第27話 人の気持ちはわからない

 港に残る水夫が船を港に係留するもやい綱を解くと、綱が港から遠ざかる船へと引っ張られ、収納されていく。

 現代の船と違ってエンジンの音もスクリューによる白い航跡もない船出は、風を受けて膨らむ真っ白な帆が強く印象に残った。

 港の家々の屋根から見える風見鶏や、粉を挽くための風車は回っておらず、キールの町は無風に近い状態であることがわかる。

 それでも船が快適に進むわけは、

「……水面の霊、天の精、我らが箱舟を導き給え」

 甲板に立って魔法を行使するリーゼロッテのお陰だった。

 黒いローブとフードを身にまとい、魔法を行使して風を帆に吹かせ、その力で船を動かしている。

木製の縁に腕を乗せて船上から海面を見ると、意外と速く動いているのがわかる。

 近代に入ってからでもスクリューが登場する前は帆船がスクリュー船の前身である外輪船を追い抜いた記録もあるし、風に恵まれた帆船は何気にすごいな。

 船が外洋に出たところでリーゼロッテが杖を下ろし、詠唱を止めた。

「あれ? もう終わり?」

「……さすがに魔力の残りが少ないのと、これ以上は必要がない」

 やがて風もなく、水夫たちが櫓で漕いでもいないのに船が進む方向を変えた。

「……この季節は海流が一定方向に走っている。海流にさえ乗れば、後は微調整でジェノヴァまで辿りつける」

 馬車で陸路を行くのも楽しかったけど、海の旅と言うのも面白い。

 僕は船旅と言えば小さい頃、引越しの時車を運ぶためにフェリーに乗ったことがあるくらいだ。でもオイルの臭いと見渡す限りの紺色と空色しかなくて、退屈だった。

 でもこの世界の旅と言うのはここまで違うのか。

 ヨーロッパではカレーからイタリア半島が、南イタリアからシチリア島が見え、それが海の向こうへの憧れを強く刺激し、大航海時代のきっかけの一つとなったといわれる。

海賊がお宝を隠していそうな、切り立った岩と草に覆われた小島。

 木と石でできた家が点在する島そのものの大きさが比較的大きい、漁業を生業とした人々が住んでいそうな大島。

こうしてこの世界の海を眺めていると、それがよくわかる。海を行くたびに様々な形の島を横切るので、見ていて飽きない。

 

 

 僕は防寒着の外套を羽織って、夜の甲板に立っていた。マストの上、見張り台に水夫が一人立っている他は誰もいない。

 出港して一週間ほど経つと船が大分南へ進み、暖かくなってきた。フロイデンベルクの王都やキールの港を覆っていた鉛色の空も晴れることが多くなり、満月が夜の海を真珠のような白と銀に照らしている。

夜になると黒や群青色の海面上に見える山々の中に、いくつか赤い溶岩が光って見えて幻想的だ。

 それを見ながら、僕はミヒャエラのことを思い出していた。

 僕を召喚し、それを後悔し、奴隷たちには愛想が良い。そして僕にスカートをめくって見せる変態であり、僕に崇敬するような礼を取った。

 王女だったり、変態だったり、何考えてるかはわからないけど、僕以外に見られたくないと言ってくれたり、僕に真っ直ぐな感情を向けてくれていることだけは伝わってくる。

 それが不快じゃないと、この頃は感じ始めていた。

それにキールの町みたいに僕に手を握られて真っ赤になったりもして。あの時の彼女は可愛かったな…… 

 そこまで考えが及ぶけど、嫌な記憶が甘いけれど独りよがりの空想を遮った。

 人を好きになっていいのか、わからない。異性が自分に抱く感情が、ただの好意なのか恋愛感情なのか区別がつかない。

今まで仲の良くなった女子は何人かいた。

けれどすでに付き合っている男子がいるか、僕と仲良くしつつ他の男子と付き合い始めるかだった。

 他に好きな人がいるのに別の男を惑わせる、女子とはそんな面がある。

 本当に、人の気持ちはわからない。

でも、ミヒャエラとは話をしてみたいと思えた。そうして、少しでも彼女と触れあってみたかった。そうしたら、何かわかるかもしれないと思った。

だけど、彼女には王女としての仕事もある。

乗船したらすぐに、船内の執務室にリーゼロッテたちと一緒にこもってここ数日出てこなかった。

「トール様?」

 隣で急に声をかけられて、心臓が飛びあがるかと思った。

 いつの間に出てきたのか、ミヒャエラがすぐ隣に立っている。やや寒いのか、ドレスの上からカーディガンのような上着を羽織っていた。

「考え事ですか?」

 急に出てこられると、何を話して良いのかわからない。

 月に照らされたミヒャエラの横顔はいつもに増して幻想的で、童話の中から抜け出してきたような現実離れした雰囲気を纏っている。

 急に出てこられた驚きと、ミヒャエラの雰囲気に頭が茹であがるみたいに落ち着かなくて。

「仕事はいいの?」

 結局、そんな無難なことしか聞けなかった。

 彼女も他国の重鎮と会うことへの緊張か、真剣な雰囲気が伝わってくる。

 空気を悪くせずに聞きたいことを聞けるような会話スキルは持ち合わせていない。

 無難にミヒャエラとは短い時間だけ、それも当たり障りのない会話をして過ごし、お互いに自分の部屋に戻った。

 


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