その男、異世界最強生物につき~俺より強い奴に会いに行く。立ちはだかるなら押し通る~
南雲麗
ユージオ・バール求道行
第1話 VS暗殺教団
音もなく、鳥一匹たりとも姿を見せない山深くに建つ霊場の姿に、ユージオ・バールは一つの確信を抱いた。三百歩先の一大寺院、歴史に潜む暗殺教団は、なんらかの方法で己の来訪を悟っている。
ジャリッ、ジャリッ。
軽い革靴に包まれた健脚――と言うのも生ぬるい、力強い意志を窺わせる脚が、砂利道を踏み締めた。男にとって、教団の迎撃体制はむしろ望むところだった。低い気温に呼気を立ち上らせ、笑みさえ浮かべて歩みを進めた。
「面白え」
独りごちる。元はといえば、教団の総帥――齢百五十を越え、歴代総帥すべての技を引き継ぐとされる者――との戦を望んで、この山に分け入った。教団がすべてを賭けて己に挑むのであれば、受けて立つ。それが、ユージオの流儀だった。
強者を掲げ、己より強い者を求めて、強者に徒手にて戦を挑む。ならば、己に挑む者にも、同じであらねばならぬ。彼はそうしていた。
ジャリッ。
不意にユージオは足を止めた。砂利だらけの場に、
ユージオは身を包んでいた外套を脱ぎ捨てる。傷だらけにして筋骨隆々、容貌魁偉の上半身が姿を現した。鍛え上げられた、鋼という言葉すら生ぬるい肉体。筋肉の鎧。果たして、巌は動き出す。立ち上がる。見事な毛並みの、虎が一匹。
「ガウッ!」
先手は虎が取った。その口を大きく広げ、ユージオへと飛びかかる。文字通りの、捕食者の動きであった。頭蓋を喰らい、屠り、肉を食して大地へ返す動きであった。だが。
「遅い」
ユージオの
「ぬあっ!」
重苦しい音と同時に、その口が裂けた。首に衝撃が走り、一瞬のうちに死に至る。圧勝、完勝であった。傷口から降りかかる血を腕で拭い、舌で舐め取る。本命はまだ、この百歩先。そして敷かれているであろう、万全の迎撃態勢の向こうである。ユージオは半ば思いつきで虎の屍骸を引きずり、歩み出した。
***
東方起源の教えを引き継ぐ、悠久の歴史を持つ総本山は今宵、緊張と
霊場の中央に立つ寺院は、広大ながらも素朴で、質実ともに剛健な姿を誇っていた。そして中身は、さらに強壮であった。すべての院が放棄され、すべての戦士が本堂へと集結していた。
魔力灯が常には闇となる本堂を煌々と照らす中、戦士たちは正座し、経文を読み上げていた。その数、千では足りぬほど。本堂を埋め尽くし、大柄な者は身を縮めていた。
見よ。経文を読み上げる戦士たちの四隅に、一際屈強な戦士あり。彼らは『四凶』という。教団の内でも筆頭級の戦士であり、喫緊の事態でもなければ表に出ぬ。皆が東方由来の甲冑に身を包み、剃り上げた頭を布で覆っていた。
そして……仰ぐがいい。四凶よりも一段、否。数段高い位置に座するのは、教団の総帥、ユージオの目的とする人物だ。重厚かつ派手な装束で身を覆い、声明に耳を傾け、祖霊の廟に祈りを捧げている。
齢百と五十。過去の総帥十五代の知識と武技を心得る者。だが、触れ込みとは裏腹に声明にはハリがあり、歳をうかがわせぬ力があった。戦士には背を向けており、誰の目からも顔や表情が見えぬよう、場がしつらえられていた。
過日、総帥は夢を見た。それは祖霊からの忠告だった。枕元に先祖――初代総帥――が立ち、当代の総帥に告げた。『現在に至るまでのいかなる法難。そのどれよりも恐るべき、ただ一人の嵐が襲い来る』。忠告を受けて飛び起きた総帥は、熱にうなされたように防御を固めた。
従来であれば夢として片付けるべきものだ。しかし俗世の噂に、思い当たるものがあった。
