忍者屋敷でお泊り会・後編

 アイツ流石にお風呂まで覗いていないわよね、と言ったら、あきちゃんは一瞬、殺気立った目をしてお風呂場を見回した。タイルのお風呂は広々としていて、湯気で視界が霞んでいる。

 万が一、覗き穴がどこかにあったとしても、この湯気では何も見えないと思う。


 背中の流しっこをして、湯船に肩まで浸かった。気持ち良い。お風呂って大好き。

 ちゃぷん。ちゃぷん。広い湯船は波がひたひたと寄せるみたい。本家は古くて広くてちょっと怖いところだけど――おまけに忍者屋敷だけど――たまに来ると、旅館みたいでくつろげる。


 壁新聞の進捗は良好だった。あとは写真を現像して、ぺたぺた貼れば完成だ。それにしても、今日一日でカラーマジックをどれほど使っただろう。

 「新品のマーカーセット、ほぼインクがなくなっちゃったねー」

 と、あきちゃんは笑った。お風呂場のあきちゃんは、学校の大人しい感じはしない。のびのびと楽しそうだった。

 

 わたしは髪の毛をタオルで包んで上に上げている。いいかげんに切りたいなあ、と思う。三つ編みにしたらそんなに長さを感じないけれど、実はけっこう伸びてしまった。

 おくれ毛を気にしていたら、あきちゃんがにっこりとこちらを見ていた。


 「乙女ちゃんと、いつまでもこうやって一緒にいたいな」

 と、あきちゃんは言った。うんそうだね、一緒にいようね、とわたしは答えた。うふふ、と、あきちゃんは嬉しそうに笑った。

 「男の子なんか煩くて乱暴で自己中なだけよ。女の子は女の子同士でいるほうが絶対に良いのよ」

 力説された。


**


 さっき、ごはんの後で由梨花お姉ちゃんのお部屋でお菓子を食べながらお喋りをした。その時、由梨花お姉ちゃんのスマホが鳴った。彼氏から、と由梨花お姉ちゃんは言い、ちゃっちゃっと指先でスマホをいじっていた。

 彼氏。大人だなあ、流石高校生、と思っていたら、あきちゃんがぽつんと、好きなんですか、と呟くように言ったのだった。


 「そりゃ好きよ。付き合ってるくらいだもの」

 由梨花お姉ちゃんはにっこり笑った。

 「あきちゃんは好きな子いないの。乙女ちゃんは、さっきの彼氏君とラブラブみたいだけど」


 らぶらぶ。わたしは固まってしまった。あきちゃんはムッツリした。由梨花お姉ちゃんは楽しそうにわたしたちの反応を眺めていた。


 「男の子なんて嫌いです。意地悪だもん」

 と、あきちゃんはきっぱりと言った。由梨花お姉ちゃんは相変わらずにこにこしている。あきちゃんの心の中を優しく見通すみたいな目だった。


 恋バナを拒絶するように、あきちゃんの両手は拳になっていて、膝の上で握りしめられていた。

 男の子なんて大嫌い。わたしは乙女ちゃんとずーっと一緒にいたいんです。

 口を一文字にして、目をきらきらさせて、あきちゃんは言う。わたしは思い出していた。


 あきちゃん、低学年の時、クラスの男子から虐められていたんだった。給食にチョークの粉をかけられたり、背中に虫を入れられたりされていた。

 あきちゃんが泣くほど男子は調子に乗った。実はその男子は、あきちゃんが好きだったのだ。


 「オマエのこと好きだからイジワルした」

 と、言われて、誰が喜ぶだろう、確かに。

 あきちゃんは、その男子からの告白を、こともあろうに、クラス皆が見ている前で受けてしまったのだった。みんな面白半分に囃し立てていて、告白した男子だけが必死な顔をして大真面目にあきちゃんを見つめていて。

