花山田乙女を囲む人々
戦国小学校6年1組の学級委員長、花山田乙女。真面目っぽいからというだけで、委員長的なものには選ばれてしまいやすい。なんて損なんだろう。
5年生の時だって、4年生の時だって、わたしは学級委員長だった。けれど、ここまで憂鬱ではなかった。6年1組の学級委員長だから、こんなに溜息が出てしまうのだ。
と、いうのは。
「あらっ、花山田さん、背中におかしな貼り紙がついていてよ」
くす。くすくす。
一際高貴なオーラを放つクラスの高嶺の花、その名は宮里桜子さま。何故かどうしても「さま」を付けてしまう、威圧的なセレブ感。
女子トイレでほっと一息ついていたら、取り巻きの凸子と凹美を引きつれて現れた桜子さま。げ、降臨なすった、と身構えていたら、手洗い場の鏡越しに、ちらっと意味深な視線を寄越し、くすくす笑いながら、そう宣った。
おかしな貼り紙、ですか。
フクロウじゃないんだから、首は180度回転しない。精一杯振り向いて背中を確認したら、確かにかさかさしたものが貼りついている。べっと引っぺがしてみたら、ノートの切れ端に流麗な美文字で「ばかあほまぬけ」としたためられてあった。
ふふ、くすくすくす、お似合いですこと。とか言いながら、桜子さまは個室にお隠れになった。凸子と凹美も「くすくす」「くすくす」と型で押したような笑い方をしながら、それぞれ個室に入った。
じゃー。じゃじゃー。水音まで揃っている。わたしはげんなりした。
ハンカチで手を拭きながら、とぼとぼ女子トイレを出る。廊下では、呑気に立ち話をしている女子や、走り回っている男子がいた。
(どうしてわたしが学級委員長になってしまったんだろう。桜子さまという方をさしおいて)
ばかあほまぬけと書かれた紙は、くしゃくしゃに丸めてゴミ箱に捨てた。こんな美麗な文字をお書きになるのは、クラスで一人しかいない。
学級委員長が決まったあの日、タッチの差で副委員長の座に甘んじることになった桜子さまは、口では「よろしくお願いしますわね。良いクラスにしてゆくお手伝いをさせていただきますわ」と言ったのだけど、その眼は物騒に光っていた。
(なんたって、1年生のころからずーっと、学級委員長をしていらっしゃった方だから)
きりりと編んだ三つ編み、前髪ぱっつんオンザ眉毛。白いひざ下ソックス。宮里桜子さま。
それにしても、わたしもほぼ同じスタイルをしているのに、どうして桜子さまはこんなに麗しくて、どうしてわたしはこんなに野暮ったいの。
噂によれば、桜子さまのお姉様も、お母様も、お父様も、それどころかお爺様もお婆様も、代々、必ず学級委員長を務めていらっしゃったとか。
(欲しけりゃさしあげたい、こんな立場・・・・・・)
桜子さまが学級委員長を逃したことを、深く根に持っていらっしゃることは身に染みるように感じている。背中に貼り紙だけじゃない。内履きに画びょうとか、毎日のように、妙に古めかしい嫌がらせがある。
まあ、内履きに画びょうが入っていても取り除けば良いし、貼り紙は取れば済むし、給食の盛りがありえないほど凄まじいことになっていても、残さず美味しくいただいてしまえば何てことはない。
ただ、「あー、恨まれてるなー」と、ひしひしと感じる。ふっと振り向けば、そこには桜子さまの鋭い視線。やりにくい。なんてやりにくいんだ。
もうすぐ授業が始まる。廊下で遊ぶ子たち、なんて無邪気なんだろう。
「五分前でーす。教室に入って下さーい」
一応、呼びかけてみる。誰も聞いちゃいない。まあいい、別に言う事を聞いてくれることを期待しているわけじゃないんだから。
「きゃー、すごーい」
女子たちが窓の外を見て、黄色い声をあげている。男子は男子で「うお、まじか」とか「今度俺もやってみる」とか言い、興奮して窓の外を眺めていた。
一体なんだろう、もうじき授業のベルがなるのに。きゃあきゃあわあわあ言っている子たちの背中越しに、ちらっと見てみた。窓からは体育館の屋根が見えている。丸い屋根である。
(あれ)
わたしは眼鏡を取って目をこすった。屋根の上をつむじ風みたいな黒いものが走った気がしたのだけど。
男子たちが窓の外に向かって「にんたろー、そろそろ戻らないと先生に怒られるぞ」と叫んだ。
しゅっ、しゅしゅしゅっ。
