第26話 冬の旅
しばらく二人で走り、人通りが少なくなった路地裏にたどりつく。お互いに大分息が切れ、ミヒャエラにいたってはこの寒いのに顔を真っ赤にしていた。
「ト、トール様……」
彼女の視線と手の感触で、自分がしていたことに気がつく。
「ご、ごめん」
僕は慌てて手を離そうとする。
しかし彼女は僕の手を逆に握り返し、少し拗ねたように唇を尖らせていた。防寒用の革の手袋越しにさえ彼女の体温が伝わってくる。
暖かい。それに、心地いい。
僕はいつの間にか少し手をにぎにぎとして、彼女の手の感触を味わう。
「んっ……」
ミヒャエラに顔をしかめたり、体を離そうとする様子はない。僕から顔をそむけることもなかった。
いつの間にか雪は止んでいて、雲間から光が数条地上に差しこんでいるのが見えた。
僕は、女子と付き合ったことなんてない。
空気を読むのも苦手だ。
考える前の行動だった。彼女がどう思うだろう、とか思わずになぜか手が動いていた。
こうやって手をつないで、顔と顔が近くにある。少しだけ潤んだ瞳に上気したリンゴ色の頬、早い呼吸。
ミヒャエラは王女だったり、僕を召喚したり、変態だったりするけど。こうして一緒に行動する分にはそんなことは関係なく一人の女の子だった。
今までのことを忘れたわけじゃないけど、一人の女の子として彼女を初めて見た気がする。
僕はミヒャエラの手をさっきまでより強く握り返した。手袋の感触より彼女の生身の手の感触のほうを強く感じた。ミヒャエラも僕の手を同じように感じてくれているのだろうか。
「あ……」
ミヒャエラの頬が蕩けたように緩み、瞳が濡れたみたいに潤む。
「そろそろ、時間だし。みんなの所に戻ろうか?」
彼女は濡れた瞳を僕に向けたまま、力強く頷いた。
「お帰りなさいませ、王女様、トール様……」
船がある港まで戻ってくると、町に通じる道に立っていたレオノ―ラが出迎えてくれた。彼女はメイド服を着用しているけど上から外套を羽織っているので、それほど目立ってはいない。
というか、ここキールの領主に仕えているメイドが外出するのは珍しいことではないらしく、ここに来るまでメイド服姿の女子やおばさんたちと何度がすれ違った。
でも、レオノ―ラの様子が他のどのメイドとも違う。
肩を震わせて、頬が引きつり、額に青筋を浮かべている。
レオノ―ラがなぜそのような顔をするのかわからなかったけど、彼女の刺すような視線の先を見てみるとその原因が分かった。
まだミヒャエラと手をつないだままだった。今度は少し強引に手を振りほどく。
ミヒャエラは残念そうな様子で肩を落としていたけれど、正直それどころじゃない。
「王女様…… おうじょさま、おうじょさまがあんな冴えない男の毒牙に…… 許しません許しません許しません、絶対にあの脚の付け根からぶら下がってる粗末な物体をちょん切ってさしあげます……」
そんなレオノ―ラの様子にミヒャエラは首をかしげるばかりだった。
「トール様。レオノ―ラに何があったのでしょう?」
空気読めない子だったか、と思ったけど原因はレオノ―ラの方にあった。
ミヒャエラの方に向いている顔だけはいつも以上の笑顔になっていたのだ。レオノ―ラ、恐ろしい子!
「先ほどは、お見苦しいところを見せました」
レオノ―ラはそう言いながら深々と頭を下げてくる。
結局、あの後何があったのか鬼の形相で問い詰めてくるレオノ―ラに対し、ミヒャエラがありのままを述べると嘘のように怒りがおさまった。
僕の言うことは何一つ聞こうとしなかったのに、まったく人生と言うやつは理不尽だ。
船着き場に停泊している船を見上げながら、僕は気になっていたことをリーゼロッテに尋ねた。
「なんで陸路じゃなくて船での移動なの?」
レオノ―ラとの勉強中に大陸の地図も見せてもらったけど、神聖国の大都市ジェノヴァに向かうためには陸路でも海路でもそんなに距離の差がない。むしろ陸路の方が距離が短いくらいだ。
「……冬の山越えは危ない。特に神聖国の北の国境は夏でも雪に閉ざされる山脈がある」
ピレネー山脈やアルプス山脈みたいなものか。ミヒャエラという国賓がいる以上、ナポレオンみたいな無茶はできないだろうし。
「……もちろん海路も危うい。この時期は風が安定せず狭い海峡を通過する際に衝突する危険があるし、波が荒れると上陸困難になる。基本、冬の間は旅をしないもの」
じゃあ、ダメじゃない?
そんな僕の不安を感じ取ったのか、リーゼロッテは誇らしげに杖を掲げた。
「だからこそ、私がいる」
魔法で声を変えてあるしわがれ声が、いやに頼もしく感じた。
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