第9話 魔法の原理、三つ

翌日、僕は仕事の休み時間を利用して黒フードを探していた。魔法について教えてもらうためだ。衣服を着替えて身体の糞尿を拭くのを大急ぎで済ませて、まだ日の高い城内を歩きまわる。

 僕に魔力がほとんどないと言った彼に教えを請うのは正直抵抗があるし、初めのころは彼に憎しみを抱いていたくらいだ。

だけど彼が悪いわけではないし、僕の魔力についてオブラートに包んだ言い方をしてもいずればれていただろう。

教えてもらえるかはわからないけど、このまま自分一人で頑張っても永久にできるようになる気がしない。できる努力はすべてやっておくべきだろう。

しかし探してもなかなか黒フードは見つからない。城壁の上、汲み取り部屋の近く、練兵場。糞尿処理の奴隷である僕に行ける場所を全て探し回るが、どこにもいない。

疲れ果てて足が棒になり、城の中庭でへたりこんでしまった。

歩きまわったせいか、足の裏が痛い。

でも諦めない。これくらいで諦めてたまるか。彼らだって城に仕えている。以前は城外で見かけたし部屋に閉じこもっているなんてことはないはず。

今日が駄目なら、明日探す。どっちにしろこのままじゃ僕は一生惨めなままだ、なら少しでも可能性のある方に賭けた方がいい。

中庭は芝の様に背の低い草が生え、周囲に色とりどりの花が植えられており花壇に囲まれた運動場をイメージさせる。

思いっきり息を吸い込むと瘴気のような空気に満ちた汲み取り部屋とは違い、果物の様に甘い香りと、緑の澄んだ空気が肺を満たしてくれる。

元気が出てきたので再び腰を上げると、いた。

中庭にいつの間にか黒ローブたちがぞろぞろと集まってきており、その中に一際小柄な黒フードもいた。

中庭に集まって整列すると、彼らは一斉に形状も大きさも様々な杖を取り出して魔法の訓練を始めた。

魔法の訓練だとわかったのは、彼らが中二病的な台詞と共に杖を振ると杖の先からつむじ風が巻き起こったり、遠くにある的を切り裂いたり、ローブの裾がめくれてすね毛の生えた生足がのぞいたりしたからだ。

やはり黒フードがリーダーらしく、大勢の黒ローブたちに指導をしているのが見える。

「……そこ、魔力の集中が乱れてる」

「……イメージがあやふや。だからそんなはっきりしない形の魔法になる」

「……思いが足りない。魔法を使おうという意志の力に乏しい。だから威力がない。魔術師を志した理由を思い出す。きっかけ、状況、言葉。そういったものをもう一度思い出す」

 休憩になった時を見計らって声をかけようとするが、彼の周りには他の黒ローブたちが常についていてなかなか近寄れない。

 それに呼ばれてもいないのに声をかけるなんてためらってしまう。

 でも、やっと見つけたんだ。それにここで魔法について聞かないと、もう二度と聞けない気がする。

 僕は勇気を出して、一歩足を踏み出す。

「あの、ちょっといいですか」

 だが僕が一歩踏み出した途端、周囲の黒ローブたちが間に立ちふさがった。

「肥溜め勇者ごときが、長に声をかけようなど!」

「身の程を知れ!」

 黒ローブたちの視線が痛い。そして悔しい。

 せっかく決意しても、自分で自分を変えようとしても、周囲から見れば僕は何一つとして飼わってはいない。

 自分の無力が、他人より憎かった。

 そんな中で、草を踏みしめる音が僕に近付いてくる。

 顔を上げると、黒フードが黒ローブたちをかきわけて僕の前に立っていた。

「長!」

 黒ローブたちが彼を止めようとする中、黒フードは杖を持っていない方の手を掲げる。それだけで黒ローブたちは言葉を止めた。

「……何か用? 勇者の資格がない、と宣言されたときとは目がまるで別人」

 こうやって間近に立つとわかる。黒ローブは他の魔術師と違ってオーラが圧倒的だ。この小柄な体格でこれだけの人数をまとめているだけはある。

でも、声が何と言うか作り物めいた感じがする。魔法で変えているのだろうか。音は空気の振動だし、風の魔法で変えられるのかもしれない。

「魔法を教えてほしい。僕にはわずかだけど魔力があるって言ってたよね?」

僕がすがるように質問すると、黒フードは一瞬だけ笑顔になる。しかしすぐにうつむいて首を横に振った。

「……魔法に興味を持ってくれただけでも嬉しい。でも残念だけど、勇者の魔力は性質が唯一無二。私では使い方を教えられない」

「でも以前風車を回したときになにかしゃべってたよね。あの言葉を真似するのでは駄目なの?」

「……詠唱は精神集中に都合がいいからそうしてるだけ。魔法を使う際は詠唱なりなんらかの合図を決めておかないと暴発しやすい。だけど詠唱の有無は魔法の成立にはあまり関係ない」

 意地悪ではなく、本当らしい。

 というかそれを知ってたらあんな恥ずかしい思いをしなくて済んだのか……

「……でも魔法は魔力、イメージ力、感情の力の三つで行使するとされる。イメージを出来るだけ正確に持つといいかもしれない」

「魔力、イメージ力、感情か……」

 それがわかっただけでも大進歩だ。それを意識して訓練すれば変わるかもしれない。僕が思い描いた魔法を、発動できるかもしれない。

「……良い目をしてる」

 僕の感情を見てとったのか、黒フードは他の黒ローブたちに自主訓練をするように告げると僕を中庭の隅に案内した。そこは芝生が生えておらず土の地面がむき出しになっている。