黒い影が風になり、バウンドするかのように屋根の上を跳ねて、こちらに近づいて来た。一体何だろう。にんたろーって、忍太郎のことか。いや、他に誰がいる。
リン、ゴーン。
ベルが鳴り、窓に集まっていたギャラリーは、蜘蛛の子を散らすように教室に入った。黒い影にくぎ付けになっていたわたしは、不本意ながら廊下に取り残された。
はっとしたら、廊下には誰もいない。早く教室に入らなくては、と焦って、ほんの一瞬、視線を逸らした。その時、しゅっと疾風が過るような音がした。激しい風のあおりのせいで、前髪のパッチン止めとメガネが弾けて飛んだ。
「失礼仕った。大事ないか」
廊下にへたりこんだわたしの前に、甲賀忍太郎が立っていた。相変わらずポニーテール頭で、きりっとした侍みたいな顔立ちだった。
忍太郎は素早く動き、メガネとパッチン止めを拾ってくれた。それらを手渡してくれる時、心なしか忍太郎の視線が痛く感じた。
なんだろう、じろじろと。穴が空くじゃないか。
食い入るように顔を見られてしまった。ぱちんと前髪を留め、メガネをすちゃっと装着した。忍太郎は明らかに狼狽し、妙に赤い顔をして視線をさ迷わせている。
なんだなんだ。
その時は、忍太郎の反応を追及する余裕はなかった。なにしろ、かつんかつんと先生の足音が響いて来たのだから。
慌ててわたしは教室に飛び込んだ。
**
「お隣、凄いのよー。旦那様は外科医で、奥様は看護師さん。二人とも、先日から町の総合病院にお勤めになってるそうよ、おぉおぉおぉぉぉおおおお、聞いてるのぉおおおおおおおっ」
珍しく早く帰って来たパパ。パパが八時前にうちでご飯を食べているなんて、滅多にないことだ。
わたしとママは先に食べてしまったので、パパが一人食卓に着き、ママが洗い物をしながらパパに噂話を話していた。このところ、ママの興味は忽然と現れた謎の隣家に注がれている。あちこち情報収集しては、パパに報告するのだけど、例によってはパパは、誰の話も聞いていないのだった。
片手でごはんを食べ、片手で会社から持ち帰った書類を眺めているパパ。
ごはん、仕事、ママの話相手の三つを同時進行しているのだから、凄いとは思う。けれど、パパにとっては、一番が仕事、二番がごはん、ママのけたたましい噂話は三番に過ぎないので、いつだって「うんうんそうか、うん」と相槌を打っていても、右から左に流れているのが見え見えなのだった。
ママは、おおおおお、と、怪鳥のように叫びながら振り向き、洗剤で泡だらけのお皿を飛ばす。目が血走っていて、我が母ながら怖い。
しゅしゅしゅ、と泡を散らしながら迫ってくるお皿を、パパは見もしない。ひょいと頭を下げて、お皿攻撃をなんなく避けた。あっ、危ない。お風呂に入りに行こうとしていたわたしは、とっさにバスタオルを広げてお皿を受け止めた。セーフ。
「手裏剣の腕は衰えていないね、ママ」
と、パパは書類を見ながら言い、ママは「あなたこそ、やるわね」と、答えた。
時々、両親のことが分からなくなる。割れずに済んだお皿をママに返すと、わたしは風呂場に向った。
今日も疲れた。宿題は片付いているし、あとはお風呂に入って寝るだけ。
お湯に浸かってぼうっとする時間が一番好き。
学級委員長なんかしていると、宿題は絶対に忘れてはいけないし、遅刻なんか言語同断だし、本当にいろいろと面倒だ。
だいいち、わたしは人をまとめる力なんてない。にもかかわらず、いつも学級委員長に抜擢され、花山田さんは真面目、優等生、と言われて来た。
(うーん、だけど優等生って、どちらかというと、わたしより三河あきちゃんの方が勉強できるんだよなあ)
三河あきちゃん。おかっぱの大人しい子で、わたしの親友だ。
目立たないし、クラスの誰も気に留めないけれど、実は、ものすごく器用だし、勉強もすごくできるし、とにかくそつがない。
あきちゃんといると、わたしなんかが学級委員長をしているのが恥ずかしくなる。
あきちゃんにこっそり助けてもらって、なんとか学級委員としての体裁を保つことができている。
「乙女ちゃんが白い百合のように輝いていてくれるのが、わたしの幸せなのー。乙女ちゃんの邪魔する奴は、みんな敵なのー」
と、あきちゃんは言っている。両手を組み合わせ、目をきらきらさせて、ちょっとほっぺを染めて、そう言っている。
「乙女ちゃんの魅力を知っているのはわたしだけでいいのー。わたしだけが乙女ちゃんを好きでいればいいのー」