 はっきり覚えている。二時間目の授業が始まる直前だった。あきちゃんはその時、図書館から借りて来た本を楽しく読んでいた。なのに、いきなりそんな目に遭ってしまった。


 「つきあーえ、つきあーえ」

 付き合うという意味も知らないくせに、男子たちは騒ぎ立てた。

 女子たちは女子たちで「大野君、一生懸命に言ってくれてるんじゃない。黙ってちゃかわいそーだよー」と、無責任に言っていた。


 そう、あのいじめっ子、大野君って言ったなあ。今は別のクラスになったから、ほとんど顔を合わせることはないけれど。

 運動神経がそこそこ良いから、女子には人気があった。あの頃から。


 あきちゃんは席に座り、ぶるぶる震えて涙ぐんでいた。もう一度、大野君が告白した。きゃああっとクラス全体が沸き立った。

 わたしは当時も学級委員長だった。何かしなきゃ、なんとかしなきゃ、そうだ、先生を呼びに行こう、と立ち上がりかけた時、あきちゃんが動いた。


 どす。

 あきちゃんは教科書を投げた。角が大野君のおでこを直撃した。大野君は悶絶し、クラスはしいんとした。

 「大っ嫌い、もう二度と近づかないで」

 はっきりとあきちゃんは言ったのだった。


 そんなことがあったんだった。


**


 「乙女ちゃん、まさか忍太郎のこと、好きなわけないよね」

 あきちゃんは言った。ないない。絶対それはない。ぶるんぶるんと首を振ったら、良かったあ、そりゃそうだよね、ごめーん、と、あきちゃんは大輪の花のように笑った。

 

 あきちゃんの男子嫌いには理由がある。けれど、できればあきちゃんには、心の傷を早く癒して、素敵な男の子と幸せになって欲しいと思う。

 そりゃ、あきちゃんとずっと一緒にいたいとわたしも思うけれど、あきちゃんが何故女子同士の友情に固執するのか、その理由を知っているので、素直にうなずくことができないのだ、わたしは。


 ずっと、ずーっと、友達だよ。

 指切りしてからお風呂を出た。ほかほかになった。二人して新しい下着を身に着け、パジャマを着た。あきちゃんのはオレンジ色のハートのパジャマ。わたしのはピンクのフリル付き。

 パジャマなら、ハート柄でもフリルでも着れちゃう。

 

 今日はおばちゃん、奮発してお刺身やお寿司を出してくれたし、ごはん、美味しかったな。お風呂も楽しかったし、あとは寝るだけ。

 明日はうちに帰るんだと思ったら、ちょっぴり切なくなった。


**


 あきちゃんとわたしは一階の客間で寝る。布団を並べて、しばらくお喋りしていたけれど、あきちゃんの方が先にうとうと寝てしまった。

 隣の部屋の忍太郎はいやに静かだ。襖を隔てた向こう側で、早くも熟睡しているのかもしれない。


 くうくうといびきをかいて寝ているあきちゃん。わたしはそっと立ち上がると、電気を消した。ついでに、何となくトイレに行きたくなった。足音を立てないようにしてそろそろ廊下を歩いて行き、お風呂場の隣のトイレを使った。

