第3話 転生しての仕事

 足元からよじ登ってきたネズミが僕、皆川透の顔に張り付きそうになったので、手で振り払う。ネズミに付着した便が部屋に散った。

 足元は石の床に尿と便の混じり合った液体が散乱して、布で鼻と口を覆っていなければ吐いているだろう。

 ここは城の中にいくつかある、汲み取り部屋だ。

 田舎の家にあったボットン便所の下にある空間に似ている。井戸の中にいるようで、見上げると黒い空間のはるか上に一つだけ小さな光が見える。

その光が遮られたので、僕は慌てて光の真下から離れる。一拍置いて上からしょっぱい臭いの水しぶきが降り注ぎ、その後で「ボットン」と音を立てて便が落ちる。

 僕はシャベルを持って尿の混じった大便をすくい、木製の桶に入れる。

 遠い天井から差すわずかな光だけが光源のこの部屋では、昼間でも薄暗い。糞を餌とするネズミがうろちょろしていて、最初は気持ち悪かったけどもう慣れた。

 ヨーロッパ中世ではおまるに用を足して、いっぱいになったら窓から投げ捨てていたそうだけどこの世界ではある程度衛生概念が発達しているのか、ちゃんとトイレがある。

 でも水洗式なんて便利なものじゃなく、汲み取り式の旧式なものだ。昔の日本のボットン便所みたいに便座にしゃがみ込んで用を足すと音を立てて落ちる。

 用を足した人がスッキリして衛生的な生活を送れる代わりに、奴隷が臭気に顔をしかめつつ掃除するという具合だ。

 糞尿を入れた桶は荷馬車に乗せて城の外にある肥溜めに持っていき発酵させた後、郊外の畑で土と混ぜて肥料にする。この江戸時代の日本のようなシステムを開発・普及させたお陰でこのフロイデンベルクという小さな町の領主は国の中枢に召し抱えられたそうだ。

 糞尿が城や町中に散らばるのが当たり前になっていても、やはり臭いは気になっていたのだろう。首都の大臣たちは宮殿にすら溢れかえる糞尿の匂いに辟易していたらしく、この町を視察に訪れた際に感動した彼らはノウハウを学ぼうと、このフロイデンベルクの領主を中央に呼び寄せたらしい。

 その後、衛生環境を劇的に向上させた功績で町一つを治めているにすぎなかったここフロイデンベルクの領主は周囲の州一帯を任される大貴族へ成長したそうだ。

 まあそれはどうだっていい。

 人をこんな世界に召喚しておいて、役に立つ力を何一つ与えてくれなかった奴らには恨みごとの一つでも言ってやりたい。

 なにしろネトゲしていて、突発的なアップグレードが始まったからパソコン開いたまま世界史の宿題をしていると、いきなり画面が光りだして気が付いたらテンプレな異世界転生に巻き込まれた。

そしてこちらの都合を聞くこともなくいきなり勇者扱いして、事情もわからず僕が呆けていると黒いローブに身を包んだ小柄な人間が僕を見て、勇者としての素質がないと言い切った。

 では何ができるのかと問われて、この世界では僕は何もできることがなかった。

 下手すると城の外に捨てられるところだったけど、なんとか一つだけもらえた仕事がこの糞尿の後処理というわけだ。

 逃げ出そうかと思ったけどどこに行けばいいのかもわからないし、知り合いもいない。生きていくためにはここで働くしかないのだ。

 幸い電灯が無いこの世界では夜は働けないので一日十六時間勤務とか言う産業革命初期のような無茶な労働はやらされないし、食事と寝床は用意してくれるのがまだましなところだろう。

 二十一世紀のブラック企業より労働時間が少ないというのも、皮肉なものだ。

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