第35話 なぜ通じなかったのか。

それから先は、一方的に嬲られた。

 剣で叩かれ、足で蹴られ、拳で殴られる。

 刃引きをしているから切れはしないけど、死にそうに痛い。

 肩や足を打たれても骨折しないのは、この衣装に仕込まれた革のおかげか。

 ゲームでは革の鎧なんて弱小装備の代名詞だけど、実際に装備してみるとありがたい。これがなかったらもう僕の負けは確定だっただろう。

 でも痛くてダメージを負っていることには変わりない。とにかく体の一部に痛みが走るたびに地面に転がり、土と血の味が口の中を満たしていく。

 土の味が汲み取り部屋で働いていた時の臭いを思い出し、一層みじめになる。

 僕も焔で反撃を試みたり、近衛隊長から習った体術を試したりしてはみるけれど身体能力に差がありすぎる。

 同じ人間とは思えない。

距離を取っていれば戦えるなんて、甘い相手じゃない。

 動きが素早すぎて、焔を作りだすイメージと魔力を練る暇がない。

 こちらが一度腕や足を振るたびにマサシは三度は攻撃を仕掛けてくる。

 魔法を使われなくても、手も足も出ない。

「ぐはっ……」

 蛙が潰れるような悲鳴。

 もう何度、いや何十度地面に転がされただろうか。

この世界にくる前の僕だったら、とっくに意識が飛んでいただろう。

 近衛隊長に特訓を受けたと言っても、いくらコーチが上手くても筋肉がつくスピードだけは速くしようがない。

だけど汲み取り小屋で糞尿をくみ上げ、樽を持ちあげ、馬車で運んでいるうちに全身の筋肉が飛躍的に改善していたらしい。

 特に、首の筋肉が太くなると脳が揺れにくくなるから失神しにくくなる。

「へえ…… まだ立ち上がってきやがるとは、根性だけはあるな」

 マサシが初めて感心したような声を出した。

「そういうやつほど、心をへし折った時の顔が面白れえんだ。喧嘩でも剣道でも、そうやってきた」

 だがすぐにこちらを一方的に下に見るような目に変わる。

 今までの人生で味わってきた思いが、また繰り返される。

なんでこんな思いをして戦わないといけないんだろう。

心が折れそうになる。

今すぐに何もかも捨てて、ここから逃げ出したい。今までそうやって生きてきたように。

「まあいい。飽きてきたし、ケリをつけて」

 マサシは戦いの最中だというのに、僕から目を反らした。

「お姫様をいただくか」

 舌なめずりをしながら、貴賓席にいるミヒャエラに下品な視線を向けた。

 その瞬間、頭が冷えた。

 体に感じていた痛みがどこか他人事のように思える。

 ひどく冷たく感じる口で、僕はずっと妄想の中でしか言ってこなかったセリフを初めて他人に向けて言い放った。


「殺す」


「今、なんて言いやがった?」

「ころ、す」

 ゆっくりと、自分の意識に刻みつけるように。

 思いを言の葉にして、より強い思いへと変えて。

「ミヒャエラをもてあそぶなら、殺す」

「お前マジであの王女様に惚れてんのか? ノロマでグズで顔も人並み以下のお前があの超カワイイ王女様と釣り合いが取れるわけねえだろうが? 俺みたいなイケメンが食うべきだろうが」

「ふざ、けるな」

 クズを思いっきり睨みつけた。視線で人が殺せたらいいのに。

「おお、少しはいい目になってきたじゃねえか」

 マサシは心底うれしそうな目で僕を見る。剣を握り直した。

 今になってようやく気がついた。なんでここまで、ボロボロにされたのか。

 身体能力で劣ってるからじゃない。

ためらいがあったんだ。人に魔法を当てることに。

 痛みで飛びそうになる意識と、顔が腫れたのかかすむ目でぼんやりと考える。

 殴られても剣で叩かれても、吹き飛ばされても、ためらいがあった。

 マサシは平然と剣を僕に向けてきたというのに。

 ふと、この世界に来る前に読んだミリタリ漫画のセリフを思い出した。


『兵士は人を殺すことを、殺されることより恐れる』

『自分が死にそうな状況でも戦わない者も珍しくはない』

『兵士の二割は弾を込めただけで実際には撃っていない』


 死にそうな状況になったら必死に戦うのが普通だろ、漫画を読んだときはそう思った。

特に二つ目なんて嘘くさく感じた。

でも読むと体験するのでは大違いだ。結局、僕もそのクチだったらしい。そもそも開始時は十分に魔力を練る時間があったから、あの時もっと大きな焔でマサシを丸焦げにしていれば僕の勝ちだった。それをしなかったのは、ためらいがあったから。

 魔法は魔力、イメージ、感情の三つの要素。

 感情でブレーキをかけたからあんな中途半端な焔の壁になってしまった。

 でも。

 試合場のはるか遠くに見える、貴賓席。

そこには手を組んで祈るように僕を見るミヒャエラと、一見泰然としているように見えるリーゼロッテが見えた。

 僕がどんな目に遭っても馬鹿にしなかったミヒャエラと、僕が肥えだめ勇者と罵られていた時でも僕に魔法を教えてくれたリーゼロッテ。

 彼女たちよりマサシのような人間が大事なはずがない。 

 だから。

 頭のどこかで感情の枷が、鈍い音を立てて外れるのを感じる。

 同時、マサシの顔を焔が瞬時に包みこんだ。

 彼は魔法を使って瞬時に逃れたが、十歩ほど離れた場所で火傷でただれた顔を晒している。

「この野郎が…… ぶち殺す!」

 怖さは感じる。でも闘志も同時に湧いてきた。

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