うじゃうじゃうじゃうじゃうじゃうじゃ忍者

 日曜日、パパが休日出勤に出てしまい、わたしとママだけが家に残っていた。

 お休みといっても、わたしは宿題をするだけ。残りの時間はぼうっとテレビを見たり、本を読んだりする。たまに、あきちゃんと約束してお互いの家に遊びに行ったりするけれど、毎週というわけにはいかない。

 今日は本当に何にもない日。宿題も簡単だったし、朝の9時の時点でわたしは既に、暇を持て余していた。


 部屋のベッドでごろんと寝ころび、ぼうっと天井を眺めていると、ここ最近のことが怒涛のように思い出される。

 甲賀家が隣に越してきて以来――というか、忍太郎が同じクラスに転入してきて以来――なんて色んなことがあったのだろう。思い返すとくらっとした。


 わたしは毎朝登校時、斜め後ろにぴったりくっついて、まるで影のように同行する忍太郎に耐えねばならなかった。おまけに忍太郎は、人前だろうが関係なく、わたしのことを「姫」と呼ぶ。

 普通に家を出て、てくてくガードレール沿いに歩いていると、いつの間にかひっそりと忍太郎が、そこにいる。足音すら聞こえないので、いつからそこにいたのか分からない。

 ただついてくるだけなら、まだ良い。突拍子もないことをやるので気が抜けないのだ。

 例えばある朝のこと。てくてく歩いていると、いきなりしゅたたんと耳元を疾風が走り、はっと気づいたら、忍太郎におんぶされている。何する、降ろせぇ――背中から降りると、生真面目な侍面をした忍太郎が、「足元に危険な石がありました故」と、言った。振り向くと、確かに道端に大きな石が転がっている。忍太郎が背負って飛び越えてくれなかったら、つまずいていたかもしれないけれど、それにしたって。


 「拙者は姫に仕えると決めた。心に決めた御方にお仕え申すのが甲賀家の教えでございます」

 と、忍太郎は言う。


 「わたしは姫じゃないんだけど」

 と、一応言ってみたけれど、忍太郎は頑なにこう言った。

 「あなた様は姫でござる。拙者はあなた様の素顔に惚れ申したのでござる」


 惚れ申した。現代語に訳すれば、「好きだ」ということか。

 すごく侍ちっくな告白だった。あまりにも時代劇風なので、告白されたという感じもしない。告白した本人も、生真面目なくっきり眉毛をきりっと吊り上げた侍面のままだ。

 

 わたしの素顔と言うと、そうか、メガネを取って前髪パッチンや三つ編みのゴムをほどいた姿のことか。

 確かに、いつもの学級委員長の姿をしていた時は、忍太郎はまだ、わたしのことを姫なんて呼ばなかった。

 風呂上がりの姿を見られてからだ。忍太郎が化学反応を起こしたように態度を変え、姫姫と人の後をついて回るようになったのは。


 クラスの子たちも、当然、唖然として眺めている。

 誰かが誰かの事を好き、とかいう話があったなら、男子総出で囃し立て、女子たちは陰でひそひそ言って噂を楽しむものなのだけど。

 忍太郎に関しては、あまりにも率直なのでからかう隙もないというところか。


 否、もしかしたら。

 男子たちは恐れているのかもしれない。休み時間に体育館の屋根をつむじ風のように走り回る忍太郎が相手なのだ。変なことを言おうものなら、なにをされるか分からない。

 というわけで、忍太郎が金魚のふんみたいにくっついて回っているのにも関わらず、学校では誰も茶化したりしない。

 (まあ、影でなに言われてるか分からんけどなー)


 ちらっと、桜子さまと、取り巻きの視線を思い出した。

 「学級委員長は慎み深くなければ」

 そんなふうに言いたそうな表情。非難を込めた目つき。

 ウーン、難儀だ。なんて面倒くさい。

 学校が休みの日くらいだ、忍太郎と離れていられるのは。


 (暇なのもたまにはいいな)

