第28話 ジェノヴァ

リーゼロッテの風の魔法と水夫たちの活躍で船は進む。時には船が衝突・座礁しそうな狭い海峡を通ることもあったけれど彼女たちのお陰で何事もなく通過し、大幅なショートカットが可能になった。

やがて目的地であるジェノヴァの港にたどりつく。

気候の違いか、冬なのに昼日差しが当たる場所は大分暖かい。または雪が残っているのは遥か遠くに見える高山だけで、麓には雪が積もった後さえなかった。

船はやがて港に到着し、桟橋を渡って僕たちは上陸する。

 ジェノヴァの港はキールでは見たこともない魚が市のあちこちで見られ、南の都市のためか町の色合いが全体的に明るい感じがする。道行く人々もラテン系というか、性格が陽気な気がした。

 天候が人間の性格に大きくかかわるというけれど、あながち嘘でない気がする。

 それにこちらの国なら僕が肥えだめ勇者と知っている人間はまずいないだろうし、その点でも安心できた。

「ジェノヴァへ来るのは初めてです……」

 いよいよ異国に降り立ったという緊張感と見慣れぬ情景への好奇心、その二つが混ざった表情のミヒャエラ。

 彼女の姿を、つい目で追ってしまう。

 神聖国に降り立ったのでもう身分を隠す必要がなく、彼女は地味な仕立ての服から外出用なのか、少し裾の狭まったドレスに着替えていた。

「お待ちしておりました」

 神父みたいな服を身にまとった人たちが数名、船の近くに止まった十字架に似た意匠の入った馬車から出てきた。

 神聖国の使者らしく、ミヒャエラやリーゼロッテは彼らと挨拶を交わす。

 その後に僕のことを値踏みするような視線で眺めた後、形式的な挨拶をかわした。

 それから彼らの用意してくれた馬車に乗り込み、ジェノヴァの宮殿へと向かう。

神聖国は文字通り宗教国家でもあり、近頃は海外への布教にも力を入れているそうだ。

馬車に揺られながら町の作りを見る。ジェノヴァの町はキールやフロイデンベルクに比べ建物が密集していて少しごちゃごちゃとしているけど、全体的に茜色の屋根と白い壁のおかげで明るい印象がある。また海沿いの岸壁から突き出したように建っている建造物も多く、砂浜が多かった日本の海沿いの都市との違いを感じさせた。

馬車の中でもミヒャエラは考え込むような感じか、文官たちと政治の話をしていて僕が入り込む余地がない。

 やがて宮殿に到着し、馬車を降りる。

宮殿もフロイデンベルク王国と違い宗教の影響が色濃く感じられる。巨大な十字架を屋根に掲げ、金細工が壁の随所に彫られた白亜の教会が隣に建ち、平日だというのに多くの貴族、中流階級が出入りしていた。



 色鮮やかな聖人の天井画に、一抱えもありそうな巨大な壺、王族の肖像画。宮殿の廊下に陳列している調度品はどれも見ているだけでオーラに圧倒されそうになるものばかりだ。

芸術には素人だけど、なんというか作品全体から伝わってくる雰囲気というか、そういうものがビリビリくる感じだ。魔法に目覚めてからそういった感覚が鋭くなった気もする。

 僕は物珍しさにきょろきょろしそうになるけれど、ミヒャエラ達は視線を巡らすことなく真っ直ぐ前を見て歩いていた。

 それを見ると僕と違って、建物や調度品に動じない強さと訓練を感じられる。

 贅沢な宮殿を作るのは贅沢そのものが目的というより、外交のうちということだろう。今の僕みたいにそれだけで相手国の人間を圧倒できる。

いまさらながら、神聖国の使者たちが僕たちの様子を注意深く観察していることに気がついた。

使者が二人がかりで綺麗な木目のあるダークブラウンの扉を開け、僕たちを宮殿の応接室に通した。

応接室は巨木をそのまま切りだしてきたような、巨大で重厚な机が中央に鎮座している。茶菓子を運ぶメイドさんが部屋を動きまわり、帯剣した護衛に護られた人物が立ち話に興じていた。

