第25話 たった一つ

そのままキールの町を歩き、角を曲がるといきなり大振りの魚が丸のまま吊るされていた。人の頭ほども太さがある魚と目が合い、心臓がヒヤっとする。

「ひゃっ」

 僕もびっくりしたけど、ミヒャエラはもっと驚いたらしい。

抱きついてきたので、厚い防寒着越しにでもわかる彼女の胸が押し付けられる。

決して巨乳ではないけれど十分な大きさと柔らかさは、モモとマシュマロを合わせたような感じ。

柔らかいという言葉ではとても言いつくせない。ただただ、感触が幸せだった。

一瞬だけ感触を堪能した後、ミヒャエラが涙目になって恥ずかしがっているのに気がついて咄嗟に体を離す。

(いつもスカート自分からめくるのに、これは恥ずかしいの?)

 僕は会話の内容が周囲に聞かれないよう、小声で話しかける。

(見せるのと触れてしまうは違うのです……)

「おいお客さん、うちの店の前で騒がれたら困るんですケド?」

 露店の奥から、店員と思しき男たちが出てきた。

 赤銅色に日焼けした筋骨たくましい二人組で、いかにも海の男と言う雰囲気を醸し出している。

 僕を値踏みするような視線で一瞥した後、興味をなくしたように隣のミヒャエラに視線を移すと目を見開いて、呆けたように呟く。

「やっべえ……」

「めちゃ可愛い」

 無意識なのか、二人とも一歩ミヒャエラの方に踏み出した。

 屈強な二人組に目を付けられたというのにミヒャエラは怯える様子がない。

「なあ、俺たちと遊ばねえか?」

「このキールは初めてじゃね? 案内してやるよ」

 見た目はゴツイけど、速攻で安宿に連れ込もうというタイプじゃなさそうだ。感じからしてナンパ程度だろう。

 ミヒャエラは声をかけられても動揺した様子がなかった。

 これが王女の貫録というものだろうか。

 ひょっとして、水戸黄門みたいに我こそがこの王国の王女であるぞ、とか名乗るのだろうか? 

 でもそんな風に自分の身分をひけらかすようなのはミヒャエラらしくない。

 色々考えながらミヒャエラの方を見ていると、彼女と目が合った。

 二人に向ける無機質な視線とは全然違うと思うのは、うぬぼれじゃないはずだ。

 そんな彼女が側にいると、勇気がわいてくる。

 同時に、目の前の二人の男たちに対して怒りがわいてきた。

 とりあえず勇者とばれて騒がれたり、注目されるのは嫌なので軽く指を鳴らした。

 親指と中指が擦れる感触で魔力とイメージが集中し、母指球と中指が弾ける音が魔法を初めて発動した時の思いを呼び起こしてイメージが固まる。

リーゼロッテが魔法を発動させる時に合図を決めておいた方がいい、と言っていたのが合図ありでの魔法に慣れてくるとよくわかる。

「なんだあ?」

 二人組が僕が急に指を鳴らしたことに怪訝な顔をするが、すぐに青くなった。

 潮の香が混じった海風の中でも、それははっきりとわかる。

「やべえぞ、売り物が焦げてるぜ!」

「なんで薪も炭も使ってねえのに、いきなり火が出るんだよ!」

 干物と幕が焦げはじめた店の方へ慌ててかけ出したので、僕たちはこっそりとその場を離れた。

 しばらく歩いた後、ミヒャエラに聞いてみた。

「怖くなかったの? 護衛が見えないところに配置されてたとか?」

「いえ、そのようなものは何も。皆船出の準備で忙しいでしょうし」

「じゃあ、なんで」

「トール様を信じていましたから」

 実際の海と違って曇りでも雨の日でも色あせることのない、コバルトブルーの瞳が僕を真っ直ぐに見る。

 僕のことを欠片も疑っていないような、そんな目。

 その純粋な視線が逆に苦しかった。

 なんで、そんな目で見るんだよ。僕はそんな立派な人間じゃないのに。人を憎んで、妬んでいるばかりの人間なのに。

「なんで、僕をそんなに信じられるの?」

 普段なら、なんて返されるのかが怖くて絶対に聞けない言葉。なのに今の僕の口は、その言葉を止めてくれなかった。

 今聞かないと、永久に聞けない気がしたからかもしれない。

でも、口に出してから後悔した。

正面きって聞くようなことでも、場に合わせた言い方でもない。

 ただ自分の思いをぶつけるだけの身勝手な物言い。

 でも彼女は戸惑うことも、不快な素振りも見せなかった。

 なぜか自嘲するような、そんな感じだった。

「だってトール様は、私の人生の中で初めての『王女の証明』ですから」

 ミヒャエラは初めて、自分が話したくないだろうことを話してくれた。

「正直に申し上げますと、フロイデンベルク王国は私の代で滅びるだろう、とさえ言われていたのです」

「私は父母が早くに亡くなり、若くして王位を継承いたしました。初めのころは父上や母上の後を継ぎ、立派な王となってこの王国をさらに栄えさせようと決意しておりました」

「今にして思えば、現実を知らない小娘の浅はかさでしたね。王位を継いでから帝王学にはそれまで以上に励みましたが、何一つ人並み以上にできた試しがありません。まつりごとも武芸も、魔法も。いっそのこと王を誰か他の臣下がやった方が良いとしか思えませんでした」

