隣の忍者クン

いも林檎

プロローグ

 女の子は、髪の毛をかっちり三つ編みにするべきじゃないし、メガネをかけるべきではない。

 心底、そう思う。

 けれど、戦国小学校の規則として、肩以上の髪の毛は縛ってゆくことになっているし、コンタクトは学校に着けて来てはいけないことになっている。


 (一度、ショートヘアにしてみたら、坊やみたくなっちゃったもんな)

 

 ごはんも食べたし、あとは歯を磨いて学校に行くだけ。洗面台の鏡を見ながら、わたしは自分の真面目な見た目に溜息をつく。

 真面目というより糞真面目。言われたことがある。乙女ちゃんは真面目だからつまんなーい、って。真面目って、決して褒め言葉じゃないんだ。今日も三つ編みかっちり、前髪パッチン、顔を洗ってからダイニングキッチンに行った。お勝手から出て行くから、いつも学校に行く前は、ランドセルはそこに置く。


 「お隣、凄いわねー」

 キッチンでは、ママがお皿を洗いながら、背中越しにパパと話をしていた。出勤前のパパは新聞を開き、同時進行でテレビのニュースを聞き、おまけにママの噂話にまで相槌を打っていた。

 「今時の建築技術って凄いわ。感心するばかりよ。だって、昨日までお隣、空き地だったじゃない」


 日本各地から黒装束の不審者の目撃情報が寄せられています。ある者は並木から並木へ飛び移る猿の如く、ある者は天井から一瞬だけ顔を覗かせて、跡形もなく消える幻の如く・・・・・・。

 

 テレビでは女性キャスターがけたたましく騒いでいる。朝番組ってニュースなのかゴシップなのかイマイチ分からない。

 変な黒装束の目撃情報、うん、このニュースは最近よく聞く。なんかの宗教団体かしら、変な印を結びながら、ニンニンとか何とか、お経みたいなことを呟いてるらしいし。

 (物騒な世の中になったもんだ)

 不審者のニュースを聞くと、子供心にそう思う。ほんとに大変。お母さんたちが子供だった頃は、集団登校で通うから安心だったみたいだけど、今はもう、少子化社会だから、ご近所に小学生ってなかなかいないのよ。

 それでわたしは、いつも一人でてくてく学校に通っている。


 ママの喋りは、テレビのキャスターよりもけたたましかった。

 

 「ほんっと凄いのよ、だって一晩あけたら、まるで最初からそこに建っていたかのように、家があるのよ。それも、武家屋敷みたいな立派なやつがね。ぐるっと石塀で囲まれていて。おまけに」

 唾をぐっと飲みこんでから、ママは怒鳴るように言い、パパを振り向いたのだった。

 「普通にもう人が住んでるのよおおおっ、ねえええ、聞いてるのアンタアアアアア」

 

 しゅしゅしゅっ。

 洗い立てだから水を飛ばしながら、菜箸が空を切る。やめなさい、棒手裏剣ではないよそれは。パパは片手で新聞を、もう片手の人差し指と中指を使って、飛んできた菜箸を捕まえた。どう見てもパパはママの噂話を聞いてはいなかった。パパが見ているのは新聞の経済欄だけだった。

 

 いつもの平和な風景。わたしは小さく、行ってきまーすと言い、とぼとぼとお勝手から外に出た。よっこらせっと、ランドセルを背負い直す。これまた糞真面目な真っ赤なランドセル。せめてピンクなら良かったのに――入学前に、わたし自身が選んだんだけど、これがいいって。

 ぱたんとしまったお勝手の内側では、噂話を聞いてもらえないママが、今度は何を投げたやら、ぶん、ぶぶん、と、重たい音が聞こえた。それをぱしっと掴み、「こらこら、これは手榴弾ではないよ、ママ」と言う、パパの声も。

 酒瓶でも投げたのかしら。ちょうど、流しに料理用のお酒があったから。

 

 今日もわたしは真面目な学級委員長。ぜんぜん、なりたくもなかったし、絶対に向いていないのに、何故だか学級委員長。

 うちを出るとガードレールが連なっていて、そこは用水路になっている。並木が続いていて、今はもう五月なのでとっくに花は散って青々とした葉が空に揺れていた。

 歩いてゆくと、なるほど、隣の敷地が昨日とは様変わりしていた。


 (へー)


 それはつい最近まで「売地」の看板が立ち、ぼうぼうに雑草が茂った土地だった。広々としているけれど、手入れされていないので、まるでジャングルみたいになっていたのだ。

 それが、たった一晩で綺麗に手入れされ、格式高そうな石塀でぐるりと囲み、おまけに和の趣を感じる古民家風の平屋が建っているのだった。塀はわたしの身長よりも高く、お庭の様子を見ることはできなかったけれど、よく整えられた松の木と、樹齢どれほどかと思う程大きな欅が空に向かって伸びていた。