 昼寝ならぬ朝寝を決めようと思った時、階下からママが「本家に用事があるからママ行くけど、アンタどうするー」とでかい声で怒鳴った。


 ママの声はでかい。一気に目が覚めた。

 花山田の本家か。久しぶりだわ。行きたい行きたい。

 わたしは飛び起きると「一緒に行くー」と、叫び返したのだった。


**


 花山田の本家は、町の外れにある。場所が山なので、道は狭いしお店はない。けれど、家一軒当たりの敷地が広く、周囲は自然が豊かだった。

 ママの白い軽四がうなりを上げながら坂道を上り、狭い道の左右は竹林が風にそよいでいた。昔からこのあたりは変わっていない。


 ママは運転に集中して、こめかみに筋を立てている。大雑把な性格なママにとって、細くてくねくねして、おまけに急な坂のこの道は、神経を使うのだろう。こんな時に話しかけたりしたら大変なことになる。


 花山田の本家は、大昔は庄屋さんのような存在だったらしい。富農だったのでおうちも敷地もでかい。昔はすごかったんだと思う。

 今でも本家のお家は古めかしくて、謎に満ちている。もしかしたら、古い時代のまま残っている部分もあるのかもしれない。

 本家の由梨花お姉ちゃんは高校生だけど、昔からわたしのことを可愛がってくれた。一人っ子同士だったので、本当の姉妹のように思い合っている。小さい頃は、よく本家に泊まりに行って、由梨花お姉ちゃんと一緒のお布団で寝たものだ。


 ぎゅるぎゅるヤバイ音を立てて、車はじりじり進む。昼間なのに、両脇の竹林が凄まじくて、辺りは暗く、青味がかっていた。

 いきなりママが「クソッタレエエエエエイ」と、おっさんのような声で絞り出すように叫び、車は急ブレーキで停まった。助手席のわたしは前のめりになりかけ、何事かとフロントガラスから前を見た。


 しゅたん。

 一瞬だけど、黒い影が道を過ったような気がした。だけどそれはほんの一瞬だったので、幻だったのかもしれない。

 我に返った時、道にはなにもなかった。あとひと踏ん張りで本家が見えてくるだろう。


 「一応車道だから気をつけてもらわないとねえ」

 ママはアクセルをふかした。車はけだるそうに進み始める。本家の屋根が見えて来た。


 「えっ、今、なんかいたの」

 聞いてみたら、ママはむっつりとした顔で「いたわよ。車道のタヌキみたいに跳ねちゃうところだったわ。シャレにならないから、ほんっと気をつけてもらうよう、本家から言ってもらわなくちゃ」と、言った。


 車道のタヌキさん。確かに、よく道で車に跳ねられている。

 さっきの黒い影は、タヌキではなかった。直立二足歩行というか。猿にしては大きい。ということは、人間なのか。


 もっと詳しく聞いてみたいところだったけれど、ママは青筋を立ててハンドルを握っているし、こんなふうにわけのわからないことを言うのはいつものことなので、それ以上は追及しなかった。

 「うじゃうじゃうじゃうじゃと、雨後の竹の子みたいに沸いて出るんだから」

 何についての愚痴なのか、ママはぶつぶつと言っている。本家の敷地に入った。大きな欅の木に護られるようにして家が建っている。むきだしの土にはごろごろと石が転がっていて、ところどころ雑草がぴょこんと生えていた。

 庭には物干しざおに布団が干してある。今日は良い天気だから、よく干せるのに違いない。ああ、わたしのお布団もベランダに出しておけばよかった。今更のように思った。


 軽トラの横に無造作に車を停めると、ママはまだぶつぶつ言いながら車から降りた。

 「まあ、それだけ数が集まれば、なんだってできるわよねぇ。それにしてもうじゃうじゃと・・・・・・」


 ぱたん。わたしも助手席から降りた。山奥の草木のにおいがする。近くに川があるから、水の流れも聞こえた。この場所大好き。


 裏庭から畑仕事をしていたらしいおばさんが、姉さんかぶりをした格好で出て来た。ママを見て「あー、来た来たー、あがってあがってー」と手招きしている。わたしを見て、「由梨花もいるわよー。乙女ちゃんもあがってー」と笑った。


 「ママはおばちゃんとお話があるから、アンタは由梨花ちゃんに遊んでもらってたら」

 と、ママは言った。


 仰々しい表玄関ではなく、お勝手から入る。長く暗い廊下が続いており、お風呂も台所も居間も、ずらっと並んでいる。

 ママは台所に入っていった。玉暖簾がじゃりじゃりと揺れる。さっき、おばちゃんは姉さんかぶり姿で裏庭から出てきたのだから、今は台所は無人のはずだ――と思ったら、玉暖簾の向こうで「冷たい麦茶とコーヒー、どっちにするー」と、あっけらかんとした声が聞こえたので、わたしは足を止めた。

