第31話 僕よりも

何事もなく終わってよかった、無事に終わってよかった。

昂揚感よりも自尊心よりも真っ先に感じたのがそれだった。

フロイデンベルクの時より慣れていたとは思ったけど、心の底ではやっぱりチキンらしい。終わった後で緊張から解放された感じがどっと沸いてくる。膝が抜けそうだ。

「……トール、大丈夫?」

 ふらついて倒れそうになった僕を見て、リーゼロッテが声をかけた。

 魔力を消費し過ぎると体力まで削られるらしい。僕を召喚した時にミヒャエラが臣下に支えられながら立っていたけれど、彼女も同じような感じだったのだろう。

 不謹慎かもしれないけど、倒れかかるというものでも、彼女と同じ体験ができたことが嬉しかった。

「なんとかね。でもあれだけの大きさの炎を維持するのはきつかった。リーゼロッテ、君のおかげだよ」

 彼女の風の魔法で、火を細かい雪のような形に変えた。フロイデンベルクでのお披露目の時より魔力は多少向上したとはいえ、あれだけの焔を僕一人で維持はできない。

 それに彼女が焔の形を調整してくれたので、僕は魔力の発動に集中できた。

 落ちつくと、周りの様子が見えてくる。

 観客席からは未だ拍手が鳴りやまず、貴賓席の重鎮たちも惜しみない拍手を送ってくれていた。

 不隠と言うか、笑顔の裏に嫌な感じはするけれど。

 政治家だしそれはいたしかたない。綺麗事じゃ政治は回らないくらい、高校生の僕にだってわかる。

 彼らの様子を見てリーゼロッテが胸をなでおろしながら呟いた。

「……これで一安心。トールの、勇者の力を目の当たりにしたことで帝国もちょっかいをかけにくくなるはず」

 僕にだけわかるように、黒フードを少しだけ上げて素顔を見せる。

 普段魔法で変えてあるしわがれ声からは想像もできない、幼くてあどけない顔。

 こんな小さな子が、一国の魔法師の長としてどれだけの重責を背負い続けてきたのだろう?

 今やっと、彼女は心から安らいだ表情をしている。

 僕が人にそんな表情をさせてあげられたと思うと、自分で自分自身を認めてあげたくなってくる。

 でも。

 そんな、やっと訪れた安息に対しても。

残酷で気まぐれな神様というやつは、容赦も手加減もしないらしい。

ぱちぱち、と。

 敬意も称賛の欠片もない、形だけの拍手がすぐ近くから聞こえてきた。

「お見事でしたわ、『蒼き焔の勇者』」

 黒髪の護衛を連れたマリアンネがいつの間にか僕たちのところまで降りてきていた。

 突然の乱入者に会場がざわめきだす。

 彼女、逃げたんじゃなかったのか?

 というか、おかしい。

 絶対におかしい。

 フリルのついた扇で口元を隠しているがはっきりとわかる。

 目が笑っている。

 他国の重鎮でさえこの中で誰ひとり笑っている者はいないのに、なぜだ?

 ひどく嫌な予感がする。

 それに一体いつの間にこんな近くに来たんだ?

 観客席から僕たちのいる闘技場の中間までは、全速力で走ってもすぐに着くような距離じゃない。焔の発動で僕や観客の注意がそれていたとはいえ気付かなかったのはおかしい。

 それに、走ってきたにしては彼らが息一つ切らしていない。

 リーゼロッテも気がついているようで、杖を握る手に力が入っていた。

「……勇者お披露目の場に、勇者でない者が何をしに来た」

 しわがれ声でそう問うが、マリアンネは余裕たっぷりに返した。

「新たな勇者の誕生に、二つ名を送りに来て差し上げたまでですのよ。それすらわからないとは、王国の魔法師はその程度ですのね」 

 もはや口元さえ隠さず、見下したような笑みを顔中に浮かべていた。

 マリアンネは僕たちの隣で、闘技場中に響く声で宣言した。

「闘技場にお集まりの皆様! そして各国の国賓の方々。王国の勇者の晴れ舞台の日に、もう一つ吉報がございますわ」

 観衆がざわめきだした。

 他国の重鎮も知らされていないのか、

 マリアンネの後ろに控えていた護衛の少年が一歩進みでる。

 この世界では珍しい黒髪に、腰には長剣を佩いている。

悔しいけれどイケメンで、立ち姿に隙がない。

力強いが傲慢、だけどそれに似合った実力があるという印象だ。

「マサシ」

「おうよ」

マサシと呼ばれた男子が返事をする。彼は親指で長剣の鍔、西洋で言うクロスガードを親指で押して鯉口を切った。

 同時に隣に立っていたリーゼロッテが杖を構え、彼に向けた。

 黒フードからのぞく口元はこわばり、杖を握る手が震えていた。

「どうしたの?」

「……こんな、膨大な魔力…… これじゃまるで、」

 リーゼロッテの反応を見て、マサシは嗜虐的な笑みを浮かべる。

 彼女が言葉を終える前に。

 今までマリアンネの側にいたはずの彼が。

 一瞬も彼から目を離していないのに。

 僕の目の前には、広大な闘技場が広がっていたはずなのに。

 いつの間にか僕の視界は、ほぼ彼で占められていた。

 僕の目の前に立ったマサシは長剣を抜いており、その切っ先は僕の喉元に押し当てられ、刃の冷たさがはっきりと感じられる。

 一ミリでも動かせば、僕の皮膚を容易く切り裂いて頸動脈から血が吹き出るだろう。

 圧倒的優位に立ったマサシは僕を見下すように笑うと、つまらなさそうに吐き捨てた。

「ふん、王国の勇者といっても大したことはねえな」

 彼は鼻で笑うと、剣を鞘に収めた。 

 剣を引く時に妙な感触がしたので首筋を触ると、血が出ないように皮一枚だけ斬られているのがわかる。

 観客も呆然としている。

 僕の炎よりインパクトは小さいはずだけど、一瞬で敵の喉元に剣を突きつけるというのはこの世界の人間にとって重大事らしい。

 マリアンネの朗々とした声が再び闘技場に響く。

「皆さま!これが帝国の勇者、マサシです! 王国の勇者を手玉に取るほどの実力者ですわ!」

 僕の時よりも大きな歓声が、闘技場を揺るがした。


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