夏と、忍者と、サマースクール

 梅雨が明けたら、いきなり夏になった。

 朝目覚めたら、カーテンから差し込む光が既に暑い。日差しは限りなく直角に近づき、照らされて風景は鮮烈に輝いた。

 屋根の河原も木々の緑も、輪郭がくっきりとしていた。


 (今年もきたかあ)

 夏休みまでカウントダウンが始まる、7月。

 パジャマ姿で、ぼうっとして、部屋の窓から空を見上げる。


**


 戦国学園では夏休み前にサマースクールがあり、自然の家に一泊する。3年生くらいまでは、親元から離れてクラスメイトたちとお泊りをするのが楽しくて仕方がなかったが、高学年になると色々な事情で、うんざりするようになった。

 だいたい、夏、自然の家、宿泊となると、みんなの頭の中は恋バナ一色である。サマースクールはラブイベントが盛りだくさん。まあ、内容的には自然の家の掃除と、野外炊飯なんだけどね。

 

 「サマースクールでカップルが続々誕生するんだってー」

 「きゃー」


 女子たちの間では、6月の末くらいから期待が高まる。だいたいみんな、好きな男子がいる。誰某君に告白しちゃおう、とか、誰某君のために今からダイエットして可愛くなっちゃう、とか、そういう話題が聞こえ始めたら、あー、夏が近いな、と思う。

 一方男子の方も、女子たちのきゃぴきゃぴモードに敏感になっていて、いきなり親切になる男子が出てきたりする。

 (色呆け小学生どもめ)

 学級委員長はクラスの雰囲気に敏感だ。パッチン止めを付けた前髪と黒縁メガネの奥で、浮かれているクラスメイトをしんねり観察している。

 もう、これは毎年のことだ。あー、まただよ、またきたよー、と、頬杖をついて横目で眺めてしまう。あまりにも分かりやすいから、なんとかサンはなんとかクンを好きで狙っているけれど、こりゃ望み薄だなあ、とか、脳内で一人トトカルチョをしている。

 

 小学6年生って、立派に青春時代だと思う。だけどわたしは、もはやみんなと同じように青春を謳歌できないんだろうなあ。

 学級委員長、花山田乙女が誰かとカップルになるなんて、想像もつかないだろう――って、あ。


 「花山田さんは好きな人いるー」

 すぐ横でわいわい盛り上がっていた女子グループが、いきなりわたしに話題を振って来た。休み時間、わたしは席で次の授業の教科書を出していた。えっと見上げたら、三人くらい女子が集まって、興味しんしんの表情でわたしを見下ろしている。

 なに、好きな人だって。何言ってんだろうこの人たち。

 ぼうっとしていたら、ひっそりと遠慮がちに、後ろから「ニン」と呟きが聞こえた。


 「あああ、ごめん、そうだったねっ」

 いきなり女子たちは勝手に納得をしだした。目をきらきらさせて、頬をピンクにして。なんだその少女漫画みたいな顔つき。

 「花山田さんには素敵な彼氏がもういるんだったよねっ」

 「彼氏っていうかナイトっていうかっ」

 「いいよねー、わたしも好きな人に護ってもらいたいっ」


 きゃぴきゃぴ、うらやましー、きゃぴきゃぴ。


 絶句したわたしを置き去りに、女子どもは再び自分たちの世界に入ってしまった。なんなのこの、とばっちり感。

 後ろから「参ったでござるな」とか、やたら照れくさそうな忍太郎の呟きが聞こえて来た。くるっと振り向いて睨んでやったら、忍太郎がでろんと鼻の下を伸ばしていたのだった。


 「彼氏もナイトもいらないもんっ、乙女ちゃんはわたしが護るもんっ」

 