人呼んで、『地上最強の生物』。
空を我がものとし、人には感知し得ぬ疾さを持ち、ブレスをもって全てを焼き尽くす古の竜さえも。
強力なる魔王の旗のもと、無類の戦闘力と結束力を有し、人界を常にうかがう魔王軍さえも。
己のみに振るえる聖剣を有し、清らかな心を持ち、いかなる魔にも屈しないとされる勇者さえも。
全ての魔法に通じ、地水火風はおろか光と闇さえも己の操るものとした稀代の大賢者さえも。
人界に君臨し、魔王軍に抗する主体と目される王国とその軍隊さえも。
すべてを睥睨し、蹴倒し、清きも穢きも併呑し、すべてを屠り、すべてを喰らう一人の男がいる。そういう噂だった。
総帥は畏れた。そのような男が教団を襲えば、常の態勢ではひとたまりもない。教団の歴史と結束が引き裂かれてしまう。否。備えてさえも、無事でいられる保証はない。故に総帥はすべてをかき集めた。
常には一人一つの僧院をあてがわれており、時に身内からも恐れられ、時には己にすら抗弁を行う四凶を。
常には各地に派遣し、暗殺を請け負っていた戦士たちを。
未だ極みに至らず、日々修行に邁進する戦士たちを。
霊場には声明をもって結界を張り、嵐が来たれば全戦士が戦場に立てるようにした。ここまでしてなお敗れるのであれば、もはやそれは運命でしかない。そういう覚悟だった。
カチン。
小さな音がして、刻時機が二十四の刻を示した。声明が始まってすでに六刻。されど僧侶たちの声に緩みはない。彼らは常において、身体を苛め抜く数々の行を行っている。この程度の声明で倒れるのならば、それは修行の不足であった。
そして、異音は突然響いた。なにかが弾けるような、割れるような音。結界の破断である。暗殺戦士たちが顔を上げ、四凶が東方由来の武具を構える。術札。籠手。錫杖。
やがて結界を突き破った主――嵐と称されたものの正体――が彼らの目前に立った。魔力灯が、その姿を映し出す。容貌魁偉にして獣の如き凶相を持つ男。その右手には、虎の死骸。門前の守護者を名乗るが如く、霊場に居着いていた虎だった。顔の骨を砕かれ、血に塗れていた。
にいい。
そんな音が聞こえそうな獰猛な笑みが、一番近くに立っていた者どもの心臓を穿った。彼らとて、未熟とはいえ、凄絶な修行を耐え抜いた暗殺戦士。されど、男の獣性が上回った。
さあ、見よ。侵入者は口の端を吊り上げている。嗤っている。彼の右腕が高鳴り、上腕が丸太のごとく膨れ上がる。虎の
「うおおおるあああッッッ!!!」
蛮声。投擲。
尋常ならぬ勢いで投げ込まれた虎により、幾人かの僧侶が押し潰された。それどころか、死骸が床への衝突と同時に弾け、臓物を撒き散らした。汚物にまみれた僧侶が心を乱す。混沌が生まれる。
そして肉の弾丸が彼らを襲った。黒の総髪を逆立てた男は、獅子のようであった。獣の咆哮が本堂をつんざき、暴力の嵐が加速する。広がっていく。
血しぶき。重ね倒し。恐慌。逃亡。軍勢を揃えた分だけ、態勢を整えた分だけ。その反動も大きかった。恐るべき嵐。うめき声、断末魔、悲鳴。反響し、本堂は阿鼻叫喚と化す。しかし、動く者たちはいた。
「おおおおお! アビラウンケン!」
八方に散開した暗殺戦士が、男を囲んで連携爆破術式の構え。呼吸を合わせ、声を一つにする。
「ハアッ!」
「カアッ!」
しかし男はさらに上手だった。八人の連携術式は、男の一喝によって脆くも打ち砕かれた。男が殴りつけた床が飛散し、破片が不可視の攻撃を防ぐ。小爆発が起こる。攻撃の跳ね返りとくだけた破片が、かえって暗殺戦士たちの同士討ちを引き起こした。
