第二章 始まりの予感

 クリスは部下たちに、それぞれ読む新聞やネットサイトを割り当て、それを読んで「気が付いたこと、考えたこと、感じたこと」を報告させるようにしている。

 小学生か! と思われるようなことだが、これが情報を吸い上げるのにちょうど良いのである。

 部下たちも「特別司法官」の地位にはなくても、連邦採用試験を受け、適性試験を突破し、特殊訓練も受けており、信頼のおける情報収集官なのである。

 一つのチームに司令が一人。その下に司令補が五人居て、さらにその下に主査が五人就く。主査の下には情報官や分析官、一般捜査官などが十人ほどいて、纏めると一チーム二百五十人ほどの人数となる。その個々がそれぞれ一件ないし二件の情報を一日に挙げてくるとなるととんでもない数になる。しかもクリスもその報告をまじめに読んで、それに対し必ず返信もしている。これは部下とのコミュニケーションにもなるため、大いに活用しているのだ。

 新聞を読みお茶を飲みながら「暇だ」と言っても実はそうではない。取り掛かっている事件はなくとも、地道な作業だった。

 クリスは年若くして「司令」の立場になったため、部下たちの九割九分が自分より年上である。このため、部下といえども、年齢や経験に対し気を付けなければならないものである。それがわかっていて、時には茶化して不真面目な報告が出ることがあったが、これに対してはお茶目でおイタな返信をしている。


「シェハード星系第五惑星ジェフムーン首都近郊では、今、昔懐かしきラップダンスがクラブで流行っているようです。体を動かしたいようですね。惑星住民全体が運動不足ですかね。司令、一緒に行きませんか?」

 この文章、確かに「気が付いたこと、考えたこと、感じたこと」が含まれているが、あまりにも事件のにおいをかぎ分ける情報収集とはかけ離れている。お茶目というか、からかっているというか、不真面目ともいえる報告だった。

 これに対してのクリスの答えはこうだ。

「ジェフムーンには行ったことがありませんから新鮮。土地柄はどういったもの? 住民の分布や人種、収入ランクも知りたいところ。観光名所はどういった場所? 往復の旅費プラス、クラブ席料を払ってくれるならぜひ行きたい。私は休暇も余っていますから貴方が本気だったら熟慮します。行くなら私たちだけでは不公平ですからほかのメンバーも募集しグループ旅行にしましょう。貴方はご兄弟が二人いましたね、その方々も誘いましょうか。それとも貴方がこちらでラップダンスイベントの企画運営をしますか?」

 この回答をもらった職員はふっと笑みを浮かべた後、一転して青ざめた。返信内容を頭の中で改めて確認して、とんでもない返信であることに気が付いたからだ。ジェフムーンへの旅費云々は冗談としても、司令は部下の家族構成を把握しているのか? 平職員の自分なのに。それに待て待て。ジェフムーンの土地柄、住民等の統計情報の報告は必要なのか? それにイベントは実際あり得る。十分あり得る。あのクリスフォード司令なら、他のチームも呼んで大きなイベントにするかもしれない。自分がそれを企画運営するのか? 顔がさらに青くなった。

 そもそも、自分はラップダンスをしたことがないし、特別司法省内での大イベントとなるといったい何人が参加するんだ? ケータリング料はどのくらいで……というか、引き受けてくれる業者がそもそもいるのか? 省内にある食堂スタッフを巻き込むか? 会場はどうする? 会費制にするならばいくらだ? 子連れで来た者の対応としてキッズスペースを設けなければ……。託児施設から人を呼んで……人件費はいくらだ? 悶々と考えてしまい、深みに嵌まってしまった。これはヤバい。絶対に自分ではできない。……となり、結論。「司令にはふざけた報告は控える」だった。「しない」と言わないところが、いかにもクリスの部下であると思われるのだが……。


