第15話 弁償

「つまり、先ほどのことはあくまで暴発で、城を破壊しようという意図があってのことではないと?」

最初に召喚されてきた時と同じ謁見の間に呼び出された僕は、汲み取り部屋を破壊した件について質問されていた。黒フードは魔法師長という立場で、彼がしかるべき場を設けて事実を明らかにすべきと進言したためこのような形になったらしい。

単純に近衛隊長が寒い外で質問するのが嫌になっただけかもしれないが。

 汲み取り部屋を一つ吹き飛ばしたので糞尿が飛び散り、全身クソまみれになったので特別に湯船を使わせてもらった。この世界に来て半年、初めて風呂に入れた。

 外で冷たい水を使って全身に付着している糞尿を落とした後、香料が入った風呂に入ったのだ。さすがに臭いのでバスタブを外に運び出し、その中にお湯を入れての入浴になったが。

 風呂に浸かり、服を交換した後で部屋を移動した。

この世界に召喚された時と同じように、黒フードをはじめとする魔法師たち、文官や武官が僕を取り囲むようにして立っている。彼らに護られる形でミヒャエラが玉座に座り僕を見ていた。

意外だった。

ミヒャエラが玉座に座っている以上、他に王が無くこの国を治める立場なのも。

僕を見て、ただ頬を染めて目を反らしただけなのも。

あの場では彼女が困惑していただけで、後から手討ちを命じられてもおかしくないと思っていた。

だが彼女から感じるのは怒りでも恥でもなかった。よくわからない感じだけど、僕と目が合うとすぐに反らしてしまう。

やはり僕の顔など見たくないのだろう。

 僕は改めて自分を取り囲むようにして立つ、気色ばんだ大勢の人間を見回す。なんというか、逮捕されて法廷に立たされたらこんな感じになるのだろうか。

「そうだよ。魔法の訓練をしてたら魔法が暴発しただけ」

 僕はありのままを述べただけなのに場では信じられない、といった声が大半だ。

「嘘を言え! 貴様一人の魔法であのようなことができるはずがない!」

「肥溜め勇者ごときにあのような真似ができるわけがなかろう」

「真実を申せ」

 ちなみに僕が壊した汲み取り部屋は急ピッチで復旧作業が進められている。城の多くの大小便が流れ着く部屋のため、溜まった大小便を取り除いた後で城の上から流れてくる大小便の流れるルートを変更し、別の汲み取り部屋に流れるようにしたそうだ。その後応急処置で外壁を組み直して木材で壁と天井を補修したあと再び石材で組み直すらしい。

しかし黒フードが僕の魔法だと証言してくれたのにそれを信じない人が多すぎるし僕に対してまだ見下した態度を取っている人が多い。

まあ第一印象はそんな簡単に覆せやしないから期待してはいなかったけど。スクールカーストが中々覆らないのと同じだ。

 しかし何人かは、僕に対する態度を改めていた。

「皆様方、ひとつよろしいか」

そのうちの一人である近衛隊長が挙手し、重々しい声で告げる。場が静まるのを待ってから彼はゆっくりと口を開いた。

「彼以外にあの瓦礫の付近で怪しい者はいなかった。状況証拠から見ても彼がやったとしか思えん」

 ピン一つ落としても響き渡るだろう沈黙の中で発せられる言葉は、ざわめきの中の言葉とはまるで違う。

 場の空気が徐々に変わり、さらに黒フードの一言が追い打ちをかけた。

「……間違いなく彼の魔法。勇者の魔法は常識外ということは承知しているはず」

 黒フードは何かを期待するような眼差しで僕の方を見た。といっても目元まで隠しているからそう思えるだけだけど。

 この状況で黒フードが期待することというと…… ああ、そうか。

 僕は掌を上に向け、腕を前に大きく突きだした。

 構造式や分子式、結合角度や糞尿が発酵して生成されるところまで明確にイメージする。

 すぐに掌大の青い焔ができた。ソフトボールほどの大きさの、焔の種。純粋なメタンは無味無臭だからか、肥溜めの様な臭いは一切しない。

 これだけだと舐められるだろうから、すぐに次に移る。

 上方の空間にもイメージを広げると、焔がそのイメージ通りに広がる。天井が広いのでこの場にいる人間すべて丸飲みにできそうな青い焔が展開するがすぐに消えてしまった。

 イメージをいくら強固にしても、僕の魔力が少ないから大きな焔は一瞬しか展開できないようだ。

 大勢の人間を敵に回せばまずいだろう。僕は武道の心得なんてない、いたずらに敵は作るべきじゃないな。

場に居合わせた人間はしばらく呆然としていたが、すぐに場が狂乱の渦に包まれる。

 この異世界の人間からすればさっきの巨大な焔は血が凍えるほどの恐怖だったらしい、どうやらこの国では僕の魔法は威力に関しては抜きんでているようだ。そうでなければここまでの混乱にはならないだろう。

