第20話 黒フードの正体
朝食後、僕は魔法を教わるため黒フードの部屋を訪れた。
黒フードの部屋は魔術士の長なのに、ミヒャエラが住む城の上の方ではなく、城の本丸から離れた一軒家のようなつくりの場所にある。
石作りの壁に屋根から突き出した煙突がハッカと炭の匂いが混じったような煙を黙々と吐き出している。
元々は茶色かったであろう、風雨にさらされて所々黒く変色した木戸をノックする。
「……入って」
なぜか黒フードの声が緊張しているように感じる。戸を押し開くと、中は夜のように薄暗かった。
光源が壁に備え付けのランプ一つしかない空間にぼんやりと目が慣れてくると、中の様子が明らかになってくる。
天井まで届く本棚にはカビ臭い、革表紙の本がびっしりと押し込まれており部屋の中央にあるテーブルには開かれた本や何かをメモした紙切れやインク壺に羽ペンが置かれている。
別のもう一回り小さなテーブルには鉱物や植物、それをすりつぶしたと思われる金づちや薬研や乳鉢、秤と言ったものが置かれており錬金術師の部屋をイメージさせた。
「……待ってた」
薄闇に溶け込むような黒い衣装をまとった黒フードが、手に取っていた器具を丁寧にテーブルに置いて僕の方へ歩いてくる。
ふと、彼は床に転がっていた器具の一つに足を取られて転びそうになったけど素早く体勢を立て直した。だがフードがその弾みでめくれそうになる。
「」
だがしわがれた声で小さく何かを呟いたと思うと、締め切った空間にわずかなそよ風が吹きフードを元の位置に治した。
「大丈夫?」
僕は軽い気持ちで黒フードの肩に手を置いた。
「ひゃわっ!」
だがまた、いつかも聞いた高い声が黒フードの口から漏れ、彼は僕から飛びのくようにして距離を取る。
だがその拍子にまたフードがめくれる。先ほどより大きく舞いあがったフードは中の素顔をあらわにした。
初めて見る黒フードの素顔。
それは想像していたよぼよぼの老人ではなく、小さな少女だった。
僕より頭一つ分は背が低いから上から見下ろすような形になる。肩まである銀色の髪の下からのぞくクルミ色の瞳が僕を捉えていた。顔自体の作りも幼く、明らかに僕より年下だろう。小学生でも通用するんじゃないだろうか。
「服が同じだけの、別人?」
出会いのインパクトに思考が麻痺してしまったけど、彼女のシルエットは黒フードにそっくりだが声が明らかに違う。背格好が同じ人間を影武者にしているのだろうか。
彼女は僕を見上げ、俯き、震える。それを何度か繰り返した後に観念したように肩を落とした。
「……勇者に、嘘はつけないということ? これも運命か。声は、変えているだけ」
彼女が何か呟くと、ふたたびあのしわがれた声に戻った。少女の顔で老人の声なのは、すごく違和感がある。
「……風の魔法で声も変えられるから」
ざわめきを静かにしたことがあったけど、あれも同系統なのだろうか。
「以前中庭で一瞬だけ声が変わったのも?」
「……動揺して、魔法の制御が狂った」
「動揺?」
動揺するようなイベントなんかあっただろうか? あの時は彼、いや彼女が転びそうになってそれを支えたくらいだけど。
ミヒャエラよりも白い、処女雪のような肌がうっすらと赤く染まる。
「……この年で、しかも女では舐められる。だから顔を隠し、声を変えている」
少しだけ間があった。彼女は恐る恐るといった感じで、口を開く。
「……私がこのフロイデンベルク魔法師の頂点に立つ、リーゼロッテ・フォン・ヒルト。年少なのは諸事情によるので、あまり詮索はしないでもらえると助かる」
大人の事情というやつか。まあどこの世界にも色々あるのは変わらないな。でもこんな小さな子が魔法師のトップとは、ラノベみたいだ。
少し間が空く。彼女が沈黙に耐えかねるように、恐る恐るといった風に口を開いた。
「……笑わないの?」
「なんで?」
どこか笑う要素があっただろうか?
「……こんな小さな、若い、しかも女が魔法師の長をしている。不格好とか、似合っていないとか、笑ってもいい。慣れているから」
実際の社会で少女だと舐められるからか。さっきはさらりと流したけど、相当気にしているらしい。
「そのどこがおかしいの?」
僕ははっきりと断言する。彼女が呆気にとられたのがわかるけど、構わず続けた。
「別におかしくない。血筋か努力かは知らないけど、相当苦労して今の地位があるんでしょ? だから、笑わない」
意味もなく笑われることが、どれだけ頭にきて悲しくて、虚しいかはよくわかる。唐突な物言いでも、例え目の前の相手に理解してもらえなくても、これだけは言っておきたかった。
だからリーゼロッテの胡桃色の目を正面から見て、ありったけの気持ちを込めて伝える。
「……そ、そう。そこまで言ってくれた人は、初めて。感謝する」
リーゼロッテは処女雪のような肌を耳まで紅色に染めて、俯いた。唐突な感じになってしまったから、気分を害したのだろうか。
彼女は俯いたまま僕と視線を合わせず、僕もどう話したらいいかわからず、沈黙が流れる。
「……あなたが勇者として認められて」
リーゼロッテの方から沈黙を破り、ゆっくりとしゃべり始めた。
「……謁見の間で貴族たちを殺そうとする様子はなかった。メイドや奴隷たちに勇者として無理な命令をしたり、横柄にふるまったりする様子もなかった。どうして?」
「そうしたいからそうしただけだよ」
無理な命令をするのは単に気が引けただけだし、横柄にふるまわないのはチキンなだけだし、復讐を考えるより楽しみたいだけだ。
それに魔法の訓練ばかりで疲れてたし。疲れると、とにかく休んで気晴らししたくなるんだよね。
「……それがわからない!」
リーゼロッテが初めて声を荒げた。
「……私が最初にあなたの力を見抜けなかったせいで、辛い思いをさせたのに! 最下層の奴隷に落とす原因を作ったのに!」
彼女の手が小さく震えていた。
「……私はあの謁見の間で、殺されようとしても抵抗しないつもりだった。今もそう。二人きりで、邪魔が入らない。これ以上の好機はない」
ああ、めんどくさい。
「前も言ったけど、もう気にしてないよ」
彼女のせいで僕が辛い目に遭ったのは事実だが、そのおかげでメタンを利用した魔法を思いついたのでそんなに恨んではいない。それに今は元いた世界では味わえないほどの生活水準だ。
むしろこれだけ謝罪されると困る。謝罪されるのも疲れるのだ。
「それに君が中庭で魔法についてレクチャーしてくれたおかげで、使えるようになったから。感謝もしてる」
リーゼロッテはゆっくりと顔を上げた。胡桃色の瞳が大きく揺れて、涙のにじんだ眼に僕が映っている。
「……許してくれるの?」
「それより、魔法についてもっと教えてもらいたいんだけど」
これ以上話を引っ張るとまためんどくさそうなので、話題を変えたほうがいいだろう。
「……わ、わかった」
彼女は机の上を片付け始め、部屋の隅から椅子を二つ持ってきた。
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