第29話 傲慢な姫
「遅くなりましたわ」
大声でないのに存在感を主張し、場を支配するかのような高い声。
それだけで、たった一言で会場の雰囲気が一変した。
金を随所にあしらった豪奢なドレスをまとい、フリルのついた扇子を手にした女子が従者を引き連れて入ってくる。
髪型はいわゆる金髪縦ロールでテンプレな高飛車系お嬢様って感じだ。
整いすぎるほど整った顔立ちだけはミヒャエラにも劣らない美少女だけど、彼女の全身からにじみ出る高慢な感じがあまり好きになれない。
「……っ」
彼女を目にしたとたん、ミヒャエラの様子が変わった。さっきまでの泰然とした感じが消えて、ぎこちなく、固くなる。
「……あれが、帝国の女王」
憎々しげに彼女を見るリーゼロッテが呟く。
帝国…… 確か国境を侵犯してくる国だったか。帝国の圧力が僕を召喚するきっかけになった、と言っていた。
帝国。正式名、エルツライヒ帝国。
王国とは国境を隔てて隣同士にもかかわらず、肥沃な平野をその版図に収めているため森林が大部分を占め、冬は多くの土地が雪に閉ざされるフロイデンベルク王国と比べて人口、生産力、兵力などの国力は数倍はある。
その女王、マリアンネ・フォン・エルツライヒは智勇に長け、魔法も使う才媛だという。
リーゼロッテに習った帝国の情報はこんな感じだった。
神聖国や邦国といった他国の重鎮たちがマリアンネに近寄っていく。
侵略の意図を問いただそうというのだろうか。
それはそうか、他の国と比べても帝国は強大なようだし、いつその矛先が自国に向けられるか不安なはずだ。
他国が圧力をかけてくれれば、僕が戦場に立つ可能性も低くなるはず。
でもそんな雲や霞のようにはかない期待はあっけなく打ち破られた。
「王国との対立、さぞ大変でしょう」
「まったく、小国のくせに野心だけは大国並ですからな」
だがその口から出る言葉のどれもが、帝国を擁護するものばかり。中には王国を平然と非難するものさえあった。
「いえ、国際法違反を繰り返す王国に付き合ってあげているだけですわ。我が方の出兵も、すべて自衛のためであって侵略の意図など毛頭ございません」
マリアンヌは扇子で顔を隠しているので正面からは表情がうかがえないが、横に立つ王国の人間を見る時だけは扇子の隙間から愉快そうに笑った口元が見える。
歯噛みするリーゼロッテや近衛隊長。
なんだ? 一体これは、どういうことだ? 異世界転生物ではテンプレな展開だけど実は僕が属していた王国が悪で、帝国が正義だというのだろうか。
「トール様、違います!」
ミヒャエラの悲痛な叫び。澄んだ彼女の声が、僕を現実に呼び戻した。
彼女の目には涙が滲み、顔色が青くなっている。
「トール様も、ご覧になられたでしょう? 我が国の軍備と兵力、そして帝国との力の差を。こちらから攻め込むなど、自殺行為です」
リーゼロッテに言われたこの世界の地図や、近衛隊長と共に閲兵した時のことを思い出す。
どれくらいの兵力で戦争をするのかはわからないけれど、帝国との国境の広さと、戦国時代の有名な戦や兵力を比較すると明らかに力不足だ。
「信じていただけましたか?」
「うん…… 確かに、力の差のある相手にする行為じゃなかったよね」
寡兵で多数を相手取るには、奇襲攻撃や技術力で圧倒する必要がある。桶狭間しかり、スペインのインカ帝国侵略しかりだ。
僕の返事を聞いてミヒャエラは胸をなでおろした。少し青かった顔色も元通りになっている。
僕に疑われるのが、そんなに嫌なのだろうか。
少しは彼女の中で、大きな存在になれているのだろうか。
それとも、王女たる彼女は自分の国が疑われることに怒りと憤りを感じたのだろうか。
わからない。彼女の心がわからない。
だから怖くて、踏み込めない。
「……これが政治力と軍事力の差」
リーゼロッテの声が、僕を現実に引き戻した。
「……遠国には限られた情報しか入らない。帝国は、多くの人脈と資金を使って自分たちに都合のいい情報を流している」
「……我々も同様の活動は行っている。けれど、信じてもらえない」
「……でも、トールが現れたことで状況は変わるはず。勇者は今、王国にしかいない。パワーバランスが変われば、優勢な国の意見が通るはず」
マリアンネは今まで目に入らなかった、と言わんばかりに見下す感じたっぷりの視線をミヒャエラに向けた。
