振り返るな

 昨日公園であった彼女はきっと誰しもが振り返るであろう美しい髪を携えていた。

私はそれがどうにも忘れられず、今日もまたこの場所へ足を運んでいた。

 きっと彼女はこの辺りで暮らしているんだろう。

あぁ、もう一度、あと一度だけでいいから、会いたい。



「ちょっと。君、今話しても大丈夫かい?」

 警官風の男が近づき、私に声を掛けてきた。

煩わしい。私が会いたいのはお前じゃあない。

「すみません。今少し立て込んでいるので。」

「時間は取らせないんで。ちょっと身分証明証とか持ってない?」

いきなり失礼な奴だ。あのときみたいに殺してしまおうか。

今は夕暮れ。この公園には子連れの親も多く、人目に触れるから我慢するが。

「すみません。これって任意ですよね?拒否したいのですが。」

「さっき、この公園に怪しい人がいると通報があってね。悪いんだけど、話だけでもさせてもらえないかな?」

 引き下がらない。この男は引き下がらないのだ。

段々腹が立ってきた。私は彼女を見たいだけなのに。

そしてそれさえ叶えばこの公園などすぐにでも立ち去るというのに。

「わかりました。少し待っててください。」

 ポケットの中を粗く探し財布を出す。

 私が今提出できる証明証はこの中の運転免許証だけだ。

「はい、ありがとうございます。ええと、”水田俊雄”さんね。はい、これお返しします。」

 その程度の確認なら口頭で済んだはずだ。

腹立たしいな。やはり、ここで…。

「この公園で何してたの?ずっと立ってたみたいだけど。」

「…え?あぁ、はい。ボーッとしてました。」

「今日は仕事なの?仕事は何してるの?」

「うるさいなあ。仕事は普通の会社員ですよ。ほら、あそこのビルの看板の。今は会社帰りですよ。」

「うるさいとか言わないでよ。こっちも仕事なんだから。この辺は最近物騒な事件が起きてるから、君も怪しまれるようなことしないでね。」

「じゃあこれで僕は帰るから、君ももう帰りなさい。」

 露骨に不機嫌な表情を浮かべながら、警察風の男は去っていった。

この公園は市民のものだ。なぜ私だけ立ち去らねばならぬのだ。

「今日は彼女は来ないのか。」

 そのあと公園と少し距離を置きながら3時間待ったが結局彼女は来なかった。

せっかく警察男に見つからないように隠していた果物ナイフも今日は役目を果たせなかった。


 それからも私は公園で彼女を待ち続けた。

一応怪しまれないようにベンチで本を読んだり、ケータイを触っていたりと色々工夫を施したが、彼女には会えず終いだった。

 それと時を同じくしてあるニュースが世間を騒がせていた。



「斎戒市連続OL殺人事件?おいおい、この近くじゃねえか!俺今日初めて知ったぞ!?」

「山下さん、ニュースあまり見ませんもんね。」

仕事合間の昼休み、同僚と会社近くの店内でラーメンを食べていたとき、テレビでニュースが流れ、それについて意見を交わす。

「お前知ってたのか?これじゃあ物騒で夜も寝れねえよ。」

「山下さんはOLじゃないので大丈夫では?」

「そういう問題じゃなくてだな。」

 他愛もないやりとりを繰り返し、次第に話題は流れていく。

ただ、私にはこの事件がどうにも他人事には思えなかった。

「そういやお前、嫁さんは元気か?共働きじゃあ夫婦仲あんまり良くねえんじゃねえかあ?」

「それは勝手なイメージですよ。至って良好な関係です。この間の休みは一緒に水族館に行きましてね。」

「そうかそうか。そりゃあよかった。うちんとこはガキが生まれてからはろくに遊びに連れてってやれてねえもんでなぁ。」

「山下さんのところお子さんはおいくつになられたんですか?」

本当のところ興味はないが、一応聞く礼節だけは持っている。

「…ん?あぁ、そうだな。12…、いや、9歳だ。今年で10歳になる頃だな。」

 なんだ?歯切れが悪いな。

「今は一緒に暮らしてないんですか?」

「んなこたあねえよ。家に帰りゃあいっつもいるさ。」

「え。あ、あぁ、そうですか。」

 それ以上、この話をされたくないのか、彼はスープを飲み干し、勘定を要求していた。



 それから3日後、山下さんが亡くなった。

不慮の交通事故だった。私は驚いたが、不思議なことで悲しみは一切なかった。

生物が無に帰る。それは自然の法則なのだ。ましてやあの男のことだしな。

彼の葬儀が終わった後、疲れた私はいつものように公園に足を運んだ。

すっかり夜も遅くなり、人通りもほとんどない。

この公園こそが私の帰る場所のような気がする。

電灯に導かれ踊る虫たちをじっと見つめ時を過ごす。

「すみません、ちょっといいですか?」

 いきなり声を掛けられた。足音など全く気づかなかった。この私が。

「夜分遅くになにされ…って、あなた確か前も?」

「あぁ、おまわりさんですか。また通報でもありましたか?」

「いや、ただの巡回ですよ。それよりまたぼーっとして、何しているんですか。」

「先日同僚が事故で亡くなりましてね。今日はその葬式帰りなんですよ。」

「それは、辛かったでしょうに。すみませんね。」

「いえいえ。いいんです。こうやってあなたに会えた。」

「え?」

今日の果物ナイフは一味違う。警官が私の挙動に気づき手元に目を運ぶ頃には、それは彼のみぞおち深くに深く深く深く潜り込んでいた。

「ぐぶぉ…、あ、あがぁ…。」

ゆっくり、しかし確実に彼へ深く潜り込ませる。

ありがとう、ありがとう。これで私も彼女に会える。

深い闇夜に血が滴り、照明が照らす彼の苦悶の表情は私と彼女との約束なのだ。

倒れる警官男の後ろに彼女が立っていた。

「あぁ、やっと会えた。」

「君はこうでもしないと恥ずかしがって出てきやしない。」

「その髪に触れたい。触れたい。触れたい。触れたい。」

 目の前の現実に思わず心根が溢れ出す。もう止まれはしない。

私は全て知っていた。この不思議な出来事も、あの事件の真実も、山下の家庭のことも。

 全て知りながら、日常に甘え、平和を愛し、人であることに誇りを感じていた。

「ぐ、ぐぐぐ、お、おま、え、、、が、、はんに、、ん、か、、、。」

 死体となることに抗う警官男が声を絞り出す。

「何を的外れなことを言っているんだ?私が犯罪など犯すはずもない。」

「私にとってこれこそが日常で、これこそが運命なのだ。」

「運命に従うことが犯罪になどなりえない。運命に抗うことこそが罪なのだ。」

ついつい気持ちが昂り、早口になり捲し立ててしまう。

まるで子供の喧嘩のようだ。

 私の答えを最期まで聞けたのか不明だが男は息絶えていた。




 次の日も私はいつも同じように会社に向かい仕事に取り掛かる。

そうやって私は明日も明後日も先の未来を生きていく。

山下や警官男はすでに過去の人間となった。

私は彼らを振り返らない。

もはや彼らの存在には価値もないのだ。

ただ、そんな私にもたったひとつだけ残念なことがある。

それは山下の死により連続OL殺人事件の犯人が永久に捕まらないことだ。

あいつも綺麗な髪の女に取り憑かれていたらしい。

そしてきっと彼の子供も山下と同じような運命を辿ることになるだろう。

私が父と同じ運命を辿っているように。




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