「何か面白い報告でもありましたか?」

主任司令補のアーマード・ビューが尋ねてきた。

「さて、どうしたものかねぇ……」

 クリスが気になったと思われる報告が三枚、彼女の手の中にあった。


 ――その一 クレイフィルの件

 サンザシアン星系第五惑星レイヴァンの地方都市クレイフィルで最下層、いわゆるホームレス、浮浪者人口が減ったという事案。

 これには、市長直々の演説が大々的に行われたとのこと。

 次期市長選の再選を鑑みて、大きなパフォーマンスを行ったらしい。

 クリスにとっては、これだから政治家は! という感じなのだが……。

 だが、引っかかる。

 ホームレス人口が減ったこと自体は喜ばしい。

 最低水準の生活を確保できる人が増えたということなのだから。

 ……そう考えて、疑問が湧いた。

 普通、最下層の人口が減ったならば、その上にある層、いわゆる低所得者が増えることになる。ブルーカラーと呼ばれる職種の人口が増えたはずだ。そうなると、その職種の人口が増え、仕事の奪い合いが起こるはずであり、結局無職の者が再び現れることとなる。

 部下からの報告では、そこには触れられておらず、ただ純粋に慶事としてメモされている。果たして、その評価は妥当か?

 クリスはふと疑問に思ったのである。

 もしこれが本当なのであれば、どのような対策を行ったのであろうか?

 観光立国に鞍替えしたわけではないらしい。

 ということは、外部の人間が旅行で落とした金で景気が良くなったわけではない。

 税金を増やしたわけではないようだ。増税したならば、納税者の反発は避けられないし、その噂も聞かなかった。

 ならば、福利厚生・福祉関係の対策が有効だったということになる。

 その対策とは、何か?

 純粋に興味を持った。

 その対策が有効に働いていたなら、その立案・実行者が褒められるべきで、その長が市長に過ぎないというのがクリスの弁であり、市長の手柄ではないというのが彼女の意見である。市長は確かに決裁した人物であり、行政の長であることは否めないが……。


 ――その二 新薬開発の件

 同じくサンザシアン星系第五惑星レイヴァンの地方都市グッズモンドにある製薬会社が、レベル4相当のベラロイスウイルスに対しての新薬を開発し、治験に漕ぎ付けそうだという件。

 試験管、哺乳類小動物への実験は順調で、豚や羊などの動物に関しても実験は順調。

 霊長類に実験の場を移し、良好であれば、いよいよ人間へ治験となる。

 ウイルス性出血熱(viral hemorrhagic fever:VHF)に属するバイオセーフティレベル4ウイルス、ベラロイスに対するワクチンで、有効性が確認されれば画期的なこととなる。

 ベラロイスウイルスは、レベル4に属することがあらわす通り、致命率が非常に高く、血液や体液との接触により人間同士での感染も認められ、悪条件が重なると大きな流行に繋がることが確認されている。

 流行が始まった都市からの旅行者が感染源となって流行の原因となり、二つの星系の二つの惑星で、爆発的な流行、感染爆発を引き起こし、二つの惑星共に死者は十万人を超えている。

 小規模の感染も確認されており、都市から都市へ、惑星から惑星へ、星系から星系へとじわじわと感染が広がっていて、感染を鎮静化できても根絶できていないという現状から、ワクチン開発を望む声が高い。

 現段階ではまだこれといった治療方法もなく、感染が確認されたときは、死を望むことしかできない状態である。

 このウイルスは「悪魔のささやき」という異名が付いている。

 ウイルスの潜伏期間に主だった症状はなく、表れても咳やくしゃみといった症状から風邪と間違われるのが大多数であり、ウイルスの症状が表面化した時には手の打ちようがないという状況。初期症状が流感とほぼ同じというのが致命的である。

 知名度は高いが、局所的流行のため罹患率が低く、特殊な検査を行わないとウイルスを検知できないこともあり、油断しがちである。

 このため、いざという時のために、どの都市、惑星でもワクチンを手に入れたいと願っている。

 製薬会社でも手をこまねいているわけではない。実際、切望されているワクチンなのであるから。

 だが、風邪や感冒、癌といったよく見る病気ではなく、致死率は高いが非常に稀な感染症であることは否めない。

 そのウイルスに対してのワクチン開発はどの企業も二の足を踏んだ。企業としては開発費が膨大になり、しかも開発そのものが成功する可能性は非常に低い。それが仮に成功しても、ウイルス自体が非常に危険なもののためワクチンもピンポイントで対処できるものが必要、つまりベラロイスウイルス限定と使用が非常に限定される。

 ワクチン開発ができている企業がまだ無い状況であるので、現状では順調に開発を続け開発できた企業が特許を先に取得する可能性が高い。その場合その企業に関しては高リスク高リターンの市場であるといえる。特許料が入ってくるためだ。だが、特許取得に至らなかった企業に対してはすでに提出された特許を使用してワクチンを作成することが大量のワクチン生産の足掛かりになる。さらなる特許を求めて開発を泥沼化させて経営を悪化させるよりは、特許料を払ってでもワクチン開発し市場に流したほうが利益回収に繋がる。