 ポッポゥ。廊下の鳩時計が時を知らせている。トイレを終えて出てきて時計を見上げたら、もう11時だった。


 本家の人々は早寝早起きだ。おばちゃんもおじちゃんも寝てしまったのに違いない。廊下は足元の照明だけがついていて、しいんと静まり返っている。

 昼間聞いた忍者の仕掛けの事を思い出したら怖くなった。いきなり、何かの拍子で壁から矢が飛んで来たりして――コワイコワイ。


 息をひそめて歩いていたら、ぼそぼそと声が聞こえて来た。どきっとした。何だろう、こんな時間に誰がお喋りしているの。

 「・・・・・・伊賀忍者が中心になって、忍者党と結びついてしまったみたいね」

 聞こえた。これはおばちゃんの声。

 「甲賀も伊賀も、その他の出身も、今は関係なく一団となり、日本を征服し新たな時代を立ち上げようという計画が、危うくなっている」

 これはおじちゃんだわ。呑気にビールを飲んでいた時とは全然違う雰囲気の怖い声。

 「危険だわ。忍者の国を作るためにも、まずは寝返った忍者どもと戦う必要があるわね」

 由梨花お姉ちゃんまで、いるみたいだ。なんだろう、すごくものものしい雰囲気だけど。


 わたしは耳をダンボにして立ち止まっていた。ぼしょぼしょ漏れ聞こえてくる話し声。きっと、台所でみんな集まっているんだ。

 聞きなれた本家の人たちの声以外にも声が聞こえてくる。御意とか、左様とか、やけに昔風の相槌だ。聞きとりにくい小さな声だ。こんな時間にお客さんか、だけど一体誰だろう。


 それにしても、伊賀忍者とか、忍者党とか、一体なんの話をしているの。

 以前、確かに由梨花お姉ちゃんは、忍者が日本征服とか言っていたけれど、わたしはもちろん本気にしていなかった。スルーっと右から左に流していた。

 だいたい何なのよ、忍者の国って。今は令和の時代、ありえなさすぎる。


 (夢よ、これは夢だ)

 

 台所は廊下の角を曲がったところにある。さっきまで暗かったはずなのに、明かりが漏れて、その部分だけうっすら明るい。今行ったら、話を盗み聞いていたことがばれてしまう。

 

 (頭も痛いし、ちょっと外の空気を吸ってこよう)

 このままでは眠れそうもなかった。そのままわたしはお勝手の方に行き、サンダルをはいて庭に出た。

 自然豊かな本家のお庭。空は満天の星だ。どこからか、ホーホーと梟の声が聞こえている。ばさばさばさあ、と、大きな羽音が遠くで聞こえた。


 けろけろけろ。蛙の合唱が賑やかだ。

 わたしは歩いた。大きな木に囲まれた本家。風がふくたび、ざわざわと木々が音を立てている。


 しゅたっ、しゅたしゅたっ。

 あれっ、なに今の。なんか黒い影が至近距離を走って行ったような気が。

 立ち止まった瞬間、わたしは後ろから羽交い絞めにされた。くぐもった声が耳元で「敵の間者か」と囁いた。なによカンジャって。わたしは精一杯暴れたけれど、がっちり固められていて身動きができない。

 どうしよう、これは誰だろう、わたしはどうなってしまうんだろう。恐怖でパニックになった。


 「ニンニンッ」


 その時だった。忍太郎の呟きが闇の中から聞こえ、しゅしゅしゅっと小さいものが鋭く回転しながら飛んでくる音がした。一瞬闇の中で刃のようなものが光った。

 わたしは多分どうかしていたんだと思う、投げつけられてきたソレが、忍者が使う手裏剣のように見えたなんて。

 しゅしゅしゅっ、たんたんたんたんっ。闇を切り裂くように飛んできたそれらは、土の中にめりこんだ。わたしを羽交い絞めにしていた不審者は、とっさに飛びのいた。その瞬間、わたしの体はふわっと抱き上げられ、次の瞬間、忍太郎にお姫様抱っこをされていたのだった。


 「姫、ご無事か」

 と、忍太郎が言った。うん大丈夫、だけど怖かった。


 闇の中に紛れ、さっきまでわたしを拘束していた人物の顔は見えない。ただでさえ暗いのに、黒装束を纏っているから余計に見えにくいのだ。

 ん。黒装束?


