生ぬるい日常の揺り籠、割れた窓ガラス

 日本の歴史は忍者なしでは成り立たない。有名な戦国武将も、忍者の助けなしではのし上がれなかった。

 日本は、実は、忍者の国である。忍者が支配するのが正しいのである。


 忍者たちは一致団結して、影の存在から表舞台に飛び出そうとした。忍者という個性を人々に認めてもらいたいと思った。公道を忍者が闊歩し、ごく普通に「職業、忍者」と胸を張る。子供たちは作文に「うちのお父さんは忍者です。総理大臣の影武者をしたことがあります」と誇らしげに書く。

 それが、目的のはずだった。忍者だって目立ちたい、忍者だってイキイキしたい。飛び出せ、忍者。はっちゃけろ、忍者。


 ところが、団結していたはずの忍者の中に、「いやちょっと待てよ。俺らもしかしたら、もっとイケるんじゃね」と思い始めた者がいた。

 日本を忍者が支配し、それどころか、日本の国民全員を忍者化するために忍者党が立ち上がり、表向きはのほほんと楽し気に活動を始めた。本来の目的を見失った一部の忍者たちが、忍者党に靡き始めたのがきっかけで、僅かな時間の間に、忍者たちは見事に分裂したのである。

 

 日本忍者化計画をかかげる忍者党側と、「忍者だって輝きたい」をモットーに、普通の人々の中で堂々と忍者をやりつつ、穏やかに生きてゆこうとする忍者たち。

 二つの相いれない忍者グループは、戦うことになった。

 その戦い方は、やっぱり忍者らしく、影のように――まるで何事もおきていないかのように――ひそやかに行われていた。


 ブッブブー。

 朝の込み合った国道、出勤ラッシュの道の真上で、しゅんしゅんと、信号機から電信柱に飛び移る黒い人影。

 ガタタンゴトトン。

 通学ラッシュの電車の中、座席の下で、あるいは荷物棚の上に潜む忍者たち。


 忍者党の忍者にとって、平和派忍者は反勢力。逆もまたしかりで、平和派忍者にとって、忍者党は外道である。

 こうして、お互いをけん制し合う忍者同士の戦いの幕が切って落とされた。それは、令和の時代の夏のことだった。


**


 「乙女へ。パパとママは遅くなりますから、ごはんはレンジでチンして下さい。火の元、戸締り気を付けて。洗濯もの畳んでおいてくれると助かります」


 ママからの置手紙を読み終えて、テーブルに戻した。しいんと静かな台所は、朝から生ぬるい。

 夏休みはどうしてこうも、けだるいんだろう。ラジオ体操に行くために身支度して起きて来たら、もう既にパパとママはいなくなっていて、朝ごはんのパンとトマトのお皿がテーブルに乗っていた。


 ママが昨晩洗濯機を回した洗濯物は、サンルームに吊るされている。夏だから、夜の間だけで十分に乾くのだ。

 さっき、ちらっと覗いたら、サンルームにはピンクのカエル柄の忍者装束と、足袋が干してあった。ママの趣味であろう。


 もそもそとパンをかじってから、覇気のないまま外に出る。お勝手から庭に出ると、うっと呻いた。既に夏の日差しは強くて、庭はむんむんと温もっていた。

 ラジオ体操のカードを

 首から下げているけれど、ひらりともそよがない。風が全くなかった。


 てくてく歩く。なるべく、隣を見ないようにする。

 あの日から、甲賀家は消滅したままだ。うちのお隣は、ずっとそうだったように、空き地になっていた。

 時々、歩きながらいつものくせで、「忍太郎、あのさ」と背後に向って話しかけてしまう。返事が返ってこないので、ああ、そうだった、忍太郎はもういないんだ、と思い出す。


 ある日唐突に、一晩でにょきっと出来上がった甲賀家は、消滅する時も唐突だった。

 ポニーテールの、へんてこな忍者少年と、ちょんまげ頭のお医者さんと、襷がけをした看護師さん。そんな人たち、本当にいたのだろうか、もしかしたらわたしの夢だったのかもしれない、などと思う事もある。

 それは、悲しい妄想だった。


 歩きながら、ぱらぱらと前髪がうるさくて何度もかきあげる。

 パッチン止め、新しく買わなくてはならないのに、なんとなくお店にいきそびれてそのままになっているのだ。

 家にいる時はヘアゴムで前髪をまとめたりしているが、パイナップルみたいな格好になるのが恥ずかしいので、流石にそれで外には出られない。

 

