第30話 勇者お披露目
翌日、勇者お披露目の時がやってきた。
天気は快晴で雲ひとつなく、日本よりもさらに濃い青の空が広がっている。冬だけど日差しがあるので暖かく感じた。
今度は城のバルコニーではなく、ジェノヴァの町の一角にあるローマのコロッセオか東京ドームみたいな空間。聞いたところでは昔は奴隷を戦わせ市民が賭けの対象としていた闘技場で、数百年前にそういった風習が廃止になってからは叙勲式や御前試合の会場として使われているらしい。
以前もやったことなので少しは落ちつくけど、やっぱり人の多い所で何かするというのは慣れない。
闘技場を見下ろす形で作られた観客席には大勢の観客が立錐の余地もないほどにつめかけ、立ち見の席までがびっしりと埋まっている。聞いたところでは会場の興奮を共有しようと、闘技場の外まで人が押し掛けているらしい。
そして観客席の中でも一際目立つ貴賓席に、各国の王族や重鎮が座っている。
彼らの視線の先、コロッセオで言う闘技場の真ん中に僕と、付き添いとして魔法師であるリーゼロッテが控えていた。
イメージは固まっている。
やられっぱなしは気にいらない。見ていろ。僕たちを、ミヒャエラを馬鹿にしたことをたっぷりと後悔させてやる。
そう思いながら貴賓席にいるマリアンネを睨むように見た。
肥えだめ勇者を、なめるなよ。
そう思うと、掌に魔力が集まっていくのを感じる。
魔法は魔力、イメージ力、感情の三要素で威力が決まる。僕の少ない魔力では分子の分子間角度、距離まで明確にイメージしないといけない。
見返したいという感情と、僕の魔法の源であるメタンの分子の具体的なイメージをバランスよく頭の中で練り上げる。
これなら、上手くいきそうだ。
緊張感と怒りがほどよく全身を駆け廻っているのを感じる。
やがて貴賓席に立つアーブラハムが立ち、会場を見下ろす。
教皇としてのオーラか、温和ながらも場の空気を支配するような感じでざわめいていた会場が静まっていった。
針一つ落としても響き渡るような完全な沈黙の中で、アーブラハムが天を仰ぐように両手を掲げて言の葉を祝ぐ。
「お集まりの神の子ら、本日このよき日を友に迎えられらことを神に感謝しましょう」
天上に輝く太陽を崇めるように大空を見上げ、両手を大きく広げる。神聖国の国民だろうか、会場の観客の中で半分くらいは真っ先に手を合わせ空を拝んだ。
他の観客やリーゼロッテも一拍遅れて同じようにする。
とりあえず空気を呼んで僕も手を合わせた。
「勇者とは、遥か昔このエーデルハイム神聖国に神が遣わした存在。今またここに、同様の存在を迎えられたことを神に感謝致しましょう」
会場から拍手が響く。
フロイデンベルクでもあったけど、これだけの拍手で迎えられたことは初めてだ。
目の色が違っても、髪の色が違っても、皆僕に向かって拍手を送っている。
空気が震えて、振動が伝わるほど。
観客の一人、小さな子供に向かって手を振ると満面の笑顔で両手をぶんぶん振り返して答えてくれた。
勇者というだけで、あんな小さい子が応援してくれる。
胸が熱くなってくる。
よし、いくぞ。
そう思うと隣のリーゼロッテが、僕の服をちょいちょいと引いた。
「……トール、やりすぎないで」
「どうして?」
力を誇示するためのセレモニーなら、派手にぶっ放した方がいいのではないだろうか。
「……あまり強力すぎると警戒される。最悪、王国以外の国が手を組んで打倒しようと考えないとも限らない」
まあ、そうか。
難しいことはわからないけど、外交は複雑らしい。
教皇の祝辞が終わり、僕に視線が集まったのがわかる。
ミヒャエラも、近衛隊長も、レオノ―ラも僕を見ている。
なぜだろうか。この世界にくる前の僕ならば、応援とか期待なんて、プレッシャーかかるだけのものだから大嫌いだったはずなのに。学校の応援団とか、見てるだけで嫌いだったのに。
