第17話 ノック

 ミヒャエラと僕の部屋は同じ階にあったらしく、ミヒャエラが部屋の戸を開けて外に設置された小型の庭園に降り立つのが見えた。

 この城は最上階に王族や元帥といった要人の私室が集まっていると聞いていたが、勇者となった僕の私室もその一角だったらしい。部屋の内部ばかりに気を取られて外にまで気が回らなかった。

 僕の部屋からはミヒャエラの部屋が見える。ミヒャエラの部屋は流石に王族というべきか、

最上階にある部屋の中でも一際広く立派で、他の部屋にはない簡素な庭園が部屋の外に設えてあった。

 ドレス姿のミヒャエラが雪の舞う庭園に降り立つ。白い肌と白を基調としたドレスをまとった彼女が白い雪の中に立つ情景はとても幻想的で。

 でも寒くないのだろうか、という僕の疑問は驚愕にとって代わられた。

 周囲を確認するかのように見回すとするするとスカートをたくし上げていく。以前僕の目の前でやった時のように。

 夜な上に庭園の木々に隠れて所々しか見えないけど、木々の隙間から彼女の白いふくらはぎやふとももが見える。

 僕はそれに見とれそうになったけど、その前に我に返った。

「なにやってるの!」

 僕は窓を開け、ミヒャエラに向かって叫んでいた。



「お騒がせして申し訳ありません……」

 僕はミヒャエラと彼女の部屋で向かい合って座っていた。

 本来ならば勇者であっても王女の私室に入室などできないのだが、王女自らの招きということで特例として許可された。しかも私室で二人きり。表向きの理由は勇者召喚に関する話ということのため、二人で話すことを許されたのだ。

 無論王女の身に何かあっては一大事ということで部屋の前ではレオノ―ラが護衛として待機している。近衛騎士でないのは異性であることを配慮した結果だろう。

 もちろん、部屋の中から怪しげな声や物音があれば即座に国家騎士や魔法師に連絡し踏み込んでくる手はずらしい。

「それで」

 僕はこめかみを押さえながらミヒャエラに尋ねた。

「なんであんな人目につくところで、その…… をしてたの? 誰かに見られたら一大事だったよ?」

 ナニをしていたかは話している僕の方が気恥ずかしくて声がしりすぼみになってしまった。

 本来なら興奮するところなのだろうが、奇行を目にしたショックの方が強くてそれどころではなかった。

 ミヒャエラはすぐには答えなかった。その代わり瞳が濡れたようになっており、ランプの明かりでもわかるほどに顔が赤くなっている。

「やはり、あなたしか……」

 ミヒャエラはまたドレスのスカートをたくし上げようとしたので、僕は慌てて止めた。

「一体、なにがあったの?」

 どーしてこうなった、とはまさしくこの状況だ。「わけがわからないよ」でもいいが。

 僕があんなことをさせたのに、彼女は怒るでも泣くでもなく、スカートをたくしあげて顔を赤くする。

 彼女はほんの少し俯いていた顔を上げた。コバルトブルーの瞳が真っ直ぐに僕を捉えるとわずかに表情が緩む。花が綻んだようなその様子に僕は胸が高鳴るのを感じた。

「あの日」

 ミヒャエラは薄紅色の唇をゆっくりと開く。

「トール様の前でわたくしはスカートをたくし上げ、肌を晒しました。家族や侍女以外に見せたことのない場所が次第に露わになっていくあの感触は、わたくしの忘れえない記憶となって胸に焼き付いております」

 いや、忘れようよ。

さっきまでの甘い空気が爆風で吹っ飛んだように霧散してしまった。

「その時の感じが忘れられず自室で、皆が寝静まった夜のバルコニーで何度も同じことをいたしました。あの時間は皆寝静まっておりますので、見られる心配はございません」

「ですが最近それだけでは物足りなくなり、侍女の前で同様の行為を行なっておりましたがなぜか侍女はそれを止めようとするのです。ひどいと思いませんか?」

 レオノ―ラが王女殿下は乱心気味、と言っていた理由がやっとわかった。

「しかしトール様の前で行なったときの感触とは比べるべくもなく、日々思い悩み、あの夕暮れのことを思い出すだけで胸焦がれる思いでした」

 えーと、胸焦がれるっていう言葉の使い方間違ってると思うんだけど…… 

「しかしこうしてあなたの前で再び同じことをして確信しました。トール様はやはり勇者であると!」

 なぜゆえにっ。

「わたくしの胸の内にあった感情を、今まで感じたことのない感情を呼び覚ましてくださいました! 勇者とは心を震わせる人だと伝承にもあります、だからあなた様は勇者の中の勇者です!」