 パッチン止め、気に入っていたんだ、密かに。

 鈍いシルバーの、地味だけど、品が良いやつで、目立たなくて小さくて、だけどちゃんとパッチンできるやつ。

 髪の毛がさらっとしているから、たいていのパッチン止めだったら、そのうち滑り落ちてしまって役に立たないのよ。あのパッチン止めは、結構役に立っていたんだ。


 サマースクールで忍太郎に盗られて以来、わたしはパッチン止めを付けていない。

 そう、あの時――歩きながらドキッとした――おでこにチューされた時に。

 (忍太郎)


 パパもママも家にいる時間が少なくなった。ここ数日、遅くに帰ってきて早くに出て行くから、顔も見ていない。

 忍太郎も消えてしまった。

 あきちゃんは毎日うちに来てくれるけれど、にこにこしているだけで、何も語ってはくれない。絶対、あきちゃんは今なにが起きているのか分かっているはずなのに。


 「乙女ちゃんは姫でいていいの。いつも通りなの、普通なの。そうしてくれていたら、乙女ちゃんは安全でいられるし、護ってあげられるの」


 にこにこ。あきちゃんの笑顔は優しい。だけど口調は有無を言わせない強さを含んでいる。

 だめよ、乙女ちゃんはここから出ちゃ駄目。ここにいるの。わたしと一緒にいるの――あきちゃんの目は時々怖くなる。宿題をするふりをして、ちらっと見ると、あきちゃんは窓の外を睨んでいて、ぎゅっと唇をかみしめるような表情をしている。


 流石にわたしは分かって来た。

 パパもママも、あきちゃんも、恐らく忍太郎も、それどころかそのへんの人々みんな、物騒なことをやっている。戦いみたいな感じのことをやっている。

 だけど、その戦いの中に、わたしは入れてもらえない。

 ひゅっと耳元をすり抜けて何かが銀色に光って飛んで行き、はっと振り向いたら民家の壁に手裏剣が刺さっていたりする。

 あれっ、と振り向いても誰もいなくて、えっ、でも今の手裏剣だったよね、と、改めて壁に刺さっているはずの手裏剣を確かめようとしたら、その時には既に手裏剣は消え去っている。

 

 なーんも、起きていません。

 いつもどーり、ふつーです、ふつー。


 しらじらしい平和の中に、取り残されている。わたしは。

 

 ラジオ体操のために公園に集まる子供たちは、みんな、わたしと同じように偽の平和の中に取り残されたひとばかり。

 寝ぼけたような顔をして、なんで夏休みなのに早起きしなくちゃいけないんだよと不服を呟き、それでもしっかりラジオ体操カードを首から下げてきている。


 ラジオ体操当番の大人は、Tシャツだったり、忍者装束だったり日によってさまざまだ。

 もしかしたら、大人の中にも偽の平和の中で普通の生活を送り続ける人がいるのかもしれない。きっと、いろんな立場があるのだと思う。

 

 大事なひとには、影の争いなど知らないままでいてほしい、平和の中で安全に過ごしていてほしいと願う立場。

 あるいは、知らないふりをしながら、戦いの中に出向いた人の安全を祈りながら過ごす立場もある。


 知らないふりをしながら、のほほんと振舞う人々。

 わたしは、その中にいるのだ。なにか、とても歯痒いのだけど、だからと言って、わたしはヘンテコな忍者戦争の中に自ら飛び込むわけにはいかない。

 (そんな馬鹿なことが起きているわけがない、いつも通りに決まっている)

 と、わたしはまだ、頑固にしがみ付いている。

 分かっているのに。本当は。


 今この瞬間、ラジオ体操をしている背後で手裏剣が投げられ、爆薬が破裂し、ちゃりんちゃちゃりんと忍者刀がぶつかり合う音を立てていることを、絶対に、認めたくないのだ。

 (あるわけがない、そんなことが起きているわけがない)


