夏だ、忍者だ、合戦はじまる

 「忍者党からのお知らせです。忍者よ、立ち上がれ。この日本は本来、忍者の国である。あなたのおうち、学校、職場から始まる忍者による忍者のための国造り企画、この夏より始動。今や時代は忍者。もともと忍者のひとも、今から忍者になるひとも、立ち上がろう、そして戦おう、反忍者勢力と」

 

 バックミュージックは呑気な忍者党のテーマソング。

 アナウンスも温和そうなお兄ちゃんの声なんだけど、一体なにを言っているんだろう。早朝からけたたましい音でたたき起こされた。


 夏休みである。

 ラジオ体操にはもちろん毎日行くけれど、それよりももっと早い時刻から、最近、選挙の宣伝カーみたいなやつが団地を走っている。忍者党の宣伝カーだ。

 (はた迷惑な)

 目をこすりながら起きる。時間は5時50分。まあいい、ラジオ体操にも行かなくちゃいけないから、着替えてしまおうかな。


 とんとん階段を降りてゆくと、台所の方からパパとママの話し声が聞こえて来た。このところ、二人とも朝が早い。ママは、本業の忍者をやるとかで、現在会社をお休みしている。パパは――どうなんだろう、ママによれば、仕事のめどがつき次第、ママと同じように休業し、忍者になるって言っていたけれど。

 自分の父親のことを自慢するわけではないけれど、パパは優しくて頭が良くて常識をわきまえている。いつも落ち着いていて、頼りがいがあるのよ。こんなパパだから、時々ふわっとブチ切れて目隠しイノシシになるママをたやすくあしらう事が出来るんだと思う。

 (パパは大丈夫だと思う)

 

 そうだ、パパはいつもどっしりとして、そこにいるだけで安心できる。

 そういえば、ここ最近ずうっとパパに会っていなかった。お仕事が忙しいらしくて、朝は早いし、夜は遅い。いつもわたしとすれ違うようにして帰宅して出勤する。パパは、うちに寝に帰ってきているようなものだったのだ、ここしばらくの間は。

 今朝は久々に会えるらしい。ちょっと嬉しくなった。

 パパ―、おはよう、と台所に入ってゆくと、流しに向ってご飯を作っているママと、テーブルで新聞を読みつつテレビの音を聞いているパパの姿が見えた。ママはあれ以来、うちにいる時だろうが買い物に行くときだろうが、忍者装束を纏っている。しゃれっ気というか、黒一色ではないところがママらしくて、今日は地味な色合いではあるが、よく見たらハイビスカス柄が大胆にプリントされた忍者装束を着ているのだった。


 「あらおはよう、乙女。あの糞煩い胸糞悪い糞宣伝カーに起こされたんでしょう、かわいそうに」


 ママ、おはよう。朝から三回も糞って言ったわ。

 それにしても、わたしはおかしくなったらしい。テーブルに座って新聞を読んでいるパパが、ワイシャツではなくて、忍者装束を着ているように見えるのは、どういうわけだろう。


 「おはよう、乙女。よく眠れたかい」

 パパが、新聞をテーブルに置いた。穏やかな笑顔。聞いていると安心できる、ゆったりとした喋り方。

 ああ、パパはなんて深緑が似合うんだろう。深緑色の、忍者装束。

 (どこで売っているんだろうか)


 「乙女、パパとママは本家に行って来る。帰りは遅くなるかもしれないが、自分でごはんを温めて食べて、お風呂に入って寝ていなさい」

 パパが静かに言った。

 「戸締りをきちんとしなさい。乙女なら大丈夫だね」


 本家に。

 立ち尽くしているわたしに、ママが、はやく座って頂戴、パンを焼くからラジオ体操行く前に食べなさいよ、と言った。

 茫然と、わたしは座った。ママがてきぱきと冷凍食パンをオーブントースターに入れている。どぼどぼと牛乳がグラスにつがれ、はいっと目の前に置かれた。ちゃぷんと、白い波が滴を立てた。


 「あっ、プール行くなら水着はサンルームに干しっぱなしだから、取って行ってねー。戸締り頼むわよー」

 ママはあくせく動きながら言う。しゅー。やかんのお湯が沸いている。


 忍者の格好して、うちの親二人して、本家に。

 

 「パパまで、お仕事休んだの」

 牛乳の水面を見つめながら、わたしは言った。

 パパは普通に「非常事態だからね。乙女はなんの心配もしないでいいんだよ。普通にしていなさい。そうしたら安全だから」と、言った。


 ぱらららったらー、らったったー。

 唐突に、勇ましい着音が響く。ママの携帯の着信音は、昭和時代の忍者アニメのオープニングだ。

 ママはさっと素早く携帯を取った。おはようございます、はい、ああ、そう、もうあと何分かでそちらに参ります、とか早口で言っている。多分本家のおばちゃんと話している。

 「ええ、そうです、乙女は普通にしています。乙女はそういう子ですから、それでいいんです」

 ふいに、わたしの名前が出たので、ぎょっとした。

 

 チン。パンが焼けたらしい。ママが携帯で喋りながら、片手で熱いパンを取り出し、わたしのお皿に放り込んでくれた。こんがりトーストが香ばしい匂いをたてている。


 乙女はそれでいいんです。そういう子ですから。

 ママの言葉が妙に引っかかった。


 パンを食べていると、パパが立ち上がった。ママも、できあがった炒め物をラップして冷蔵庫に入れている。いつの間にか、流しは片付いていた。

 深緑の忍者装束姿で、パパが腕時計を見た。


 「行くか」

 「ええ」

 

 パパとママは顔を見合わせると、同時にわたしを見た。


 「乙女、戸締りをしっかりしなさい」

 「乙女、ごはんは冷蔵庫にあるわよ。チンして食べなさいね」


 二人はお勝手から外に出る。戸が開いた時、ぶわっと夏の空気が流れ込んだ。

 

 あっとわたしは立ち上がった。二人とも、何時に帰ってくるのか聞くのを忘れた。

 慌ててサンダルをつっかけて外に出ると、さっき出て行ったばかりのパパとママの姿は、もうそこには見えなかった。


**


 ラジオ体操に来た子供たちは、みんな仏頂面だった。なんで朝早くから起きなくてはならないのか、夏休みなのに。そう思っているのが見え見えである。

 ぶらっとやって来た、今日のラジオ体操当番のおじさん。ラジオを片手に凄い勢いで走って来た。子供より大人の方が遅いなんて、たるんでいる。


 「やーごめんごめん、間に合った」

 おじさんはにこにこしていった。額の汗をぬぐい、ブランコの側にラジカセを置いて、スイッチを入れた。大音響で早速ラジオ体操が始まった。本当にギリギリセーフじゃないの。

 というより、だ。


 かったるそうにラジオ体操する子たち。それを腕組みして眺めているおじさん。なんか変だ。

 気のせいだと思うんだけど、おじさん、忍者装束を着ているように見える。いや、気のせいじゃない。やっぱりそれ、どう見ても忍者装束だ。わたしは二度見した。


 子供たちは特に忍者装束に反応していない。気付いていないはずがない。だって忍者装束だ。


 ラジオ体操が終わり、おじさんはスタンプを押してくれた。


 「もっと早く来なくちゃ、当番のくせに」

 誰かがおじさんを責めた。おじさんは頭巾をかぶった頭をかきながら「ごめんごめん。いよいよ始まるからさ、やることいっぱいあったんだよ」と、言った。


 始まる。何が。

 やること。何を、だ。


 わたしもスタンプを押してもらった。おじさんは微笑みながらわたしに「花山田さんところは、本家が本部だから大変なんじゃないの。乙女ちゃんも参加するの」と聞いた。

 参加って、何だろう。ぽかんとしていたら、おじさんは何かを悟ったらしく、ああそうか、そうなんだね、と一人で納得した。


 「まあ、そうかもしれないね、おじさんも自分の家族に強制はしないからなあー」


 ばらばらと子供たちは散った。夏休みの一日の始まり。ラジオ体操の後で二度寝する子もいるのに違いない。

 おじさんはラジオを持つと、一瞬周囲を見回した。なんか、猛禽みたいな鋭い動きだ。すっと身をかがめたかと思うと、ひゅんっと跳躍して、次の瞬間、おじさんはもうそこにはいなかった。


 ひゅるるるるる。

 夏なのにつむじ風が舞う。三つ編みが跳ね上がったじゃないの。

 ぼんやりと、うちに帰った。てくてく歩いているうちに、徐々に気持ちが落ち着いて来た。

 じりじり照ってくる夏の太陽、蝉の声。普通に朝練に行く、近所の中学生のお姉ちゃんたち。楽しそうに自転車をこいで走りすぎてゆくのを、見送った。


 なんだ、いつも通りじゃない。平和なご近所。今日も令和の日本は穏やかな夏日和。

 そうよ、あるわけがない。何か、わけのわからないことが起き始めているなんて――そして、その「わけのわからないこと」に、わたしが置き去りにされているなんて。


 宿題やっちゃおう。

 ぽくぽく歩きながらうちに戻る。どうせ、斜め後ろにぴったりくっついて潜んでいるはずの忍太郎に、話しかけてみる。

 「ねえ忍太郎、アンタ、ラジオ体操にまで着いてきてるんなら、どうせならカードにスタンプ押してもらわないと」

 スタンプコンプリートしたら、最後の日にお菓子がもらえるんだよ、忍太郎、ねえ。


 いつもひっそりついてきている忍太郎。

 すぐそこにいるのに、完全に気配を消しているから、誰にも意識されない忍太郎。

 

 「ニンッ」

 小さく声が聞こえた。あれっ、忍太郎、確かにそこにいる、と振り向いたら、一瞬誰もいなかったので目を見開いた。

 忍太郎。忍太郎がいない。


 「どうしたでござるか」

 でも、一瞬後、やっぱり忍太郎はそこに立っていて、けげんそうな顔をしてわたしを覗き込んでいた。良かった、気のせいだった、忍太郎がどこにもいない気がしたのは。

 

 「拙者、スタンプには興味がないでござる」

 と、忍太郎は言った。あっそう、せっかく来ているのにもったいないと思っただけよ、と、わたしは言ってまた歩き出した。


 忍太郎は何をして夏休みを過ごすんだろう。やっぱり、鍛錬だろうか。

 

 「では姫、これにて失礼いたす」

 忍太郎は片手をあげた。そして、さっとわたしの横を走り抜けていった。たたたた、と軽やかに遠ざかる後姿。ポニーテールが揺れている。

 見送りながら、変な気がした。なんだろう、この違和感は。走り去る忍太郎は、派手にポニーテールを揺らしながら跳躍し、石塀を飛び越えて甲賀家の敷地に飛び込んだ――普通に玄関から入りゃいいものを。


 じいわじいわ。油蝉が早くもうるさかった。

 お勝手の鍵を開けながら、違和感の理由に気づいた。


 わたしは忍太郎が走り去ってゆく姿を見たことがなかった。いつだって振り向いたら、そこに忍太郎がいたから。わたしを置いて走ってゆく後姿なんか、初めてだったんだ。


**


 宿題をしていると、ピンポンとチャイムが鳴った。

 時間を見ると10時を過ぎている。ああ、あきちゃんだ、とすぐに分かる。夏休み中は、乙女ちゃんちで宿題をさせてね、と前からあきちゃんが言っていたからだ。

 「うち、エアコン壊れちゃってて暑いの。だから、乙女ちゃんちで一緒に宿題させてぇ」


 エアコン修理、そんなに時間がかかるんだろうか。

 あきちゃん、夏休みが始まってからずうっとうちに通ってきているけれど。まあいいけれど。わたしもあきちゃんと過ごせて楽しいから。


 玄関をあけると、あきちゃんが嬉しそうに入って来た。はい、オヤツ持ってきた、と、スナック菓子とロールケーキが入ったバッグを渡してくれた。

 いいのに、気を使わなくても。

 中に入った時、あきちゃんから、なにか、においがした。あまり慣れないにおい。なんの匂いだろう。


 「あは、ごめんね。さっきまで薬触ってたから匂い残ってるかも」

 着替えて来たんだけどね、やっぱり匂っちゃうかな。

 あきちゃんは遠慮がちに笑った。二階に上がってもらいながら、薬、と、いぶかしく思った。お薬。漢方薬だろうか、風邪薬、頭痛薬。なんのことだろう。


 「あきちゃん、大丈夫」

 薬を飲むほど体調が悪いのなら、少し横になる。そう聞いたら、あきちゃんは微笑んだ。大丈夫だよ、と言った。


 「そういう薬じゃなくて、火薬を触ってたの。体は元気だよー」


 ふうん、なら良かった、と、わたしはあきちゃんを部屋に通した。あー涼しい、乙女ちゃんの部屋、と、あきちゃんが言うのが聞こえる。

 飲み物を台所に取りに行きながら、「火薬」と、わたしは首を傾げた。かやく。かやくごはんのかやくだろうか。いや、でも薬って言ってたし、あきちゃん。

 (聞き間違いかも)