 製薬会社は、企業なのだ。慈善団体ではない。利益を上げ経営を安定して業績を上げていかなければ企業は立ち行かない。見込みのない研究に関しては開発凍結も当然あり得る。研究者たちは、研究成果で結果を出さねばならず、それこそ身を削って研究を行っているのである。

 さて、特許使用料を払って企業がワクチンを開発し流通に乗せるとなると、特許料等の関係から企業側への高リターンの図形が崩れてくる。つまり、途中まで開発した分の投資の回収が普通のワクチン販売で補えないのだ。企業に対しての利益分配は決して高くはないこととなり、それでは意味がない。利益を補うとしたら、ワクチンの価格に今までの開発費を上乗せすることとなり、薬価は非常に高価なものとなる。それでは低所得者には手に入らない。感染は悪環境下で蔓延し、結局、感染爆発は止められなくなり、ワクチンが有効活用されないという悪循環の図式になってくる。

 安価で、誰もが不自由なくワクチンを受けられる環境でなければ、ウイルスの根絶はできないといっていいだろう。

 夢物語、絵空事とわかっている。こんなことを思っていても仕方がないことはわかっている。

 今は、まず、ウイルス対策のワクチン開発が急務であり、それが少しずつでも進んでいるのだ。良い兆しと見るべきだった。

 クリスは無理やり思考の着地点を作り、留飲を飲み込んだ。


 ――その三 ウイグラス星系の件

 サンザシアン星系の隣にあるウイグラス星系で投資活動が活発化しているとのこと。

 その背景にはエネルギー資源の発見と効率よい有効活用があり、それを武器に各業界にノウハウを販売し、その資金で投資し、経済を活発化させている。金が人の間をうまく回っていくように、経済発展しているのだ。だがこのような場合、金がうまく回ってこない低所得層との貧富の格差が問題になってくる。

 それをいかに少なくし、人々を一つの方向にまとめて行くかがこれからの経済成長のカギになる。これを間違うと格差がさらに深刻化し、暴動へと発展しかねない。

 今のところ、ウイグラス星系では社会福祉政策にも力を入れているようで、低所得層での不満は大きくはなっていない。雇用率も安定しており、最下層人口も少ないようである。

 だが、これにもクリスが疑問を投じている。

 最下層人口というものはどの星系、惑星、都市にも少なからずおり、ゼロということはあり得ない。福祉の網の目からこぼれてしまう人というのはどうしても出てしまうのだ。

 単純労働がほぼ機械化されているとはいえ、人の手を経なければならないものというのはどうしても存在し、また、それを管理する人材も必要だ。

 だが、この星系では、その人数が少ない。ブルーカラーと呼ばれる労働人口は少なく、最貧困である浮浪者はほとんどいないという統計があるという。

ここではブルーカラーよりもホワイトカラー、いわゆる上流階級の層が厚いというのだ。

 経済という観点からすると、いびつであると言わざるを得ない。それで経済が安定しているというのであれば社会政策が金と一緒にうまく回っているということだ。

 一体どうなっているのだ?

 それがクリスの率直な疑問だった。


 もう一度三枚の報告に目を通し、一筆書き加えた後、クリスは主席司令補のビューにその報告書を渡した。

 ビューはざっと目を通した後、書き加えられた文章を見た。

 それは赤文字で一言。

 ――掘り下げて再度報告せよ

 とのことだった。

「司令?」

 ビューの問いかけだ。どうするのかという問いかけでもある。

「気になっただけだ。私の勘違い、気のせいならそれでもいいさ」

 そう言って卓上にあったお茶に口をつけた。

 ビューはデスクに行儀悪くひじをついてお茶を飲んでいるクリスを横目でちらりと見た。

 ――こういう時の、この人の予感って、結構当たるんだよな

 野生児か? と思ったことを口にしなかったことは褒めるべきだろう。

「各担当に、もう少し細かい報告を上げさせてくれ」

「かしこまりました」

 そう言って、ビューは指令室を出て行った。


 嵐は、静かに、しかし確実に近づいていたことにまだ誰も気づいていなかった。

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