忍者屋敷でお泊り会・中編

 本家って忍者屋敷だったんだね、と言ったら、由梨花お姉ちゃんはにっこり笑って「そうなのよー」と、ごく当たり前のように答えてくれた。

 アッサリ言われると拍子抜けしてしまう。茫然と突っ立っているわたしの側で、あきちゃんが嬉しそうに本家の外観を眺めている。早速デジタルカメラであちこち撮影していた。


 「お庭にも仕掛けってありますか」

 と、あきちゃんは姉さんかぶり姿で出迎えてくれたおばちゃんに質問している。クラスでは見られない積極的な様子だ。

 「あるけど、企業秘密よぉ」

 と、おばちゃんは言った。そっか、それなら仕方ないですね、とあきちゃんは引き下がった。

 

 (企業秘密って何だろう)

 わたしは唖然としている。見慣れたはずの本家の建屋を見上げ、よく知っているはずのおばちゃんと由梨花お姉ちゃんの笑顔を眺め、なんだか狐につままれた気分だった。

 忍者屋敷。ここが。まあ、思い返せば色々謎があったけれど、ここが忍者屋敷だというなら、だいたいは納得できる。


**


 例えばね。

 

 これ、あまりにも非現実的なので、たぶん夢でも見たんだろうって、後で無理やり思い込んでいたけれど。

 本家のお風呂はその当時、五右衛門風呂だった。わたしは小さかったから、大きなタライで行水させてもらったけれど、その横でおじちゃんが五右衛門風呂に浸かっていた。

 わたしの体にお湯をかけてくれていたのはおばちゃんだった。おばちゃんはおじちゃんに湯加減とか色々聞いていた。そのやりとりを、わたしははっきり覚えている。


 「ぬるい」と、おじちゃんは言い、おばちゃんは 「そんなわけない」と、言い放った。

 仲が良いほど喧嘩するという言葉がそのまま当てはまる、おじちゃんとおばちゃん。その日も派手にやり合っていた。

 じゃっと、おばちゃんはわたしに、頭からお湯をかけながら冷ややかに言う。

 「それ以上熱いと、アナタ風呂に沈んでもう出てこられなくなるわよ」

 わたしは頭からお湯をかけられていて、目をつぶっていた。

 

 「そんなわけあるかい。ぬるすぎて沈没するわい」

 と、おじちゃんは怒鳴った。

 「じゃあやってみなさいよ」

 と、おばちゃんが氷のように冷たく突き放し、おじちゃんが「何を言いやがる」と怒った。

 じゃっ、じゃっ。やたらにおばちゃんはお湯をかけてくる。だから、わたしは目を開くことができなかった。


 「やれるもんならやってみなさいよ。アナタ最近お腹が出て来たから、途中でつっかえてしまうんじゃなーい」

 

 なにくそ、つっかえるほど腹は出ていない、馬鹿にするなとおじちゃんが言った。

 ぼこっ、ぶくぶくと水がはじけ飛ぶ音がして、何事だろうと思ったけれど、なかなか見ることができない。

 さあ、綺麗になったわよ、と、おばちゃんがタオルでごしごししてくれた時、ようやくわたしは後ろを振り向くことができた。確かにさっきまでおじちゃんが浸かっていた五右衛門風呂には、今はもう、誰も見えなかった。


 「おじちゃんいつ出たの」

 わたしはおばちゃんに問うた。

 おばちゃんは「ん」と、にこにこしているが、答えてくれなかった。


 ん?

 んー?


 見た目も恐ろしい五右衛門風呂。なんか、お湯がブクブク言っているのは沸騰してるのか。

 大変だ、おじちゃんは茹でられてしまった。ぞうっとして、風呂上りなのに全身鳥肌を立てて、半べそをかいて、居間でテレビを見ている由梨花お姉ちゃんのところに走った。


 「由梨花お姉ちゃん、おじちゃんが」

 必死になって説明しようとした時、「わしがどうしたー」と、呑気な声が聞こえた。さっきまで由梨花お姉ちゃんしかいなかったはずの居間に、おじちゃんがでえんとくつろいで、ビールを飲んでいるのだった。

 ほかほかと真っ赤な顔であったかそうなおじちゃん。白シャツとステテコ姿で。

 わたしは茫然とし、口を開いたまま固まってしまった。にこにこにこ。おじちゃんも由梨花お姉ちゃんも笑顔でわたしを見つめている。和やかだけど無言。

 

