第5話 宿屋の一幕/魔法税のこと

 所は街道沿いの宿屋、アレス・パレス・ホテル。

 二階建ての小さな宿屋は満員で、一階の酒場の音楽は止む気配がない。

 その狭く古びた一室で、どちらがベッドで寝るか、マティアとドゥミ・モンドは揉めていた。

「俺はを床に寝かせてベッドで寝られるほど無神経じゃないよ」

「その言い方、ものすごく気に障るのよ」

「あれ、なんで?」

「あんたがあたしのこと、レディだと思ってないからだろうね」

「そんなことありませんって、深窓の御令嬢様。青猫亭の事務室、ものすごい奥の方だもんね」

「やっぱり馬鹿にしてるでしょ?!」

「ほら、お隣起きちゃうから大きな声出さない」

 わざとねちっこい口調で煽ってくるので、マティアはますます頭にくる。

「あんたがどこで寝ようが、あたしは床で寝る。確かに何の能力もないけど、あんたごときにお嬢様扱いされるほど、あたしは弱っちくはないの」

 マティアはベッドから枕を一つだけ奪って、埃っぽい板張りの床に寝転んだ。歩き続けて身体の節々が痛いし、床はごつごつザラザラしてるし、細かい埃のせいで鼻も痛い。無理やり目を閉じて、寝ていることにする。

「何もかも、変なところで意地張るなあ……」

 ベッドの向こう側で声がした。

「お気になさらず、俺はしがない道化師ですから、階下したでもう一稼ぎしてきます。いいからベッドで寝てなよ。だけど出発は一日延期だ。俺は昼間にベッドで寝る、君は次の依頼の計画を立てる。いいね?」


 結局ベッドに這い上がりながら、マティアは一層賑やかになった酒場の喧騒に耳を澄ます。あの男の芸は、青猫亭で働く間に何度か目にしたことがある。天才芸人とはとても呼べないけど、酒の入った夜の冒険者たちにはよくウケていた。荒んだ冒険者たちとおなじくらい猥雑で、ダークで、くだらなくてうるさくて、どこか捨て鉢でやけっぱちなところのある、漫談と一発芸の数々。

 酒場は嫌いじゃなかったけど、彼のことは本当に苦手だった。

 何か、前世の忘れたいものを思い出す。

 富を成してからも、別に、あんな乱痴気騒ぎをしたことはなかったはずなのに……

 眼を閉じてさっさと眠ろうとする。疲れ切っているのに、聞こえ続ける笑い声が、いつまでも神経を刺激していた。


「化粧くらい落としたら?」

 朝も遅くなり、身支度をすませてから、マティアは道化師をつま先で蹴って起こした。ベッドにもたれかかって寝ている彼は、だいぶ飲まされたのか気持ち悪そうに唸って目を覚ます。

「あたし、今日の分の宿代払ってくるから」

「昨日、俺のおひねりで払っといた」

「宿泊税は?!」

「俺が出した、ことになるんじゃないかなあ」

 ふらふら、部屋の隅に備え付けの水樽に向かいながらドゥミ・モンドは答えた。

「あんまりお金ないだろ、君」

 確かにその通りだった。イルミントンで納税し過ぎたのだ。

「この借りは必ず返すわ……」

「うん、だから今日中に依頼クエストの計画立てなよ。魔法の知識全然ないんだもんね?」

 言いながら、震える手で水樽から盥に水を汲もうとして床にこぼし、荷物が濡れそうになっている。マティアはあわてて盥をひったくり、水を汲んでやった。

「あ、俺、ものすごい美形だから気を付けてね。エヘヘ」

 知ってるわ、と言いそうになって飲み込む。

 黙り込んだマティアに、道化師は笑いを引っ込めた。



 宿屋の酒場、真昼にはひと気のないカウンターに、木版刷りのパンフレットやチラシが何枚か。


“魔法税のこと、知っていますか?”

“魔法石、拾った場所にはご注意を!”

“魔法石ミイラにご用心”


などの大きな文字が踊っている。

「これがこの辺の地域で出してるパンフレットだ。いっぺん読んどきな」

 カーサシャー亭の女将が紹介してくれた依頼クエストは、この宿屋から街道を西にそれた村、アレスモートでの魔力石の採集だった。マティアの話を聞いた宿屋の女将が、参考になりそうなものを持ってきてくれたのだった。

「知ってると思うけど、『魔法税』がかかるのはブライベルグからだ」

 “魔法石、拾った場所にはご注意を!”のパンフレットを指して、女将が教えてくれる。

「ブライベルグより南で拾った魔法石なら、魔法税は取られない。そんでもってブライベルグで加工しちまえば、今度は工芸品になるからやっぱり魔法税は取られない。早い話が、お嬢ちゃんたちが頼まれたのは、安い原料の仕入れ、ってことさ」

「え、魔法税、払えないんですか」

 マティアは早くもがっかりした。

「払いたいのかい?じゃあ魔法使いになるんだね」


 魔法を使える人間はもともと王国人口の10パーセント程度だが、王国南部では特に少なく、1パーセントにも満たない。魔力があれば元気が出ます、元気があれば何でもできる、程度の適性持ちなら王国全体にそれなりにいるが、南部ではそれも20人に1人程度だった。

 魔法を使う能力は遺伝で決まるので、つまりそれは人口流動が少ない地域性の問題でもあるのだが、とにかく『青猫亭』に集う冒険者たちのほとんどにも、マティアにも家族にもご近所さんにも、全く魔力適性はなかった。

 このような事情で、ブライベルグ以南の王国南部は、魔法税の免税地帯となっている。

 魔法税とはそもそも、生まれつき魔法を使えることによるメリットに対する課税である。南部の免税は、簡単に言ってしまえば、このあたりのの魔法使いは肩身が狭いだろうから税金は取らないでおいてあげるよ、という話なのだ。


(そんな税金、あったなあ。あたし前世も今も魔法なんか全然使えないし、本気で忘れてた。魔法使いには徴税吏も手を出せないこと、多かったしな)

 マティアはパンフレットをぱらぱらとめくりながら考えた。

 そういえば、前世の恋人、フィオネラ・エスパークは強めの適性持ちだった気がする。修行したら魔法使いの端くれにもなれそうだったが、端くれ程度で税金ばっかり取られても仕方ないから、と言っていた。


(他人より優れてるからって税金を取る。それっておかしいことじゃない?わたしがみんなより優れてるのは、いけないことなの?)

 絶世の美貌を、子供のように歪ませて愚痴っていた姿が浮かぶ。


(いや今思うと、結構とんでもないこと言ってたな)

 いま彼女が同僚だったりしたら普通に嫌いになってたよな、と、同じ女に生まれてみて、マティアは思う。いや、それとも、自分が驕っていることにさえ気づかず、そんな言葉を純粋に、ためらわずに口に出してしまう透き通った無邪気さを、昔と同じように愛しただろうか。

「後を追って、死んだ……」

 彼女は今どこにいるのだろう。天国か、地獄か。それとも自分と同じく転生して、この世のどこかに戻ってきたのだろうか。

 今の彼女は幸福なのだろうか。

 明るいカウンターで、マティアはしばし暗い気持ちになっていた。

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タックス・ヘヴンでアヴァンチュール @mrorion

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