好意はありがたい。わたしもあきちゃんは好き。ちょっとついていけないところはあるけれど。
ぽちゃん。天井から水が落ちてきた。冷たくてはっとした。
長湯しすぎたかもしれない。お風呂から上がり、パジャマを着ていると、外からしゅしゅしゅ、かっ、かっ、という変な音がした。
隣の甲賀さんの庭からだろう。塀が高いので中が見えないけれど、甲賀さんの庭からは、妙な音がよく聞こえてくる。
それも、ちょっと暗くなってきた夜とか、まだ人気がない朝とか。
髪の毛をドライヤーで乾かしていたら、とすっと軽い音がして、うちの庭になにかが突き刺さったような気配がした。
甲賀さんの庭からなにかが飛んできたのだろうか。放っておこうと思ったけれど、まてよと考え直した。
昨今、ママはお隣のこととなると、耳をダンボにし、目をぎらぎらさせる。何でもいいから知りたくて溜まらないのだ、奇妙な甲賀家のことを。
お隣から飛んできた物を庭に放置していたら、ママがまた騒ぐに違いない。
(仕方ない)
髪の毛が生乾きだった。夜風にあたれば少し乾くかもしれない。
わたしはそっと脱衣場を出た。台所の方では、まだママが何か喋っていて、パパがいい加減な相槌を打っている。
足音を忍ばせて和室に入り、障子を開いて縁側に出た。縁側にはサンダルが置いてある。それをつっかけて、そっと庭に出た。
かろかろかろかろ。
蛙が鳴いている。河原のほうから涼しい風が流れて来た。
髪をそよがせながら、庭の中を探した。一体、何が飛んできたんだろう。確かになにかが地面に突き刺さったような気配があったんだけど。
お隣の塀が目の前にある。立派な松の木が黒い影のように覗いていた。
空は月夜で、ちらちら星も見えていた。
ひゅん、ひゅひゅん。
風が唸るような音が聞こえ、塀の向こうで黒い影が跳躍したように見えた。そんな馬鹿な、わたしの背丈より高い塀、人間が身軽にジャンプできるような高さではない。
幻よ幻。わたしは縁側に戻りかけた。その時、庭の隅にきらっと光るものが地面に食い込んでいるのが見えた。駆け寄って取り上げてみたら、それは古めかしい刃物で、時代劇で忍者が使う感じのものだった。
クナイ。
そのアイテムの名前だけは知っている。本物っぽい。物騒に切っ先が光っている。
こんなものが隣から飛んできたのだろうか。
「失礼仕った。手元が狂って、そちらの庭に飛んでしまった」
上の方から声が聞こえた。見上げたら、お隣の屋根の上にしゃがみ込んでいる人影が見えた。
しゅたっと身軽に飛び跳ね、くるくると宙で回転し、うちの庭に音もなく着陸した。ポニーテールが涼やかに揺れている。忍太郎君、と、わたしは茫然と呟いた。
「大事ないか」
と、忍太郎は気がかりそうに近づき、わたしの手からクナイを取り上げた。そして、ふわっと目を見開き、食い入るようにわたしの顔を見つめたのだった。
そよ。そよそよ。
夜風が髪を梳いてゆく。あれっとわたしは顔をおさえた。風呂上がりで、メガネを忘れて来てしまっていた。
髪の毛をほどき、メガネを取ったわたしの顔を、忍太郎は物凄い勢いで凝視している。なんだか鼻息が荒い気がする。
(侍面で、鼻息ムハムハされるのって、なんか嫌だな)
「やはり姫だ。拙者の姫だ」
と、忍太郎は訳の分からないことを言った。
強烈にぎらぎらした目でわたしを見つめ、息がかかりそうなほど近づき、掴みかかってきそうな勢いだった。
「生涯かけてお仕えする姫は、ここにいらした」
忍太郎は言った。とんと、理解できなかった。
「えっと、それじゃあ、また明日学校で」
とにかくその場を早く離れたかったわたしは、縁側の方に向った。
「必ずお迎えに参じます、雨の日も風の日も。姫」
と、忍太郎が言ったが、相手にする気にもなれず、ぴしゃっと障子を閉めてやった。
**
和室を出ると、台所からママの喋り声が聞こえて来た。
「甲賀さんの旦那さん、外科医の先生だけど、ちょんまげしてるんですってー。それがまた、凛々しくて素敵だって評判なのよー。アンタもちょんまげにしてみたら。ねっ、聞いてるの、アンタあああああっ」
ちょんまげ。
クナイ。
一体今は何時代だろう。令和の時代のはずだけど。
混乱してきた。
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