「動!」
加速止まらぬ恐慌に、遂に四凶が動いた。錫杖が床を突いて鳴り響き、僧侶たちが戦構えに舞い戻る。暗殺戦士の数多の犠牲は、四凶にとっては必要経費。必殺必滅の術式が、詠唱時間を終えて。
「塞ッ!」
「縛ッ!」
「錠ッ!」
「破ァッ!」
発動前、最後の一節が四方から連呼され、男の動きを封じ、押さえつけ、打ち砕く。一糸乱れぬ連携戦術。
見よ。これがかの教団の本来の姿。熟達した一人一人による、高度な連携。精鋭の軍。暗殺戦士たちも、これで勝ったと狂喜した。感涙する者もいた。破壊術式の轟音が響く中、彼らは勝利の歓びに浸った。だが。ああ、だが。
「……っ。ちぃと、効いたなァ」
音と煙が晴れた先に、敵たる男は悠然と立っていた。首をコキコキと鳴らし、何事もなかったかのように佇んでいた。
否。いくつかの出血はある。傷も増えている。しかし致命傷はおろか、戦闘能力を殺ぐことさえも
「これで終わりか?」
黒光りした肌が、魔力灯に怪しく照らされた。決して暑くはない環境にもかかわらず、ほのかに湯気が立ち上っていた。
「否!」
「壱!」
「ほお」
最初に跳んだ四凶はしかし、凶相に思惑を阻まれた。直後、彼の視界は黒に染まった。正体は、強烈な頭突き。強制落下した彼の身体は、完全防備故に他の僧侶を巻き込み、本堂の床を叩き割った。
「弐」
「ナメるな」
四凶の一人が床をぶち抜く頃には、男は二人目の直上を制していた。本来ならありえぬ光景。容貌魁偉に似合わぬ跳躍力。
「むがっ!」
二人目の脳天に、男の両拳が刺さる。床へと撃墜され、これまた他の僧侶を巻き込んだ。逃げるか、従うか。僧侶たちに混乱が走る。その中で男は三度跳ぶ。逃げ惑う僧侶の一人、その肩を踏み台にした。
「ゔっ!」
哀れな僧侶の悲鳴は、恐慌にかき消される。しかし彼は幸いだった。肩が砕けた激痛によって気絶し、死ぬこともなく、このあとの顛末も直視せずに済んだのだ。
ともかく、男は跳んだ。呼応して、残りの四凶も動いた。上を取らんとする男に対して一人が跳び、一人が仕込み錫杖を突き上げる。挟み撃ちの構え。しかし。
「遅い」
男の跳躍力は、二人の予測を上回っていた。突き出される独鈷杵よりも疾く、男の脚が三人目を蹴倒していた。錫杖をかわされた四人目は、横薙ぎに切り替え、男を撃ち落とさんとする。だが。
「のろい」
男はすでに、彼の目前にいた。左側頭部を蹴倒す、凄まじい一撃。僧侶たちを巻き込み、吹き飛ばす。先に倒した三人目も、ほぼほぼ同じ状態だった。
この四つの撃破が引き金となり、僧侶たちの抵抗は終焉した。もしも混乱をまとめられる者がいれば。それでなくとも、場の全員で打ちかかることができれば。さらなる犠牲の果てに、男を仕留められる可能性はあっただろう。
しかし、すでに軍勢は壊滅していた。生き残りの半数以上は失禁し、泣きながら仲間の救命を試みている。骨を折り、血を流した僧侶たちのうめき声が、地獄にも似た状況をもたらしていた。こうなっては、統率行動など不可能である。
「……」
ユージオは僧侶どもを睨みつけ、軽く嗤った。闘気を撒き散らしながら、本堂を目標めがけて突き進む。僧侶どもが左右に別れ、彼のために道を作り上げた。血と小便による臭いが立ち込め、男の獣臭と交わっていく。高めていく。
「狂人め……」
うめき声さえはばかられるような静寂の中に、誰とも知れぬ声が響いた。途端、僧侶たちの間で動揺の気配。しかし、ユージオは動じなかった。毛先の一本までも、何一つ動かすことはなかった。彼にとって、その程度の雑言はよくあることだった。それこそ己が、今の生き方を志した時からだ。今更動じるほど、怒り心頭に発するほど、彼は愚かではなかった。