 ラジオ体操のスタンプを押してもらった子たちが、宿題の進捗を言い合っている。

 昨日より、集まる子供の数が少ない。一人、また一人と、ラジオ体操に集まる人数が減っている―ー偽の平和に耐えきれず、忍者ワールドに飛び込む子が続出しているのか。


 「はあーあ」

 溜息が出た。とぼとぼと家に帰った。てくてく歩いて振り向いても、やっぱり一人きり。忍太郎は、どこにもいないのだった。

 (しっかりしなくては)

 今日は登校日。

 学級委員長がこんな調子では、いけない。今日提出の作文の宿題もあったはずだ。


 前髪がうるさいので、ママのピン止めを借りてゆこう。支度しなくちゃ。わたしは家に入った。


**


 けだるい登校日。

 ほんの半日、学校に行くだけだけど、登校日というのは夏休みの節目である。ああ、お休みが刻々と終わってゆくのだなと、登校日が来るたびに確信するのだ。

 あきちゃんと待ち合わせて学校に向かう。あきちゃんはいつも通り、にこにことして、昨日のテレビの話題を出してきた。喋っていると、気が紛れた。たとえ、あきちゃんと並んで歩いている横を、「しゃっ」と、黒い影が走り抜けたり、頭上を「ひるるるる」と狼煙が弧を描いて打ち上げられたりしていても、無視してお喋りすることができる。

 知らない知らない、なーんも知らない。いつもどーり、世の中は通常運行しております。

 好きなテレビドラマも滞りなく放送されているし、宿題もちゃんとやっている。大丈夫、変なことなんか何一つ起きていない。


 しかし校門から中に入った時、聞き覚えのある声が高らかに響いて来たので、ぎくっと立ち止まった。

 乙女ちゃん、と、あきちゃんが注意を逸らそうとしたけれど、わたしはそれを、もろに見てしまった。


 校庭では、クラスメイトたちが黒装束を纏って、なにかしている。走っていたり、ジャンプしていたり。忍者の修行に打ち込んでいる。

 中心で指揮を執っているのは、桜子さまなのだった。凸子と凹子を従え、桜子さま自身も忍者装束を纏い、凛々しく腕組みなどして、お立ちあそばしている。


 「戦国小学校6年1組は最強のクラスですのよっ」

 桜子さまが叫んでいる。胸を張り、誇らしげに目を輝かせて。


 わたしは茫然と、見ていた。

 校庭でクラスみんなが忍者になっているのを、自分はランドセルを背負い、ママのヘアピンを前髪にさした姿で、遠くで眺めているだけ。

 活き活きと指揮を執る桜子さまの後姿を見ているうちに、もわもわと焦りの様なものが沸いてくる。それは、怒りに似ていた。


 「なにしてるのよ、みんな。早く教室に入って、作文を提出してもらわなくちゃいけないのに」

 読書感想文、今日が提出日なのに。

 学級委員長は宿題を徴収し、誰が提出していないのか、先生に報告しなくてはいけない。

 

 もうすぐ予鈴がなるのに。

 もう、みんな教室に入っていなくてはいけないのに。


 なにをしているの。

 

