第一章 グレイシア・クリスフォード
グレイシア・クリスフォードは、デスクに置かれたお茶を飲みながら新聞を読んでいた。
本日のお茶はダージリンを少し濃く抽出し、細かい花柄のついたティーカップに入れていた。お茶によって気分も変わってくる。
今ならば電子媒体が主であるが、自分は紙ベースのものの方が頭に入りやすい。
エコロジーの観点から言えば、紙ベースは資源の無駄使いと言わざるを得ないが、これがよいのだ。アナログな人間なのかもしれない。
ただ黙々と文字を読むなら、コーヒーでは何となく味気が無い気がして、種類は豊富で香りや味に奥深さがある紅茶となった。
デスク上にある新聞は、全部で三十六。
連邦首都星に本社がある主要新聞から、各星系の地方新聞まで。
それに目を通していた。
手近にある新聞をかき集めたらこうなった。
他の部署にも当たったらもっと種類は増えるはずだ。
ここは、情報が第一の部署というか、役所である。
そして欲しい情報は新聞に載っている大きな記事ではなく、ほんの一、二行に紛れていることがある。
グレイシア・クリスフォード、通称クリスは新聞の中に頭を突っ込んで呟いた。
「……暇だ」
これは、公務員が口にしてはいけない言葉だろう。
だが、この言葉は、彼女の現状を明確に表していた。
――やることがない。
これほど苦痛なことはない。
暇が苦痛なのだ。
これこそ、貧乏性というものだろう。
昔ながらの紙面で読む方が頭に入ると、電子版ではなく、わざと紙媒体を置いていた。
――暇なのは、平和な証拠。
無理やり自分を納得させていた。
グレイシア・クリスフォードはそんな職場に居り、またそんな立場にいた。
――グレイシア・クリスフォード――通称クリス。
銀河連邦宇宙航空局所属の「航宙士」である。
つまり、宇宙を渡る船乗りなのである。
……本来は。
銀河連邦三大難関校といわれる銀河連邦航宙士中央養成学校(アカデミー)を入校制限の最年少年齢である十五歳で入校し、すったもんだしながら在学期間三年を終え、何とか卒業時は次席卒業。主席とはまさに一点差。専門外の宇宙物理学で点数の差を広げられ、主専攻で挽回するも及ばなかったのである。残念無念の卒業ではあったが、卒業できた喜びがそれを上回った。入校するのも大変だが、卒業はもっと大変という学校を卒業できたのだから。
アカデミーは軍隊で言えば士官候補生学校に当たる。そして大学卒業程度の知識が入校時に必要とされ、それをベースに教育が行われる。もちろん、知力だけではなく体力、反射神経、宇宙空間への適応等の能力も必要なため入校はかなり困難。そして、その後の教育はもっとハードであり、入校時の学生の約半分が脱落し、卒業生はその半分というのが現実である。
銀河連邦宇宙航空局は、連邦非常事態宣言が発令されたとき、連邦軍と統一軍を編成する。そのため、宇宙航空局でも軍隊式の階級が採用されている。
アカデミーの教育の特殊性から、アカデミー卒業生はいきなり「中尉」任官となる。その後の昇進は本人次第であり、卒業後もかなりハードな道である。
クリスは在校時代、貧乏性が災いして、取得可能な資格を取れるだけ取っていた。その影響で、任官後、おかしな方向に仕事がずれていった。
その一、SP。
たまたま連邦大統領夫人のSPが怪我のため離脱。新人にも拘わらず、体術と逮捕術、射撃の腕、そして大統領夫妻の子供と近い年齢を買われ初任務は「航宙士」ではなく「SP」となった。アカデミーでSP資格を取得していたための人事だった。
その後半年任務を勤める。
任期切れとなったため、任期延長を求める大統領夫人と子供たちの要請を何度も断って、晴れて「航宙士」として連邦宇宙航空局所属の航宙船の乗務員となる。
……が、長くは続かなかった。
半年間の任期が切れた後、人事異動で法務部に異動となる。
その二、法務官。
学生時代、航宙士コースと法務コースを主コースとして修めていたため、法務官として抜擢される。
まあ、これには、アカデミー在籍時の最高?(見方によっては最悪)の授業が災いして、銀河連邦宇宙航空局の中央法務部に引き抜かれる。これは、学生時代に模擬法廷で講師として来ていた現役法務官と派手にやりあってやり込め、入院させたことが一因であると思われる。アカデミーの法務教官も胃潰瘍で入院し、他の連邦三大難関校である連邦総合大学の法律学科教授も彼女と舌戦を繰り広げた挙句卒倒し、連邦軍士官学校の法務教官は泡を吹きながら壇上で逆切れし、授業が崩壊した。……崩壊しまくった。これも要因だろう。
在学時代は「歩く六法全書」とも言われたクリスである。柔軟な考えと若さという力もあり相手の盲点を突きながら逆転劇を繰り返し、それがアカデミーでも認められた。宇宙航空局の中央法務部もうならせる法廷術だったため、法務部異動となった。クリスからしたら、痛恨の大失態である。航宙船に乗るために入ったアカデミーで別の道を開拓してしまうとは。