 今思えば、あれはきっと、お風呂の底に仕掛けがしてあったんだろうな。

 おじちゃんたちの会話から察するに、抜け穴があるんだろう。あんまり太ったら、穴につっかえて身動きできなくなるのかもしれない。


 それにしても、みんな、にこにこしているだけで誰も説明してくれなかった。

 あれ、絶対、わたしが茫然としているのを見て、楽しんでいたんだと思う。


 五右衛門風呂はまだ残っているけれど、今はちゃんと、別にお風呂が作られてある。今夜、わたしたちが使わせてもらうお風呂は、当然、新しいお風呂のほうだ。


 「お世話になりまーす」

 あきちゃんはルンルンで本家のお勝手から中に入った。

 「どーぞどーぞ」

 由梨花お姉ちゃんがあきちゃんを案内している。

 取り残されたわたしに、おばちゃんが意味深な微笑みと視線を送っているけれど、何なんだろう。


 ニヤニヤ。チラチラ。

 あ。


 斜め後ろの忍太郎。

 おばちゃんは、にっこり笑って「乙女ちゃんの彼氏ってその子ねー」と言った。

 

 にひ、と、変な笑いが小さく聞こえる。忍太郎、絶対今、俯きながらほくそえんでるな。

 

 「彼氏というか」

 説明しようとしたけれど、おばちゃんは嬉しそうに「イケメンじゃないの、やるぅ」と盛り上がっている。あーもう、やめて。


 「で、彼氏君のお部屋は乙女ちゃん達の隣にしといたけれど、それでいい」

 と、おばちゃんは言った。

 「はい、それで充分です」

 と、わたしは大急ぎで答えた。

 

 「いいわねえ、今時は小学生でも立派に彼氏彼女になれちゃうんだものね。おばちゃんなんか、おじちゃんとお見合い結婚なのよ」

 うーらやましー。

 おばちゃんったら、何でそんなにウキウキルンルンしているんだろう。見ているだけで恥ずかしくなってしまうじゃないの。


 一方、背後の忍太郎はあくまで生真面目だ。それまで無言を貫いていたのに、いきなりきっぱりこう言った。

 「見合いであろうとも、愛は寄り添ううちに育まれるものと、父上と母上が言っていました」

 アラッ、と、おばちゃんが両頬に手を当てながら振り向いた。忍太郎、何言ってるんだオマエ。昭和時代の青春ドラマの台詞か。


 「拙者の両親も見合いでござるが、毎朝、愛のある接吻をしているでござる」

 と、忍太郎は堂々と言い放った。凄い迫力だった。

 まるで決闘に臨む侍みたいな迫力だったから、一瞬、接吻を切腹と聞き間違えてしまった。


 「んまー、素敵ねー」

 と、おばちゃんは取り返しがつかないくらい盛り上がっている。

 そして、にたあっと笑って、わたしを眺めた。

 

 「じゃあ、乙女ちゃんたちは、もっと愛のある云々」

 

 聞いていられなかったから、「中に入りまーす、おじゃましまーす」と言って、大急ぎでお勝手から駆け込んだ。

 顔から火が出そうになっている。嫌だな、どうしておばちゃん世代って、男子と女子が並んでいると、そういう目でしか見られないんだろう。


 お勝手に入ってしまってからも、外でおばちゃんと忍太郎が大真面目に会話しているのが聞こえた。

 「で、やっぱりキミは、彼氏君なんでしょー。乙女ちゃんのどこに惹かれたのー」

 「姫の湯上りの美しさに惚れもうしたでござる。生涯かけて、この方に仕えるしかないと確信したでござる」

 「んまー、湯上り。んまー」


 (付き合っていられない)