 「乙女ちゃん」

 あきちゃんが、わたしの腕を掴んで首を振った。ぎゅっと眉間にしわが寄っている。心配そうな顔で、あきちゃんは言った。

 「駄目だよ、乙女ちゃん。ね、教室に行こう」


 あきちゃんに引き留められて、わたしは立ち止まる。

 その一方で、校庭の桜子さまは高らかに叫び続けている。

 「そこーっ、もっと早く軽やかに走らないとッ。そこーっ、手裏剣の命中率が低すぎる、もっと集中してーッ」


 リン、ゴーン。予鈴が鳴る。どくんと心臓が重たい音を立てる。

 桜子さまが振り向いて、わたしを見た。口元があでやかに笑みを浮かべている。その麗しい唇が、ゆっくりと動いた。


 「わたしが学級委員長」

 と、唇が形を作った。

 愕然としているわたしを、あきちゃんが引っ張った。よろよろと校舎の中に入り、マリオネットになったような気分で内履きに履き替え、教室に入った。

 がらんとした教室。誰もいない席。しいんとした生ぬるいクラスを見て、わたしは戸惑った。


 誰も教室に入ってこない。それもそうだ、みんな、桜子さまの指揮のもと、校庭で訓練しているのだから。


 ことん。自分の席に座った時、わたしは嫌という程思い知った。

 下剋上だ、これは。

 今の学級委員長は、実質的には桜子さまだ。わたしは名ばかり学級委員長。誰も、わたしの言葉など聞かないだろう。


 がらっと先生が教室に入って来た。一瞬クラスの中を見回したけれど、表情をかえることなく普通に教壇に立つ。

 きりーつ、れい。あきちゃんとわたししかいない教室。わたしの号令が虚しく響く。

 体が震えている。椅子に座る足が、がくがくと頼りない。

 先生が、いつものように、「今日提出の作文を集めてください」とわたしに言った。わたしは立ち上がり、あきちゃんと自分の分の作文を重ねて先生に渡した。


 その時、どうん、と、校庭で音がした。

 火薬が爆ぜたような音だ。どくん、と胸が鳴った。見てはならない、そこでは何も起きていないのだ――必死になって自分に言い聞かせる。

 一方、先生は何も起きていないかのように「夏休み中はだらけやすいですが、規則正しく生活をしていますかー」と、話している。聞いているのはわたしとあきちゃんだけなのだけど。


 しゅしゅしゅっ、かんかんかんっ。

 すごく気になる物音が窓の外から聞こえてくる。何、一体なにが起きているの、そこで。

 だけど、わたしの中の「学級委員長、花山田乙女」が、意固地になり、絶対にそちらを向かせようとしないのだった。

 

 何も起きていない、さあ先生の話をよく聞いて。

 あるわけがないじゃないの、忍者戦争が起きているなんて。

 そんなことが起きるわけがないじゃないの、学級委員長の下剋上なんて。

 ありえない、ありえない。

 絶対に、そんなこと、ありえない。


 まだ先生の話は終わらない。ちくたくと時計はかたつむりのように時を刻む。


 パリーン。

 窓ガラスが割れる音がした。校舎のどこかの窓が割れた。

 先生は眉ひとすじ動かさず、淡々と話を続けている。

 パリーン。また聞こえた。ああ、また。どんどん近づいている気がする、窓ガラスの割れる音が。

 あきちゃんも、動かない。なにも聞こえていないかのように、微動だにしない。静かに先生の話を聞いているみたい、あきちゃん。


 パリン、パリン、パリン、パリン。

 ああ―ーわたしは怖くなった――窓ガラスが次々に割れている。こっちに近づいてきている。危険だ、間違いなく危険だ。

 外を、見なくちゃ。なにが起きているのか、ちゃんと見なくちゃ。


 いきなりあきちゃんが立ち上がると、わたしを床に突き落とした。思いがけないほど凄い力だった。

 べしゃっと顔面から床にたたきつけられ、わたしは悲鳴すら上げられなかった。

 

 「・・・・・・夏休みあけにはテストがありますが、宿題をすることで復習になります。宿題がそのままテスト勉強になるので、みなさんちゃんと宿題をやってくださいね」

 先生の話はえんえんと続いている。

 

 「あきちゃん」小声でわたしは叫んだ。

 見上げると、片膝をついて体を支えるあきちゃんが、険しい表情をして窓の外を睨んでいた。額から血が流れているのを見て、わたしは悲鳴を上げた。あきちゃんが、わたしを見て優しく微笑んだ。


 「大丈夫よ乙女ちゃん」

 あきちゃんは言った。

 「よく聞いて」


 登校日が終わって、まもなく乙女ちゃんはおうちに帰るでしょ。大丈夫、わたしが喰いとめるから、乙女ちゃんはいつも通り、なにも変わらずに、おうちまでたどり着くことができるの。乙女ちゃんがおうちに入るまで、絶対に誰にも、指一本、触れさせないから安心して。


 たらたらと、額から赤いものを零しながら、あきちゃんは言った。笑顔だった。

 その笑顔を見ていると、わたしは何故か泣けてきた。あきちゃん、あきちゃん、どうしてそこまでして。


 はいでは、今日はこれまで。また次の登校日に、みなさんの元気な顔を見るのを楽しみにしていますよー。

 

 先生のお話は終わった。がらっ、ぴしゃっ。先生が教室から出ていった。

 ぼんやりと床に座り込みながら、それを見送った。

 「あきちゃん」

 呼びかけても返事がなかった。振り向いたら、あきちゃんの姿は跡形もなく消えていた。


 こなごなに割れた窓ガラスの破片が、机の上や床に散乱している。

 ぽちょんと、赤い水滴が一粒、床で光っていた。あきちゃんの額から零れた血の跡だった。


 わたしは半べそになりながら立ち上がった。わなわなと足が震えてうまく歩けず、何度かつまずいた。ちゃりっと足元で砕けたガラス片が音を立てた。ランドセルがかたかた音を立てる。


