第6話 託されたもの

「イシルロス様ぁぁっ!?」


 すぐに前のめりに倒れる彼女を抱きかかえるが、彼女の身体の異変に気づいてギョッとする。

 両腕が透き通っているかのような状態だったのだ。彼女の腕を通して、その先にある地面が見える。


「こ、これは一体どういう……!?」


 今までこんなことはなかった。てっきりさっきの模擬戦で、何かしらのダメージでもと思ったが、俺の攻撃は間違いなく当たっていないのでそれはない。


 なら体調が……とも考えるが、そもそも人間のように風邪などの病にはかからない種族なので、その推察もまた外れていることだろう。


「うっ……アオス……様……」

「イシルロス様!? 大丈夫ですか? どうして……何で急にこんな……!」


 妖精さんたちも集まってきて、みんなが彼女の心配をしている。


「急に……ではありま……せん」

「え?」

「……ここまで……よくもってくれた……方……ですので」

「もってくれた? 何を言ってるんですか?」


 見ればイシルロス様の下半身の先も徐々に薄くなり始めていた。


「と、とにかくどうやったら助けられるんですか!」

「……これは…………世界の……異物としての…………報い……ですから……」

「異物?」


 すると薄くなっている右手を上げ、俺の頬にそっと触れてきた。


〝聞こえますか、アオス様〟


 不意に脳内に響いてきたイシルロス様の声。彼女が心の声を届かせていることはすぐに分かった。


〝これからわたしがお話することを最期までちゃんと聞いてください〟


「イシルロス様…………はい」


 俺の返事を受け、辛そうなイシルロス様は嬉しそうに微笑を浮かべた。


〝わたしはこの世界においての異物。それは何故か。簡単です。本来ここには在るべき存在ではないからなのです〟


 本来ここには在るべき存在じゃない? この一年、ずっと何事もなくここに居たというのに?


〝何とか力を尽くし、今日までもたせてきただけです。それももう……限界がやってきました〟


 彼女は語る。自分という存在について。

 事の始まりは前の人生――あの孤島での出来事からだ。


 俺はイシルロス様たちに見送られ、間違いなく死んだ……はずだった。

 しかしイシルロス様は、時を操作する〝導術〟を用い、俺の意識を過去へと逆行させることに成功したのである。


 そして自分自身もまた、時空の壁を突き破って今のこの世界へ渡ってきた。

 この二つの力は、〝導術〟の中でも禁忌とされているものらしい。


「禁忌……?」


〝そうです。一度使えば大きな寿命を削り、二度使えば破滅を呼ぶ。そう伝えられてきました。わたしが成したことは、神をも恐れぬ所業。過去改変なのですから〟


 どんな存在も過去を改変することは神の領域を犯すとして絶対の禁忌とされてきたらしい。それを一度ならず二度までも続けて使用したことで、目覚めたばかりのはずのイシルロス様は、その寿命を大いに削ることになってしまった。


 そして過去の世界に渡った彼女は、この世界では最早異物でしかない。本来そこに存在するべき命ではないからだ。

 世界は異物を許さない。必ず排除しようという働きが起こる。


 それがイシルロス様の消失。


 これまでは自身の導力を駆使し、何とか生き永らえてきたのだ。一年ももったのは、彼女が大いなる力を持つ妖精女王だったからに他ならない。本来ならすぐに消滅していることだろう。


〝わたしはこの残された時間で、為さなければならないことがありました。それが――〟


 ジッと俺の顔を見据えながら、イシルロス様が静かに言う。


〝――『導師』の誕生を見届けること〟


 本来なら前の人生で、俺は今回のようにイシルロス様に導かれ『導師』としてその生を全うするはずだったとのこと。


 だが巡り合わせの悪さで、それが叶わず、妖精たちの導き手をむざむざ失うことになった。

 それは世界の損失。妖精たちの未来を壊すことに繋がる最悪の状況だった。

 だから彼女は力を使い、俺を逆行させたのである。


〝それに……本当に申し訳がなかったのです。わたしさえ目覚めていれば、あなた様にあれほどの苦痛を感じさせることはなかったはずなのに……。そう思うと、ただアオス様が死んでいくのを見守るだけなどできなかった〟


 たとえ自分の命が尽きようとも、彼女は俺のために……妖精さんたちのために、禁忌に手を出したのである。


「イシルロス様……」


〝ふふふ、そんな顔をなさらないでください、アオス様。わたしは……とても充実しております。何せこの目で『導師』の誕生を見ることができたばかりか、わたし自身でアオス様を導けたのですから。長い女王の歴史の中でも、本来導いて頂くはずの『導師』様を導くことができたのはわたしくらいです。それが……とても誇らしい〟


