第4話 殺人容疑者になったが関税を払いたい(後編)

 眼を輝かせて駆け込んできた女を、窓口の事務員はあっけに取られて見ている。

「関税の窓口はここだと聞いたんですが」

「そうですけど……」

「払わせてください」

「ええと、そこの机で用紙に記入を」

 事務員はおずおずとインク壺とガラスペンを差し出す。そのペン先を折らんばかりの勢いで、マティアはごりごりと記入を始めた。息を切らして追いかけてきたドゥミ・モンドが、肩を掴んで後ろからのぞき込む。

「君のやってることは、カーサシャー亭の女将を追い込みかねない」

 耳元で低く囁く。

「もちろん、陥れられた君にはその権利がある。それはわかってるんだ。だが、俺は……女将の事情も分かる。頼む、君を助けた俺に免じて、やめてやってくれないか」

「あたし、そんな人間に見えるの」マティアは顔も上げずに言った。肩を掴む手から力が抜けるのを感じて、言い直す。

「あたしが、貧しい人を追い込む人間に見えるの」

「だけど」

「あの人のことは許してあげる。でも税金は払う」

 用紙を引っ掴んで窓口に戻る。

 本当は、許してあげる、なんて言える立場ですらないのだ。たくさんの女将と、病気の子供たちから、税金を巻き上げてきた自分は。

 マティアは心の中で考える。

 だけどもう、人を追い詰める人間にだけはならない。


「アルマの粉末が8オンスだと、50ディナルになりますが」

 記入された申告用紙を見ながら、事務員は告げる。

「めちゃくちゃ高いな」道化がぼそっとつぶやく。

「しかし、実物がないんですが……」

 事務員は困ったように顔を上げた。眼の据わったマティアを見て、助けを求めるように連れの顔を見たが、それが白塗りに紫髪、しかも眼を囲む黒い化粧と笑顔を作った赤い唇の化粧が汗でだらだらに流れた不気味な形相なので、もはや助けは天にしかないとでもいうように視線を宙に彷徨わせた。

「備考欄に書いたでしょ。アルマの粉は昨日の夜、酔っぱらって途中で全部下水に流してしまいました、って」

「しかしそれでは輸入にならないのでは」

「この町には持って入ったのよ。立派に輸入でしょ」

「しかし実物がないことには……」

 マティアがカウンターに肘をついて身を乗り出すので、事務員は「ヒッ」と声を上げて身を引いた。


「関税の意図を考えて。関税の3機能はわかってるわね、財源機能、国内産業保護機能、制裁機能。ここの薬の関税が高いのは、国内産業保護機能のためね。安い薬をバンバン輸入されると、市長の財源がなくなっちゃうから。といっても、医薬品の値段を高くしてるのだって実質的な税金だから、財源機能の転嫁といえなくもないのかしら」


「マティア、落ち着いて、落ち着けって!」

 ドゥミ・モンドまでマティアを引き戻そうと身を乗り出すので、事務員はさらに短い悲鳴を上げて後ずさる。

「いい、酔っぱらって途中で全部下水に流した、実物はありません、って言いながら、たくさんの医薬品が密輸されたらどうなるの?困るのはあんたがお仕えしてる、ここの市長さんよ?あたしは市長さんの財源を守るために、こうして税金を納めようとしてるのよ?」

 マティアはそこで、ドゥミ・モンドにカウンターから引き剥がされた。細い腕にありったけの力を込めて、道化師はマティアを羽交い絞めにする。

「何するの、やめてよ!」

「考えろ、ここの輸入品の申告は自己申告制だっただろ!君、お宅の市長は密輸に対してガバガバですねって言ってるようなもんだ!政策批判だぜ!!」

「あたし以上に悪口ハッキリ言いすぎよ!離して!!」

 明るく堂々とした市庁舎の一室、その真ん中で暴れ回る異様なふたり連れを、周囲の市民や職員が遠巻きにして眺めている。彼らと一人で対峙する事務員は、眼を大きく見開いて震えていたが、とうとう怯えたように口を開いた。


「し、しかし輸入の定義を考えてください。王国関税法の第二条、通則にはこう記載されております。『”輸入”とは、領外から領内に到着した物品を、領内に引き取ることをいう』。この場合、あなたが薬を下水に流してしまった以上、領内の誰も物品を『引き取って』いない。この場合輸入は成り立たず、本来関税を支払うべき購入者もおらず、関税を課税する根拠もないのではないですか」