 ぼうん、ぼぼっ。

 火炎が爆ぜるような音。ふわっと鼻をよぎる、焦げ臭い臭い。


 廊下がぐにゃぐにゃと歪んでいるみたい。あっちにぶつかり、こっちにぶつかり。わたしはおぼつかなく歩いた。

 いつも通り、何も起きていない、平和な令和の日本。そうよ、当たり前。今ここが、忍者の戦場だなんてありえない。絶対に、ありえない。


 そうよ、きっとうちに帰ってしばらくしたら、いつも通りあきちゃんが来る。一緒に宿題しようよ、と笑顔で。

 冷蔵庫にジュースがあったはずだから、今日はそれを出してあげよう。あきちゃん、今日もきっとオヤツを持ってくるんだろうな。気を使わなくていいのに。


 ぐらぐらとする頭を堪えつつ、玄関で靴を履き替えた。

 校舎の外に出た時、暗いところから明るいところに来たせいで、一瞬あたりが真っ暗になる。あっと立ちすくんだ。

 

 立ちくらみか。

 額に手をあてながら目を開いたら、そこに桜子さまが腕組みをして立っていたので驚いた。艶やかな瞳。どこか妖艶な笑顔。

 桜子さまは、もう三つ編みではなかった。髪の毛をときほぐし、野性的に風になびかせている。忍者装束がよく似合っていた。


 「花山田さん、あなた」

 突き放すように、桜子さまは言った。まるでわたしを見下ろすように。


 「いつまで、ぬるま湯の中に浸かっていらっしゃるの。戦いを放棄するようなひとを、学級委員長だなんて、わたしは認めませんことよ」


 ボンッ。ドカーン。

 爆風が沸き起こる。校庭でなにかが起きている。

 暗い色の炎が踊り、その色を背景に、桜子さまは逆光になっていた。髪の毛が爆風にあおられている。桜子さまは、ふん、と、鼻で笑った。


 「護られてばかりのあなたなど、わたくしのライバルでもなんでもありませんわ」


 唖然としているわたしの前で、桜子さまはすっと身をかがめた。

 そして、あでやかに跳躍し、一瞬後、もうそこには桜子さまの姿は見えなくなっていた。


**


 校門を出る。

 最初はふらふらと歩き、やがてわたしは駈足になった。

 息が切れている。涙が込み上げてくる。

 この焦りは何なんだろう。一体、わたしはどうするべきなんだろう。

 

 あきちゃん――いなくなってしまった――わたしを護るためだ、きっと。

 パパ、ママ。

 

 忍太郎。


 夏の鮮やかな青空。蝉の声。

 太ったおばあさんがプランターに水をやっている。

 いつもと変わらない、なんら変わらない平和な夏休み。


 だけど、わたしはもう耐えられなかった。

 

 「忍太郎、来てよ。忍太郎」

 誰にともなく呟いた。

 ううっと嗚咽が込み上げる。溢れる涙をぬぐいながら、わたしは走る。

 いつもの通学路。


 その時、クラクションの音が鳴り響いて、わたしはぎょっとした。

 我を忘れて走っていたせいだ。目の前の信号は赤なのに、わたしは横断歩道を中ほどまで渡っていたのだ。


 黒い車が突っ込んで来るのが見えた。


**


 そうだった。

 日常の中にも、危険はたくさんあったんだ。忍者戦争のまっただ中じゃなくても、普通に命の危機はある。例えば、交通事故とか。


 フロントガラスから見えるドライバーは、背広のおじさんだ。

 考え事でもしていたのかもしれない。横断歩道を渡るわたしに気づかなかったのだろう。


 ああ、わたしはなんてトロいんだろう。

 迫る車を眺めながら、足がすくんで動けなくて焦りながら、わたしは自分で自分に呆れた。

 せっかくパパやママやあきちゃんが、わたしを護ってくれようとしてくれていたのに、この有様だ。


 (ごめん、パパ、ママ、あきちゃん)


 わたしは目を閉じた。

 その時、「ニンッ」と、懐かしい声が聞こえたような気がした。

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