 まあ、たったの一泊だ。明日になればうちに帰ることができる。

 まずは、肝心の壁新聞作りに集中しよう。そうしているうちに時間なんて過ぎてしまうものだから。


**


 由梨花お姉ちゃんが、本家のあちこちを案内しながら説明してくれた。

 わたしにとっては見慣れた場所だけど、ここにこういう仕掛けがあるよ、と改めて言われると、驚きもひとしおだ。


 例えばお座敷の床の間は、掛け軸の向こう側が抜け穴になっていた。

 「ここはこんなふうになってるの」

 と、お姉ちゃんがぺろんと掛け軸をめくって真っ暗な抜け穴が見えた時、過去の色々な謎が一気に解けた気がした。

 達磨がいかめしい顔をしている掛け軸、昔からあるものだ。掛け軸の下の床の間には、今は福の神の置物が置かれている。

 この床の間の置物が、ちょっと目を離しているうちに違う置物に入れ替わっていたりする。幼い頃は、すごく怖かったものだ。


 「その穴、どこに通じているの」

 と、恐る恐る聞いてみたけれど、それについては由梨花お姉ちゃんはにっこり笑うだけで答えてくれなかった。企業秘密か。


 「ちなみに、この床の間ねえ、こうなってるの」

 お姉ちゃんは福の神をちょいとどかし、手のひらを床の間について、体重をかけた。ぼこっと床の間に穴が空き、真っ暗な落とし穴が現れた。

 ひゃー、と、あきちゃんは興奮して近づいて覗き込み、ぱちぱちと写真を撮った。

 わたしも恐る恐る覗き込んだ。ぞっとした。果てしなく深い落とし穴みたいだ。ひょおおおおおと、底から風の音が聞こえて来た。


 「他にも、どんでん返しとか、吊り天井とかあるわよ」

 と、お姉ちゃんが言うと、「見たいです」と、あきちゃんが喰いついた。

 わたしはクラクラしてきた。昔からよく知っているはずの本家の建物。こんな変な仕掛けがあったなんて。


 「うふふ」

 お姉ちゃんは楽しそうだった。

 さりげない口調で、ごく当たり前のことを言うように、こう言った。

 「壁から棒手裏剣が飛んできたり、両側の壁が迫ってきたりする仕掛けもあるけれど、危ないから体験させてあげられないわ」

 

 しゅしゅしゅっ、たんたんたんっ。

 壁から棒手裏剣だと。

 気が付いたら、わたしはさっきから口を半開きのままにしていていた。からっからに口が乾いていた。

 

 「いっぱい写真も撮ったし、すごい壁新聞ができるね」

 あきちゃんがそっとわたしに囁いた。う、うん、そうだね。


 それにしても、忍太郎、一体どこで何をしてるんだろう。まさか、まだ外でおばちゃんと変な話で盛り上がっているのか。

 

 ちくちく、ちく。

 なんか痛い位の視線を感じるんだが。振り向いても、そこには忍太郎はいない。

 

 「乙女ちゃんをじろじろ見るなんて図々しい」

 いきなり、あきちゃんが反応した。それまで由梨花お姉ちゃんの話に相槌を打ち、楽しそうに本家の仕掛けを調べていたあきちゃんなのに、凄い勢いで動いた。

 ばっとわたしの背後に回り込むと、手に持っていたノートを、しゅっと天井に向けて投げつけた。


 なにするの、あきちゃん!


 ごつん。

 ノートの角がおでこに当たる音がした。

 ばさっとノートは畳に落ちた。見上げると、天井板が一枚外れている。あきちゃんは、そこに向けてノートを投げたらしいけれど。


 「痛いでござる」

 くぐもった声が天井穴から漏れ聞こえる。忍太郎、オマエそこにいるのか。

 呆れてものも言えなかった。


 「あら、企業秘密がばれちゃったわねー」

 にこにこと、由梨花お姉ちゃんは言った。

 「そこ、秘密の抜け穴になってるのよー。すごいわね、乙女ちゃんの彼氏。まるで忍者みたーい」


 見えないところから盗み見するなんて、電車の中の痴漢と同じよっ。この助平忍者っ。

 あきちゃんが天井に向って怒りをさく裂させている。

 「拙者は痴漢ではござらん。姫を御守りしているだけでござる」

 天上から、必死で忍太郎が叫び返している。あー、煩い。


 忍者みたーい。

 由梨花お姉ちゃん、にこにこ優しい笑顔だ。確かに忍太郎は、忍者みたい、わたしもいつもそう思ってる。


 「アイツは無視して、わたしたちは壁新聞を進めようよ」

 あきちゃんが、楽しそうに言った。

 そうだね、それが今回のお泊りの目的だから。晩御飯にはまだ時間があるし、壁新聞を作ろう。


 それからわたしたちは、客間に籠って方眼紙を広げ、壁新聞作りに熱中したのである。

 時々ちらちらちくちくと、熱烈な視線を感じたけれど、多分忍太郎が、お部屋のどこからか覗いているんだろう。きっと抜け穴や覗き穴は、想像している以上にたくさんあるのだ。


 (本家が忍者屋敷だったなんてなあ)

 気軽にお泊りなんかできない、今後は。


 ちら、ちらちら。斜めから真上から下の方から。あらゆる方向から熱烈な視線を感じつつ、わたしは深いため息をついたのである。

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