黄昏時は逢魔の時間、黒装束さんの時間
社会科の宿題が難しかったので、学校の帰り道、あきちゃんのおうちに寄って一緒に考えることにした。
あきちゃんちは小奇麗な二階建てのおうち。お父さんが大学の教授をしているので、おうちに本がとても多い。あきちゃんもたくさん図鑑や辞典を持っているのだ。
「まあまあいらっしゃい」
ふっくらしたお母さんが、歓迎してくれた。
「あとでジュース持ってくわねー、今日はボーイフレンドもいることだし」と、にこにこしている。ボーイフレンド?
(・・・・・・あ)
斜め後ろにぴったりくっついている、忍太郎のことか。
忍太郎は普段は気配を消している。後ろにいるのだけど、ついてきていることを忘れてしまうくらい、存在感を消している。足音もない。どうしてこんなに気配を消すことができるのか、こんなに至近距離にいるのに。
ちょっと人間離れした技だと思う。
あきちゃんはじろっと鋭い視線をわたしの背後に送った。けれど、何も言わず、とりあえず二階のお部屋に通してくれた。
あきちゃんごめんね、忍太郎ついてきちゃった。おうちに入る前に気づいたら、「外で待ってて」と言ったんだけど。
**
「歴史の中で、自由な課題で一冊資料を読み、レポートを書きなさい」
というのが、社会科の宿題。六年生ともなると、レベルが違って来る。みんな、難しい、と言ってどよめいていた。
徳川家康について調べる、農民について調べる、と、みんな分からないなりに自由にアイデアを出し合い、仲良し同士協力し合って宿題を片づけることになった。わたしはあきちゃんと連携して、なにか面白いテーマはないかと頭を捻った。
「マリーアントワネットについて調べたら」
と、あきちゃんが目をきらきらさせて言った。けれど、そう言った側で、桜子さまと凸子と凹子のグループから「マリーアントワネットが宜しいわ」という声が聞こえて来たので、わたしたちは沈黙した。駄目だ、マリーアントワネットは、桜子さまに譲ろう。
戦国武将は男子たちがこぞって取り上げているし。
幕末の志士なんてよく判らないし。
うーん。
その時、頭を突き合わせて悩むわたしたちの後ろで、微かに「ニンッ」という呟きが聞こえた。
今思えば、それは忍太郎の口癖の「ニン」だったんだと判るけれど、頭を悩ませていたわたしとあきちゃんにとって、その「ニン」は神からのお告げみたいに聞こえたのだ。
「これだわ」
「うん」
今のところ、クラスの誰も、このテーマに喰いついている様子がない。
わたしたちは忍者について調べることにした。
「忍者についてなら、本が何冊かあったと思うから、うちに来て」と、あきちゃんが言い、それで放課後、おうちに寄らせてもらったわけだけど。
がちゃっ。入って入ってー、乙女ちゃーん。
あきちゃんに招き入れられたルームは、前に来た時よりもパワーアップしていた。
ふんわり女の子の部屋らしい良い匂いが漂っていて、全体的にパステルカラーなのは可愛くて良いんだけど――けど。
「ぐう」
わたしの背後で変な音がした。忍太郎が絶句したらしい。
慣れているはずのわたしでさえ、扉を開いた真正面に位置している、巨大な自分の顔写真と目が合って、ぱかんと口が開いてしまった。顔写真はメガネをはずして汗を拭いている瞬間をとらえたもので――いつ撮ったの、あきちゃん――写真のはじっこには「乙女ちゃんラブリー」とマジックで書かれていた。
あきちゃんのお部屋に、わたしの写真がべたべた貼られているのは前からだったので、何も言えない。
「親友だもん、いつも一緒にいたいじゃなーい」
と、あきちゃんは当たり前のように言う。うん、親友だからいつも一緒にいたい、わかる。親友だから写真を部屋に飾りたい、わかる――う、うん、わかる。
(写真増えたなー)
いつもの前髪ぱっつんメガネ装着の学級委員長スタイル以外にも、どこでどんなふうに撮ったのか、髪の毛をほどいてくつろいでいる顔とか、前髪にブラシを当てている姿とか、色んなショットがある。
「乙女ちゃんの写真に囲まれていると、幸せな気分になれるの。そしたら勉強もはかどるの」
と、あきちゃんは頬をピンクにして言った。それから、本棚からピンクのノートを出して、「はい、交換日記。今度は乙女ちゃんの番」と言って、わたしにくれた。
「ぐう」再び、背後で変な音がした――忍太郎、黙ってろ、頼むから。
写真がべたべた貼られている側とは逆の壁に、大きな本棚がある。そこにぎっしりと本が詰め込まれているのだ。
図鑑。辞典。参考書。物語の本。
その中からあきちゃんは、忍者についての本を三冊くらい取り出した。凄い、やっぱりあるんだ、忍者の本。
「こっちにはカラー写真も載ってるから、一階のコピー機でコピーして切り抜いて貼り付けよう」
楽しそうにあきちゃんは言う。あきちゃんのおうちにはコピー機まであるのだ。流石大学教授の家。
忍者はどういう人たちだったのか。ふむふむ、甲賀と伊賀――漫画かアニメで聴いたことがある、このワードは。
調べれば調べるほど、不思議な人々だわ、忍者って。有名な歴史上の人物につきものの、どこか悲劇的な感じはしない。上手に、したたかに世の中を渡って来たのかもしれない。
甲賀と伊賀か。面白そう。この違いについて調べてみようかな。
わたしたちが盛り上がっていると、ぼそっと後ろで「伊賀は信用できぬ」と呟きが聞こえた―――ん?