「あら、お久しぶりですわね、ミヒャエラ・フォン・フロイデンベルク王女」
言葉だけは丁寧なあいさつと共に、スカートを軽くつまんで足を引くお辞儀をした。
それだけは惚れぼれするほどに美しい。
「何用か」
近衛隊長がミヒャエラを守るように、二人の間に立つ。
「必要ありません……」
ミヒャエラは怯えをあらわにしながらも近衛隊長の前に立った。
怖くても視線を反らさず、恐れても逃げない、王女としての矜持。
しかしそんなミヒャエラの態度はどこ吹く風で、マリアンネは無遠慮に僕たちを一瞥した。
「そういうことですの」
それだけで僕たちのことを理解したのかのように、軽く頷いて、扇子で口を隠しながら微笑む。
その仕草にミヒャエラが身を震わせたのを感じた。
「あなたが勇者ですの?」
「そうだけど」
僕は気押されないよう、動揺が表情に出ないように注意をはらいつつ答える。
彼女は扇子で口元を押さえ、僕の耳に顔を近付ける。
縦ロールの金髪が僕の耳元に触れそうなほど近付き、強いけれど不愉快でない香水の香りが鼻をくすぐる。
彼女自身の甘い香りとそれが混じって、わずかに胸が高鳴った。
奥深い森でさえずるハチドリのような声で、彼女はささやいた。
「力に目覚めて、何か変わりましたかしら? 肥えだめ勇者」
僕はたったそれだけで、胸をわしづかみにされたように感じた。
聞き慣れたはずの言葉。
同じ奴隷から、フロイデンベルク城内の貴族から幾度となく聞かされた言葉。
それなのに。
マリアンネのカリスマ性と蔑み、憐れみの入り混じった雰囲気の下では言葉の重みが比べ物にならなかった。
全身を寒気が襲い、汲み取り部屋で働いていた時の感情をフラッシュバックさせる。
「……! トール様!」
僕はほとんど反射的に意識のスイッチを切り替えた。
誰かが何かを言っているけど、内容も話者もわからない。いや、わかろうとしてはいけない。
その感情から逃避するように、必死に頭の中で理屈を並べ立てる。
なぜだ?
なぜその言い方を知ってる?
フロイデンベルク城内の人間しか、知らないはずなのに。
スパイから聞いたのか?
まあ情報戦の基本か。
でもなんでこんな場所で、しかも僕に耳打ちしてまで言うんだ?
彼女や帝国にとって何のメリットがある?
少し時間を置くことで、考えがまとまってきた。
辛い現実にまっすぐ向き合うと、心が壊れてしまうから。必死に思考を自分の内に籠らせて、目の前の出来事から逃げる。
逃げているうちに、少しでも落ち着きを取り戻せば対処法も思いつく。
逃げるな、なんて言葉は逃げたくなる状況に陥ったことのない幸せ者のセリフだと思う。
「驚きました?」
マリアンネは返事を待つ気などないかのように、言葉を続けていく。
「我が国の情報網を持ってすれば、この程度容易いことですわ。あなたが召喚されてしばらくは魔法一つ使えなかったことも」
一旦は立て直した心が、また戻ってしまった。
過去の記憶がフラッシュバックする。
汲み取り部屋で働くしかなく、城内の誰もが僕を見下した日々。
体に震えが走る。全身に氷が触れているかのように、冷たい。
マリアンネはそんな僕を見て満足げに頷いた。サドか、こいつ。
「国境沿いの軍の編成から、あなた方が今日食べた朝食の献立まで筒抜けですのよ」
僕にはわからない情報を立て板に水を流すがごとくしゃべっていくマリアンネに対し、リーゼロッテや近衛隊長たちが悔しそうに拳を握りしめている。
ここまで情報が漏れているなんて、やはり城内にもスパイが多数紛れこんでいる。
それも、国の中枢に。
「それにしても」
彼女は再び僕を憐れむように見た。
視線が合っただけで怖い。
「これしきのことでそこまで動揺するとは。新たな勇者とやらも存外大したことはありませんのね。わたくしの護衛の方がよほど頼りになりましてよ」
彼女は後ろに控えている護衛を一瞥した。
こちらの世界には珍しい黒髪で、僕よりも背が高くて体格が良く、特に前腕が太い。腰には長剣を佩き軽装の鎧を身に纏っている。
僕と目が合うと、大した興味もなさそうに目を反らした。
マリアンネたち帝国勢の余裕が伝わってくる。
怖いのは、まだ収まらなかったけど。
疑問がたった一つだけ沸いた。
おかしい。勇者召喚で優位性が覆されるはずなのに、なぜこうも余裕を持っていられるんだ?