 「甲賀の者か。敵味方の区別もつかないんだな」

 と、忍太郎が言い放った。相手は「なに」とか言って驚いている。


 「甲賀であろうと伊賀であろうと、拙者にとって貴様は姫を襲った曲者でござる。天誅をくらわすでござる」

 忍太郎は声を低くしている。なんか、いつものコイツじゃない。全身の毛が逆立っているような異様な雰囲気だ。

 わたしを片手で支えて護り、もう片方の手で何かを握りながら――手裏剣か、やっぱり忍太郎、手裏剣を持ってるのか――忍太郎は眼光を鋭くしている。


 その時、ぼんっと軽い音が弾けて、闇の庭が一瞬、白い煙に覆われた。げほげほっ。わたしは咽せた。

 やがて煙が風に散って薄れた時、さっきまでそこにいた黒装束さんは見えなくなっていた。


 「クノイチか」

 ぼそっと忍太郎が、本家の建屋のほうを振り向いて呟いた。

 なに、クノイチって。女の忍者のことだよね。

 忍太郎が見ている方をわたしも振り向いたら、一瞬、ちらっと由梨花お姉ちゃんの姿が見えた気がした。けれど瞬きしたら、見えた気がした由梨花お姉ちゃんの姿はすでになくなっていて、庭はしいんと静かだった。


 どっ。どっ。どっ。どっ。

 ごっく、ん。


 すごい音が聞こえたのでぎょっとしたら、忍太郎がゆでだこみたいに赤くなって固まっていた。どっどっというのは心臓の音らしい。ごっくんと唾を飲み下したのか。

 わたしは忍太郎の首に抱き着き、ぴったりと密着していたのだった。怖くて夢中になって、思わずしがみ付いてしまったみたい。

 ふんふん。鼻息を荒くしながら、忍太郎が肩を抱こうとしているのに気が付いた。慌てて離れた。ああ、びっくりした。


 ふわっと風に揺れて髪の毛が泳ぐ。今、わたしは眼鏡をしていない。だから、忍太郎の表情がよく見えないのだけど。

 じいっと忍太郎がわたしを見つめているのは分かった。

 

 どきどきしてきたじゃないの。

 「おやすみ、助けてくれてありがとう」

 と、大慌てで言うと、そこにいる忍太郎を放置して、勝手口から中に飛び込んだのだった。


**


 お世話になりましたあ。お陰様で、良い壁新聞が作れます。


 翌朝、ごはんの後でおいとました。

 ママが車で迎えに来てくれて、おばちゃんにお礼を言っている。わたしもあきちゃんもお辞儀をした。本当にありがとうございました。


 おじちゃんは朝早くに出かけている。会社の人とゴルフをするらしい。

 お庭に出て見送ってくれているのは、おばちゃんと由梨花お姉ちゃんだった。


 「壁新聞、楽しみだねー。できあがったら写真撮って見せてよ」

 と、おばちゃんは言った。

 はあい、もちろんです、と、あきちゃんは答えた。今回の宿泊の成果は大きい。きっと、すごく良いものが作れるだろう。

 

 「また遊びに来てね」

 と、由梨花お姉ちゃんは言った。

 

 早くのんなさーい。ママが運転席で叫んでいる。

 あきちゃんが先に乗った。次にわたしが乗り込もうとした時、由梨花お姉ちゃんが意味深にこう言った。


 「彼氏君、頼りになるじゃない。かっこよかったわよ」


 えっと振り向いたら、由梨花お姉ちゃんはバッチンとウインクしていた。ウインクを贈った相手はわたしというより、わたしの背後にいる忍太郎だったみたい。

 

 「わたしの彼氏よりかっこいいかも。惚れちゃいそう」

 と、由梨花お姉ちゃんは言った。


 なに言ってんの、お姉ちゃん。ちょっと、ねえちょっと。

 おろおろしながら忍太郎を見たら、この助平忍者、真っ赤になって鼻の下を伸ばしていた。

 もう最低。知らない。


 「ずっと本家に残ってれば」

 と、わたしが言うと、忍太郎は我に返ったようにこちらを見た。

 「なにを言うでござる」と言ったけれど、無視してやった。


 ぶっぶー。ママの運転する車が出発する。

 本家のおばちゃんとお姉ちゃんが笑顔で手を振っていた。


 今日も良い天気になりそうだけど、わたしはちょっと眠いみたい。うちに帰ったらお昼寝しなくちゃ。

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