第7話 垣間見た魔法

今日は汲み取り部屋の仕事は休みだ。代わりに月に一度の桶に溜まった糞尿を郊外の肥溜めに運ぶ日。

僕は馬が引く荷車に同乗し、運ぶ。農耕馬なのでスピードも出ずに安全だ。乗馬はおろか馬にすら触ったことがないけど、この異世界に来て数カ月もすればこれくらいは操作できるようになった。

荷台に置いた桶から悪臭が漂って臭いけど、汲み取り部屋に比べればずっとマシだった。

それに城外に出れば僕が肥溜め勇者なんて知っている人間はいない。糞尿処理の奴隷の一人としか思われておらず、臭いに顔をしかめたり、顔を背けたりされるだけだ。

中には城下町に日用品の買い出しに来た百姓がいるのか、笑顔で手を振ってくれることもある。百姓にとってみれば土を肥やしてくれる肥料を運んで来てくれるわけだからありがたい存在なのだろう。

見下されたり、馬鹿にされたりすることばかりだ。だからどんな理由でも、自分に感謝してくれる人を見ると嬉しくなってほっとする。

 城門を出て、街道を進んでいく。城から離れるに従って人通りが少なくなる影響か、道がでこぼこになり背の低い草や石が目立つようになる。

 街道沿いには苗を植えたばかりの麦畑や飼料用のカブを植えた畑が広がり、家畜の牛や羊が草を食んでいた。

 なだらかな丘に広がる畑と牧場は、水平に広がる日本の田園風景とまるで違っていた。今日は風が無く、畑の苗はほとんど揺れることが無く青空に浮かぶ白雲も流れがゆっくりとしていた。

 ふと、街道の側に風車小屋を発見した。中世らしく粉を挽くのに風車や水車を利用しているのだ。小屋本体は二階建てなのに、風車を含めるとちょっとしたビルくらいの高さになる。

 木製の四枚羽でできた風車の下で、いつか見た黒フードが手から肘までの長さくらいのロッドを手に持っている。

「風の精、わが呼びかけに答えよ、母なる大地へと恵みをもたらし給え、人の子の労に力を貸し給え」

 黒フードの低い呼び声とともに、大気の流れが変わり、僕の周囲にもその余波かそよ風がふく。そして風車がぎしぎしと音を立て始め、それからゆっくりと動き始めた。風車小屋の中から木と木がリズミカルに打ちあうような音がわずかに聞こえてくる。

 これが、魔法か。

 僕が決して使えないもの。僕が召喚されてすぐに使えるはずだったもの。

 風車小屋の中から歓声が聞こえたかと思うと中から人が出てきた。

 ここからでは会話は聞こえないが、黒フードにしきりに頭を下げている。

 この国では魔術師は大分慕われているらしい。

 人に馬鹿にされず、慕われているのを見ると羨ましくなる。人は食欲や睡眠、体温維持などの生理的欲求が満たされると人から承認されたいという欲求が芽生えるらしいけど、今の僕がまさにそれだろうか。

 自分をバカにする奴らは憎たらしいけど、時折城外に出て手を振ってくれる百姓を見るとありがたくて、嬉しくなる。

 僕にも、魔法が使えたら。

 そう思い黒フードの真似をして、ロッドによく似た手近な木の枝を手にとって、意識を集中させてみる。

 掌の中心に何かが集まるような感覚。

 召喚されて、魔法を使えと言われた時と同じ感覚が再び掌に宿る。

 でも、それだけだ。そよ風一つ吹かない。

 魔法を使おうとこの世界に来て何十回と繰り返した。僕にもわずかだが魔力がある、そう言われた時のことを思うと諦めきれなくて。

 でも今日も結果は同じだった。

 僕は木の枝を放り出し、農耕馬に軽く鞭を打つ。

 農耕馬は鞭を打つ前と変わらずのろのろと歩いて行った。

 町から遠ざかるほどに道の凸凹はさらに大きくなり、荷車の揺れ方も激しくなる。ほとんどの道が舗装されていて車が大きな揺れなく進める日本の道路が懐かしくなった。

 そのうちに肥溜めに到着する。

 畑の端に映画で見た五右衛門風呂くらいの大きさの樽が地面に埋まるように置かれており、上に簡素な木の屋根が据えられている。あの樽は古くなったワイン樽を使っているそうだ。その横に肥溜めを薄めるための水が入った桶もおかれている。

 荷車の後ろに置いてあったローブをかぶり、便が染み込まないようヤニを染み込ませた手袋をつけて桶から糞尿を入れていく。

 春や夏だったら肥溜めは発酵してぽこぽこと表面が泡立ち、熱気がむわりと漂ってくるそうだけど冬だからそんなこともない。発酵熱で肥溜めは七十度くらいになることもあると本で読んだことがある。

 作業をひとしきり終えて、帰ろうとすると鋤を担いだ百姓から声をかけられた。

「ありがとよ! いつもすまないね」

「いえ……」

 笑顔で話しかけられることに慣れていないので、僕はきょどってしまう。それを見て相手は誤解したのか、軽く謝罪してきた。

「すまねえ、驚かせちまったか?」

「いえ……」

 鋤を軽々と肩に担ぎ、日焼けした肌と太い腕が印象的だ。初めて会ったはずの僕にも物おじせず話しかけてくる。旅行で訪れた田舎にいた、人懐っこくておせっかいなおじさんを思い出した。

 そのままあれこれと話しかけてくる。話しの内容は覚えられなかったけど、この百姓のおじさんが僕に感謝している思いだけは伝わってきた。

 嬉しかった。

 この世界に来てから、見下されるか馬鹿にされるかばかりだったから。自分のやっている仕事がどうであれ、人に認められるというのは凄く嬉しい。

「じゃあな、辛いことも多いだろうが、頑張れよ!」

 僕が帰ろうとする時、そう言って荷車の脇にリンゴをひとつおいてくれた。 

 帰りに川で念入りに手を洗ってそのリンゴをかじる。日本で食べたものよりずっと小ぶりなリンゴは酸っぱい。でも果肉がしまっていて美味しかった。

 この世界に来て、諦めと達観ばかりだったけど。

僕のことを認めてくれるお百姓さんを見たら。少しだけ、頑張ってみようかという気になる。荷車を引く農耕馬に軽く鞭を入れた。

でも今の僕に何ができる? 鞭を入れてものろのろとしか進まない馬のように、見下されるだけの存在だ。肥溜めで働くだけの労働力と発動さえしない魔法しかない。

そう思い掌に意識を集中させる。目の端に別の肥溜めが見えて、風に乗って臭さが漂ってきた。

何だか虚しくなって、益体もないことに思いを巡らせる。

そう言えば、人の糞尿って何からできてるんだっけ……

この世界にくる前の化学や生物の授業やwikiの内容を思い出していく。

あまり試験の点にはならないマニアックな内容ばかり好きだったけど。

確か、水分が六割近く。後は腸内細菌の死骸とか、腸壁細胞とか。消化しきれなかった食べかす。後は…… 

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