 でろでろに助平面をした忍太郎の頭にドスンと肘を突き立て、にこにこきらきらの笑顔で、あきちゃんが言った。忍太郎は机に潰れている。あきちゃん、容赦なし。


 「姫を護るのは拙者の勤めでござる」

 潰されながら忍太郎がもがもが言い、あきちゃんは忍太郎の後頭部に、更に体重をかけた。


 「いいわよー、アンタなんかいなくたって、乙女ちゃんは大丈夫。わたしがいるから問題ないのッ、分かった、この助平忍者っ」

 あきちゃん、笑顔だけど結構本気で力を込めている。忍太郎は潰されながら無言になった。

 変な雰囲気が漂う。妙な緊迫感だ。


 「いやその、護ってもらわなくても別に」

 わたしは言いかけたけれど、二人ともひとの話なんか、これっぽっちも聞いていない。

 唐突に忍太郎が、押しつぶされた格好のまま、ぼそっと言った。


 「そこまで言うなら、本当に姫を護る力が貴公にあるのか、見定めてくれる」


 あきちゃんの目がきらんと光った。忍太郎の頭から離れると、腕組みをした。二人はにらみ合った。ばちばち。火花が飛び散っているみたい。


 「いいわよー、じゃあ、サマースクールで勝負しようじゃないのっ」

 あきちゃん、声や表情はいつもの大人しい優しい感じなのに、言ってることと目つきが怖すぎる。

 一方、忍太郎は忍太郎で、ムッと顔をしかめていた。

 「分かったでござる」

 と、忍太郎は言った。あきちゃんが「ふふん」と不敵に笑った。


 (なんなの、この二人はっ) 

 忍太郎のことだから、女の子相手に喧嘩することはしないだろうけれど。


 リーン、ゴーン。チャイムが鳴った。休み時間終了。あきちゃんは席に戻っていった。恋バナに花を咲かせていた女子たちも、慌ててがたがた座り始める。


 サマースクールで、忍太郎とあきちゃんの火花が散る。

 ただでさえ憂鬱なサマースクールが、更にうんざりする事態になりかねないじゃないの。

 (頼むから見えないところでやって欲しい)


**

 

 毎年、学級委員長はサマースクールの時は、プログラムを進めるのに必死で、クラス全員がちゃんと揃っているのかその都度点呼しなくちゃいけないしで、浮かれた話なんか聞いている余裕はない。

 お風呂に入ったあと、部屋に全員ちゃんといるか確認する。

 絶対に、誰か戻っていない人がいるんだ――それも、男女ペアでな!


 「えっと、アホ村さんと、ダメ川君がいないんだけど、誰か知りませんか」

 その都度、いなくなってる人のグループに確認するのだけど、みんな意味深に目くばせしあい、にやにやするんだ。結局、グループリーダーから「実はアホ村さん、ダメ川君と両想いになったばっかりで、しばらく二人で星を見ていたいって言ってたんだ」と、事情を説明される羽目になる。

 

 小学生二人で、真夜中のお外で、星を見てるのか。悪い大人とか、クマとか出たらどうする気か。


 「大丈夫大丈夫、キスくらいしかしないよ、わたしたち小学生だしぃ」

 と言われて、「いや、そういうことを心配しているわけじゃないんだけどな」とモヤモヤしながら、引き下がらざるをえなくなる。まあいい、先生には「みんなお部屋にいました」と言えばいいだけだから。

 (確かに毎年、先生が夜に見回る前にはみんな、ちゃっかり部屋に戻ってるもんな)


 みんなの色恋沙汰に振り回されるだけで精一杯である、学級委員長は。

 けれど今年は、忍太郎がいるからなあ。


 平和にサマースクールが終わりますように、と、祈るしかなかった。


 サマースクールのことが気になる一方で、あの日唐突に見てしまった、クラスメイトたちの異変。あれ以来、みんなが黒装束になって校庭で訓練している様子は見かけないけれど、もしかしたら見えないところでやっているのかもしれなかった。

 桜子さまも凸子も凹子も澄ました顔をしている。本当に、何事も変わらないままだ。6年1組は相変わらず平和だった。


 夢だったんだ、と思おうとしている。

 副委員長の下剋上。学級委員長はわたしだけど、影の権力者は桜子さま。桜子さまが中心になり、クラスメイトを扇動して忍者訓練を進めている。そして、最強のクラスを作ろうとしている。

 全部悪い夢だ。そうだ、そんなことあるわけがない。


 毎日、変わらない日常を学校で過ごす。そして、うんやっぱりあれは夢だったんだ、と一人で頷きながら帰宅する。

 そして、ああー、と思う。


 ああー。ああー。

 (夢だったと思わせてもらえない・・・・・・)