 ちらっと覗いたら、小奇麗なブラウスに割烹着を纏ったおばちゃんが、薄く化粧までして台所に立っていた。


 「お構いなく、義姉さん」

 と、ママが当たり前のように答えている。

 わたしもそれ以上考えることなく、廊下を進んだ。奥に階段があり、その上に由梨花お姉ちゃんの部屋があるのだ。


 本家は昔からミステリアスな場所だった。さっきまで別の場所にいたはずの人が、いきなりすぐそばにいたり。あるいは、さっきまでそこに猿の置物があったのに、一瞬後には狸の置物にすり替わっていたり。

 キイパタン、ミシミシ。夜間、奇妙な物音が聞こえることもあったっけ。

 小さい時から慣れているので、特に変には思わない。けれど、良く考えてみたら、色々と謎が多すぎる。

 不思議なお家、不思議な人たち。けれど、ごく普通に、毎日仕事に行ったり学校に行ったり、ごはんを食べたり風呂に入ったり。あまりにも普通なので、ちょっと不可思議なところがあっても、気にならない。それに気さくないい人たちだし、わたしは本家が大好きだ。


 ママは、さっきの黒い人影の交通マナーについて、おばちゃんに何か言うのだろうか。おばちゃんと、さっきの黒い人影は知り合いなのかしら。

 まあ、良い。あまり考え込まずに流すのが、生きるコツだ。わたしはそうやって、生きて来たのよ、小学六年の今に至るまで。

 急で暗い階段の下に立ち、「由梨花お姉ちゃん」と呼んでみた。すると、「あがってー」と優しい声が返って来た。わたしは喜んで階段を駆け上った。


**


 優しい由梨花お姉ちゃん。

 色白で、ほっそりとして、すらっとしていて、昔から綺麗だった。

 すっきりと整頓されたお部屋は良い匂いがしている。女子力が高いってこういうことなんだろうなと、由梨花お姉ちゃんの佇まいを見て思う。


 壁に掛かっている高校のセーラー服は、綺麗にアイロンがかかっている。


 「ママ、おばちゃんとお話があるみたい」

 わたしは言った。

 由梨花お姉ちゃんは勉強机の椅子を、くるっと回して向き直った。さらっと揺れる肩までの髪の毛、綺麗な瞳。ふうん、そう、と、お姉ちゃんは言った。


 「計画が、着々と進んでるみたいだから。うちだけじゃなくて、他にも拠点はあるのだけど、昔と違って今は電話もSNSもあるし、ちゃんと連携を取ることができるから便利よねえ」

 お姉ちゃんは微笑みながらそう言った。

 「なんのこと」

 と、わたしは聞いてみた。


 思えば、パパもママも、わたしと向き合って話してくれることはなかった気がする。

 もちろん学校の話は聞いてくれたし、わたしのことをちゃんと考えてくれる良いパパとママなのだけど、いつだって謎が謎のまま、普通に残っていた。

 

 棒手裏剣のように正確に投げられる菜箸。

 それを淡々とかわすパパ。

 確かに普通じゃない。頭のどこかでは分かっていた。けれど、それを問いただすことをしないまま今に至っている。



 由梨花お姉ちゃんは、あっさり答えてくれた。


 「日本全国で忍びたちが一斉に立ち上がり、この国を征服しようとしているのよ。ほら、うちって昔、表向きは富農だったけれど、実際は忍者の親方だったわけだし、拠点の一つになってる」

 テレビのニュースで、黒装束の変質者が全国で目撃されてるって言われてるでしょ。あれって困るのよねえ、一部の不注意な下っ端が下手に表に姿を現すものだから、報道までされちゃって。今のところは計画に支障が出てないから良いけれど。

 

 「乙女ちゃんのご近所にも、引っ越してきたでしょー」

 

 お菓子、食べる。

 引き出しからチョコを出して、由梨花お姉ちゃんはにっこり笑った。


 忍びたちが一斉に立ち上がって、日本征服。忍者の親方。

 (いやいやいや、何言ってるのかわからないし)


 見たこと聞いたことを、脳の肝心な部分が拒否している。ピー、理解不能、意味不明。

 それでわたしは、それ以上質問を繰り出すことをせず、考えることもやめた。ここは令和の日本。忍者とかいるわけがない。

 

 「食べる食べるー」

 と、由梨花お姉ちゃんからもらったチョコは、ストロベリー味で、甘くて美味しかった。

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