 ドゥミ・モンドとマティアは一斉に動きを止めた。

「……やるわね」

「さすが市役所職員」

 二人が落ち着いたのを見て、事務員は勇気を振り絞るように背筋を伸ばした。

「あなたのおっしゃることは、よくわかります。しかし我らが市長、ヘンリー・ジャック様は市民を信じている。輸入品を受け取った市民はかならず申告を行うはずだと、心から信頼しておられるのです。ですから、ご心配には及びません」

 事務員のまっすぐな瞳に、マティアは言葉に詰まった。

「密告者がいくらでもいるんだ」

 道化がマティアにしか聞こえないように囁く。マティアは頷いた。だが、あくまで真面目な事務員に、それを言うことは躊躇われる。


「あなたの忠誠には敬意を表します。だけどあたしも、税金という制度に限りない敬意を払っている。それはわかってほしいの。その上で尋ねるわ。あなたの言った王国関税法の通則、「領内に引き取る」とあるけれど、そこに主語は明記されてる?」

「主語?ですか……?一般的に考えて領内の住民かと……」

「それはあなたの推測よね?領内の『下水道』が主語にならないという証明、今この場でできる?」


「いや、さすがにそれは無理筋だよ」ドゥミ・モンドが再び、マティアを抑えるように腕を掴む。

「俺、法律のことはちっともわかんないけど、でもその理屈がおかしいのはわかる」

「いやしかし、私にその証明は確かにできませんが……」

 事務員は明らかに狼狽えた。

「え、嘘だろ。いまの有効打?」

「しかし、下水道が証言することができない以上、私は『下水道が引き取った』ことの証明もできないものと考えます。そして不明瞭な部分がある書類は、私としても受け取れない」


 マティアは再び言葉に詰まる。さすがに論旨が苦しいのはもちろんわかっていた。筋の通らない課税をしようとしない、事務員の良心に感服もしていた。しかしここで引き下がっては、せっかくの納税機会を逃すことになる。あと、人前で大暴れした手前、単純に引き下がるのがかなり恥ずかしくなっていた。

「だけど……」


「このひと、確かにうちの飲み屋で酔っぱらった後、持ってきた壺の中身を全部うちの前の下水道口に流しちゃいましたよ」

 その震える声に振り向くと、そこにはカーサシャー亭の女将が青ざめた顔で立っていた。声だけでなく、足も手も震えていた。

「よくわかりませんけど、これで証言になるなら、なんですか、その書類、受け取ってあげてもらえませんか」

「そ、そういうことでしたら……」

 事務員は予想外の展開に目を丸くしていたが、おずおずと頷いた。「お手数ですが、証人としてこちらにお名前を」

「あたしは字が書けない。マリー・フィッシャーと書いておいてください」

「分かりました。ではあなた、50ディナルを」

 マティアは鞄を探る。いったい誰がどう手を回したのか、『羊眠亭』に置いていた荷物は幸い衛兵に荒らされず、そのままになっていた。昨晩、目の前の女将からもらった30ディナル銀貨に自分の10ディナル銀貨を二つ足す。

「はい、これで」

「はい、確かに受け取りました」

「ありがとう。あなたの忠誠が報われますように」

 マティアは精いっぱいの笑顔をつくったが、事務員はむしろ一層こわばるだけだった。背を向けたその後ろで、大きくほっと息をついたのが聞こえた。


「50ディナルは返すよ。時間はかかるが、それは堪忍してくれ」

 カーサシャー亭の女将、マリー・フィッシャーは市役所を出た二人の後を追ってきた。まだ声が震えていた。

「あんたたちが死ななくてよかった」

 マティアとドゥミ・モンドは足を止めた。止めたけれど、ふたりとも、女将に何と言っていいかわからないまま黙っている。正午になり、広場には眩しい日差しが降り注ぎ、影は足元に小さく落ちているだけだった。

「……あの子がね、薬を見て言ったんだ。ママ、ごめんね、って。わたしのせいで、ママ、きっと、怖いことしたんでしょ、って。あたしは、あたしは、……あたしだけじゃない、あの子に、とんでもない罪を背負わせてしまうところだったんだ」