魔法という、誰にも恥じることのない力を身につけたからだろうか。
今はあの時とは逆だ。
ミヒャエラたちに見られていると思うと力がわいてくる。
僕は一歩前に出て魔力を籠め始めた。
ドームのように広い闘技場、まばらに草が生えた砂のような細かい土の地面の上に立っているのは僕とリーゼロッテの二人だけ。上から見れば茶色一色の画用紙に二つの点が描かれているように見えるはず。
そして余計な雑音がない分、魔法に集中できる。
僕は中指と親指の先を触れ合わせ、魔法の準備をする。
空気中にメタンをイメージ。
炭素一つに水素四つ、最も単純な構造の有機物にして有機化学の基礎。
結合手同士が109.5度の角度に位置する正四面体の構造。
ググりまくっていたのが功を奏して、こうして目の前にスマホがなくてもはっきりと形も角度も分子間距離でさえイメージできる。
「たとえどのような魔法を見せても、わが帝国には敵いませんことよ」
金髪縦ロールが扇子で口元を覆ったが、目からは嘲りの色が強くなったのがこんなに離れていてもわかる。
間近にいればどれだけゆがんだ顔を見なくてはならなかったのだろうか。
見てろ。
すぐにその顔を驚愕と恐怖に変えてやるから。
中指をスライドさせて親指の腹に当て、指を鳴らす。澄んだ音が耳に届き、魔法が発動する。
観客の目にまず飛び込んだのは、闘技場の宙に浮かぶ青い焔。
初めはただのうっすらとした青い塊かと誤認したが、伝わってくる熱から焔と悟ったらしい。
日々の生活や祭壇で見るのは橙色の焔であり、あのような色の炎など神父から洗礼を受け信徒となった時でさえ見たことがないだろう。
木材や植物に含まれる成分の関係上、どうしてもそういう色にしかならない。
だが彼らが見たことのない青い焔は燃え盛りながら膨れ上がり、焔が奏でる音が、猛獣の唸りのように闘技場に響く。
もう咳払い一つ観客からも、貴賓席からも聞こえない。
焔の尾が風に合わせて舞うたびに風に乗る熱は方向を変え、あらゆる観客に太陽以上の熱気を浴びせ、頬が焼かれるほどの熱さを感じさせていく。
それは貴賓席といえども例外ではなく、各国の重鎮たちは早くも腰を浮かして逃げる用意と算段を始めた。
「……トール、そろそろ」
リーゼロッテが杖を振り、僕にフィナーレの合図を伝えてきた。
「わかった」
僕は小さくうなずき、再び中指と親指の腹をすり合わせた。
今回はショーよりも威力重視だから、炎色反応で色は付けない。求めるのはただ純粋な火力。
貴賓席でア―ブラハムがおののいているのが見え、マリアンネに至ってはすでに貴賓席に見当たらなかった。
逃げ足が速いな。
邦国など他の重鎮たちもア―ブラハムと同じような様子だ。
王国の近衛隊長やエッカルト達は溜飲が下がったのか、せいせいとした顔をしている。
ミヒャエラはこの会場の中で唯一、微笑を絶やしていなかった。
だけど他者を見下すような笑い方じゃない。
彼女がもっと笑ってくれることを願って、僕は再び指を鳴らす。
同時にリーゼロッテが最後の詠唱を行った。
上空の焔の渦が僕の合図に合わせてはじけ飛び、無数の火の粉へと姿を変える。
それが熱による上昇気流とは反対に、上空から吹く冷たいゆっくりとした風に乗り、闘技場へと降りていく。
青い蛍か、焔の雪が舞い降りるような幻想的な光景が広がった。
もちろん観客に触れると火傷してしまうので観客に当たる前に消えるように調整はしたが。
本気でやれば闘技場全てを焔で包むこともできたけど、まあこれくらいが無難だろう。
やがて青い蛍の最後の一匹が消え、同時に会場から万雷の拍手が湧いた。
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