 本当に嬉しいのか、彼女は自然に笑みを浮かべている。そこに嘘や偽りなどの感情は一片も含んでいなかった。


〝今のアオス様なら、たとえどんな障害が現れようと……きっと乗り越えることができます〟


「っ……それは、あなたのお蔭ですよっ……!」


 そうだ。彼女が母のように、あるいは姉のように俺を見守ってくれたから……。


〝この一年……短いながらも、とても楽しかったです。毎日が祈りのような幸せで溢れていて……〟


 ツーッと、イシルロス様から涙が流れ出ている。


「俺が……っ、俺にもっと力があったら! 今のあなたも救えたはずなのに!」


 何といっても世界の事象に干渉し自在にコントロールできる力を持つ『導師』だ。こんなどうしようもならない状況も覆せるはずだ。


〝……そのお気持ちだけで嬉しいです。ただわたしのような力の使い方はしてはいけません。せっかく……せっかく手に入れた幸せを手放すようなことはしないでください〟


 たとえ『導師』でも、禁忌を犯すにはリスクがあるのだろう。異物ではないので、即排除されるわけではないと思うが、それでも何かしらの罰を受けるかもしれない。


「俺は……あなたに何も返せてない……っ」


 この大きな恩を、どうやって返せばいいのか分からない。だから少しずつ返していこうと思っていたのだ。それなのに……。


〝……ならばこの世界のわたしを……新たな女王を導いてあげてください〟


 この世界の……新たな女王?


 そこでハッとなる。そうだ。イシルロス様は、前の人生の……言ってみれば違う世界線の存在である。

 だったらこの世界には、正真正銘の妖精の女王が……いる?


〝最期に……この世界のわたしを覚醒させます。どうか……彼女を……導いてくださいませんか?〟


 ……断る理由なんかない。それで少しでも恩返しできるなら、迷うことなんてありはしない。


「……俺に何ができるか分かりません。でも……でも俺はあなたたちが大好きだから! ずっと一緒にいたいです!」


 魂からの答えだった。それが無駄に生きた長い人生で得た唯一誇れる感情。

 俺の言葉を受けたイシルロス様は、最期に笑顔を見せた。


 その笑顔は見惚れてしまうほどに美しく、俺の心に深く刻みつけられた。


〝最期に……アオス様には是非とも授けたいものがあります〟


 すると大樹から湧き出るように〝あるモノ〟が現れ、フワフワと俺のところまで飛んできた。


 それは――一張りの弓。


〝妖精樹ティターニアによって造られた――《妖精弓・フェアリアル》です〟


「フェアリアル……?」


 俺は宙に浮いている木製の矢を掴む。ずっしりと、まるで槍のような重さがあった。


〝それは『導師』が持つべき支え。必ずアオス様のお役に立つことでしょう〟


 イシルロス様からの贈り物だ。無下に扱うわけがない。


〝それと……私の真名を……〟


「真名?」


 どうやらイシルロスというのは妖精女王に与えられる称号のようなものらしい。

 彼女は初代、二代ときて、三代目のイシルロスになるのだという。


〝わたしの真名は――〟


 俺は告げられる彼女の真の名前を心に刻む。


「――――これで……わたしの役目は……終わりました。あとは……頼みますね……この世界の…………わた……し……」


 透き通るような美声を零し、イシルロス様は光の粒となって空へと昇っていく。

 俺はそれを掴もうと手を伸ばすが……。


「ひぐっ……うわぁぁぁぁぁぁっ!?」


 涙で滲んで前が何も見えなかった。

 ただただ周囲には、俺と妖精さんたちの悲痛な泣き声だけが響いていたのである。









 ひとしきり泣いたあと、俺は妖精さんたちと一緒にある場所へと向かっていた。

 それは大樹の天辺。


 その中には少し開けた場所があり、中央には幾本もの蔓に持ち上げられた大きな蕾が有った。

 こんな場所があったなんて、この一年間で初めて知った。


 ホワン、ホワン、ホワン、と定期的に淡く発光しているその蕾に近づく。


 すると俺の存在に気づいたように発光が止まったかと思うと、ゆっくりと一枚ずつ、花弁が開いていく。


 そしてすべての花弁が開くと、その中には一人の幼女が眠っていた。


 …………似てるな。


 歳でいうならば五歳程度であろうか。

 その寝顔はとても幼いが、顔立ちも雰囲気も何もかもがイシルロス様とそっくりだ。


 当然だ。ここにいる彼女こそ、俺が世話になっていた女王様なのだから。

 妖精さんたちが、次々と集まり小さな彼女を囲む。


 すると少女の瞼がピクリと動き、周りに緊張が走る。


「……ん…………ぁ……」


 吐息とともに微かな声音が、小さな存在から零れ出てきた。

 そして目を覚ました少女が、目を擦りながらゆっくりと起き上がり、ふわぁ~と大きな欠伸を見せる。


 妖精さんたちに囲まれていることに気づいた彼女は、ニッコリと笑みを浮かべながら周りを見回し、その先で俺の存在にも気づく。


「! ……え、えと……あなたは……誰です?」


 やはり俺のことは知らないか。少し物悲しくなりつつも、俺は平静を保ち笑顔で答える。


「俺はアオス。『導師』だよ」

「……どー……し? ……!? ど、どどどど『導師』様ぁぁっ!?」


 当然驚くよな。でもまずは伝えないといけないことがある。


「おはよう、三代目イシルロスの――――オルル」


 こうしてこの世界で、俺とオルルは再び巡り合ったのであった。



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