こんな未来となるのならば、教授たちに尻尾を振り、愛想を振りまき……。なんてことはできなかっただろうな、と考え直す。やはり自分はこんな蛇行した道を歩くのだろう。
と思っていたら、法務部は通過点に過ぎなかった。
その三、これが、大きな難問? 連邦特別司法省特別司法官。
宇宙航空局法務部在籍時「この資格を取らなければ減奉、降格! 地方左遷の上、一生窓際族!」と法務部長から直々に脅され、というか、パワハラ、というか、脅迫に近い命令を受けた。クリスは意外と負けず嫌い。それに火が付いた。この場合は火をつけた法務部長を褒めるべきか。それならやってやろうじゃないかクリスはムキになって勉強して合格したのは合格者が1パーセントに満たないといわれる「特級司法資格」であり、クリスは幸か不幸か一発でその資格の保持者になってしまった。なりたかったわけではない。なってしまったのである。
やればできるじゃないかと有り難くもない法務部長のお褒めの言葉を頂き、気が付いたら連邦特別司法省への出向と、「連邦特別司法省特別司法官」就任の辞令を受け取っていた。
「はめられた!」と思うのは、彼女だけではないだろう。
連邦特別司法省特別司法官は、「特級司法資格」を持ち、かつ、捜査技術も併せ持つ、司法捜査のスペシャリストの集団である。
特別司法省は通常の警察の捜査では解決できない難事件を取り扱う。その「特別司法官」は、難事件の捜査指揮を担当する指揮官である。時には、法が邪魔をして捜査ができないとき、その越権行為が認められる特殊な地位でもある。ゆえに犯罪者からは目の敵にされ、殉職者も後を絶たない地位でもあった。
「特別司法官」には、あまり知られていないが「司令」と「司令補」の2つの階級がある。
クリスが出向の辞令を受け取った時の軍階級は「大尉」であった。通常尉官級での出向であれば「司令補」の職に就く。クリスの場合もそれにもれず、「司令補」としての着任であった。言葉通り、司令の補佐官である。が……。
そうは問屋が卸さないとばかりに、難事件が迷宮入りしかけ、「司令補」の上官である「司令」が倒れ入院し、指揮をとれなくなった。
その後クリスが自然と現場をまとめ、指揮を執った。彼女に言わせれば、出しゃばったのではない。ほかの司令補達も手一杯で、とても総指揮をとれる状態ではなかった。この状態を見ていられず、自分の担当指揮のほかに総指揮の代役を買って出ただけだ。それが功を奏し、事件は解決し、捜査チームは彼女の実力を認めて、総指揮である「司令」の立場を求めた。
が、邪魔するのは彼女の軍階級である「大尉」という階級。これがある限り、「司令」にはなれない。
ならば、それを取ってしまえと考えた上層部は、クリスを一旦宇宙航空局に籍を移し、「少佐」に階級を上げた。少佐となってしまえば、「司令」となる条件を満たすことになる。司令は「左官級以上」が着任する職階級であった。
クリスは少佐辞令とともに、再び連邦特別司法省への出向を命じられた。宇宙航空局在籍一時間にも満たない異例のスピードだった。宇宙航空局で書類を受け取っただけだったのだから。そして連邦特別司法省の「特別司法官」の「司令」の座に就いた。
これが今のクリスの立場である。
「司令、何か気になる記事はありましたか?」
「いや、特にこれといったものはなかったな」
問いかけに対し、クリスはそう答えた。
問いかけた人物は、アーマード・ビュー。クリスが司令補をしていた時からの副官に当たる。
「また新聞だらけですね。もうすべて読み終わったのでしょう? 他の部署からも集めますか?」
「今日は、これだけでいいよ」
読みかけていた新聞を折りたたみ、デスクにあったお茶に手を伸ばす。
「お茶を新しく入れなおしましょうか? もう冷めてしまったでしょう?」
「私は、君をお茶くみにした覚えはないよ」
クリスは空になったカップを置いて言った。
「でも、今は我がチームが主体となって動いている事件はありませんし……。優雅にお茶くみできる立場というのも良いものですよ」
そのカップを手にし、どうしましょうかと視線で問いかけてくる。
「では、もらおうか。副官殿」
「了解」
ビューは手にしたカップとソーサーを持って給湯室へ向かった。
そうして、静かにこの日の午後は、他チームの補佐に当たっている部下たちの報告書整理で過ぎて行った。
暇人と言われようが、税金泥棒と言われようが、彼らが暇なのは平和な証拠。良いことなのだ。
……だが、その平和は長くは続かなかった。
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