僕一人の力じゃどうしようもないほどに帝国の力が圧倒的なのだろうか?
リーゼロッテも、近衛隊長も、エッカルトら文官も、彼女の圧倒的な情報力と謎の余裕に言い返せずに固まっていた。
「お控えください」
でもそんな中、ミヒャエラだけは前に出た。
「何を控えろというのかしら?」
余裕に水を差された苛立ちか、マリアンネは形の整った眉をゆがめ眉間にしわを寄せる。
「トール様は、ご立派な勇者です。帝国ごときが認めなくとも、私はトール様を信じています。無礼な態度はお控えください」
「ごとき、ですって?」
マリアンネの顔が怒りに歪んだ。
「トール様の情報を掴んでおきながら、その程度の態度しか取れない。そんな人間が君臨する国を『ごとき』と呼んだまでです」
さっきまでのぎこちなさが消えて、自信に満ちた態度。
その様子に、他国の重鎮さえも見惚れていた。
場の空気が僕たちに味方する感じに変わる。
「……覚えてらっしゃい!」
空気に耐えきれなくなったのか、テンプレな捨て台詞を残してマリアンネは護衛と共に退室した。
重厚な木製のドアが閉じる音と共に、ミヒャエラの膝ががっくりと崩れる。
僕は咄嗟に彼女の体を抱きかかえた。
薄いドレス越しの彼女の身体は羽のように軽くて、日だまりのように暖かい。柔らかい女の子の感触に胸が高鳴ると同時に僕を安心させてくれる匂いがした。
「だ、大丈夫?」
「……急病?」
リーゼロッテも彼女に駆け寄ってくる。
「いえ、緊張の糸が切れただけです。申し訳ありません」
「やるにゃー」
いつの間にか隣にいたカルラが、肩に猫を乗せたまま人懐っこい笑みを浮かべていた。
「あの女王様にバシン! と言ってやるとは思わなかったにゃ。成長したにゃー」
カルラの言葉に、脇に抱えた猫までがミヒャエラを褒めるように喉を鳴らした。
「いえ、私一人では以前のように固まって、言われっぱなしで終わったでしょう。トール様がいてくれたからです……」
僕の腕の中で、彼女は華やぐような笑みを浮かべた。
「女の子にここまで言わせるなんて、罪な男にゃー。お披露目の儀式、楽しみだにゃー」
カルラがにやにや笑いながら、僕とミヒャエラを交互に見つめた。
間近のミヒャエラと目が合う。
彼女だって、完璧じゃない。怖いけど頑張ってる。
なら僕もそうしよう。またマリアンネと目が合うと怖いかもしれないけど。きっと動揺してしまうだろうけど。
勇者お披露目の儀式、頑張ろう。
そう決意が固まった。
だけどそのせいで、重大なことに気がつかなかった。
マリアンネより恐ろしい人間がいたことに。
恐怖とは彼女のためにある言葉。
ミヒャエラに対してこんな態度をとれば、どうなるかということを。
「それはそうとして、いつまでそうしているつもりですか、勇者様?」
いつの間にかレオノ―ラが鬼のオーラで背後に立っていた。
ドアの外では、マリアンネが怒りに震えながら大股で廊下を歩いていた。
「私に恥をかかせるなんて…… 許しませんわ許しませんわ許しませんわ。ちょっと鼻を明かしてやろうと思いましたけど、それだけでは足らないですわ。予定変更ですわ、マサシ」
マリアンネが護衛に耳打ちする。
「オーケーオーケー。大船に乗ったつもりでいてくれよ」
マサシと呼ばれた彼女の側に控える黒髪の護衛が高笑いを上げた。
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