 ある者は青ざめて、ある者は真っ先に扉を開けて逃げ出している。

 中には腰を抜かしている人間までいた。両手を地面について尻もちをつき、膝立ちになって震えている。

 ああ、これどうしよう。

 パニックに陥った目の前の人間たちを冷めた目で見つめながらぼんやりと僕は思った。

 この場をトラブルなく収める方法がまったく思いつかない。

 僕が諦観していると、黒フードが杖を掲げて何事か呟く。

 途端に場の声がおさまり、静かになった。いや、みんなまだ口を動かしているのに声だけが聞こえなくなっている。

 ゲームで言うなら沈黙系統の魔法だろうか。音は空気の振動だし、風の魔法が得意そうな黒フードならこの程度造作もないのだろう。

「……静かに。今は騒ぐよりもやることがある」

 黒フードは自分に注目が集まるのを確かめてから言葉を続けた。

「……勇者が資質に目覚めた。色々と思うところはあるだろうが、喜ぶべきことのはず」

 巫女が奉納で使う鈴の音のように澄んだ声が続いて広間に響いた。

「その通りです。血のにじむような修業と労苦を重ね、ようやく成果を出した勇者様に対してまずやるべきことがあるのでは?」

 ミヒャエラの言葉に、居並ぶ魔法師、文官、武官たちが整列し直す。

 まるであらかじめ訓練されていたような動きだ。おそらくはまともな勇者が召喚されたらこうする予定だったのだろう。

そして一斉に膝をつき頭を垂れた。ミヒャエラでさえも玉座から降りて膝をついている。

この広間の中で立っているのが僕だけになり、視界を遮るものが何一つない。自分がこの場で一番高い位置にいる。

 見下され続けてきた僕が、逆に頭を下げられている。

 自分の力が彼らに認められたという実感がじわじわとわいてきて、今まで抱き続けてきた劣等感が煙のように消えて、全身が心地よい高揚で満たされるのを感じる。



 僕に全ての視線が集中している。

 だが十秒、二十秒…… と何も起こらないので不安、というか気まずくなってきた。

 こう言う時、なにかしゃべらないといけないんだろう。でも何を言えばいい?

 場を盛り上げるような何かを言えばいいのか? もしくは高尚な台詞を言えば? 

 でももし、すべって空気が凍りついたら怖い。こんな時コミュ強は気の利いた台詞の一つでもすぐ考えつくんだろうけど。

 それに目の前の人間たちのほとんどから怯えたような空気を感じるのも気になる。

なんだ? 何を考えてる?

いや、僕が彼らの立場だったら何を考える? ああ、そうか。

復讐を恐れているのか。

初めて出会ったとき僕を城外に捨てようとしたり、あんな仕事を押し付けたことを思い出す。正直少し嬲ってやりたいくらいだけど、怯えられながらこう大仰に扱われるのも慇懃無礼な感じでなんだか不愉快だ。

