第5話 導術

 ――一年後。


 とはいっても【ユエの森】でのことだから、外ではまだ数時間ほどしか経っていない。

 だがこの一年で、本当に多くのことを学ばせてもらった気がする。


 どんな一年よりも濃密で、心から充実した時間だった。

 俺は大樹の前で座禅を組みながら、ここで過ごした期間をのことを思い出していた。


 ただ……。


「きょうもしゅうれんですかー?」

「がんばりやさんなアオスさんをなでてあげましょうー。なでなで~」

「ひまだー、かまえー、おなかへったぞー」


 などと俺の身体に纏わりついている妖精さんたちが好き勝手に喋っている。

 頭の上、肩の上、膝の上、服の中などなど……。


「あ、あの……妖精さんたち、修練の集中ができないんだけど?」


 一応この座禅は、気持ちを落ち着かせ冷静さを保つ修練なのだ。


「まあ……言っても無駄だってのは分かってるんだけどな」


 俺はそのまま立ち上がると、スッと右手を手の平を下にして胸の前にまで上げる。

 身体から溢れ始めた山吹色の導力が、右手だけに集束していき、ギュッと拳を作るとフッと導力が消失した。


 そしてゆっくりと右拳を天高く掲げ、パッと拳を勢いよく開く。

 すると右手から、弾かれたように一気に導力が周囲へと広がる。


 導力は次第にそこにあるすべてのものに浸透するかのように消えていく。

 妖精さんたちは何が起きるのかワクワクといった様子で見守っている。


 その期待に応え、俺は彼女たちが喜んでくれるようなことを行うことにする。


「導術――《森羅変令しんらへんれい》」


 木々の葉が小さな桃色の葉へと変化し、少しずつ散ってユラユラと宙を浮遊し始めた。またそこかしこに咲いている花が楽しそうにリズムを取って動き出し、泉の水が噴水のように噴き出てそれぞれ虹やシャボン玉を作り上げる。