 そこに黒フードはしゃがみ込んで持っていた杖で地面に図を描き、さらなる説明を行なっていく。

 黒フードは地面に三つの丸を描いた。数学の授業で見るような三つの丸が重なり合ったような形だ。

「……この三つの丸がそれぞれ魔力、イメージ力、感情をあらわす。どれがどれを表すかはあまり気にしなくていい。そして三つの丸が重なり合った部分が発動する魔法を意味する」

 そう言いながら一つの丸だけが大きくなった、重なり合った三つの丸をもう一組描く。

「……魔力が大きいと当然、重なり合う部分も大きくなるわけだから発動する魔法も強力になる。でも他二つの丸が重なり合った面積以上は重ならない」

「……だから魔力頼みの強引な使い方ではいずれ限界が来る。でも、魔力が最低限しかなければ……」

 そう言いながら黒フードはもう一組、一つの円だけが小さくなった三つの丸を描く。

「……重なり合う面積がこれだけになる。今のあなたがこの状態と考えられる」

 黒フードが描いた円は、点と言った方がいいと思えるほど小さなものだった。

 重なり合うことのないと思えるほどに小さな丸。

 僕は自分の掌に意識を集中させる。感覚だけが生まれ、発動しない魔法。

 まず運命に対して怒りを感じた。

 なんで僕だけがこんな目に遭うんだ! 他の勇者たちはチートな魔法を使って、大活躍していたというのに! なんで、なんで僕だけ……

でも運命とやらを心の中で呪うと、その後は急速に心が沈んでいく。なにもかも、どうでもよくなっていく。

でも絶望は、急に僕の心に割り込んできた存在によって急にかき消される。

「……集中を止めない!」

 黒フードが僕を叱責する声が聞こえた。今までの喋り方はぼそぼそとした喋り方だったので、その差に驚いてしまう。でも同時にその強い調子に反発を覚えた。

 こいつは、何を言ってるんだろう。僕に魔法を使うなんてほぼ不可能だと、言ったばかりじゃないか。

「……魔力の集まり方は問題ない。いや、他の魔術師よりよっぽど早い。さすがは勇者。相当訓練したはず」

 黒フードが急に褒めたので、僕は戸惑ったけど。それ以上に訓練したことが認められたので嬉しくなった。

 それから黒フードは、地面にもう一組の三つの丸を描いていく。

 今度は丸同士が重なるのではなく、一つの大きな丸が他二つの丸を包み込む形だ。

「これは?」

「……仮説だけど、これが勇者の魔法。莫大な魔力で他二つの要素を超越する。こうなるとさっきまでの理論は通用しなくなる。この大きさになると、イメージ力も感情も魔力にとりこまれて、魔力の一部になるから」

黒フードは他二つの丸を覆ってしまった大きな丸を杖で指す。

「……この巨大な丸が、魔法の発動となる」

 さっきまでの三つの丸と比べ物にならないほどの大きさ。これが勇者の魔法……

「……今のあなたでは、魔力をこれ以上大きくするのは難しい。そして魔力が無理なら、他の二つの要素でこれを行なうしかない」

「僕に、できるのかな?」

 僕の魔力を表すちっぽけな円と、他二つの丸を覆い隠すほどの巨大な円。

 あの高みにたどりつくことが、本当にできるのだろうか。

「……わからない。でもやってみなければ絶対にできない。やってみれば、わずかな可能性だけどできる可能性はある。何だってそう」

「他にヒントはないの?」

 黒フードはうつむいて首を横に振った。

「……さっきも言ったけれど勇者の魔力の性質は唯一無二のもの。魔法理論もあくまで仮説。だから私は一般的な魔法しか教えることができない。でも、他には……」

 黒フードは最後に一般的な魔法のコツを幾つか教えてくれた。

「ありがとう!」

「……なにか掴んだら、また来て」

 黒フードは腰を上げようとするが、長時間しゃがみ込んでいたためかすこしふらついて僕のほうに倒れ込んできた。

 僕はとっさに彼の体を支える。

 声がしわがれているからさぞ骨ばって固い体だと思っていたら、意外なほど柔らかくて軽い。風の魔法で体重や感触も変えられるのだろうか。

「……わ、悪い」

まるで小さな女の子のように急に声が高くなった。声も風の魔法で変えているのだろうか?

「……がんばって」

だがさっきまでのしわがれた声に再び戻り、彼はそっぽを向いて僕から距離を取る。糞尿の臭いが染み付いた服だから、臭かったのだろう。そのせいで声を変える魔法の調整が狂ったのだろうか。

 僕はお礼を言ってその場を去っていく。すぐにでも試したいけれど、そろそろ休み時間は終わりだ。はやく持ち場に戻らないと同じ糞尿処理の奴隷たちにまた嫌味を言われる。


「長、よろしいので? あんな肥溜め勇者ごときに時間を割くなど……」

「……正直、可能性は薄い。魔法が発動する可能性は低いし、使いものになる魔法が出来上がる確率はもっと低い」

「ならば、どうして……」

「……あの者が一応は勇者だから、というのもある。勇者の魔力は唯一無二。どんな魔法が生まれるのか見てみたいのも一つ。でも、何よりも」

「……あの者の目…… かつての私と似ている。昏く淀んで、何かを追い求めて、わずかな成果が出るたびに、その成果が大したことが無いと知るたびに、希望と絶望が交互にやってきたかつての私を思い出す。それに執念を感じる。何が何でも成し遂げようという執念を。ああいう目を持った人間は、何かをやる」

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