「それをレオノ―ラに言うと、叱られましたけどね。若いうちからそんなことを言ってどうするんだ、って」

 ああ、あのきつそうなメイドさんが目を吊り上げてミヒャエラを説教している姿が目に浮かぶ。

「昔の勇者様が残した台詞に『俺たちの戦いはこれからだ』というのがあります、王女様も見習いなさい、って」

 レオノ―ラ…… それは戦いが終わった時の台詞なんだ。連載を打ち切られた時の言葉なんだよ。

「帝国の侵攻、年々悪化していく財政、徐々に小さくなっていく国々の中での存在感と発言力。それらを何一つ解決できずに日々を過ごして。でもある日、リーゼロッテから言われたのです。私には勇者召喚の魔法の資質があると」

「それを聞いた時、私は天にも昇る気持ちでした。やっと、人並み以上のものが手に入ると。これで父母から受け継いだ国に役立てると」

「無論、勇者召喚の負の側面も聞かされました。まるで人攫いのように異世界から勇者を呼びだす魔法でもある、と。しかし私はやめるわけにはいきませんでした。もう一発逆転を狙うには、勇者召喚に賭けるしかないと考えました」

「賭ける?」

「勇者召喚とは一生に一度きりしか使えない魔法なのです。その者の過去、現在、そして未来。全ての魔力を集約して召喚を行なうのです。失敗すれば死に至るというリスクもあります」

 自分勝手な理由と思っていた。さっきまでも、そう思っていた、でも僕を召喚するためにそこまでの覚悟とリスクを……

「トール様がはじめ、勇者として認められなかった時、他の者たちはトール様に怒りを向けましたが、私はむしろ自分に怒りを感じました。私ができそこないだから、こんなことになったのだと。トール様の力を引き出せなかったのだと」

 それで、君だけは僕を邪険にしなかったのか。

「だからトール様が勇者としての力に目覚められた時、本当に嬉しかった。トール様がこれ以上辛い思いをしなくて済むのだと。私もやっと、人並み以上のものを持つことができたのだと、そう思えて」

 ミヒャエラは敬虔な信徒がそうするように、両手を胸の前で組んで僕の前に跪いた。はずみでフードがめくれ、黄金色の髪に白い雪が降り積もり、彼女の唇が白い息で霞む。

 今彼女は、他の村娘と同じような服装で、お披露目の日のドレスに比べればみすぼらしいとさえ言える。

 それなのに今までに見たどのミヒャエラの姿よりも、高貴に感じた。神域が人の姿を取ったかのように気高く、触れることも畏れ多い。

「だからトール様は、私にとって勇者なのです。心を震わせる方なのです。王女としてふさわしいものを何も持たなかった私に、たった一つ、誇れるものを与えて下さった」

 頭を下げられたことは、こちらの世界に来て何度かある。でも人に跪かれたのは初めてだ。

 僕の腰の高さくらいに彼女の頭があって、僕に忠誠を誓うように目線を下げている。

どうすればいいんだ、これ?

優越感に浸れるとか、屈服させている気分になるとかいうよりも頭に浮かんだのがまずそれだった。

こういうことをされたのは初めてだからどうしていいかわからない。

それに周囲の目が痛い。

「なにしてるのかしら……」

「新手の宗教? 教会に通報しないと」

「奴隷プレイ?」

「まだ日も高いのに……」

 往来のど真ん中で女子が男子に跪く、なんてやってればこうなるのが当然だ。

 なんだかどんどんと僕の評判が悪化していく気がする。僕たちが勇者と王女だと気づかれたら大変だ。早く、どうにかしないと。

「ミヒャエラ、立って!」

 しかし彼女は集中しているのか悦に浸っているのか、反応がない。

「あらいやだ、勃って、ですって」

「お盛んなことですわね」

 そうしているうちに、周囲から聞こえる声はどんどんと剣呑なものになっていく。

 仕方がない。

「あ……」

 僕はミヒャエラの冷え切った手を掴んで、強引に立ち上がらせる。

 この世界にくる前ならできなかっただろうけど、肉体労働ばかりやっていた僕の腕は想像より遥かにたくましくなっていたらしい。

「行くよ!」

 僕は彼女の頭に積もった雪を軽く振りはらって、走り出した。


 

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