 確かにこれは、ただごとではなかった。


 まあ、庭木は業者に依頼して運んで来たら何とかなる――かもしれない。なんか天狗でも住んでいそうな凄い大木ばかりだけど。

 石垣や家屋も、まあ、突貫工事で頑張れば、一晩でなんとかなる―ーのだろうか。時代劇に出てきそうな凄い雰囲気のお宅だ、それにしても。


 ママが言った通り、そこには既に人が住んでいるようで、敷地の中からは物音が響いていた。一体なんの音かしら、うちも人のことは言えないけれど、しゅしゅしゅとか、たんたんすたたんとか、まるで、手裏剣が木に突き刺さるみたいな音なのよ。

 なんとなく立ち止まって高い石垣を眺めていると、不意に「それでは行ってまいる」と男の子の声が聞こえた。やけに時代がかった喋り方だわ、とぼんやりしていたら、たったったと軽い足音が近づいて、がたんと門の引き戸が開いた。

  

 同じくらいの年齢だったので、わたしはどきっとした。ランドセルを背負った男の子だ。普通のジーンズをはき、普通のポロシャツを着ているけれど、普通じゃないのは髪型だった。

 なんでポニーテールにしているんだろうと、わたしは思った。男子でも心は女の子がいるって聞いたことがあるけれど、このひとの場合はそんな感じではない。全体的にきりっとして凛々しい雰囲気、物腰なんだけど、髪型がポニーテールだった。

 それは、可愛いというより、昔のお侍のちょんまげみたいに見えた。


 「隣の女子でござるか。失礼仕る。昨夜からここに住まうことになったので、また改めてご挨拶に参る」

 今は、時間が迫っているので、これにて。

 そう言って、その男子はポニテ頭をふっさりたなびかせ、走って行ってしまった。


 なんなの、あれは。

 男子でポニテって、校則的にはありなのかしら。


 (まあ、肩以上の髪の毛は縛れば良いことになってるしなあ)

 

 ぼやぼやしていたら、遅刻してしまう。わたしも急いで歩き出した。

 それにしてもポニテ男子、同じ方向に向かっていなかったか。この学区に越してきたんだから、戦国小学校なんだろうけれど――一体あの子、何年生だろう。

 (あんなのクラスにいたら、学級をまとめるの大変になるだろうな)


**


 嫌な予感は当たるものだ。

 その日の朝、ホームルームで、担任の山林先生がニコニコ顔で、転校生がいます、と言った時、ああ神様、いえいえまさかですよね、と、祈るように思ったものだ。

 

 神様が、わたしのお祈りを聞いて下さったことなんか、これまで一度もなかった気がする。

 「おー」

 「おおー」

 クラスみんなが沸き立つ中、先生に招かれて入ってきたのは、今朝見た不思議男子。

 ポニーテールがきゅっと凛々しい。


 「甲賀忍太郎と申す。不束者ではありますが、よろしくお頼み申す」


 ポカーン。

 みんな、口をあんぐりあけた。隣のあきちゃんが、ちょいちょいとわたしを突っついて「面白い人きたねー」と囁いて来たけど、面白いっていうか、あれは。


 ざわざわ。ざわ。

 クラスはざわめいている。当然だ。こんな変なのがいきなり転校してきたら、誰だって困惑する。どう接したら良いのか悩むところだ。

 どうしよう、甲賀忍太郎がこれからクラスに馴染めるよう、学級委員長としてわたしはどうするべきなんだろう。そうだ、せめてわたし一人くらいは親切に接してあげなくては。お隣のよしみもあるし、溶け込めない悩みを親身になって聞いてあげるとかしなくては。

 

 うー、あー。

 悩ましく頭を抱えている横を、すっと、忍太郎は通り過ぎた。通り過ぎざま、まるで武士みたいなきっちりした物腰で、かちっと腰を折って頭を下げていった。はわわ。


 だけどわたしの心配は杞憂だったらしい。

 

 「やん、かっこいい」

 「しびれるぜ、あれこそ漢ってやつだな」

 「奴と勝負してみてえもんだぜ」

 「若侍みたーい」

 「彼女いるのかしらー」


 クラスのざわめきが、ポジティブな雰囲気であることに気づき、わたしはほっとしたものだ。

 みんな、目をきらきらさせて、時代劇の世界から来たみたいな忍太郎を見つめている。


 きりっ。きりきりっ。

 はっきり眉毛はきりっと吊り上がり気味。口は堅く引き結ばれ、目元は涼しい。

 

 今のところ、誰も忍太郎のポニーテールや、変な言葉遣いを気にする人がいないので、わたしはちょっと安心していた。

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