「今までのことは気にしてないから、別にいいよ」

 とりあえず頭を上げてほしいのでこう言ったが、半ば本音でもある。

ひどい目にあうのは慣れているし、下手に復讐して恨みを買うのも危険だ。ここは水に流すふりをしてこの世界を楽しむほうが無難だし、精神衛生上もいいだろう。

 それに優秀な人間や技術者とろくな仕事もできない人間を同列に扱うわけがない。偏差値七十と偏差値三十の人間、エースピッチャーと補欠は給料も待遇も違うのが当然だ。

「よろしいので?」

でも僕の言葉を聞いて顔を上げた眼下の人間たちはほっとしたような表情を浮かべた。

 現金だな。

 劣っているとバカにして、優れていると媚びて、過去に手ひどく扱った相手が力を付けると復讐を恐れる。学校の人間関係と、大差ないな。

さらに続いて場違いなほど大きく明るい声が響いた。

「そ、その通り。わ、我は慈悲深き勇者様に忠誠を誓うぞ! 遅れて覚醒した勇者様、大器晩成という言葉もある! 彼こそがまことの勇者様だ!」

「そうだ!」

「勇者様、ばんざーい!」

 たちまちのうちに広間に万歳の声が響き渡る。まるで出来の悪いコメディ映画か皮肉の利いたドキュメンタリー映画を見ているようだった。

 その有様を見て、僕の中でわずかに残っていた復讐という感情が急速にしぼんでいく。

 こいつらは、この程度だったのか。

 自分が有利と見ると傲慢になり、自分が不利と見ると卑屈になる。

 事大主義とはまさにこのことだ。

「それで、勇者様の要求は? 地位ですか、女ですか?」

 急に敬語になった剥げ頭の文官が揉み手をしながら聞いてくる。どうやら彼が文官のトップのようだ、現代日本で言うところの総理大臣のような地位か。

 だけど風貌もセリフも、小物のテンプレすぎて笑えてくるくらいだ。

「別に、特にないよ」

 地位も女も、ピンとこない。今はとりあえずゆっくりしたい。

「そ、それは……」

 でも僕の台詞に逆に彼は警戒心を強めた感じだ。なぜ? 少し考えるとすぐその理由に思い当たった。

 ああ、そうか。欲望の世界に身を置く人間だから、あまり無欲だと警戒されるのか。

 でもほしいものなんて取り立てて思いつかないし…… いや、あったか。

「とりあえず部屋がもっといい部屋にしてほしいかな? 今の部屋は寒いんだ。すきま風としんしんする冷気とかが入ってくるし。それと食事がもっと美味しいとありがたいんだけど」

「わ、わかりました! すぐに勇者様にふさわしい最高級の部屋をご用意いたします!」

 そういえばもう一つ欲しいものがあった。

「それと、魔法を教えてほしいかな。まだわからないことが多いし」

「……それは、私が教える」

 黒フードが名乗りを上げた。前にも教わったことがあるし、彼は教えるのが上手いから安心だろう。

「……しかし、これだけの魔法が使えるのにこれ以上何を学ぶ? 先ほど見た魔法の威力は勇者と呼んで差し支えない領域に達している」

「まだ完全には使いこなせてないというのは自分でもわかるし、純粋に魔法に興味があるからかな。学問として魔法があるなら、学んでみたい」

 少なくとも高校の勉強よりは面白そうだ。この世界には小説もSNSもないから時間が余るし、面白いものを学ぶのも悪くないだろう。

「……そう」

 学んでみたい、と言ったとき黒フードは明らかに嬉しそうな声を出した。

「それにしても、なんで汲み取り部屋で発動したんだろう? わからない?」

 それがわからないとまた何かのきっかけで暴発するかもしれない。寝てる時に発動して、部屋が崩れて生き埋めにでもなったらシャレにならない。

「……以前も言った通り、魔法は魔力、イメージ力、感情の三つで決まるとされる。魔力が弱い分、後者の二つで補ったのだろうけどあの場所にイメージや感情を増幅させる要素があったと思われる」

 なるほど。それで汲み取り部屋で屈辱を思い出した時に発動したわけか。それなら寝てる時はまだ大丈夫そうだ。

「……私からもひとつ聞きたい。あの魔法は、どうやった? 火系統の魔法であることは疑いないが、火で石造りの部屋を吹き飛ばし、瓦礫に替える魔法など見たことが無い」

 爆発といえば火というイメージだけど、この世界ではまだ爆発という概念が乏しいらしい。

 ダイナマイトでも発明されていたらどうしようかと思ったけれど、これなら僕の魔法もチートとして通じそうだ。

 でも手の内を明かす必要はないし、適当にごまかしておいた。

「では早速、国民に勇者様の召喚成功を広める儀式の準備に取り掛かりませんと」

「それに、勇者様の護衛も必要ですな」

「諸外国に、外交ルートを通じて宣言しましょう。勇者様の魔法も虚実を交えて大々的に宣伝すればそれだけで牽制になりえます」

 僕との話が終わると、場が実務的な話に移っていく。嫌な奴らだとは思っていたけど流石はプロの政治家・官僚たちだ、方向性が決まると仕事が早い。

 仕事、実務か。学生だった僕にはバイトくらいしか縁がなかったけど、元の世界で後数年したらこんな風に働いていたのだろうか。

 働く、お金……

 今さらだけど大変なことに気がつき、退室しようとしていた文官に声をかけた。

「一ついい?」

「はい、なんでしょうか勇者様?」

 露骨に態度を変える禿げ頭の文官にいらっとしたけど、今はそれどころじゃない。

 大変なことに気がついた、はっきり言って、ヤバい。

「僕が破壊した汲み取り部屋だけど……」

 冷静になると僕が壊したんだから、弁償しないといけない。どれだけのお金になるんだ?

 せっかく待遇が改善しそうなのに借金で長年タダ働きなんてシャレにならないぞ。

「無論建築関係の部署に命じて早急に修理いたします、勇者様は何もご心配なさることはありません!」

 どうやら弁償しなくてもよさそうな空気だ、よかった。 

 僕はほっとして胸をなでおろす。

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