 己の胸の内を熱く語るミヒャエラ。拳を握りしめ、手のひらを空にかざして熱弁をふるう。

 雰囲気と情熱だけを見れば、きっと名演説に思えるだろう。

 でもその内容は、「スカートをみずからめくり、隠されたショーツを見せることで興奮を得ることができます」ということ。

 ただの露出狂だ。

まあ彼女は異世界召喚なんて離れ業をやってのけるし、天才となんとかは紙一重か。

天才って性癖が変わった人が多いらしいけど彼女もその例に漏れないらしい。

僕が出会ったときに感じていた、笑顔の裏に何か隠しているような感じはこれだったのか。

 なんだかどっと疲れた……

 まあ、僕のせいで気に病むよりましか。

 思わずほっと息をつく。

そんな僕を見て、ミヒャエラは口元に手を当てて笑みをこぼした。

ちょっとした仕草でも絵になる可愛さがある。彼女はずるい。

「何か、おかしかった?」

「いえ、お優しい方だと思いまして」

「どこが?」

 そんな要素は、今までの会話になかったはず。勇者としての僕を利用しようとして適当なことを言っているのか?

「いえ。あなたはお優しい方です。謁見の間で私と目が合ったときも、あの日以来会ってすらいないわたくしのことを気遣っていました」

 少しは考えてたけど…… あんな遠くから、わかるものなのか?

「これでも王女ですから!」

 ミヒャエラがドヤ顔をする。

だけど目元を緩ませてわずかにえくぼができるくらいで、愛くるしいドヤ顔だ。

こんな表情さえも魅力的で、本当にミヒャエラはずるい。

「しかし」

 ミヒャエラは表情を引き締め、姿勢を正し立ち上がる。その姿はさっきまでとはまるで別人で、真剣さが伝わってきた。

 そのまま彼女は深々と頭を下げる。

「やっと勇者の力に目覚めたとはいえ、今まで辛い思いをさせたこと、深くお詫び申し上げます」

 返事を待っている間の彼女は震えていた。頭を深く下げているから表情はわからないけれど、緊張に強張っているのだろうか。

 王女という立場の彼女がそんな思いをすることに優越感を感じるかと思った。

でも、なぜかそんなことはなかった。

むしろ彼女に同情しさえしていた。

自分をこんな世界に連れてきた張本人で、ついこの間まで罵声を浴びせた相手だというのに。

他の重臣や奴隷と違って彼女は僕に高圧的な態度を取らなかったせいかもしれない。

それに変態に怒っても仕方がない。

そう考えていると、

「別にいいよ」

 そんな言葉がすっと出てきた。

 汲み取り部屋で仕事をしていた時ならともかく、暮らしぶりも良くなった今はミヒャエラをそんなに恨む理由がない。

 むしろ前の世界よりずっと待遇はいい。暖かいベッドで寝られるし、暖炉だけど暖房はついているし一流シェフが作った料理が食べられる。

 それに努力がやっと実を結んだことが、すごく嬉しい。努力に裏切られてばかりだったから。

ミヒャエラは弾かれるような動きでぱっと顔を上げた。

「わたくしを、お許しいただけるのですか?」

「……二度も言わせないでよ」

 許すとはっきり明言するのはまだためらいがあったから、こんな言い方になってしまったけど。

 それでも彼女の顔に安堵の表情が広がり、強張っていたからだから力が抜けて、コバルトブルーの目に涙がにじむのが見えた。

 そんな彼女を見ていると、ふと胸の奥が暖かくなる。

 なぜだろう。

「ありがとうございます。今後、できるかぎりのことはさせていただきます」

 彼女はもう一度、深々と頭を下げ、そして上げた。

 瞳が濡れて、頬が緩んで、何かを期待するように僕を見つめている。

「そしてできれば、またあなた様にお見せしてもよろしいですか?」

 ミヒャエラはスカートの裾を指先でまさぐりながら、上目づかいでそう聞いてきた。

 その度にさっき見えたスカートの中身を思い出して、顔が熱くなるけど。

「駄目」

 僕は彼女の提案をばっさりとそう切り捨てた。

 変態、ダメ、ゼッタイ。

「失礼します」

 木製のドアからコツ、コツと丁寧で几帳面なノックの音が聞こえた。

 やましいことをしていたわけでもないのに、心臓が跳ね上がる。

 だがミヒャエラは落ちついた声で入室を促した。

「どうぞ、レオノ―ラ」

 ノックをしたレオノ―ラが、音もたてずに重厚な木製のドアを開けて入ってきた。

「王女殿下、大分お時間が経ちましたので」

 ミヒャエラは少しだけ残念そうな顔をしたが、すぐに王女としての顔に戻る。

後日話の続きをすることにして僕は部屋を出た。


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