感じからしてまだ正式な会談でなく、互いに腹の探り合いという段階だろううか。

前もって知らされていたのか、扉が開く音で入室してきた僕らに気づいたのか、会話が止まる。

部屋の中にいた人物たちが僕たち、とりわけ僕に視線を向ける。

「遠路はるばる、ようこそおいで下さいました」

その中で神父が着るような、テレビで見たローマ法王の服を彷彿とさせる服をまとった初老の男性が真っ先にミヒャエラの元へ歩いてきた。

服装からして、おそらくあれが神聖国のトップだろう。

「わたくしがハイリゲス神聖国の教皇、アーブラハム・フォン・アンゾルゲと申します。本日このよき日に皆さまと出会えたこと、神に感謝致します」

 胸の前で十字を切って、祈りを捧げるように手を組む。

 押しつけがましくない、かといって軽くもないごく自然な祈りの動作。

 なんというか、教皇の名にふさわしい威厳はあるけれど温和なおじさんと言う雰囲気がしっくりくる人だ。

「こちらが我が国が召喚した勇者、トール様です」

 ミヒャエラの紹介に、あらかじめ教えられたとおりの挨拶をする。

 アーブラハム教皇は僕に対して値踏みするような視線を向けることなく、僕の手を包み込むように握手してきた。

「神が使わしたと教えにある、勇者と出会えたことは光栄です」

 神が使わした…… 異世界から召喚した、とは言わないんだな。さすがは宗教国家。

「私が神聖国十字軍元帥、カルラ・フォン・カスナ―だにゃー。よろしくー」

 アーブラハムの脇に控えていた女の子がやたら軽い挨拶をかました。会談の場だというのに猫を脇に抱えて、背中に身の丈ほどもある十字剣を背負っている。いや。クレイモア―と言うんだっけ?

ブーツや手甲で覆われた手首足首と対照的に、むき出しになった細い二の腕や太股。胴体は鎧で覆っているけれど全体的に軽装だ。

女性用の鎧だからか、胸の部分が膨らんだデザインをしている。

リーゼロッテ並みに低い身長なのに、体格は引き締まっており敏捷に動けそうだ。

胸のサイズは…… リーゼロッテと比較するのはやめよう。

「……何か失礼なこと、考えた?」

ロリ巨乳に目を奪われていると、いつの間にかリーゼロッテが横に立っていた。

「……彼が神聖国の教皇兼国王。フロイデンベルク王国でも教会はあるけれど神聖国ほど政治に影響力があるわけでもない。ましてや教皇が王や領主を兼ねるということはあり得ない」

 確かに、神聖ローマ帝国でも教皇が国王任命に口出しはしたけど国王にはならなかったしな。

「なにこそこそしゃべってるにゃー?」

 いつの間にか僕の隣に立っていたカルラが、僕の腰をばんばんと叩く。

 彼女にとっては軽くなのだろうが、僕にとっては金属バットで殴られたような衝撃だ。

 うずくまりそうになるけど、こんな場所でみっともない真似はできないのでなんとか耐えた。

「緊張するのはわかるけど、せっかく遠路はるばる来たにゃ。つまらない腹の探り合いはやめるにゃ」

僕をちらりと一瞥しつつ、見ているだけで肩の力が抜けるような笑顔を浮かべた。

「とりあえず、 よっろしく、にゃ」

 そう言って握手してくるカルラ。巨大な剣を振っているとは思えないほど柔らかく、暖かい手だ。

軽いけど軽薄ではなく、陽気で天真爛漫な感じがした。

 それからは他の国賓から型通りの、勇者召喚を褒めたたえる挨拶を送られた。

 決してイヤな顔はせず、かといって得意気な顔にならないよう心がけて淡々と受け流していく。

 訓練はしたけど思ったより疲れるな、これ。

 ミヒャエラは僕が圧倒されている人を前にしても、いつもと変わらずに振舞っている。ポーカーフェイスとも違う、営業スマイルとも違う、王女としての笑顔。

 僕には決して、真似できない。

 それから別の邦国という国の重鎮とも挨拶を交わした。

 彼らは僕に対し値踏みをするような視線も向けてこない。

 帝国や神聖国と違い国境を接していない分、興味が薄いのだろうか?



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