており、実際に揶揄われたこともある。

 連邦大学を卒業し、司法試験を通り、連邦法務省に勤務。法令の策定などを手掛けたのち、連邦特別司法省に配置転換となる。一般捜査官を経験したあと、上司からの勧めもあり、「特級司法資格」を二度目の試験で通過する。

 特級司法資格取得後は特別司法省内での内部昇格になり主査になる。

 この時、クリスと初めて会ったのである。

 彼女はすでに特級司法資格をストレートで取得して、司令補として連邦宇宙航空局から出向してきた。その彼女の補佐をしたのが出会いであり始まりであった。

 ――彼女は切れる

 これがビューの第一印象だった。

 にこにこした笑顔の下で、牙を研いでいる。そんな感じを受けたのだ。

 そして、それは間違っていなかった。

 柔らかな、暖かな雰囲気の下には、氷の刃が隠れていたのだ。

 でなければ、連邦三大難関校の一つであるアカデミー(銀河連邦航宙士中央養成学校)を入校制限の最年少年齢である十五歳で入校し、落第もせず次席で卒業できるわけがない。アカデミーは、緊急時の連邦軍士官養成も兼ねているため、体力、運動神経、指導力、協調性等も問われる。

 自分は連邦大学出身。知力は問われても、体力は問われなかった。

 この時点で差はある。

 妻には、中年太りしたら即離婚! と言われているため、ウエストを気にしつつ運動にも励んでいるし、一般捜査官となるときに基本の護身術、逮捕術は学んだ。が、クリスはSP資格を保持していることもあって、武術を特別に訓練した者だ。動きが違った。

 そして、天性というべき「感」も鋭かった。

 彼女の歩んできた道を考えると、この「感」がなければ、猛者の中を渡り歩いてこられなかったのかもしれない。

 自分より一歩先を行き、荒波を超えてゆくその姿を見ながら、懸命に補佐することしかビューにはできなかった。

 それが功を奏したというべきか、クリスに引きずられるまま、今の立場の自分がいる。

 よく、お前は大変だな。と陰でこっそり言われることがある。

 クリスに振り回されていると思われているらしい。

 だが、大変だと思ったことはない。

 むしろ大変なのは上司であるクリスであると言いたいのである。

 彼女は苦労を人には見せない。

 辛い時こそ、何でもない様に見せてしまうのである。

 ……それは悲しいわね。

 妻が言った言葉だった。

 ……強がって見せてしまうのは、弱さをさらけ出すことができないから。

確かにそうだ。弱さをさらけ出すことは自らを弱いと認め、その弱さと面と向き合うこと。自分もそんなときもあったかもしれない。だが、彼女ほどではなかった気がする。

 ……それは、支えてくれる人が、ただ黙って傍にいてくれる人が、ありのままの自分を受け止めてくれる人が居たからよ。

 そうだ、自分にはその時はまだ結婚していなかったが妻がいた。だが、彼女にはそれらしい影が見えない。

 ……いつか、彼女にもそんな人が現れるわ。

 そうだろうか。この仕事ははっきり言って、プライベートというものがない。でも、希望は持つべきなのだろう。

 ……彼女が聞いたら、怒るかもしれないけれど、私にとって彼女は可愛い妹のように思えるの。私は末っ子で妹が居たらいいなって思っていたからかしら。時々とても可愛らしく年相応に見えることもあるのよ。

 それはわかっていた。一緒にいる時間が長いのだ。強がっているときの笑顔と自然の時の笑顔は見分けられるようになっていた。

 それ聞いたら、恥ずかしがるのではないか。

 ふん! と不貞腐れるかもしれない。

 彼女は世界の汚い面を多く見てきたはずなのに、清らかな面も失っていない。

 優しさも、思いやりも、忘れていない。

 彼女を支えられる人物が現れるまで自分は、彼女の補佐をするのみ。 

 よし! 年の離れた兄兼部下(司令補)をとことんやってやろう。

 ビューは気持ちを新たにして執務卓に向かった。

 

 クリスはその頃、執務室の机に行儀悪く腰かけていた。

 ――いったい何が気になるのだろう

 何かが気に障る。

 先ほどの話は、自分が言った通り「難癖付けて駄々こねているバカがいる」と言ったことで間違いないはずなのに、どうしても何かがあるような気がしてならない。

 それも、表面化してはいけないような何かが。

 隠された何かがあると第六感が警告してくる。

 このままのんびりとしていていいのか?

 しかし、今ある情報では、介入すべき事柄が何もない。

 ――まだ、何も見えてこない

 もどかしさを抱えながらも、ただ進むだけだと己に言い聞かせ、静かに椅子に座りなおすと、残っていた仕事を片付け始めた。

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