ちらっと振り向いたら、忍太郎がいつもの侍面を、更に糞真面目に強張らせて正座している。くっきり眉毛をぎゅっと寄せて、嫌いなものを見るような顔をしていた。
伊賀は信用できぬ、と、今こいつ言わなかったか。
あきちゃんは最初から忍太郎のことなど空気のように扱っている。忍太郎もそれ以上、言葉を発しようとしない。
そのまま宿題について、あれこれ調べた。コピー機も使わせてもらった。ありがとうあきちゃん。これでレポート完成のめどがたった。
「明日もまたうちに寄ってねー」
玄関であきちゃんに見送られ、わたしは帰路に着いた。相変わらず忍太郎は、音もなく背後にぴったりついてきている。
忍者。うーん。忍者か。
忍太郎はまさに、忍者のよう。名前も忍太郎。
ふっと思ったが、すぐにぶんぶんとかぶりを振った。違う、何考えてるのわたし。今は令和の時代。忍者なんかそこらへんにいてたまるもんか。
こんなふうに、時々変な妄想してしまうのはわたしの悪い癖だ。忍者は昔の人々、忍者は昔の人々。必死に言い聞かせながら道を歩いていたら、あやうく人にぶつかりかけた。
ひゃっと言って飛びのいたら、忍太郎が慌てたように抱き留めてくれた。あれっと思った。いつもなら、なにかにぶつかりかけたら、忍太郎がすかさず動いてくれるのだ。今に限って、忍太郎の反応が遅れた。こんなこともあるんだ。
「あっ、すいません」
道路に散らばったノートや紙。大事なレポートの資料だ。
風で飛ばされる前に拾わないと。一生懸命拾っていたら、今しがたぶつかりかけた人も、慌ててしゃがみこんで拾ってくれた。
「すまなかったでござる」
と、その人はもごもごと低い声で言い、拾ったものを渡してくれたのだけど。
「・・・・・・」
すごく、変な人だった。変というより異様だった。
前進、真黒。頭巾を被って鼻から下を布で覆って。足下だってはいているのは靴じゃなくて、足袋みたいなやつだし。なんだこの人、なんだこの人。
はっとした。
今、よく話題になっているあれだ。黒装束さん。全国各地で出没しているという、あれ。
黒装束の人は、とても申し訳なさそうにしている。顔が布で覆われているから表情が分からないけれど、人のよさそうな目つきをしている。たぶん、普通のおじさんなんだろう、中身は。
「怪我はなかったでござるか。お詫びにそこの喫茶店でお茶でもおごるでござる」
と、おじさんは言った。いえいえ、そんな。ぶつかったのはこっちも悪いんだから、おごってもらう程のことはない。
「そうでござるか、では、これにて失礼するでござる。申し訳なかったでござる」
と、言って、黒いおじさんはしたした走って道を横切り、別の角に入っていった。何だか急いでいたみたい。また誰かにぶつからなければいいんだけど。
「ねー、さっきの人、今話題の黒装束だったよね」
わたしは何気なく後ろを振り返り、忍太郎に話しかけたのだが。
どきりとした。
忍太郎が、いつもと違う顔をしていた。
目つきが鋭くなり、口を引き結んで、黒装束さんが消えた方向を睨んでいる。なんだか怖かった。
「伊賀ものだ」
ぼそっと、忍太郎は呟いた。そして、わたしに気づき、はっと表情を柔らかくした。
「いや、確かに今は甲賀も伊賀もない。忍者同士連携し合い、目的を果たすべく動いているのだが」
あごに指を当て、忍太郎はまた、考えに耽り始めた。眉間にしわを寄せている。ぼそっと、父上に報告してみるか、と、呟いた。
父上。お医者さんだという、忍太郎のパパ。
それにしても、何を気にしているんだろう。ただぶつかりかけただけ、おまけに親切にしてもらったのだし、別に目くじらをたてることはないと思うのだけど。忍太郎はさっきの人に、何を感じたんだろうか。
それきり忍太郎は黙った。わたしもまた、何事もなかったように歩き出した。
てくてく、てくてく。
夕暮れ時だ。空は赤くて、少しずつ暗くなっている。
黄昏時は逢魔が時。影法師も長く後を引き、電信柱の影も歪に伸びていた。
なんだろう、ちょっと胸騒ぎがするのだけど。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます