いたってノーマル、問題なし
「行ってきまーす」
ぼそっと呟いてお勝手から庭に出る。台所の中では、ママがお皿を洗っていて、水音に負けないくらいの音量でラジオが流れている。外まで筒抜けに聞こえる位だ。騒音にならなければいいんだけど。
こそこそこそ。できるだけ足音を立てず、庭を回って裏口から道へ出る。今日もよく晴れていること。ガードレールは白く際だち、桜の並木は青々と輝いている。ざわざわと風の音で枝葉が音を立てるのに紛れて、一歩一歩慎重に踏み出す。
道に出たのに、台所のラジオの音がまだ聞こえている。
「北海道にも黒装束の不審者が出没したそうです。今のところ、被害は出ていません」
今日も黒装束の事が話題に上がっている。日本各地にうようよ現れて、ちらちらと姿を現す黒装束。ふと見上げると、電柱の上にぴしっと立って辺りを睥睨している変な黒装束。なにか違和感を覚えて振り向くと、民家の壁にへばりつき擬態している変な黒装束。あるいは、当たり前のようにそこにいるからその時は気にならなかったが、混雑したスーパーを出て、はっと気づく。さっき、レジの列で後ろに並んで競馬新聞と牛乳を籠に入れていた人、あれって黒装束の不審者じゃなかったか――こんな具合に、日常の中に黒装束の変なのが出没している。
うちは台所でよくラジオを聞いている。ラジオの番組でも、「今日目撃した黒装束は、牛丼屋さんでキムチ牛丼を大盛りで食べていました。ちなみにわたしも同じものを食べていました」とかいう、体験談が寄せられていたりする。それを読み上げたDJが、「わたしもキムチ牛丼好きです」とか、楽しそうに付け足したりする。
今や、ふとした時に現れる変な黒装束は、山道で見かけるキツネやイタチと同じレベルで、「見かけたらラッキー」という珍物になっていた。
(忍者の日本征服計画)
由梨花お姉ちゃんの話が頭をよぎるが、ぶんぶんと首を振った。ありえない。絶対にありえない。そんな非現実的な事、わたしの脳みそが受け付けない。
いるわけがないのだ、現代に忍者なんか。おまけに日本征服とか。
巷で目撃されている黒装束は、多分身軽なコスプレイヤー集団なのだ。忍者フェチで、日常的に忍者みたいなことをせずにはいられない人々が、日本には多数、いるのだ、きっと。
さて、隣の石塀の前に差し掛かる。抜き足差し足。今日もわたしは気配を押し殺して通学を試みる。
よし、やりすごした。甲賀家の前を通り過ぎ、わたしは大息をつく。今のところ、忍太郎が斜め後ろに貼りついてついてくる様子はない。なにしろ、いつも気が付いたらそこにいるのだ。
今日は大丈夫だろう。少し早めに家を出たし、忍太郎に勘付かれずに団地を出ることができそうだ。
ああ。良い天気。久々の一人の通学路は心地よい。のびのびと、わたしは深呼吸をした。
その時、いきなり角から男子高生が乗った自転車が飛び出してきた。男子高生は音楽を聴きながらペダルをこいでいるし、わたしには気づかないままだ。迫る車輪。
しゅたっ。
桜の枝から見える青空がくるくる回り、わたしは空を舞っていた。
「ニンッ」
後ろから抱えられている。はっと振り向くと、生真面目な侍面をした忍太郎が、片手で印を結び、もう片手でわたしを抱えて、宙がえりをしていた。ぐるっと世界は大きく回る。ひえ、も、きゃあ、も叫ぶ暇がなかった。
ちりんちりん。自転車の男子高生はわたしたちに気づかないまま、遠のいてゆく。いきなりの宙返りのせいで、わたしはくらくらしていた。そっと忍太郎がわたしを降ろしてくれたけれど、世界がぐるぐる回っていて、しばらくは動けなかった。
「あの者は姫を狙う刺客でござろうか」
ポニーテールを風になびかせながら、忍太郎は言った。淡々とした口調だけど、目がぎらっと光っている。
「天誅をくらわす也」
眩暈がおさまった。わたしは歩き始めた。やりすごしたと思っていたのに、やっぱり忍太郎は斜め後ろにぴったり貼りついている。
(いつからいたんだ、こいつ)
「ご近所の田中さんだよ。何言ってんだよ」
わたしは言った。今日もかっちり黒縁メガネ、パッチン前髪、ひざ下白ソックス。忍太郎のポニーテールは風になびくけれど、わたしの三つ編みは太くて重くてぼてんぼてんと揺れるだけ。
本当に。
何が、姫だか。
(わたしなんか、つまらない糞真面目でしかない)
いつもそこにいる忍太郎。何かあれば疾風のように動き、わたしを護る忍太郎。
小テストの最中にケシゴムを落としたら、しゅびびんとつむじ風が走り、次の瞬間には、なにごともなかったかのように机の端に落としたはずのケシゴムが乗っている。体育でドッジボールをしていたら、あわやボールがぶつかるという瞬間、しゅびっと何かが空を切って動き、いきなりボールが空中で真っ二つに割れ、わたしを直撃する寸前で「ぺたん」と地面に落ちる。
ぜんぶ、忍太郎の仕業。
淡々と通学路を歩いてゆく。ランドセルをしょった子たちがあちこちを歩いていて、みんな、クラスメイトに会ったら嬉しそうに走って行って、一緒に学校を目指している。
わたしはちらっと背後を見る。ぴったり影のようにくっついて歩いている忍太郎。
向こう側の歩道を歩いているのは、同じクラスの人だ。向こうも気が付いて、笑顔になって、手を振りかけた。そして、目を見開いてフリーズし、慌てて視線をわたしから外した。
忍太郎がくっついているからだ、「おはよー、一緒に学校いこー」という流れにならないのは。
姫姫とわたしを呼び、下僕のように後ろに貼りついて歩く忍太郎について、表立っては誰もなにも言わないけれど、影で噂になっているのだろう。
「今朝、花山田さん見たけどー、今日も忍太郎君とラブラブだった―」
「二人の世界を作ってるから、もう入っていけないよねー」
噂話の内容まで頭に浮かぶみたいだ。ああ、嫌だ嫌だ。
それにしても忍太郎は、誰にどう見られようと関係がないようだ。絶対に決めたことは貫くらしい。きりっと一文字にひきしめた口、くっきり眉毛。言ったことは実行する。
(古風なんだよな)
とぼとぼと校門をくぐる。その時、視界になじみ深いものが混じった気がして立ち止まった。ぴたっ。後ろについている忍太郎も立ち止まる。
乙女ちゃん大好き乙女ちゃん大好き乙女ちゃん大好き乙女ちゃん大好き・・・・・・。
心なしか、呪詛のような呟きが聞こえたような気がした――いや、何も聞かなかったことにしておこう――振り向いたら、校門の内側にしゃがみ込み、へばりつくようにして、格子の隙間からこちらを伺う顔があった。
ぎりぎりぎり。凄い、歯ぎしりの音。
おまけに目は赤くなっていた。怨恨の赤。怖い、怖いよー―あきちゃん。
あきちゃんは、わたしに気づかれたことに気づいていない。目を赤くして、ぎりぎり歯ぎしりをして、格子を握りしめて、ふるふるふるふるしながら、こちらを伺っている。
ばきっ。なんか、格子が一本、折れたような音がした。
忍太郎に憑りつかれてから、最も辛いことがこれ。
(あきちゃーん)
あきちゃんとは親友だし。今までも、これからも。
「乙女ちゃんと、いつか結婚したい」
あきちゃんが言い出して始めた交換日記。いつでもあきちゃんからは、熱い内容が寄越される。
ラブラブラブ。乙女ちゃんラブ。乙女ちゃんのためなら何でもしちゃう。だから乙女ちゃんも、あき以外の人とくっつかないでね。はぁと。
クラスでは物静かで大人しいあきちゃん。実は結構過激な子なんだ、誰も知らないけれど。
わたしは思い切って立ち止まった。ぐっと息を飲み込んでからきちんと振り向き、格子に隠れているあきちゃんと視線を合わせた。
にっこりと、わたしは言った。
「あきちゃんおはよー。一緒に行こうよー」
ぱあああああ。
あきちゃんの怨恨に満ちた顔が、一気にお花畑調になった。きらきらきゅんきゅん。ほっぺまで染めて、本当にあきちゃんったら。
「おはよー乙女ちゃーん」
あきちゃんは走って来て、わたしの横にピタッとくっついた。そして、ぎゅっと腕を組んだ。
あきちゃん。すごくいい子だし、わたしもあきちゃんが大好き。
だから、多少のことは目を瞑ろうと思う。あきちゃんの勉強部屋の壁には、引き伸ばされたわたしの写真がべたべた貼りまくられており、あきちゃんのベッドには手づくりの乙女ちゃん人形がちょこんと座っている。大丈夫、問題ない、仲良しの友達だから、写真も飾る、人形も作る。いたって普通。女の子ならこんなもんだろ。うん、ノーマル、問題ない。
「乙女ちゃん、シャンプーかえたー。もしかしたらわたしと同じかもー」
あきちゃんは嬉しそうに言い、さらにぎゅっとわたしの腕を抱きしめた。
「昨日と同じだよー、気のせいだよー」
わたしは苦笑した。てへっとあきちゃんは笑った。
あきちゃんは笑顔だった。ほっぺをつやつや赤くさせて、幸せそうだった。
けれど、正面玄関に入ろうとする瞬間、わたしは見てしまったのだ。
ちらっと背後を振りむいたあきちゃんが、マングースと対峙するハブみたいな顔をしていたことを。
ばちばちばちぃ。
なんか火花が散っている、と思ったら、斜め後ろに控えている忍太郎と、あきちゃんの視線が絡み合っていた。めらめらあきちゃんの目が燃えている。一方、忍太郎の生真面目な黒い瞳は鋭く光っていた。
しゃああああああっ。二本足で立ち上がり威嚇するマングース。
きしゃあああああっ。とぐろを巻き、鎌首を持ち上げ、牙のある口を大きく開くハブ。
かーん。ゴングの音がどこからか聞こえるみたい。
**
(なんだなんだなんだぁ)
不敵な笑みをうかべるあきちゃんと、生真面目な侍面で受けて立つ忍太郎。
なんだか、勝手にバトルが始まっているようだけど、理解が及ばないことは、気にしないに限る。
わたしは淡々と内履きをはき、教室に向った。
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