 うちに帰ると、ママが忍者装束姿で家事をしている。トントントントン。軽やかに野菜を刻み、にっこり笑って振り向いて、あら乙女お帰り、と言う。

 「おやつは棚にあるわよー」

 ごめんなさいねこんな格好で。さっきまで本家で本業をやってて、あっ、もうこんな時間、ゴハン作らなきゃって思って、着替える間もなく走って帰って来たのよー。


 本家で本業を、やっていた。ママ。

 わたしは無言でお勝手から台所にあがり、淡々とおやつを出して、冷蔵庫から麦茶を出して、食べて飲む。淡々と。余計なものは見ない、聞かない。


 「会社には事情を話して長期のお休みをもらったから、ママしばらく本気出すわよー」


 本気。なんの本気だ。っていうか、会社にどんなふうに事情を話した。そして、どうして会社は休暇を了承したんだ。

 (大人って分からない・・・・・・)


 「事態が事態だし、パパも今やってる仕事のめどがつき次第、事情を説明して会社をお休みさせてもらうって。ねえ乙女、アンタ知らないだろうけれど、パパは凄腕の忍者なんだからねー」

 うふっ。


 (パパまで会社を休んだら、うちの経済的事情はどうなってしまうんだろうか)

 ぼそぼそとカステラを口に運びながら、わたしは青ざめる。本当に訳が分からない。わたし、学校に通っていていいんだろうか。


 一方ママは、忍者姿でオタマを持って、うきうきしている。なんだかママ、会社休んで忍者やってるほうが楽しそうだ。あんまり考えたくはないけれど。


 「思い出すわあ。若い頃、忍びの中では、憧れのカップル、なんて言われてたのよねえ、パパとママ」

 ルンルン、キラキラ。お鍋はじゅわじゅわ――何でもいいけれど、またお鍋を焦がさないでよ、ママ。


 「若いって今だけよ、乙女っ。アンタもこの人だって思ったら、ためらわず突撃して、相手をボッコボコに倒して打ちのめしてグウの音も出なくなるくらいにして、完全に自分のモノにする位の覚悟を決めて、突き進むのよッ」

 いやこれ、何の話よママ。恋愛の話のはずよねママ。

 (ボッコボコにして完全に自分のモノ・・・・・・)


 若き日のパパとママ、どんなカップルだったんだ。

 想像できない。


 「ほら、もうじきサマースクールでしょう。小学校最後のサマースクールだし、何かいいことあったらいいわよねえ、乙女にも」

 ママは言った。ああ、ママ、背後でお鍋からなんか煙があがっているように見えるわ。

 その時ママの目がハヤブサのように物騒に光った。目にもとまらぬ速さでママは身をかがめ、手に持っていた菜箸を天井に投げたのだった。

 とっす。


 ぶらんぶらんと、菜箸が天井板に突き立って、わたしの頭上で揺れている。

 蠅さんが――かわいそうな蠅さんが――ぶんぶん慌てふためいて台所じゅうを飛び回り始めた。どうやらママは天井に止まった蠅さんを仕留めようとしたらしかったけれど。


 「きいいいいっ」

 ママが目の色を変えて、今度はオタマを投げようとしたので、今度こそわたしは叫んだのだった。

 

 「ママ、お鍋の中身が焼死体ッ」


 はっと我に返ったママ。

 あらあらまあまあ大変大変、と言いながら、あたふたとガスを止めた。ぷしゅー、と、お鍋は悲鳴のような音を立てている。

 ああ、今日のおかずはまた、有り合わせのものだ。わたしは溜息をついた。


 「ふんふんふんふん、夏が来る、恋の季節がやってくるぅー」

 

 お鍋の中身はきっと凄惨な状態だろうに、ママは鼻唄を歌いながら、お鍋を流しに漬け込んだ。

 ああ、今日の晩御飯は何を食べさせられるのかしら。


**


 夏、サマースクール。

 みんな浮かれすぎている気がする。単なる学校行事に過ぎないのに。


 オヤツを食べ終わったわたしは、ランドセルから宿題を出して、テーブルに広げた。

 忍者だろうが夏だろうが、宿題には関係がない。提出期日は待ってくれないのだ。

 (疲れた、早く寝よう)

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