「「「「わぁ~!」」」」


 その美しい幻想的な光景を見て、妖精さんたちが目を輝かせている。

 宙に舞う無数の桃色の葉を追いかけて遊ぶ妖精さんたちや、虹を滑り台にして滑り、シャボン玉の中に入ったり、踊る花々と一緒に歌う子たちもいた。


 一瞬で、そこは賑やかなパーティ会場へと姿を変えたのである。


「――――よくぞここまで成長しましたね」


 不意に声をかけてきたのは、彼女たちを統べる女王様――イシルロス様だった。

 この一年でも変わらぬ美貌を持つ。神秘的な美しさは、思わずドキッとさせられるほどだ。


 だが時折何かを我慢しているような顔をすることがあるので、何か思い悩んでいることがあるのだろうか。前にも尋ねてみたが、時が来れば分かるとだけ言われている。

 彼女のお蔭で今の俺があるので、何か力になれるならなりたいのだが……。


「ふふふ、こんなふうに事象を利用し、妖精を楽しませる『導師』様はあなたが初めてかもしれませんね」

「そうなんですか? 俺は彼女たちが喜んでくれるならいつでもしますけど」


 それに結構高度な術でもあるので良い修練になる。


「それにこの花……確か東方の島国にしか咲いていない桜……ですよね?」

「よくご存じでしたね。そうです。本で見ただけなんですけど、上手く再現できていますかね」


 いつかこの目で見たいと思っている。実物はもっと美しいと思うから。

 まあその国は、海に囲まれていて船の定期便も利用できない場所でもあって、そう簡単に辿り着けないのだが。


「それでは次はわたしとの組手です」


 俺は「はい」と返事をすると、妖精さんたちが「うんしょ、うんしょ」とあるものを俺に持ってきてくれた。


 それは――木製の弓と矢筒である。


「ありがとう、妖精さんたち」


 彼女たちから弓と矢筒を受け取ると、そこから少し歩いてイシルロス様と、ある程度の距離を取って弓を構える。


 そしてイシルロス様もまた、俺と同じような仕草を取る。すると何も持っていないのに、彼女の手には光り輝く弓と矢が出現した。


「では――参ります」


 イシルロス様がそう口にしたのが合図だ。

 彼女が矢を放った直後、どういう原理か、複数の矢となって俺に襲い掛かってきた。


「しっ、しっ、しっ、しっ、しっ!」


 表情を変えることなく、俺は一つずつ向かってくる光の矢に向かって放っていく。

 矢同士が激突すると、その直後に相殺して消失する。


「やりますね。ならばさらに数を増やしますよ」


 イシルロス様が放ってきた矢――その数、二十。

 俺は五本の矢を一度に手に取り、それらを弦で引き――放つ。


 一斉に飛ぶ五本の矢は、イシルロス様が放った五つの光の矢と衝突する。

 そうして四度、素早く繰り返して彼女の攻撃を防ぎ切った。


 その光景を見たイシルロス様が優しそうに笑う。


「大したものです。では最後のこれはどうですか」


 グイッと力強く弦を引くイシルロス様。光の矢が輝きを増し、明らかに力強さを増している。

 そうして彼女が放ったのはたった一本の矢。


 それはまさに閃光となって空気を切り裂いて真っ直ぐ向かってくる。


 前にこの一撃で、イシルロス様が自身よりも数十倍は大きな大岩を砕いてみせた。人間がくらうと間違いなく即死級だ。故に普通は回避することが正しい。

 しかしここで逃げるわけにはいかない。


 焦るな……今までやってきたことをイシルロス様に見てもらうんだ!


 弦を引きながら、俺は道力を矢へと流し込んでいく。

 ギギギギギと、弓から軋む音が聞こえてくる。これ以上力を込めると、先に弓が壊れてしまいそうだ。


 しかしその限界を見極めて――。


「――いっけぇぇぇぇぇっ!」


 全身全霊を込めて放った。

 山吹色の輝きを纏った矢は、イシルロス様の光の矢と比べても遜色ない。


 ――バチィィィィィィッ!


 二つの矢が激突し、互いに押し合うような状況になる。

 火花のような現象が迸り、強力なエネルギーの塊同士が鎬を削っている。


 ――バシュゥンッ!


 俺とイシルロス様の中央でぶつかり合っていた衝撃が、一瞬にして弾けるように消失した。

 俺は恐る恐るイシルロス様の顔を見ると、彼女は嬉しそうにコクンと頷いてくれた。


「…………ふぅぅぅぅぅ~」


 大きな溜息とともに緊張が一気に解かれ、思わず俺は尻もちをついてしまった。

 そこへイシルロス様が近づいてくる。


「……お見事です」

「ははは……何とか、今日は上手くできた」


 俺はここ最近の修練の結果が出せたことが嬉しかった。


「驚きました。本当に成長しましたね」

「イシルロス様のお蔭です! 毎日毎日こうして俺と打ち合ってくれたんですから!」


 最初の頃……というか、つい最近までは一方的に的になってしまうだけだった。

 彼女の放つ矢は、一本一本がとても強力で、同等の力を以て矢を放たないと相殺することもできない。逆に貫かれて攻撃を受けてしまうのだ。


 連射も初めは追い付かず、狙いも定まらずといった感じで失敗ばかりだった。同じく複数同時撃ちだってそうだ。どれも難しいものばかり。


 そして極めつけは、最後の一撃勝負。


 こればかりは本当に苦労した。導力を利用しなければ、絶対に相殺できない彼女の一撃。

 しかし矢に込める導力が強過ぎれば、弓が力に負けて崩壊してしまう。逆に弱過ぎれば相殺し切れない。


 この木製の弓矢は、そのギリギリを見極めなければ相殺できないような造りになっているのだ。

 故にこの見極めと導力のコントロールは非常に困難だった。


「これまでアオス様は、寝る間も惜しんで修練を行ってきました。その成果が実った瞬間でしたね。やはりアオス様には弓術が相応しかったようですね」

「あはは、それについては俺も驚きなんですけど」


 俺には武の才がない。少なくとも父はそう判断した。そして俺もまた実際に父が出した課題すらこなせなかったので、自分には才能がないと決めつけていたのだ。

 しかしそれは間違いだった。


 確かに才能は無かった。槍を扱う才能は――だ。


 父や兄弟たちのように、華麗な槍捌きや騎馬での槍打ちはできなかった。

 ただそれがイコール武才が無いというわけじゃなかったのである。


 イシルロス様が見抜いた。俺が持つ弓の才を。

 だからこうして弓術をひたすら磨いてきたというわけである。


 その気になれば、弓の腕だけでも歴史に名を残せると、イシルロス様のお墨付きだ。

 あの時、前の人生で弓の才だけでも開花していたら、また違った人生を送れたかもしれない。


「俺がここまで自分に自信が持てるようになったのは、妖精さんたちや……イシルロス様のお蔭です。本当に感謝しています」

「そんな……わたしはただ……っ!?」


 その時、イシルロス様が持っていた棒切れを落とし、身体をふらつかせた。まるで脳震盪でも起こしているかのようなその姿に、俺や妖精さんたちは一様に目を見開く。

 そしてそのままイシルロス様が――倒れてしまったのである。





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