 そう思うことにした。トクトク麦茶をコップについで、お盆に乗せて運んだ。部屋ではあきちゃんが、ちゃぶ台を広げてドリルを始めている。実は優等生のあきちゃん、わたしよりも宿題の進みが早い。


 お菓子を摘まみながら、音楽を聴きながら、ゆっくりと宿題をした。

 友達と一緒なら、宿題も楽しくなるから不思議だ。

 「あきちゃん」

 呼びかけると、ん、と首を傾げられた。


 「あきちゃんと友達でよかったー」

 と、わたしが言うと、けらけら笑われた。


 その時、ずもももも、と、凄い震動が来た。

 それはうち全体が揺れるほどの震動で、部屋の天井の照明のコードが大きく踊り、本棚から教科書が落ちてきた。

 何だろう、地震だろうか。驚いて立ち上がりかけたら、あきちゃんに腕を掴まれた。


 「あきちゃんっ」

 「大丈夫だよ」


 あきちゃんは落ち着いて座っている。ぱらぱらと天井から埃が落ちて来た。ゆっさゆっさと横揺れが始まっている。置物もいくつか落ちた。

 やがて揺れはおさまった。何事もなかったかのように、CDが部屋に流れていた。


 わたしは窓に飛びついた。変な音は隣から響いて来たように思う。忍太郎のうちの方からだ。

 外を見ると、平和な青空が広がっている。うちの前のガードレールの白と、緑が茂った桜の並木。いつも通り、なんら変わらない風景だ。

 ほっとして窓から離れようとして、えっと振り向いた。どくんどくんと心臓が跳ね上がった。嘘だ、ありえない、一体これは何が起きた。


 まっさらな平たい土地。うちの隣の空き地。

 なんにも視界を遮るものがないから、ガードレールや緑の並木が見えたんだ。


 甲賀家が消えていた。

 それも、欠片も残さず、綺麗さっぱり、最初からなにもなかったかのように。


 「あきちゃん、大変だよ、ねえっ」

 わたしは叫んだ。

 消えちゃった、お隣が消えちゃった。忍太郎のうちがなくなっちゃったのよっ。


 忍太郎が、いなくなっちゃった。ねえ、あきちゃんっ。


 あきちゃんは黙々と宿題に取り組んでいる。かりかりとシャープペンの音が聞こえた。

 ゆっくりとあきちゃんは顔を上げた。落ち着いた、いつもの優しい笑顔だった。


 「大丈夫だよ、乙女ちゃん」

 一言一言、区切るように、あきちゃんは言った。


 「なにがあっても、乙女ちゃんは普通にしていていいの。なーんにも、変なことは起きていないの。乙女ちゃんは戦国小学校6年1組の学級委員長で、規則正しい生活をして、常識街道まっしぐらでいて大丈夫なの」


 大丈夫。だぁいじょうぶ、だから。


 「乙女ちゃんはね、わたしが護るの」


 あきちゃんはそう言うと、ぱたんとドリルを閉じた。宿題したから、プールに行くぅ、と言った。

 「いつも通り。なんにも変わんない。いつも通りだよー」


 しゅんしゅしゅんっ。

 窓の外、桜並木のあたりを、黒装束を着た人影がいくつも飛んでいったような気がするけれど。

 ひゅひゅ、とんとんとんっ。

 なんか、桜の木の幹に、手裏剣みたいなものが突き刺さってる気がするけれど。

 しゅぼおおおっ。

 なんか――なんか、青空に白い狼煙が上がってるんだけど。

 

 これ何か、絶対に起きてるよね。

 何か、ただ事じゃないことが始まってるよねっ、ねっ、あきちゃんっ。


 「乙女ちゃんはお姫様でいて。護ってあげるんだから、わたしが」

 あきちゃんは、にっこりと笑って、言った。

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