第18話 レオノーラ

 レオノ―ラと二人で、廊下を歩く。

 窓の外からは降りしきる雪が見え、壁に備え付けの燭台が夜の廊下を茜色に照らしている。現代日本と比べれば暗いが、昨日までの一室と比べれば段違いの明るさだ。

 白磁に青い唐草に似た植物の絵が描かれた壺や、金の額縁に入った歴代国王や王女と思われる人物の肖像画が飾られているがそれを鑑賞している余裕もない。

 なんというか、気まずい。

 見咎められるようなことはなかったのに、なんとなく気まずい。

 僕の前をレオノ―ラが歩いているから、彼女の表情は全く見えないのも余計怖い。

 人と話すと理由もなく震えてしてしまうことが多く、その時の記憶がフラッシュバックする。

レオノ―ラがふと足を止めた。わずかな風と共に蝋燭の火が揺れて僕たちの影が音もなく動く。彼女はゆっくりと僕の方を振り返り、何を言われるかと緊張で体が強張った。

 だけど彼女は僕を咎めることもなく、深々と頭を下げた。

「……ありがとうございました」

 僕はレオノーラに頭を下げられる理由がわからず、首をかしげる。

「王女殿下があのような顔をされたのは、久しぶりです。王女様は日々重責に耐えておられる方。先代国王がおかくれになられた後、国の命運を引き受け、他国や臣下との謀略や権謀術数に巻き込まれて心休まる様子がありませんでした」

 彼女も苦労してるんだな。王女だし、僕みたいな出来損ないを召喚したからさらに大変だったろうけど。

「これからも、王女殿下をよろしくお願いします」

 彼女はもう一度深々と頭を下げる。そして満面の笑顔で笑って、こう言った。

「中から不埒な気配がすればドアを蹴破ってでも入り、刺し違えてでもトール様を止めるつもりでしたが、その必要が無くて何よりです」

 怖っ!



 自室に戻ってしばらく経つと、規則正しいノックの音が聞こえた。

「勇者様。お食事の支度が整いました」

レオノ―ラの声だ。

「おお」

ワゴンに乗せて運ばれてきた、銀色のドームカバーをかぶせた料理がテーブルに乗ると僕は思わず声を上げた。

食器からして昨日までと違う。昨日までは木皿にそこらの枝を切り出したようなフォークとスプーンだったのに、今日は純白の磁器で青い紋章のような模様がある。ドイツの高級食器メーカーのマイセンにそっくりだ。

スプーンとフォークも金で、持ち手に精緻な彫刻が彫られている。

 食事のメニューは昨日まで、スープに浸さないと食べられないほど固くて黒いパンや下処理が甘くて血生臭さの残った臓物と豆のごった煮とかだった。

 確かに栄養はあるし厳しい労働をするのなら理想的な食事だろうけど、あまり美味しいとは言い難かった。

 でも今日のメニューはまずパンが白い。少し酸っぱくて固いけど香ばしさがコンビニやスーパーで売っているパンとは比較にならない。

 下処理のしっかりされているレバーは舌触りがなめらかで臭みがない。添えられているジャガイモやザワークラフトも丁寧に仕上げられており、食後にはチョコケーキの様なデザートまでついていた。日本のチョコレートケーキに比べて遥かにしっとりとしていてチョコの香りと苦みが強い。ザッハトルテというやつだろうか、食べたことはないけど。

 この世界は名前からしてドイツに似ていて、ドイツ料理はジャガイモ料理ばかりと思っていたけれどそんなことはなかった。

でも僕が食事を満喫している最中、レオノーラはそばで立っているだけだ。

「レオノーラは、食べないの?」

「メイドが仕える方と食事をするなどありえません。メイドとして恥ずべきことです」

「あ、そう」

 しょうがないからもくもく食べる。

 食べる、美味しいんだけど…… 後ろのレオノーラの視線が気になって仕方ない。

「レオノーラ、僕の背中に何かついてる?」

「いえ、勇者様になにか体調の変化があれば見逃すわけにはいきませんので」

 結局、僕が食べ終わるまでレオノーラは身じろぎひとつすることなく立っていた。後ろにいるけど、彼女が動けばあのひらひらの多いメイド服がこすれる音がするはずだ。

僕が食べ終わると、空になった食器をワゴンの上に乗せていたレオノ―ラが顔色一つ変えずに言った。

「ところで勇者様、伽はいかがいたします?」

「とぎ?」

 米を研ぐのか? いや、この世界に米はないだろう。剣を研ぐんだろうか? 勇者だし、そう言う仕事もあるのかな。勇者にしか扱えない伝説の剣とかだろう。

 考えていると、レオノ―ラはわずかに顔を赤くして僕の耳に顔を寄せた。

 レオノ―ラの整った顔が間近に来てドキリとする。

「……女を所望されますか、と言う意味です」

 おんな? 女。所望?

 僕は理解した途端に顔が熱くなった。伽ってそういう意味か!

「一応、城には貴族御用達の、そういった者もいますが。お望みとあれば、私でも」

 苦虫をかみつぶしたような顔で、蛆を見るような目で、ゲロを踏んづけたような表情でそう言った。まあミヒャエラ一筋だからその反応は当然だろう。

「しばらくは、いいよ」

 取り敢えず断ると レオノ―ラは大きく息をついた。

「私のはじめては王女殿下に捧げると決めておりますので……」

 この人、ガチだ。

 というか出会った女子といきなり本番なんて、非モテのヘタレには難易度が高すぎる。初期装備でラスボスに挑むようなものだ、何もできずに終わるしかないだろう。

 そういったことは時間をかけて一歩一歩距離を詰めて行なうべきだと思うんだ。

 伽を丁重にお断りした後、ゆったりとした寝巻きに着替えて柔らかいベッドで寝た。寒さで震えずに寝られたのは久しぶりだった。

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