「そうだ」

 ドゥミ・モンドがドスの利いた、低い声で答えた。その響きがあまりに恐ろしく、マティアは思わず白塗りに汚く黒い筋が走った顔を振り仰ぐ。

「今回は神様があんたたちを許してくれた。それに感謝して生きるんだ。ちゃんと感謝していれば、神様がきっといつかあの子のことも助けてくれる」

 神様とか信じるガラなのか?という問いを、マティアは呑み込む。

 俺に免じて、と掴まれた肩の感触を思い出す。道化師は心配しているのだ。だれかが罪を指摘しなければ、彼女は前に進めない、と。ただ、怖い人間の演技を楽しんでるんじゃないか、という気も多少しないではないが。

 マティアは一息ついて、できるだけ穏やかに言った。

「たしかに、関税は本来、領内の購入者に支払い義務があります。ですが、今回の輸入者は『下水道』です。支払い能力がないので、あたしが代わりに関税を払いました。あなたが取引を証明してくれてよかった。それだけです。ね?」

「いや……」

 女将の悲愴な眼差しの中に、一瞬だけ、相手の正気を疑う戸惑いがよぎった。

「でも、あなたのところも冒険者登録所でしたね。よかったら、割のいい依頼クエストなんか紹介してくれません?あと、この人のめちゃくちゃな化粧を直す場所も貸してくれるとうれしいんだけど」



「君がイカれてるのは本当に、よく、わかったけどさ」

 綺麗に化粧と装束を直したドゥミ・モンドは、イルミントンの門を出てから溜息をついた。

「冒険の途中には文字通り命の危険があるから、よく考えてよ」

「でも、あの人もきっと、心が少し軽くなったでしょ。病気の子に薬も運べて、新しい依頼クエストも受けて、税金を50ディナルも払えた。結果オーライ、万々歳」

「ひどい目に遭った君がいいならいいんだけど、でも最後のはおかしいんだよね」

「だけど」

 少しだけ、いやかなり、癪だなと思いながら、マティアは立ち止まって、化粧で作られた白塗りの笑顔を見上げる。

「迷惑かけてごめんなさい。助けてくれて、ありがとう」

 ドゥミ・モンドは一瞬、きょとんとした。それから化粧の笑顔の下に、本物の笑顔が広がるのが見えた。化粧のせいでよくわからないけれど、それでも、どこか無邪気で懐っこいように見える笑い方。

「うん、どういたしまして。君は真面目だね」

 マティアはすぐに踵を返してさっさと歩きだす。くすくすと、まだ道化が笑っているのがわかる。

 

 もう午後になったとはいえ、日差しはまだ肌に染み通るようだ。照れと悔しさを叩き潰すようにガシガシ歩いているうちに、マティアはふっと思い出した。

 彼女を解放してくれた紳士ロードス・フリューリー。

 あの顔は、昨日の夜に見たのだ。寝間着で衛兵たちに連れていかれる中、見知らぬ怪しい二人連れが彼女を見ていた。恐ろしいほど端整な顔立ちの、だけど幽霊みたいに蒼白い男、と腕をからませていた、もう一人の壮年の紳士の方。

 夜の闇の中から、二人でこちらを見つめていた。

 ってことは、あの時あたしの名前を叫んだ関税の幽霊は。

 

 よく考えたらそりゃそうだ。

 昨日、イルミントンであたしの名前を知ってた男なんて一人しかいない。

 マティアは振り向こうとして、首が固まったみたいに動かないのに気づいた。ますます得体が知れないとわかった、もともと得体の知れない旅の連れ。

 だけど自分の味方らしい、馴れ馴れしい道化師。

 背後の男を振り切ることも、近づくこともできず、マティアは妙ちくりんに背筋をこわばらせたまま、オレンジ色にだんだん染まっていく陽光の中をひたすら歩くしかなかった。



※参考文献※

「昭和二十九年法律第六十一号 関税法」(e-gov法令検索)

URL: https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=329AC0000000061

経済産業省通商政策局編「2019年版 不公正貿易報告書」第Ⅱ部第5章「関税」

URL: https://www.meti.go.jp/shingikai/sankoshin/tsusho_boeki/fukosei_boeki/report_2019/pdf/2019_02_05.pdf

※作者は法律のど素人ですのでご注意ください※

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