かくして彼は突き進み、遂に目的の背後へと立った。気配を感じ取った総帥が、顔を向ける。すべては僧侶たちから隠されていた。意図の有無にかかわらず、ユージオの身体が、僧侶どもの視線を遮っていた。そして、ユージオは目を剥いた。視線の先には尼僧の少女。見る限りでは、まだ成人にすらなっていなかった。
「あ」
なにかを言おうとする尼僧を、ユージオは手で遮った。ユージオはすでに悟っていた。すべては教団の誇大広告。神秘性を高め、より強大となるための宣伝工作だったのだ。ユージオは息を吐き、小さく少女に告げた。
「そのまま向きを直せ。なにも話すな」
少女はただただ従い、祖霊の廟へと向き直った。それを確認してからユージオは、僧侶どもを睥睨し、段を降りた。もはや連中への興味はなかった。期待を裏切られた怒りはあるが、僧侶どもに当たっても変わる話ではない。彼は憮然としたまま、本堂を去った。
***
酒飲み、物売り、吟遊に夜鷹。都市が持つ喧騒と退廃の匂いに、凶相の男は顔をしかめた。通りすがりの市民は皆一様に距離を取り、ユージオを遠巻きにする。街に似合わぬナリをした男。その対応としては及第点だった。
「……うるさいのも悪かぁねえが、やはり気に食わんな」
総髪を逆立てることもなく、容貌魁偉を外套に隠して。男は王都の繁華街を突き進んだ。人界大陸。その西方随一の都市を歩む彼の足は、真っ直ぐに厳しい路地へと入り込む。無論衛兵が出て来るが、ユージオは証書一枚で黙らせ、従えた。彼らの誘導のもと、先方指定の店へと向かう。
「来たな」
「相変わらずこの街は……」
「そう言うてくれるな。偉大なる我が祖国の首都だ」
通された奥の部屋では、一人の男が葉巻をふかしていた。彼にとって、因縁深い知人である。殺し合い……否、喰らおうとしたことも幾度かあった。もっとも、今は忌憚なく会話ができる。ユージオにとって、数少ないそういう人物だった。そして、証書を発した当人でもある。
「暗殺教団は喰い応えがあったかい」
「……チッ」
葉巻の男の問いかけに、ユージオは舌を打った。今思い出しても腹が立ち、顔が歪む。そんな様子を見て取ってか、葉巻の男が軽く笑った。
「どうやら一杯食わされたか。噂もあてにならんな」
酒を一息に飲み干し、葉巻の男がユージオを見た。老けたな、とユージオは思った。片目に刀傷を宿し、口周りには灰色混じりの髭。人界大陸でも指折りの強国たる王国。そのすべての軍権を握る大将軍というのは、やはり難しい立場なのだろう。
「……俺は餓鬼、しかも娘を殴りに行ったわけじゃあねえ」
「『地上最強の生物』にしては、少々甘くないかね」
「その二つ名で呼ぶな。あと俺は暴力至上主義じゃねえ」
ユージオは『火』と呼ばれる酒を注文した。凄まじい
「俺は俺より強い奴に会う。そして喰らう。それだけだ」
注文からさほど経たぬうちに、『火』はやって来た。ユージオは一息に飲み干すと、特に酔った様子も見せずに立ち上った。
「もう行くのか」
「喰い足りねえ。西の大森林へ行く」
それだけ言うと、ユージオは早足に部屋を立ち去った。一人残された大将軍は天井を睨む。描かれている美女に向けて、独り言を発した。
「……強すぎる、というのも考えものだな。満足行く相手を探すにも難儀する」
力なく発した言葉は、誰にも顧みられることなく、その場に消えた。
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